第20話:お化け屋敷を直してはいけない -その②-
――日曜日・朝/シンクレア家
車が玄関前へ止まるより先に、フローラの姿が見えた。
扉の前で待っていた彼女は、窓越しにヨモギを見つけ、大きく手を振っている。
運転手が開けた後部座席の扉からヨモギが降りると、フローラは待ちきれないように数歩近づいてきた。
「おはよう、ヨモギちゃん!」
「おはよう。早いな」
「もう準備できてるよ!」
フローラは肩に掛けた小さな鞄を持ち上げて見せた。
その向こうでは、ヨモギの泊まりの荷物を受け取った使用人が、玄関の中へ戻っていく。
「ウォルターは?」
「もうすぐ来るって」
二人が話している間に、もう一台の車が門をくぐった。
灰色の混じった髪をきれいに整えた男性が、落ち着いた色のスーツ姿で降りてきた。
細身のステッキを片手にこちらへ歩いてくるが、靴音はほとんど聞こえない。
男性は二人の前で足を止め、静かに頭を下げた。
「おはようございます。ウォルター・アインズワースでございます。本日は、お二人のお供をさせていただきます」
「フローラです。今日はよろしくお願いします!」
「ヨモギだ。急に頼んで悪かったな」
「どうぞ、お気になさらず。お嬢様からも、お二人に楽しんでいただくよう申しつかっております」
穏やかな声にフローラが笑い、ウォルターも目元をやわらげた。
そこへ、玄関からセラフィナが出てきた。
「お久しぶりです、ウォルターさん。今日は二人をよろしくお願いします」
「お任せくださいませ」
短いやり取りを交わすセラフィナに、気を張っている様子はなかった。
フローラが母の方を向く。
「行ってきます、お母様!」
「ええ。楽しんでいらっしゃい」
今度はシンクレア家の車の扉が開いた。
フローラに続いてヨモギが乗り込み、ウォルターが向かいの席へ腰を下ろす。
運転手へ行き先を確かめる声がして、車はゆっくりと玄関前を離れた。
◇
窓の外を、日曜日の街並みが流れていく。
フローラはスマートフォンに園内の地図を出し、ヨモギと肩を寄せて見ていた。
「ジェットコースターがここで、水の乗り物はこっち。その間に、お昼を食べられるお店もあるよ」
「まだ朝だぞ」
「どこにあるか、先に見ておこうと思って」
「……それはそうだな」
ヨモギも店の印を確かめてから、向かいへ顔を上げた。
ウォルターは二人の会話を聞きながら、穏やかに座っている。
「フェリシティには、ずっとついてるのか?」
「はい。お嬢様が幼い頃より、お仕えしております」
「そうか」
ヨモギは少し考え、それから遠慮なく続けた。
「あの性格じゃ、大変だろう?」
フローラも顔を上げる。
「急に何か始めたりするもんね。大変そう!」
ウォルターの口元に、かすかな苦笑が浮かんだ。
「たしかに、驚かされることは少なくございません」
「やっぱりな」
「ですが、お嬢様は、とても正義感のお強い方でございます。困っている方をご覧になると、ご自分の都合など後回しになさってしまう」
ヨモギは、フェリシティが迷わず人の間へ入っていく姿を思い浮かべた。
相談を最後まで聞く前に、もう手を貸すと決めてしまうこともある。
「……まあ、そういうところはあるな」
「うん。すぐに助けてくれるよね」
フローラが頷くと、ウォルターも静かに頷いた。
「わたくしも、学ばせていただくことが多うございます」
声の調子は先ほどまでと少しも変わらないが、フェリシティを語るその目元は、どこか嬉しそうだった。
フローラが、鞄を膝の上へ置き直す。
「じゃあ、あんまり困らないんだね」
「いえ。ひとつだけ、少々」
「あるのか」
ウォルターは一度、ゆっくりと瞬きをした。
「ギャンブルがお好きでして」
二人の目が、同時に上がった。
「ギャンブル?」
「カジノなどへお出かけになりますと、つい、お時間をお忘れになるのでございます」
ヨモギが、座席の背から少し身体を起こした。
「負けても、やめないのか?」
「いえ。それが、お嬢様は、とてつもなくお強いのです」
「強い?」
「はい。もう一勝だけ、とおっしゃって、またお勝ちになる。そこでお帰りになるかと思えば、今度は別の卓が目に入るようで」
フローラが目を丸くした。
「そんなに勝つんだ!」
「わたくしが少々考え込んでいる間にも、お嬢様の前では、チップが増えていくのでございます」
頬杖をついたヨモギには、大きく笑いながらチップを積み上げるフェリシティの姿が、すぐに思い浮かんだ。
「それで、帰りが遅くなるのか」
「さようでございます」
「連れ戻すのも大変だな」
「ええ。……とはいえ、わたくしもカジノは大好きでございますので」
車内に、短い間が空いた。
ヨモギが顔を上げる。
「お前も好きなのかよ」
「はい」
少しも困った顔をしないウォルターに、フローラが吹き出した。
「じゃあ、二人で遊んでるんだ!」
「お嬢様にお付き合いするうちに、いつの間にか」
「止めるやつがいないじゃないか」
「お帰りの時刻は、わたくしが気に掛けております」
「さっき、考え込んでるって言っただろ」
ウォルターは白い手袋をはめた手を膝の上で重ね、口元をほんの少しだけ緩めた。
フローラは鞄を抱えたまま、また笑った。
窓の外に、大きな観覧車が見えてきた。
その手前の高い鉄骨の間を長い車両が駆け抜け、ヨモギはすぐに窓へ顔を向ける。
「あれか」
「見えた!」
フローラも隣からのぞき込む。
