閉ざされた帰り道
展示施設を出た頃には、街の照明が少しずつ夜の色へと変わり始めていた。
建物の外壁に映し出された広告が切り替わり、歩道を行き交う人々の姿を淡く照らしている。
ユノとエヴァは、駅へ向かう人の流れに沿って歩いていた。
「今日はありがとう。思っていたより、ずっと面白かったよ」
「こちらこそ。私も久しぶりにあんな展示を見られて楽しかった」
「古い交通機関って、今とは全然違うんだね。あんなにたくさんの人が関わっていたなんて知らなかったよ」
「今は管理システムが多くのことを担っているからね。でも、昔は人が状況を見て判断しなければならないことも多かったみたい」
「そう考えると、今の街って便利になったんだなあ」
「便利になったことは間違いないと思う。でも、昔の仕組みにも、今とは違う良さがあったんじゃないかな」
エヴァの言葉に、ユノは少し考えるように視線を上げた。
「うん。そういうのを知るのって面白いね」
「また何か見つけたら、一緒に行こうか」
「いいね! ぜひ!」
いつもと変わらない、穏やかな会話だった。
しかし、駅へ近づくにつれて、ユノは周囲の様子に違和感を覚え始めた。
駅前へ続く大通りの一部が封鎖されている。
歩道の端には複数の案内端末が設置され、通行人を別の道へ誘導していた。普段なら人の流れが途切れない場所なのに、今日は妙に空いている。
「あれ? こっち通れないのかな」
「そうみたいね。少し遠回りになるけれど、別の入口から行けそう」
エヴァが案内表示を確認する。
ユノも自分の端末を取り出した。
帰りの経路を調べようとしたが、画面には接続処理中の表示が出たまま、なかなか情報が更新されない。
「あれ……またか」
「端末の調子が悪いの?」
「ううん。最近、通信が不安定みたいなんだ。拠点との連絡も、うまくいかないことがあって」
「そうなんだ」
「まあ、少し待てば繋がると思うけど……」
そう言って画面を操作していると、ようやく経路情報が表示された。
ただし、表示されたのは駅の反対側へ回る経路だった。
「うーん。こっちから行くしかないみたい」
「それなら、そちらへ向かいましょう」
二人は案内表示に従って歩き始めた。
その頃、レジスタンスの拠点では、イリスが通信端末の画面を見つめていた。
「……まだ応答がない」
ユノに連絡を試みてから、すでに何度か時間が経過している。
単なる通信障害であれば、これまでのように別経路を使って連絡が取れるはずだった。
だが、今回は違う。
ユノの端末からの応答がないだけでなく、彼が移動していた区域の通信記録にも不自然な空白が生じていた。
「イリス、状況は?」
技術担当の一人が声をかける。
「ユノの位置情報が追えなくなった。最後に確認できた地点は、駅へ向かう途中の区域よ」
「通信障害の影響じゃないのか?」
「可能性はある。でも、今までの異常とは状況が違う」
イリスは画面を切り替え、周辺区域の管理情報を表示した。
通行制限、通信経路の変更、公共交通機関の運行調整。
それらが、ユノの移動経路を囲むように発生している。
「……やっぱり、偶然じゃない」
「AIが動いたってことか」
「そう考えるべきね」
イリスは端末を閉じると、近くにいた数人へ声をかけた。
「準備して。ユノの捜索に向かうわ」
「何人必要だ?」
「大人数は動かせない。少数でいい。状況判断ができる人を集めて」
「了解」
彼女は一度だけ、拠点の奥へ視線を向けた。
ここで待っていても、状況は分からない。
ユノを連れてきたのは自分だ。
だからこそ、今度は自分が動かなければならない。
*
ユノとエヴァは、駅へ続く別の通路を歩いていた。
周囲には同じように迂回している人々がいるものの、先ほどまでより人通りは少なくなっている。
「なんだか、今日はいつもと違うね」
「そうね。街全体で何か調整をしているのかもしれない」
「でも、こんなに一度に変わることってあるのかな」
「どうだろう。私にも分からないわ」
エヴァはそう答え、前方へ視線を向けた。
通路の先に、数人の人影が立っていた。
同じ服装をした複数の隊員。
そのうち二人は通路の左右に分かれ、残る者たちは進行方向を塞ぐように立っている。
腰や脚部には武器が装備されていた。
ユノは思わず足を止めた。
