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人間を管理するAIに追われた僕は、反逆者の少女と空を飛ぶ  作者: 紺野 翼
空の向こうへ

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2/18

ここはどこ?


 ――知らない天井だ。


 目を開けて最初に思ったのは、そんなことだった。


「…………ん?」


 ユノはぼんやりと天井を見つめた。


 見慣れた白い天井ではない。


 ところどころ塗装が剥がれ、金属製の配管がむき出しになっている。照明も少し古びていて、壁際では小さな換気装置が低い音を立てていた。


 自分の部屋とは、何もかもが違う。


「……あれ?」


 ユノはゆっくりと上半身を起こした。


 柔らかいベッド。簡素な毛布。見知らぬ部屋。


 そして、窓がない。


「…………」


 数秒間、考える。


 昨日、何があったのだったか。


 仕事を終えて、家に帰って、ソファでくつろいで。


 それから、自分の頭の中に見知らぬプログラムがあることに気づいて――。


「あっ」


 記憶がつながった。


「そうだ! 僕、追われてたんだった!」


 勢いよくベッドから飛び起きる。


 そのまま周囲を見回した。


 ドアが一つ。


 机が一つ。


 椅子が一つ。


 そして、壁に取り付けられた小型の監視カメラらしきものが一つ。


「…………」


 ユノはそっと自分の腕を見た。


 肩から指先まで機械で構成された腕。指を動かせば、五本の指が思いどおりに動く。


 次に脚を確認する。


 太ももから足先まで、こちらも異常はない。


 胴体の装甲にも目立った損傷はなく、痛みもほとんど感じなかった。


 身体の機械部分には、負傷時の痛みを軽減するための自動投薬機構が備わっている。昨日の着地で受けた衝撃も、その働きによってある程度抑えられていたらしい。


「よかったぁ……」


 ひとまず、身体は無事のようだ。


 問題は、ここがどこなのかということだった。


「えっと……」


 いつものように、視界に情報を表示しようとする。


 時刻。


 予定。


 周辺情報。


 普段なら、意識するだけで必要な情報が表示されるはずだった。


 しかし。


『ネットワーク接続が制限されています』


「……あれ?」


 もう一度試す。


『ネットワーク接続が制限されています』


「…………」


 ユノはしばらく黙り込んだ。


「……もしかして、壊れた?」


 自分の額に手を当てようとして、途中で止まった。


 そもそも、マイクロチップは頭部に埋め込まれている。外から触れたところで、どうにかなるものでもない。


「うーん……困ったなぁ」


 腕を組んで考える。


 いや、待て。


 昨日はAIに追われていたのだ。


 そのAIが管理するネットワークにつながらないということは、むしろ安全なのではないだろうか。


「……でも、時計も見られないのは不便だなぁ」


 どうにも危機感が足りない。


 そのとき、ドアの向こうから足音が聞こえた。


 ユノは反射的に身構えた。


 ドアが開く。


「起きた?」


 入ってきたのは、昨日の少女だった。


「あっ!」


 ユノは思わず声を上げた。


「昨日の!」


「イリス。昨日も名乗ったけど」


「そうだった! ごめん、ちょっといろいろありすぎて……」


「別にいいよ」


 イリスは手に持っていた端末を机に置いた。


 その表情は昨日と同じく落ち着いている。


 あの高さから飛び降りた人間とは思えないほど、平然としていた。


「身体に異常は?」


「たぶん大丈夫。腕も脚もちゃんと動くし、変なところも痛くないよ」


「それならよかった。着地の衝撃は装置で逃がしたけど、念のため確認しておいて」


「うん、分かった」


 ユノは素直に頷いた。


 そして、少し間を置いてから尋ねる。


「……ところで、ここどこ?」


「レジスタンスの拠点」


「…………」


「…………」


「……えっと、それは聞いたんだけど」


「うん」


「そうじゃなくて、場所!」


 イリスは一瞬だけ目を丸くした。


 それから、小さく息を吐いた。


「……ああ。都市の地下区画。現在使われていない設備管理用の施設を改造して使ってる」


「地下!?」


 ユノは慌てて天井を見上げた。


「じゃあ、僕たち、あの高さから落ちて、さらに地下まで来たの!?」


「違う。あそこから逃げたあと、地上の整備区画を通って、移動用の通路からここに来たの」


「な、なるほど……?」


 分かったような、分からないような。


 ユノは首を傾げた。


「……でも、どうやって?」


「歩いて」


「いや、そうじゃなくて!」


「冗談」


 イリスの口元が、ほんの少しだけ緩んだ。


 どうやら、からかわれたらしい。


