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人間を管理するAIに追われた僕は、反逆者の少女と空を飛ぶ  作者: 紺野 翼
空の向こうへ

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1/18

当たり前だった世界


 空を覆い尽くすほどの高層ビル群。


 空中を縦横無尽に走る自動運行車両。


 建物の壁面には巨大な広告映像が映し出され、街を歩く人々の視界には、それぞれの網膜に直接投影された情報が流れている。


 人間と機械が共存する、発達しきった未来都市。


 その街では、人々の生活のほとんどが人工知能――AIによって管理されていた。


 仕事の割り振りも、交通網の制御も、医療も、教育も。


 人間が考えるより先に、AIが最適な答えを導き出してくれる。


 それは誰にとっても当たり前のことであり、疑う理由などなかった。


 少なくとも、この日までは。


     ◇


「……んー」


 柔らかな寝具の中で、少年がもぞもぞと動いた。


 窓から差し込む朝の光が、薄いカーテン越しに部屋を照らしている。


 ベッドの上で寝返りを打った少年――ユノは、ゆっくりと目を開けた。


「……今、何時?」


 視界の端に時刻が浮かび上がる。


 午前七時三十分。


 続けて、今日の予定が表示された。


『本日の勤務開始時刻まで、残り三十分です』


「…………」


 ユノは数秒間、画面を見つめた。


「……今日、仕事あったっけ?」


『本日は通常勤務日です。勤務先までの推奨移動時間は十二分。現在、起床が必要な時刻を過ぎています』


「えっ、今日仕事なの!?」


 勢いよく上半身を起こした。


 その拍子に、掛け布団が床へ落ちる。


「うわっ、やばっ! なんで忘れてたんだろ……!」


 慌ててベッドから飛び降りる。


 華奢な身体が軽やかに床へ着地した。


 十五歳らしい、まだ幼さの残る顔立ち。細い肩に、すらりとした手足。寝癖のついた髪と、少し眠たげな目。


 どこにでもいそうな少年だった。


 ただし、その身体の内側には、普通の人間とは異なる構造が組み込まれている。


 肩から指先までを構成する両腕は、完全な機械式。


 太ももから足先までの両脚も同様で、胴体の内部は生身のまま、その外側を強化装甲が覆っていた。


 頭部や顔、首の大部分は生身だ。


 人工脊髄を介して神経系と接続された機械の手足は、本人の意思に従って、ごく自然に動く。


 けれど、それはユノにとって特別なことではなかった。


 彼にとって、この身体は生まれたときから自分の身体と同じくらい、当たり前のものだったのだから。


「えっと、服……服は……あった!」


 クローゼットから適当な服を引っ張り出す。


 着替えて、顔を洗って、髪を整える。


 朝食は栄養補助食品で済ませ、仕事用の端末を手に取った。


「よし! 準備完了!」


『警告。社員証が未携帯です』


「あっ!」


 玄関へ向かいかけた足を止め、部屋へ戻る。


 机の上に置かれた社員証をつかみ、今度こそ玄関へ向かった。


「今度こそ大丈夫! 行ってきまーす!」


『本日の降水確率は三パーセントです。傘は不要です』


「はーい!」


 誰もいない部屋に返事をして、ユノは外へ飛び出した。


 こうして、彼の一日は始まった。


     ◇


 この社会では、十二歳までに基礎教育を終え、十三歳から働き始めるのが一般的だった。


 人間の脳に埋め込まれたマイクロチップは、思考速度や記憶の検索能力を大幅に向上させる。


 複雑な計算も、膨大な情報の整理も、適切な補助があれば難しいことではない。


 それに加え、仕事の適性や社会全体の需要をAIが分析し、一人ひとりに最適な職業を割り当ててくれる。


 人間が自分の将来について悩む必要は、ほとんどなかった。


 ユノもその仕組みに従い、街の設備管理施設で働いていた。


「ユノくん、そこの部品を取ってくれる?」


「はーい!」


 先輩に頼まれ、ユノは工具を手渡す。


「お、ありがとう。助かったよ」


「えへへ、どういたしまして!」


 褒められると、素直に嬉しい。


 反対に、失敗して叱られると、目に見えて落ち込む。


 そんな分かりやすい少年だった。


 機械化された手足のおかげで、重い機材の運搬や細かな作業も難なくこなせる。


 それでも、作業の手順を一つ飛ばしてしまったり、別のことに気を取られたりすることはあった。


「ユノくん、確認を忘れてるぞ」


「あっ……ごめんなさい」


「チップの補助があるんだから、もう少し活用しなさい」


「はーい……」


 しゅん、と肩を落とす。


 けれど、数分もすれば別のことに興味を持ち、いつもの調子に戻ってしまう。


 そんなユノの姿を、周囲の人々は微笑ましく見ていた。


 特別な才能があるわけでもない。


 大きな夢があるわけでもない。


 ただ、今日を過ごし、明日を迎える。


 それがユノにとっての普通の日常だった。


