狙われた理由
広場を抜けた先に、小さな展示施設があった。
建物は周囲の街並みに合わせた落ち着いた造りで、入口の横には今日の展示内容を記した案内板が置かれている。
「ここが、さっき話していた場所?」
「ええ。昔の街で使われていた交通設備や、公共施設の記録が展示されているそうよ」
「交通設備かぁ。ちょっと気になるな」
「ユノは乗り物が好きなの?」
「好きというか、仕組みを見るのが好きなのかも。拠点でも、機械を直したりするのは結構楽しいし」
「そうなのね。だったら、楽しめると思うわ」
二人は入館手続きを済ませ、展示室へと入った。
室内には、古い交通機関の模型や、かつて使われていた案内装置などが並んでいた。
今では都市全体の移動が管理システムによって最適化され、公共交通もほとんど自動化されている。
しかし、展示されている古い設備は、現在のものとはずいぶん様子が違っていた。
「これ、今の案内装置とは全然違うね」
「そうね。昔は駅や停留所にこうした装置を設置して、運行状況を知らせていたみたい」
「今なら端末に表示される情報も、わざわざここまで見に来ないと分からなかったんだ」
「便利になったのね」
「うん。でも、こういう装置も面白いな。情報が全部まとまっているわけじゃないから、自分で見て判断しないといけなかったんだよね」
ユノは展示ケースの中にある、小さな表示盤を覗き込んだ。
そこには、いくつもの路線名と停留所の名前が並んでいる。表示板の一部は手動で切り替える仕組みになっているらしい。
「これ、今でも動くのかな?」
「どうかしら。展示用に修復されているものなら、動くかもしれないわね」
「触ってみたいけど、さすがに駄目だよね」
「ふふ。展示品だから、見るだけにしておきましょう」
エヴァの言葉に、ユノは少し残念そうに笑った。
展示室を進んでいくと、古い交通網の整備に関する記録が並んでいた。
そこには、都市の区域ごとに異なる管理者が存在していた時代の資料もある。
「昔は、街ごとに運行の仕組みが違っていたんだね」
「ええ。地域ごとに独自の方法で管理していたみたい。今のように一つのシステムですべてを統括する仕組みではなかったのね」
「それだと、区画をまたいで移動するときは大変そう」
「きっとね。でも、その分、それぞれの地域に合った仕組みが残っていたのかもしれないわ」
「一つにまとめるのが便利なのは分かるけど、全部同じにする必要があるのかな」
ユノは資料を眺めながら、何気なくそう口にした。
エヴァは彼の方を見た。
「どうしてそう思ったの?」
「だって、街によって必要なものは違うでしょ? 人が多い場所と少ない場所じゃ、使いやすい仕組みも違うだろうし」
「そうね。使う人や環境が違えば、合う方法も変わるものね」
「今の仕組みが悪いってわけじゃないけど、昔の方法にも残しておく意味があったのかも」
「ええ。古いものを残すことは、ただ過去を懐かしむためだけではないと思うわ」
エヴァは展示ケースの中にある資料へ目を向けた。
「今の仕組みでは対応できないことが起きたとき、昔の方法が役に立つこともあるでしょうし」
「そっか。そういう考え方もあるんだね」
ユノはもう一度、展示されている古い表示盤を見た。
使われなくなったものにも、まだ役割がある。
最近、拠点で古い通信機器を扱う機会が増えたこともあり、ユノにはその言葉が少し身近に感じられた。
「そろそろ次の展示も見てみましょうか」
「うん!」
二人は展示室の奥へと進んでいった。
*
レジスタンス拠点。
技術区画の一角では、イリスが複数の記録を並べていた。
彼女の前にあるのは、ここ数日の異常をまとめた資料だけではない。
拠点周辺の区域管理記録。公共交通の運行履歴。通信網の制御記録。そして、ユノが拠点に来てからの行動記録。
それらを照らし合わせるため、技術班のメンバーにも協力を頼んでいた。
「イリス、指定された記録をまとめました」
「ありがとう。こちらに表示してくれ」
画面にいくつかの情報が並ぶ。
「まず、こちらが拠点周辺の区域管理記録です。管理権限そのものが移動した形跡はありません。ただし、通常の運用とは異なる制御が一部で行われています」
「具体的には?」
「公共交通の経路設定や、区域間の通信優先度です。個別のシステムが独立して変更されたように見えますが、変更された時刻を照合すると、一定の関連性があります」
「つまり、別々に見える変更が、同じ判断によって行われている可能性がある?」
「はい。ただ、実行元は特定できていません」
