第3話:身代金が安すぎる -その①-
ヨモギが目を覚ますと、見知らぬ天井が広がっていた。
剥き出しの鉄骨に、錆びついた配管。
古びた照明が、一定の間隔で明滅している。
身体を起こそうとした途端、背中へ回された両手首に拘束具が食い込んだ。
足首も、金属製の椅子の脚へ固定されている。
「やっと起きたね、ヨモギちゃん」
隣から、聞き慣れた声がした。
顔を向けると、フローラも同じように椅子へ縛りつけられていた。
「……ここ、どこだ?」
「分からない。気づいたらここにいたの」
「何でそんなに普通なんだよ」
「ヨモギちゃんも一緒だから」
「ボクがいれば大丈夫だと思うな」
意識がはっきりするにつれ、周囲の様子も見えてきた。
倉庫の奥では、数人の男たちが慌ただしく動き回っていた。
窓には板が打ちつけられ、出入口には大柄な男が二人立っている。
折り畳み机の上には、通信端末や地図、車の鍵が並んでいた。
ヨモギは、途切れていた記憶をたどった。
二人で街へ出かけた帰り、車へ戻ろうとしたところで、背後から口元へ布を押し当てられた。
そこから先は、何も覚えていない。
足音が近づき、男の一人がヨモギたちの前で立ち止まった。
顔の半分を、黒い布で隠している。
「目を覚ましたか、お嬢様方」
「誰だ、お前」
「質問するのはこっちだ」
「じゃあ早くしろ。ボクも暇じゃないんだ」
男の眉がぴくりと動いた。
しばらく言葉を失ったあと、探るようにヨモギを見る。
「状況が分かってるのか?」
「誘拐だろ」
「分かってるなら、もう少し怖がったらどうだ」
「怖がったら帰してくれるのか?」
「帰すわけないだろ」
「だったら意味ないじゃん」
男は黙り込んだ。
後ろにいた仲間の一人が、堪えきれずに吹き出す。
「笑うな!」
怒鳴り声が、倉庫の中へ響き渡った。
男は咳払いをすると、改めて二人を見下ろす。
「お前たちの親には、これから連絡する」
ヨモギの父は、世界最大級の情報企業ワングルの総帥。
フローラの母は、巨大複合企業ニャマゾンの総帥。
その娘たちが、二人そろって捕まっている。
狙われた理由など、考えるまでもなかった。
「ワングルとニャマゾン。二社から、たっぷり身代金を払ってもらう」
「いくら要求するの?」
フローラが尋ねた。
男の口元が歪む。
「驚くなよ。二人合わせて二億クレジットだ」
フローラの表情が止まった。
数秒の沈黙。
やがて、信じられないものを見るように男を見つめる。
「それでは少なすぎます」
「……何?」
「二億クレジットでは、事業として成立しません」
男たちが顔を見合わせた。
ヨモギも、思わず隣を見る。
「お前、何の心配してるんだ?」
「だって、少なすぎるよ」
フローラは拘束されたまま、倉庫の中を見回した。
「ここにいるだけでも八人。計画や準備に関わった人がほかにもいるなら、もっと増えますよね?」
「まあ……そうだな」
「準備期間は?」
「三か月だ」
「その間の人件費と生活費。車両が三台、拠点として使う倉庫、通信妨害装置、偽造した身分証や車両の登録番号。私たちの行動を調べるためにも、費用がかかっていますよね?」
男は答えず、倉庫の隅へ目を向けた。
そこには監視用の機材が並び、壁には何枚もの写真が貼られている。
フローラは続けた。
「身代金を受け取ったあとは、国外へ逃げるための資金も必要です。そのままでは使えないお金を処理するなら、手数料もかかります」
男たちの顔から、次第に笑みが消えていった。
「すべての経費を差し引いて、残った金額を組織で分けるんですよね?」
「……そうなるな」
「一人あたり、いくら残るか計算しましたか?」
誰も答えない。
フローラは不思議そうに首を傾げた。
「誘拐が失敗した場合の危険性まで考えると、割に合わないと思います」
「おい」
仲間の一人が、男へ近づいた。
「そういえば、報酬の分配ってどうなってるんだ?」
「成功したら考えるって言っただろ」
「車を用意するための金、まだ俺が立て替えてるぞ」
「今、その話をするな」
「倉庫の賃料も、俺の口座から出てるんだけど」
別の男も口を挟む。
「通信妨害装置を仕入れたのは俺だ。あれ、思ったより高かったぞ」
「待て。お前ら、勝手に話を進めるな」
「二億クレジットから経費を引くんだよな?」
「当然だろ」
「その経費は、誰が確認するんだ?」
倉庫の中央で、犯人たちの言い争いが始まった。
やがて一人が、折り畳み机から紙とペンを持ってくる。
「一回、全部書き出した方がよくないか?」
「そうですね」
フローラが頷いた。
「固定費と変動費を分けると、分かりやすいですよ」
「なるほど」
「なるほど、じゃない!」
男が怒鳴った。
しかし、仲間たちはすでに机を囲んでいる。
「倉庫が月百万クレジット」
「高くないか?」
「人目につかない場所で、この広さだぞ」
「三か月分なら三百万か」
「車両費は?」
「その前に人件費だろ」
「そもそも俺たち、給与制なのか?」
「成功報酬じゃなかったのか?」
最初は不満をぶつけ合っていただけなのに、いつの間にか本格的な収支確認が始まっていた。
ヨモギは呆れながら、隣を見る。
「お前、誘拐犯を育てるなよ」
「でも、このままだとすぐに破綻するよ」
「破綻していいんだよ」
「ヨモギちゃん、経営はそんなに簡単じゃないの」
「何で誘拐犯の側なんだよ」
フローラは再び犯人たちへ顔を向けた。
「組織内の利益配分も、先に決めておいた方がいいと思います」
「やっぱりそうか?」
「成果に応じて分けるのか、均等に分けるのかで揉めますから」
「俺は車も用意したんだから、多くもらうぞ」
「俺は三か月ずっと二人を見張ってたんだぞ!」
再び言い争いが始まる。
その間に、ヨモギは自分の手首を拘束している金具へ意識を向けた。
電子錠ではなく、側面の留め金を押し込むと、内部の爪がばねの力で噛み合う仕組みらしい。
見た目こそ頑丈だが、構造そのものは単純だった。
ヨモギが背中側で指先を動かすと、椅子の金属板を固定しているネジの一つが緩んでいることに気づいた。
爪を引っかけて少しずつ回し、外れたネジの下から浮いた薄い金具を引き抜く。
それを拘束具の隙間へ差し込み、角度を変えながら内部の爪を押し戻した。
かちり、と音が鳴る。
右手の拘束が外れた。