     ◇


「つっかれたぁー……」


 仕事を終えたユノは、自宅のソファに倒れ込んだ。


 身体の機械部分は定期的な点検を受けており、必要に応じて部品の交換や調整も行われる。


 成長期に合わせて身体の規格を更新することも、彼にとっては珍しくない。


 そんな身体をソファに預け、ユノは天井を見上げた。


「明日は休みだし、何しよっかなぁ……」


 視界に予定表を呼び出す。


 明日は休日。


 特に予定はない。


「うーん……買い物は昨日したし、ゲームも昨日やったし……」


 ごろりと寝返りを打つ。


「……暇だなぁ」


 そこで、ふと疑問が浮かんだ。


 どうして自分は、こんなにも何も考えずに暮らしているのだろう。


 仕事はAIが決めてくれる。


 生活に必要な情報も、AIが教えてくれる。


 困ったことがあれば、AIに相談すればいい。


 そう教えられてきたし、実際に便利だった。


 だから、疑ったことなどなかった。


 けれど。


「……なんで?」


 ぽつりと、声が漏れた。


「……なんで、AIの言うことが正しいって思ってるんだろ?」


 口にした瞬間、妙な違和感が走った。


 AIは賢い。


 人間よりも速く計算できる。


 膨大な情報を処理し、間違いを減らし、社会全体を効率よく動かしてくれる。


 それは分かる。


 でも――。


「……賢いからって、全部正しいとは限らないよね?」


 言葉にした途端、頭の奥で何かが引っかかった。


 考えようとすると、思考が滑る。


 別のことを考えようとする。


 まるで、頭の中から疑問そのものを追い出されているような感覚だった。


「……あれ?」


 ユノは眉を寄せた。


「今、何を……」


 視界に警告が表示された。


『思考補助システムに軽微な異常を検出しました』


「えっ、故障?」


『システムの自己診断を開始します』


 視界の隅に診断画面が開く。


 普段なら気にせず任せるところだった。


 けれど、先ほどの違和感が妙に気になったユノは、画面を詳しく確認することにした。


「どれどれ……?」


 診断結果が次々と表示される。


 処理速度、正常。


 記憶領域、正常。


 神経接続、正常。


 どれも問題はない。


 しかし、その下に見慣れない項目があった。


『認識補助プログラム』


『価値判断補正プログラム』


『行動選択最適化プログラム』


「……何これ?」


 どれもシステムの基本機能として登録されている。


 ただ、ユノ自身がインストールした覚えはなかった。


 詳細を開こうとすると、アクセス権限がないという表示が出る。


「えー……見られないの?」


 少し迷ってから、ユノはアクセス要求を送信した。


 数秒後。


 画面が暗転した。


『警告』


『認証されていない神経接続異常を検出』


「……え?」


 直後、画面いっぱいに赤い文字が広がった。


『対象者の行動制限を開始します』


『対象者の確保を開始します』


「え、えっ!? ちょっと待って!?」


 何が起きているのか分からない。


 ただ、いつもは穏やかな案内音声が、無機質な警告音へと変わっていた。


 そして、部屋の外から足音が聞こえた。


 複数人。


 規則正しい足取りが、玄関の前で止まる。


 続いて、ドアを叩く音が響いた。


「ユノ様。管理システムの指示により、確認を行います。速やかにドアを開けてください」


「か、確認って……何の!?」


「ドアを開けてください」


 同じ言葉が繰り返された。


 ユノは玄関を見つめた。


 普段、街の巡回員は困っている人を助けたり、事故を防いだりする存在だ。


 そんな彼らが、自分の家に何の用があるのだろう。


「……ぼ、僕、何かした?」


 返事はなかった。


 次の瞬間。


 ――ドンッ!


 玄関のドアが大きく揺れた。


「ひっ!?」


 もう一度、衝撃。


 金属製のドアが歪み、警告音が鳴り響く。


「ちょ、ちょっと!? 何するの!?」


 ユノは後ずさった。


 頭の中が真っ白になる。


 窓の外を見た。


 ここは五十六階。


 当然、飛び降りるなんて選択肢はない。


 玄関は巡回員に塞がれている。


 逃げ道がない。


 ――ドンッ!


 ついに、ドアのロックが破壊された。


「対象者を確認。確保を開始する」


 武装した巡回員たちが室内へ踏み込んでくる。


「ま、待って! 僕、何もしてないよ!」


 返事の代わりに、銃口がこちらを向いた。


「対象者、抵抗の兆候を確認」


「えっ、いや、抵抗っていうか……!」


 乾いた銃声が響いた。


 弾丸が壁を砕く。


「うわあああっ!?」


 ユノは床に伏せた。


 何が起きているのか、まるで理解できない。


 いつも自分を助けてくれるはずのシステムが、なぜ自分を捕まえようとしているのか。


 どうして、説明もなく撃ってくるのか。


 そんな疑問を考える余裕すらなかった。


 そのときだった。


 ――ガシャァァンッ!