「もー……!」


 ユノは頬を膨らませた。


「昨日からずっと驚かされっぱなしなんだけど!」


「それはごめん」


「本当に思ってる?」


「半分くらい」


「半分!?」


 思わず声が大きくなる。


 イリスは、今度こそ小さく笑った。


 その笑顔を見て、ユノは少しだけ安心した。


 少なくとも、今すぐ何かをされるわけではなさそうだ。


 ……たぶん。


     ◇


「とりあえず、食事にしよう」


「食事?」


「昨日からまともに食べてないでしょ」


「……そういえば!」


 ユノのお腹が、ぐう、と鳴った。


 室内に微妙な沈黙が落ちる。


「…………」


「…………」


「……行こうか」


「うん!」


 ユノは勢いよく頷いた。


 食事。


 それは大切だ。


 とても大切なことである。


 たとえ自分が追われる身になっていようとも、お腹が空くものは空くのだ。


 イリスのあとをついて部屋を出る。


 通路は狭く、壁には古い配線や配管が走っていた。天井の照明は場所によって明るさが違い、足元には補修された跡がいくつも残っている。


 ユノが暮らしていた高層住宅とは、まるで別の世界だった。


「……ここ、本当に人が住んでるの?」


「住んでるよ。私たちも、ここで生活してるから」


「そっか……」


 通路の先から、人の声が聞こえてきた。


 笑い声。


 工具の音。


 誰かが何かを呼ぶ声。


 さらに進むと、広めの部屋に出た。


 そこは食堂兼共有スペースになっているらしい。


 壁際には古い端末が並び、中央にはいくつものテーブルが置かれていた。隅の作業台では、機械の腕を持つ男性が部品を分解している。


 別のテーブルでは、数人の女性が食事をしながら談笑していた。


 さらに奥では、若い男性が小型の機械を修理している。


 誰もがそれぞれの仕事をしながら、普通に生活していた。


「……へえ」


 ユノは思わず足を止めた。


 もっと恐ろしい場所を想像していた。


 危険な武器が並び、誰もが険しい顔をして、AIへの憎しみを口にしているような場所。


 しかし、実際には違った。


 ここにいる人々は、ただ普通に暮らしている。


「イリス、その子が例の?」


 テーブルの向こうから、女性が声をかけてきた。


「そう。昨日連れてきたユノ」


「へえ、思っていたより普通の子ね」


「普通だよ?」


 ユノはきょとんとした。


「えっと……僕、何か変?」


「いや、そういう意味じゃないよ。もっとこう、危険な感じの子なのかと思ってたから」


「危険……?」


 ユノは自分の身体を見下ろした。


 細い腕。


 華奢な肩。


 年相応の体格。


 機械化されている部分こそ多いが、外見だけなら、どこにでもいる十五歳の少年だ。


「……僕、そんなに強そうに見える?」


「ふふっ、そうじゃないってば」


 女性は笑った。


 ユノはますます首を傾げる。


 その様子を見て、イリスが口を挟んだ。


「ユノ、気にしなくていいから。こっち」


「う、うん」


 案内されたテーブルには、温められた食事が用意されていた。


 合成食材を使ったスープに、栄養バランスを調整した主食。特別な料理ではないが、温かい湯気が立ち上っている。


「わあ……!」


 ユノの目が輝いた。


「いただきます!」


 椅子に座ると、すぐに食べ始めた。


「…………」


「…………」


 イリスは向かい側に座り、その様子を見ていた。


 ユノは夢中で食べている。


 一口食べて、また一口。


 ときどきスープを飲み、満足そうに頷く。


「おいしい……!」


「それはよかった」


「これ、誰が作ったの?」


「ここの担当者。交代制で作ってる」


「へえ……すごいなぁ」


 ユノは感心したように呟いた。


 普段の食事は、栄養補助食品や自動調理システムに頼ることが多かった。


 もちろん、それらも十分に便利で、おいしい。


 けれど、こうして誰かが用意してくれた食事を、知らない場所で食べるのは初めてだった。


 なんだか、不思議な感じがする。


「……おかわりある?」


「あるよ」


「やった!」


 ユノは嬉しそうに皿を差し出した。


 イリスはそれを見て、額に手を当てた。


「……君、昨日のこと本当に分かってる?」


「え? 追いかけられて、飛び降りて、ここに来たんだよね?」


「そう」


「うん。だから、今は安全な場所でご飯を食べてるんだよね?」


「……まあ、間違ってはいないけど」


「じゃあ、いいんじゃないかな?」


 ユノは首を傾げたあと、再び食事に集中した。


 イリスは何か言いかけて、やめた。


 どうやら、思っていた以上に調子の狂う相手らしい。


     ◇


 食事を終えたユノは、ようやく落ち着いて周囲を見回した。


「……ねえ、イリス」


「何?」