「……何だろう?」
隊員の一人が二人の方へ歩いてくる。
表情に大きな変化はない。
声も落ち着いていた。
「ユノ、エヴァ。二名を確認した」
「え……?」
「これより、君たち二人を拘束させてもらう」
一瞬、何を言われたのか理解できなかった。
「拘束って……どういうことですか?」
「詳細については、移送先で説明する」
「いや、ちょっと待ってください。僕たちは何も――」
「拒否権はない。指示に従ってもらおう」
隊員は淡々と告げた。
ユノは周囲を見回す。
通路の左右にいた隊員たちも、すでにこちらへ身体を向けていた。
腰の武器に手を添えている者もいる。
逃げ道を塞ぐように、自然な動きで配置されていた。
「そんな……いきなり拘束だなんて」
エヴァが一歩前に出る。
「私たちに、選択の余地はないということですか?」
「そう理解してもらって構わない」
「理由も説明されないまま、従えというの?」
「必要な説明は移送先で行う。ここでの問答は不要だ」
隊員は一度だけ、周囲の部下へ視線を向けた。
「手荒な真似はしないでいただきたい。こちらとしても、余計な被害は少ない方がいいのでね」
その言葉には、脅すような響きも、怒りもなかった。
ただ、これ以上の抵抗は想定していないというような、静かな確信があった。
ユノはエヴァの方を見る。
「エヴァさん……」
「大丈夫。今は落ち着いて」
エヴァは小さく頷いた。
しかし、彼女の表情にも戸惑いが浮かんでいる。
隊員の一人が二人の前へ進み出た。
「端末を預からせてもらう。所持品の確認にも協力してほしい」
「端末まで?」
「外部との通信を制限する必要がある。返却については確認後に判断する」
ユノは端末を握ったまま、少しだけ躊躇した。
だが、隊員たちの装備を見れば、ここで抵抗しても状況が良くなるとは思えなかった。
やがて、ユノは端末を差し出した。
エヴァも同じように端末を預ける。
「二名を移送する」
隊員の指示を受け、別の隊員が二人の左右についた。
手錠のような拘束具を取り出す者もいたが、隊員はそれを使わず、二人を挟む形で移動を促した。
必要以上に身体へ触れることはない。
しかし、自由に動ける状況でもなかった。
ユノは歩きながら、何度も周囲を確認した。
「……僕たち、どこへ連れていかれるんですか?」
「管理施設だ」
「そこで何をされるんですか?」
「確認と聴取を行う」
「エヴァさんも一緒ですよね?」
「移送後は、それぞれ別に確認を行う」
「えっ?」
「手順上、個別に対応する必要がある」
それ以上、隊員は答えなかった。
ユノはエヴァへ視線を向ける。
彼女は何かを言いかけたようだったが、結局、何も口にしなかった。
*
移送用の車両は、窓の少ない大型のものだった。
二人は別々の座席へ案内され、向かい合う形で座らされた。
車両の扉が閉まる。
外の音が遠ざかり、車内には機械の駆動音だけが残った。
「……エヴァさん」
「なに?」
「これ、どうなっちゃうんだろう」
「今は分からないわ。ただ、向こうが話をするつもりなら、まずは説明を聞きましょう」
「うん……」
「それに、あなたが何か悪いことをしたと決まったわけではないでしょう?」
「そうだけど……」
ユノは膝の上で手を組んだ。
何が起きているのか分からない。
自分たちが何を疑われているのかも分からない。
ただ、ここ数日続いていた通信の不調や、街の様子が関係しているように思えた。
「僕、拠点にも連絡できていないんだ」
「そうなのね」
「イリスたち、心配してるかな……」
その言葉に、エヴァは少しだけ視線を落とした。
「きっと、心配していると思うわ」
「早く連絡できるといいんだけど」
「ええ」
車両は街の中心部から離れていく。
窓の外に見える景色は少なく、どこを走っているのか判断することは難しかった。
しばらくして、車両が停止した。
「到着した。降車してくれ」
隊員の声に従い、二人は車両を降りた。
そこは、周囲を高い壁に囲まれた施設だった。
建物の外観は無機質で、窓も少ない。
入口には複数の警備員が配置され、敷地内の通路にも監視装置が設置されている。
ユノは建物を見上げた。
「ここが……管理施設?」
「そうだ。こちらへ」
案内されるまま、建物の中へ入る。
内部は静かだった。