イリスは画面を切り替えた。
「こっちは?」
「ユノが拠点に来てからの行動記録です。外部通信が遮断されているため、AI側が直接取得できる情報には限りがありますが、街の公共設備や交通網を経由して把握できる範囲を整理しました」
「……やはり、そうか」
イリスは記録を見つめた。
ユノが拠点へ来てから、彼は何度か外部の区画へ出ている。
その際に利用した交通経路。立ち寄った場所。同行者。
それらの情報が、街の管理システムに残っている可能性は十分にあった。
「この記録と、区域管理の変更時刻を重ねてみてくれ」
「分かりました」
技術班のメンバーが操作を進める。
複数の記録が一つの画面にまとめられ、時系列に沿って並んでいく。
イリスはそれを確認し、眉を寄せた。
「……これは偶然じゃないな」
「何か分かりましたか?」
「ユノたちが外へ出た後、その周辺区域で管理設定が変更されている。すべてがそうとは限らないが、いくつかは時間が近すぎる」
「ユノの行動に合わせて、周囲の環境を変更しているということでしょうか」
「まだ断定はできない。ただ、少なくとも拠点だけを対象にした動きではなさそうだ」
イリスは別の資料を開いた。
そこには、これまでの通信障害や輸送経路の変更について、発生場所と対応状況がまとめられている。
技術班が対策を取った後、別の経路に影響が出ていたことはすでに分かっていた。
しかし、今回の照合で新たに見えてきたものがある。
「こちらが対策を取った後、相手の動きが変わっている。しかも、その変化は私たちの対応だけに反応しているわけじゃない」
「ユノの行動にも反応している可能性がある、と」
「ああ」
イリスは短く答えた。
それなら、今までの疑問にも一つの説明がつく。
AIはレジスタンスをすぐに排除しようとしているわけではない。
通信を止めることも、輸送を完全に遮断することもしていない。
むしろ、こちらがどのように対応するのかを見ているようにさえ感じられる。
「……何を調べているんだ」
イリスは画面に目を向けたまま呟いた。
「こちらの拠点を特定するためでしょうか?」
「それなら、もっと直接的に動けるはずだ。街の管理権限を持っている相手が、わざわざ小さな異常を起こして、私たちの対応を確認する必要はない」
「では、別の目的がある?」
「そう考える方が自然だろうな」
イリスは資料を閉じず、さらに古い記録を呼び出した。
最初に異常な通信信号が見つかった時期。
ユノのマイクロチップに不明な信号が確認された時期。
そして、彼を拠点へ連れてきた時期。
それぞれの記録を並べていく。
しばらく画面を見つめていたイリスの手が止まった。
「……待って」
「どうしました?」
「最初の異常が確認されたのは、いつだった?」
「ユノがここへ来た直後です。正確には、彼のチップに異常な信号が見つかり、外部接続を遮断した後になります」
「その前には?」
「同じ種類の異常は確認されていません。少なくとも、現在の記録上では」
イリスは画面を見つめた。
ユノをここへ連れてきたのは自分だ。
彼のマイクロチップに異常が見つかり、AIの管理下に置いておくことは危険だと判断した。
だから救出した。
拠点に連れて帰り、技術班に調査を依頼した。
その判断自体に後悔はない。
けれど、その後から何かが変わり始めていた。
「……私は、ずっと勘違いしていたのかもしれない」
「イリス?」
「これまで、奴らはレジスタンスを排除しようとしているんだと思っていた。だから、私たちの拠点や活動を探っているんだと」
彼女は画面に表示された記録を指でなぞった。
「でも、そうじゃないとしたら?」
「どういう意味ですか?」
「そもそも、ユノをここへ連れてきたのは私だ。あの子のマイクロチップに異常が見つかったことをきっかけに、私は救出に動いた」
イリスは一度言葉を切った。
「そして、ユノがここへ来てから、今までになかった異常が起き始めた」
技術班のメンバーは黙って聞いていた。
「もし、奴らがレジスタンスを潰すことだけを目的にしているなら、もっと直接的な手段を取るはずだ。拠点を特定して、戦力を投入する。私たちを力で押さえ込めばいい」
「確かに、今のやり方は回りくどいですね」
「ユノを奪い返すつもりなら、なおさらだ。あの子を回収することだけが目的なら、私たちの対応を一つずつ確認する必要はない」
イリスは画面から目を離した。
「なのに、奴らはそうしない。通信や輸送に干渉して、こちらがどう動くのかを見ているような動きを続けている」