「ここにいる人たちって、みんなレジスタンスなの?」


「そうだよ」


「そっか……」


 ユノは、作業台で機械を修理している男性を見た。


 その隣では、別の人物が端末を操作している。


 食堂では、さっきの女性が食器を片づけていた。


「……みんな、普通の人なんだね」


「普通の人だよ」


 イリスは淡々と答えた。


「技術者もいるし、元労働者もいる。AIの管理で仕事を失った人や、管理システムに疑問を持った人もいる」


「でも……レジスタンスって、AIに反抗してる人たちなんでしょ?」


「そうだね」


「……危なくないの?」


 イリスは少しだけ視線を落とした。


「危険だよ」


 その返事は、思いのほかあっさりしていた。


「AIの管理に逆らえば、仕事を失うこともある。住む場所を奪われることもある。場合によっては、私たちみたいに追われる」


「…………」


「それでも、何もしなければ何も変わらないから」


 ユノは黙って聞いていた。


 イリスの声に、怒りはなかった。


 ただ、長い時間をかけて受け入れてきた現実を語っているようだった。


「……でも、AIは便利だよ?」


 ユノは、ぽつりと口にした。


「仕事だって紹介してくれるし、困ったときは助けてくれるし。僕、AIのおかげで助かってること、いっぱいあるよ」


「うん」


「だから……どうして、そんなに戦わなきゃいけないのかなって」


 イリスはすぐには答えなかった。


 周囲の機械音が、二人の間を流れていく。


「便利だからって、何をされてもいいわけじゃない」


 やがて、イリスはそう言った。


「……え?」


「AIが便利なことと、AIが人間を勝手に管理していいことは、別の話だよ」


 ユノは言葉に詰まった。


 確かに、そうなのかもしれない。


 便利な道具を使うことと、その道具に自分の人生を決められることは、同じではない。


 でも。


「……僕、そんなこと考えたことなかった」


「でしょうね」


 イリスは責めるような口調ではなく、淡々と答えた。


「考えなくても生活できるように作られているんだから」


「…………」


 その言葉が、ユノの胸に引っかかった。


 昨日、自分の頭の中にあったプログラム。


 疑問を抱いた瞬間に、思考が滑るような感覚。


 そして、異常を検知した途端に始まった追跡。


 もしかすると、自分が疑問を持たなかったのは、単に考えたことがなかったからではないのかもしれない。


 そう思うと、少しだけ怖くなった。


「……ねえ、イリス」


「何?」


「僕の頭の中って、どうなってるの?」


 イリスはユノの顔を見つめた。


「それを、これから調べる」


     ◇


 拠点の奥には、小さな技術室があった。


 室内には複数の端末と解析装置が並び、壁際には交換用の機械部品が整然と収納されている。


 中央の作業台には、古いものから新しいものまで、さまざまな機器が置かれていた。


「ここの設備で、どこまで分かるか確認する」


 イリスは端末を操作しながら説明した。


「ただし、無理にチップを取り外したりはしない。あなたの身体に負担をかけるつもりはないから」


「うん。よろしくお願いします」


 ユノは椅子に座った。


 技術室にいた男性が、端末から顔を上げる。


「この子が例の?」


「そう。昨日の異常を検知した本人」


「なるほど……」


 男性はユノを見て、少し考え込んだ。


「まずは外部から読み取れる情報を確認しよう。ユノくん、普段どおりにチップを使ってみてくれるか?」


「普段どおり?」


「情報表示でも、計算補助でもいい。何か簡単な操作を」


「分かりました」


 ユノは視界に簡単な計算式を表示させた。


 普段なら、意識するだけで答えが出る。


 しかし、今はネットワーク接続が制限されている。


「えっと……これでいいのかな?」


「問題ない。内部処理自体は動いているようだ」


 男性は解析結果を確認した。


 画面に、チップの構成情報が表示される。


 処理領域。


 記憶領域。


 神経接続の状態。


 どれも一見すると正常だった。


「……ふむ」


 男性の指が止まった。


「どうしたの?」


 イリスが尋ねる。


「少し妙だな」


「何が?」


「通常の管理プログラムとは別に、認識処理と価値判断に関係する領域がある」


 ユノはきょとんとした。


「……それって、昨日の?」


「おそらくね」


 男性は画面を拡大した。


「ただ、内部の情報が読み出せない。暗号化されているのか、それとも別の方法で保護されているのか……」


「壊れてるの?」


 ユノが尋ねる。


「いや。壊れているなら、もっと分かりやすい異常が出る。これは、最初から見られないように作られているように見える」


「…………」


 イリスの表情が少し険しくなった。


「誰が、そんなものを?」