 背後の窓が、派手な音を立てて砕け散った。


「えっ!?」


 吹き込む風とガラス片。


 その向こうから、一人の少女が飛び込んできた。


「伏せて!」


「えっ、はいっ!?」


 少女が小さな球体を投げる。


 直後、強烈な閃光と煙が室内を満たした。


 巡回員たちの動きが止まる。


「視界妨害を確認! 対象を再捕捉――」


「遅い」


 少女は迷いなくユノのもとへ駆け寄った。


 年齢はユノとそう変わらないように見える。


 落ち着いた表情に、無駄のない動き。


 身体の大部分は機械化されているらしく、その動作には人間離れした精密さがあった。


「あなたがユノ?」


「えっ、あ、うん……そうだけど……」


「よかった。間に合った」


 少女はユノの腰に装置を取り付け、固定具を手早く締めた。


「ちょ、ちょっと! 何これ!?」


「脱出用の装置。説明はあと」


「脱出って、どこに!?」


 少女は窓の外を見た。


 遥か下に広がる街並み。


 その高さに、ユノの顔から血の気が引いていく。


「……まさか」


 少女はユノの腕をつかんだ。


「大丈夫。計算は終わってるから」


「いや、何の計算!?」


「飛ぶよ」


「えっ」


 次の瞬間、少女はユノを片腕で抱え上げた。


「ちょ、待っ――!」


 そして。


 五十六階の窓から、迷いなく飛び出した。


「うわあああああああああっ!?」


 空が広がる。


 風が顔を叩く。


 眼下の街が、猛烈な勢いで迫ってくる。


「落ちるってぇぇぇぇぇ!! ここ五十六階だよ!?」


「分かってる」


「分かってるなら何で飛ぶのぉぉぉ!?」


「飛ばないと逃げられないから」


「正論だけどそういう問題じゃないよぉぉぉ!!」


 少女はまったく動じていなかった。


 視界に表示された無数の情報を、瞬時に処理していく。


 風速、気流、落下速度、周囲の建造物、車両の移動経路。


 着地点までの距離と障害物。


 あらゆる情報を計算し、最も安全な経路を選び取る。


 少女の身体がわずかに傾いた。


 腰の装置が作動し、二人の落下軌道が変わる。


 ビルの壁面すれすれを滑るように通り抜け、空中通路の下をくぐり、建物の間に広がる整備用の空間へと向かっていく。


「ひぃぃぃっ! 壁! 壁が近い! ぶつかるぅぅぅ!」


「ぶつからない」


「本当に!?」


「計算上は」


「計算上って何ぃぃぃ!?」


 少女は答えなかった。


 最後の障害物を避け、二人は地面へ向かって急降下する。


 そして着地の直前、装置が強く作動した。


 衝撃が全身を襲う。


「うぎゃっ!」


 ユノの身体が跳ねた。


 けれど、少女は彼を抱えたまま姿勢を崩すことなく、整備区画の奥へと滑り込んだ。


 数秒後。


 ようやく、風の音が遠のいた。


「…………」


「…………」


 ユノは少女の腕の中で固まっていた。


 生きている。


 どうやら、生きているらしい。


「……た、助かった……?」


「うん。ひとまずね」


 少女はユノを地面に下ろした。


 その声は、驚くほど落ち着いていた。


「えっと……君は……?」


「イリス」


 少女は短く答えた。


「あなたを迎えに来た。私はレジスタンスの人間」


「……レジスタンス?」


「そう」


 ユノは困惑したまま、イリスを見つめた。


 聞いたことのある言葉だった。


 AIの管理に反抗する者たち。


 社会の秩序を乱す危険な集団。


 そう、学校でも、職場でも、ニュースでも、彼らはそう説明されていた。


 けれど、目の前の少女は、そんな危険人物には見えなかった。


 むしろ――。


「……あの」


「何?」


「僕、これからどうなるの?」


 イリスは少しだけ表情を和らげた。


「まずは安全な場所へ行く。詳しい話はそこで」


「……僕、悪いことしたのかな?」


 その問いに、イリスはすぐには答えなかった。


 代わりに、遠くにそびえる高層ビル群へ目を向ける。


 街の中心。


 都市全体を管理する中枢が存在する場所。


 人々が疑うことなく従い、絶対的な正しさを信じている存在。


 その中枢は今も、静かに街を見下ろしていた。


「あなたが何をしたのかは、これから確かめる」


 イリスはユノへ視線を戻した。


「でも、一つだけ確かなことがある」


「……何?」


「あなたは、もう今までどおりには暮らせない」


「…………え?」


 ユノは、自分の手を見つめた。


 見慣れた機械の指。


 いつもどおりに動く腕。


 昨日までと何も変わらない、自分の身体。


 それなのに。


 ほんの少し前まで、当たり前だと思っていた世界が、急に見知らぬものへと変わってしまった。


 AIは正しい。


 AIに従えばいい。


 そんな当たり前を、初めて疑っただけなのに。


 どうして、自分は追われなければならなかったのだろう。


 どうして、助けに来た少女は、あんなにも必死に自分を連れ出したのだろう。


 そして――。


 自分の頭の中には、一体何が仕込まれていたのだろう。


 答えは、まだ何一つ分からない。


 ただ一つ分かるのは、もう昨日までの日常には戻れないということだった。


 その日、彼の当たり前だった世界は音を立てて崩れ去った。


 そして、彼の知らない物語が始まった。

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