「……何かを観察している?」
「そう考えると、これまでの行動にも説明がつく」
それでも、分からないことは多かった。
なぜユノなのか。
彼のマイクロチップに何があるのか。
AIは何を確かめようとしているのか。
そして、なぜレジスタンスをすぐに排除しようとしないのか。
「一体、何が目的なんだ……?」
イリスは小さく息を吐いた。
ユノがここへ来てから、すべてが動き始めている。
その事実を、今まで別々の問題として捉えていた。
拠点を守ること。通信を確保すること。物資の輸送を維持すること。
それぞれに対処することばかり考えていた。
けれど、もしそのすべてがユノを中心に組み立てられているのだとしたら。
「……油断していた」
イリスは端末を手に取った。
「狙いはユノか……!」
技術班のメンバーが息を呑む。
「すぐに連絡を取りますか?」
「ああ。今どこにいる?」
「先ほどの報告では、エヴァという女性と一緒に外出しています。帰還予定時刻はまだ確認できていません」
「分かった。ユノの端末に連絡を入れてくれ。こちらから直接つなぐ」
「了解です」
イリスは自分の端末を操作した。
ユノの個人端末へ通信要求を送る。
しかし、応答は返ってこなかった。
「……繋がらない?」
「通常経路では応答がありません。別経路を試します」
「頼む」
イリスは画面を見つめた。
ただの通信不良かもしれない。
そうであってほしい。
だが、今までの状況を考えれば、楽観視することはできなかった。
「急いでくれ……」
*
展示施設を出た頃には、街の照明が少しずつ夕方の色へ変わり始めていた。
「思ったより長く見ていたね」
「ええ。私も、あれほど展示があるとは思わなかったわ」
「僕はあの古い案内装置が気に入ったな。今の端末とは違って、仕組みが分かりやすかったし」
「ユノは、やっぱり機械を見るのが好きなのね」
「そうかも。自分で仕組みを考えたり、直したりするのって面白いんだ」
「それなら、拠点での作業も楽しいでしょう?」
「うん。まだ分からないことばかりだけどね」
ユノはそう言って笑った。
エヴァは彼の横顔を見ながら、少しだけ歩く速度を緩めた。
「今日はありがとう。私一人だったら、あの展示施設にも来ていなかったと思うわ」
「え? 僕の方こそだよ。エヴァが案内してくれたから、いろんなものが見られたし」
「そう言ってもらえると嬉しいわ」
「また一緒に出かけようよ。今日みたいに、まだ知らない場所を見て回りたいな」
「ええ。次は私も、行き先を考えておくわね」
二人は駅へ向かう通りに出た。
ユノが端末を取り出す。
画面には、拠点からの通信要求がいくつか残っていた。
「あれ……?」
「どうしたの?」
「拠点から連絡が来てる。さっきもあったんだけど、まだ繋がらないみたい」
「何度も連絡があるのなら、急ぎの用事かもしれないわね」
「うん。ちょっと待ってね」
ユノは画面を操作し、再接続を試みた。
接続要求は送信されている。
しかし、応答が返ってこない。
「駄目だ。やっぱり繋がらない」
「拠点の方で何かあったのかしら」
「分からない。通信機器の調整をしてるって聞いてたから、その影響かもしれないけど……」
ユノは少し考えてから、端末をしまった。
「一度、帰る方向にしようか。連絡がついたら、すぐ戻れるようにしたいし」
「そうね。私もその方がいいと思うわ」
「せっかく付き合ってくれたのに、ごめんね」
「気にしないで。今日は十分楽しめたもの」
エヴァは穏やかに微笑んだ。
二人は駅へ向かう道を進んでいく。
その頃、街の公共交通網では、通常の運行計画とは異なる経路設定が静かに適用され始めていた。
画面上に表示される案内は、普段と変わらない。
人々はいつも通りに移動し、街はいつも通りに動いている。
その変化に気付く者は、まだいなかった。
*
アダムズタワー。
エデンズの中枢では、収集された情報が整理され、新たな判断が進められていた。
『対象者:ユノ』
『接触対象:エヴァ』
『接触状況:継続中』
『対象者の行動予測モデル:更新』
『行動予測の精度:再評価中』
『レジスタンス拠点』
『対象組織の対応能力:評価完了』
『周辺区域の管理権限:移行準備』
『移動経路:再構成中』
『通信網:制御権限の調整完了』
『対象者の行動範囲を限定するための条件:確認済み』
『関係者の移動傾向:分析完了』
『実行時の環境負荷:許容範囲内』
『次段階の実行判断:承認待ち』
『観測段階:終了』
『次段階:実行準備』