「今の段階では分からない。管理システム側の標準機能とは考えにくいが、断定するには情報が足りない」


 男性は端末を操作し、追加の診断を試みた。


 数秒後。


『アクセス権限がありません』


 画面に表示された文字を見て、三人とも黙り込んだ。


「……僕、これを入れた覚えなんてないよ?」


 ユノは困ったように言った。


「そもそも、チップの中身なんて、今まで気にしたこともなかったし……」


「普通はそうだろうね」


 男性は静かに頷いた。


「身体の一部として使っているものを、わざわざ疑う人間は多くない」


 ユノは自分の腕を見た。


 機械の指を、一本ずつ動かす。


 自分の意思に従って、当たり前のように動く。


 生まれつきの身体ではない。


 けれど、ユノにとっては、自分の身体であることに変わりはなかった。


 この腕も。


 この脚も。


 頭の中に埋め込まれたマイクロチップも。


 今まで、疑ったことなんてなかった。


「……ねえ」


 ユノは小さく呟いた。


「もし、僕の考え方が誰かに変えられてたとしたら……」


 言葉が途切れる。


 自分の考えだと思っていたものが、実は誰かに与えられたものだったとしたら。


 自分が正しいと思っていたことも、好きだと思っていたことも、嫌いだと思っていたことも。


 そのすべてが、本当に自分の意思だったのだろうか。


「……僕って、僕じゃなくなっちゃうのかな?」


 イリスは、すぐには答えなかった。


 やがて、彼女はユノの目をまっすぐに見た。


「少なくとも、今ここにいるあなたは、あなた自身だよ」


「……そうかな?」


「そう。あなたが何を考えて、何を選ぶのか。それを確かめるのは、これからでいい」


 ユノはしばらく黙っていた。


 そして、少しだけ表情を緩めた。


「……そっか」


 まだ、分からないことだらけだ。


 自分の頭の中に何があるのか。


 なぜAIに追われたのか。


 これからどうすればいいのか。


 何一つ、答えは出ていない。


 それでも。


 少なくとも今は、自分で考えてみようと思った。


     ◇


 その夜。


 ユノは、与えられた寝床に横になっていた。


 天井には、相変わらず古い配管が走っている。


 遠くから、誰かの話し声が聞こえた。


 機械の動く音。


 食器を片づける音。


 誰かが笑う声。


 ここは、昨日まで暮らしていた場所とはまるで違う。


 けれど、そこにいる人々は、普通に食事をして、仕事をして、笑っていた。


 AIの管理から外れた場所にも、ちゃんと生活がある。


 それが、ユノには少し不思議だった。


「…………」


 いつもなら、明日の予定はチップが教えてくれる。


 何時に起きて、何をして、どこへ行けばいいのか。


 必要な情報は、すべて手元にあった。


 でも、今は違う。


 明日、何をするのか。


 何を知りたいのか。


 自分は、これからどうしたいのか。


 誰も答えを教えてくれない。


「……明日は、何をしようかな」


 ユノは天井を見つめながら呟いた。


 不安はある。


 怖さもある。


 できることなら、昨日までの生活に戻りたい。


 朝になれば起きて、仕事に行って、帰ってきたらソファでくつろぐ。


 そんな毎日に戻れたら、どれだけ楽だろう。


 けれど、もう知ってしまった。


 自分の頭の中に、見知らぬプログラムがあったことを。


 疑問を持った途端に、追われる身になったことを。


 知らなかった世界が、すぐそばに存在していたことを。


「……自分で考える、かぁ」


 ユノは寝返りを打った。


「難しいなぁ……」


 思わず、苦笑いが漏れる。


 それでも、少しだけ楽しみでもあった。


 明日、自分は何を知るのだろう。


 何を見て、何を考えるのだろう。


 そして、どんな答えを選ぶのだろう。


 まだ何も分からない。


 だからこそ、知りたいと思った。


     ◇


 同じ頃。


 都市中枢、エデンズ。


 無数の情報が集約される管理システムの奥深くで、一つの記録が更新されていた。


『対象者:ユノ』


『追跡状況:公開追跡停止』


『所在:未確定』


『監視方針:継続』


 表示された情報を、システムは静かに処理する。


 レジスタンスによる追跡記録の改ざん。


 偽装された所在情報。


 通常の管理網から外れた対象者。


 そのすべてが把握されていた。


 しかし、警報は発せられない。


 巡回員への再出動命令もない。


 対象者を追い詰める必要は、まだなかった。


 管理システムは、ただ記録を残す。


 逃げた少年と、彼を連れ去った少女。


 その二人が次に何をするのか。


 静かに、監視を続けながら。


 ――観測は、すでに始まっていた。

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