第3話:身代金が安すぎる -その②-
ヨモギは犯人たちの様子をうかがう。
まだ経費の分担について揉めており、誰もこちらを見ていない。
自由になった右手ですぐに左手の拘束を外し、そのまま足首の固定具も解除した。
「フローラ」
声を潜めて呼ぶ。
犯人たちへ話しかけていたフローラが、ヨモギにだけ分かる程度に顔を傾けた。
ヨモギは椅子の陰から、自由になった右手を見せる。
フローラの目が輝く。
だが、すぐに何事もなかったような顔へ戻った。
「ちなみに、資金を受け取ったあとの計画はありますか?」
「船で国外へ出る」
「船の手配費用は、もう予算へ入れましたか?」
「入れたか?」
「聞いてないぞ」
犯人たちの視線が、再び机へ集まる。
その隙に、ヨモギは椅子から抜け出した。
足音を殺してフローラの背後へ回り、同じ手順で拘束具を外していく。
「逃げるの?」
フローラが囁いた。
「その前に、全員動けなくする」
ヨモギは倉庫の天井を見上げた。
古いスプリンクラーの配管が、建物全体へ延びている。
壁際には、非常用の作動装置が設置されていた。
その近くを通る太い電源ケーブルは、修理の途中なのか、床近くまで垂れ下がり、一部の被覆が剥がされている。
配電盤の前には、厚い絶縁用のゴムマット。
二人で乗っても、十分な広さがあった。
「ボクが合図したら、あそこの黒いマットまで走れ」
「分かった」
「絶対にマットから出るなよ」
「うん」
「返事だけはいいから不安なんだよ」
ヨモギは、次に折り畳み机へ目を向けた。
車の鍵や通信端末、工具に交じって、脅しに使うためらしいナイフが一本置かれている。
机までの距離と犯人たちの位置を確かめると、ヨモギは身を屈めたまま、積み上げられた木箱の陰を伝って進んだ。
犯人の一人が、こちらを振り返りかける。
その瞬間、フローラが声を上げた。
「二億クレジットという金額は、どなたが決めたんですか?」
犯人たちの視線が、中央にいた男へ集まった。
「俺だ」
「市場調査はしましたか?」
「市場……?」
「同じような事例と比較しないと、適正な金額は決められませんよ」
「そんなもの、どうやって調べるんだ?」
「まずは、そこから考える必要がありますね」
犯人たちが揃って頭を抱える。
その隙に、ヨモギは折り畳み机へたどり着いた。
ナイフを掴み、そのまま壁際へ走る。
非常用の作動装置へ手をかけた。
「フローラ!」
叫ぶと同時に、レバーを下ろす。
けたたましい警報音が鳴り響いた。
天井のスプリンクラーから、一斉に水が噴き出す。
「何だ!?」
「火事か!?」
犯人たちが驚いて天井を見上げた。
フローラは椅子から飛び出し、ヨモギのもとへ駆ける。
二人は配電盤の前に敷かれた絶縁マットへ飛び乗った。
「そこから動くな!」
ヨモギはナイフを逆手に構え、電源ケーブルを壁へ固定している留め具を狙った。
腕を振り抜くと、回転しながら飛んだナイフが、留め具と壁の隙間へ食い込む。
金具が弾け飛び、支えを失ったケーブルが濡れた床へ落ちた。
剥き出しになっていた導線から、火花が弾ける。
青白い光が、濡れた床を一気に駆け抜ける。
「ぎぇあああああああああっ!?」
濡れた床にいた犯人たちの絶叫が重なる。
六人の身体が、その場でびりびりと震えた。
直後、安全装置が作動し、倉庫の照明が消え、警報音も途切れた。
暗闇の中、犯人たちは糸の切れた人形のように床へ倒れた。
「やった?」
「まだだ」
出入口にいた二人だけは、ケーブルが落ちる寸前に、水の届いていない木製パレットへ飛び乗っていた。
電流を免れた男たちが、こちらへ銃を向ける。
「動くな!」
フローラがヨモギの前へ出た。
濡れた髪を払い、胸元で両手を重ねる。
脳裏では、同じルーンが三つ、並行して組み上がっていた。
(《光の幻影》)(《光の幻影》)(《光の幻影》)
三つの術式が、ほとんど同時に発動する。
淡い光が広がり、暗い倉庫の中へ三体の人影が浮かび上がった。
ヨモギとフローラ。
二人の姿を写し取った幻が、本物を紛れ込ませるように左右へ散っていく。
「どれが本物だ!?」
男たちが慌てて銃口を動かす。
壁が揺らぎ、出入口が三つに増えた。
床へ倒れていた仲間たちまで、一斉に起き上がる。
「後ろだ!」
「どっちだよ!」
「俺に銃を向けるな!」
混乱した男たちが、互いに背中をぶつけた。
フローラが片手を動かす。
その瞬間、二人の足元に大きな穴が開いた。
「うわっ!」
男たちは反射的に後ろへ跳ぶ。
だが、そこに穴などない。
一人は積まれていた箱へ背中から突っ込み、もう一人は木製パレットから転げ落ちた。
衝撃で二人の手から銃が離れ、濡れた床を滑っていった。
二人が慌てて起き上がろうとする中、ヨモギは近くに転がっていた空の容器を蹴り飛ばした。
転がってきた容器に足を取られ、男たちは折り重なるように床へ倒れる。
二人は床の上で目を回し、しばらく起き上がれそうになかった。
同時に、フローラの生み出した幻が消えた。
倉庫には、スプリンクラーから降り注ぐ水音だけが残る。
ヨモギは床に倒れた犯人たちを見回した。
「全員か?」
「たぶん」
「たぶんって何だよ」
「数えてみるね。一、二、三……八人いるよ」
「最初に見た人数と同じだな」
ヨモギは折り畳み机へ向かい、車の鍵を取った。
フローラが隣へ並ぶ。
「これからどうするの?」
「帰る」
「救助を待たないの?」
「待ってたら、父さんたちが来るだろ」
「来ると思うよ」
「誘拐されたって知られたら怒られる」
「もう知られてるんじゃない?」
ヨモギは少し考えた。
それでも、車の鍵を強く握る。
「先に帰れば、そんなに怒られないかもしれない」
「なるほど」
「お前はもう少し疑えよ」
二人は倉庫の外へ出た。
駐車場には、黒い大型車が止まっている。
鍵の操作ボタンを押すと、車体のライトが点滅した。
「これだな」
「誰が運転するの?」
「ボク」
「運転できるの?」
「ゲームで何度もやってる」
「すごい!」
フローラは何の疑いもなく助手席へ乗った。