車両は一度大きく傾き、建物の陰へ滑り込んだ。
ヨモギはその姿が見えなくなるまで目で追い、スマートフォンをしまった。
◇
朝から賑わう遊園地の入口を抜けると、音楽に混じって遠くから歓声が聞こえてきた。
色とりどりの風船を持った子供が走り、その後ろを、地図を広げた家族連れが歩いていく。
フローラは左右を見回しながらも、新しいジェットコースターへ向かう足を止めない。
見上げるほど高いレールの下まで来ると、案内板に並ぶニャマゾンと六菱の名前が目に入った。
ちょうど頭上を車両が通過し、風を切る音と悲鳴が降ってくる。
「近くで見ると、大きいね!」
「ああ」
ヨモギは車両を追ったあと、乗り場の横にある建物へ目を向けた。
窓の内側で、何枚もの画面が光っている。
「フローラ」
「うん」
二人は列へ並ぶ前に、脇に立っていたスタッフへ近づいた。
フローラが、少し背筋を伸ばす。
「すみません。ニャマゾンの機器担当の方は、いらっしゃいますか?」
顔を向けたスタッフに、フローラは二人の名前と、制御室を少し見学したいことを伝えた。
ウォルターも隣へ立ち、静かに挨拶を添える。
スタッフは二人の名前を確認し、無線で連絡を入れた。
しばらくして、ニャマゾンのロゴが入った上着を着た男性が、建物の横から出てきた。
「フローラ様ですね。担当から伺いました」
「急にごめんなさい。動いているところを、少し見せていただけますか?」
「ええ。短い時間でしたら、ご案内できます」
フローラが隣を見ると、ヨモギはもう窓の方へ目を向けていた。
「撮影と、機器に触れることだけは、ご遠慮ください」
「ああ。分かった」
ウォルターも同行し、三人はスタッフの後について建物へ入った。
外の音が、扉一枚を隔てて遠くなる。
ヨモギは入口で一度足を止め、画面に映るコース図へ目を向けた。
図の上を小さな印が移動し、別の画面では、車両の速度や各部の状態を示す数字が途切れず変わっている。
画面の前へ案内されると、ヨモギはすぐに一点を指さした。
「ここ。車両ごとに、止め方を変えてるのか?」
「はい。乗車時の重さや進入速度に合わせて、細かく調整しています」
「その結果を、六菱の制動機構へ送る?」
「ええ。窓から見える、あの部分です」
男性が示した窓の下では、乗り場へ戻ってきた車両が、ゆっくりと速度を落としていた。
その脇に、紹介動画ではほとんど見えなかった装置が並んでいる。
窓へ近づいたヨモギの目の前で、細かな部品が車両の速度に合わせ、順番に動いていた。
最後のわずかな揺れが収まり、車両は決められた位置でぴたりと止まった。
「……なるほど」
ヨモギはもう一度画面へ目を戻し、数字の変化と窓の向こうの動きを見比べながら、少しずつ目を細めた。
「これだけ細かく合わせても、動きがばらつかないんだな」
「機械側の応答も含めて、両社で調整しています」
ヨモギは、小さく頷いた。
「さすがだな」
隣のフローラも窓へ顔を寄せていた。
「ヨモギちゃん、動画で見たかったのって、あれ?」
「ああ。やっと見えた」
「よかったね!」
ヨモギは返事の代わりに、もう一度、窓の下を見た。
動いているところを目の前にすると、写真だけでは分からなかった部品同士のつながりまで見えてくる。
フローラが、今度は制御画面へ目を向けた。
「うちのコンピュータも、ちゃんと頑張ってる?」
「これだけの情報を遅れずに扱ってるんだ。大したものだよ」
「えへへ」
「お前が作ったわけじゃないだろ」
「でも、嬉しいもん」
ヨモギは口元を少し緩めてから、次の車両が来る方へ視線を戻した。
ウォルターは、少し後ろで二人を見守っていた。
◇
見学を終えた三人は、今度は乗客として列へ並んだ。
先ほど窓越しに見た車両が、目の前で止まる。
ヨモギとフローラが先頭の席へ座り、ウォルターもすぐ後ろへ乗り込んだ。
下りてきた安全バーを両手で握り、フローラは前方を見つめる。
「一番前、よく見えるね!」
「ああ」
ヨモギも今度は床下をのぞこうとせず、レールのつながる先を見ていた。
車両が動き始めると、乗り場の屋根が後ろへ流れ、視界が空へ開けていった。
ゆっくりと上がっていくにつれ、園内の建物が小さくなる。
フローラが隣へ顔を向けた。
「ヨモギちゃん、下――」
先頭の車両が、坂の向こうへ傾いた。
言葉の続きは、フローラの喉の奥へ引っ込んだ。
次の瞬間、風が顔を打つ。
「わあああっ!」
フローラの声が弾け、ヨモギも思わず安全バーを握り直した。
目の前のレールが勢いよく迫り、車両が曲がるたびに、空と地面の位置が入れ替わる。
髪が頬から離れ、身体が座席へ押しつけられた。
さっきまで追っていた機械の動きなど、もう見ている余裕はなかった。
最後の曲線を抜け、車両が乗り場へ戻ったところで、二人は大きく息を吐いた。
「……すごかった!」
フローラが笑い、ヨモギも風で乱れた前髪を払いながら頷く。
「ああ。これは面白いな」
「もう一回、乗りたい!」
「ほかを回ってからにしろ」
後ろから降りてきたウォルターは、袖口を一度整えただけだった。
フローラが振り返る。
「ウォルターさん、平気だった?」
「はい。風が心地ようございました」
ヨモギは彼の顔を確かめたが、少しも強がっているようには見えなかった。
「……フェリシティの護衛だもんな」
「お楽しみいただけたようで、何よりでございます」