人の声はほとんど聞こえず、廊下には一定間隔で警備用の機器が配置されている。
受付のような場所で簡単な確認が行われ、二人はそれぞれ別の担当者へ引き渡された。
「ユノはこちらへ」
「エヴァさんは?」
「別の担当が案内する」
「でも、さっき一緒に確認するって……」
「手順上、別々に行う。問題はない」
ユノはエヴァの方を振り返った。
エヴァもこちらを見ていた。
「ユノ」
「うん?」
「落ち着いて。話を聞いてくるだけよ」
「……うん。また後でね」
「ええ」
それが、二人の最後の会話になった。
ユノは廊下の奥へ案内され、エヴァは反対側の通路へと連れていかれる。
角を曲がると、もう彼女の姿は見えなくなった。
*
ユノが案内された部屋は、簡素なものだった。
机と椅子が一つずつ。
壁には余計な装飾もなく、窓もない。
ただ、天井の隅に小さな監視装置が取り付けられている。
「こちらで待機していてくれ」
担当者はそう告げると、部屋の外へ出ていった。
扉が閉まる。
ユノはしばらくその場に立っていた。
「……本当に、何なんだろう」
椅子に座り、部屋を見回す。
端末は預けたままだ。
拠点との連絡も取れない。
エヴァがどこにいるのかも分からない。
ただ、別々に確認すると言われただけだった。
ユノは机の上に両手を置いた。
自分が何かをしたのだろうか。
それとも、レジスタンスに関わっていることが理由なのだろうか。
考えても答えは出ない。
やがて、廊下から足音が近づいてきた。
扉の前で止まり、電子音が鳴る。
ロックが解除される音がした。
「ユノ。これから、いくつか確認させてもらう」
先ほどとは別の担当者が、部屋へ入ってくる。
その後ろには、もう一人の隊員が控えていた。
「質問に答えてもらえればいい。必要以上に時間をかけるつもりはない」
「……分かりました」
「では、始めよう」
ユノは小さく息を吸った。
何を聞かれるのか。
なぜ自分がここにいるのか。
そして、エヴァは今どうしているのか。
分からないことばかりだった。
*
その頃、イリスたちは移動中の車両内で、周辺区域の情報を確認していた。
「最後に反応があったのは、この辺りか」
「そう。そこから先の通信記録が途切れている」
イリスは表示された地図を拡大した。
ユノの位置情報が消えた地点から、複数の管理施設までの経路が表示される。
「候補は三か所。どこも一般の移送記録は確認できない」
「AI側が情報を隠しているのか?」
「その可能性が高いわ」
「直接、施設へ向かうか?」
「まだ早い。まずは確実な場所を絞り込む」
イリスは別の画面を開いた。
街の管理記録と、移送車両の移動履歴。
通常の利用記録とは異なる経路を探し、時間を照合していく。
「……見つけた」
画面上に、一つの車両の移動記録が表示された。
公的な移送記録には残されていないが、周辺の管理装置には短い通信履歴が残っている。
「この車両が、ユノのいた区域から出ている」
「行き先は?」
「まだ確定できない。でも、候補の一つに向かっている」
イリスは表示された施設を見つめた。
「ここを調べるわ」
「突入するのか?」
「状況を確認してからよ。相手の規模も、ユノの居場所も分かっていない」
彼女は一度、目を閉じた。
焦って動けば、ユノを危険にさらすことになる。
今必要なのは、確実な情報だった。
「全員、警戒を維持して。施設の周辺まで移動する」
「了解」
車両は速度を落とし、街の裏道へと進んでいった。
イリスは端末を握り直す。
「待っていて、ユノ」
*
エデンズ。
管理システムの中枢では、複数の情報が更新されていた。
『対象者:ユノ』
『確保状況:完了』
『移送先:管理施設』
『聴取準備:完了』
『対象者の端末:回収済み』
『外部通信:遮断状態を維持』
『接触対象:エヴァ』
『確保状況:完了』
『移送先:管理施設』
『聴取環境:分離』
『対象者間の接触:制限中』
『レジスタンス拠点』
『対象者の不在を確認』
『捜索活動:開始』
『対応状況:観測中』
『次段階:実行中』
『対象者の反応:確認待ち』
表示された情報は、一定時間ごとに更新されていく。
その中に、余計な記録は存在しなかった。
管理システムは、次の判断に必要な情報を待ち続けていた。




