第19話:ダンスの練習相手になって -その②-
曲が終わると、フローラはヨモギの手を離した。
「ちょっと休もうか」
「まだできるぞ」
「私が、お茶を飲みたいの」
笑って窓際へ向かうフローラに、ヨモギもついていく。
椅子へ腰を下ろすと、履き慣れない靴の中で足の指を少し動かした。
フローラからグラスを受け取り、薄く切った果物の入った冷たいお茶を一口飲む。
息を吐いて隣を見ると、フローラは機嫌よくスカートの裾を整えていた。
「……お前、いつもこんなに練習してるのか?」
「習ってる日はね。今日は、もう少しやっておこうと思って」
「先生とも踊ったんだろ」
「うん」
「ボクの相手じゃ、練習にならないんじゃないか」
フローラはグラスを持ったまま、ヨモギへ顔を向けた。
「どうして?」
「さっきから、お前が合わせてばかりだ」
「いろんな人と踊れる方がいいって、先生も言ってたよ」
「それでボクなのか」
「それもあるけど」
フローラは少し考えてから、グラスを膝の上で持ち直す。
「ゲームは、いつも一緒にするでしょ?」
「ああ」
「遊びにも行くし、お菓子も食べるし、いろんなものも作るよね」
「それが?」
「でも、一緒に踊ったことはなかったから」
ヨモギは、グラスへ目を落とした。
中の氷が一つ、小さく鳴った。
「……踊ってるところが、そんなに珍しいか」
「見るだけじゃなくて、一緒にやってみたかったの」
フローラの返事に、ためらいはなかった。
彼女が隣で足を揃え直す間、ヨモギはお茶をもう一口飲む。
「先生とだと、ちゃんとできてるかなって、少し緊張するんだよ」
「ボクには緊張しないのか」
「うん」
「即答するなよ」
フローラが笑うと、ヨモギも口元を少し緩め、グラスをテーブルへ戻した。
鞄の口から覗いているゲームの箱は、手を伸ばせばすぐに取れる。
ヨモギはしばらくその箱を眺めてから、椅子を立った。
「もう一回だ」
フローラが顔を上げる。
「いいの?」
「今度は、ボクが先に動く」
「うん!」
フローラもすぐにグラスを置き、立ち上がった。
「ちゃんと、できるようになったか確かめるだけだぞ」
「分かってるよ」
そう答えたフローラは、先ほどよりも嬉しそうだった。
◇
ヨモギは同じ曲をもう一度選び、左手を差し出した。
フローラの右手が重なると、指を握り込みすぎないように気をつけ、背へ添えた手からも余計な力を抜く。
前奏を聞きながら、ヨモギはフローラを見た。
足元ではなく、その顔を。
フローラは何も言わず、待っていた。
最初の拍に合わせ、ヨモギはさっきより少し小さく一歩を踏み出す。
フローラの足がその分だけ下がり、二人の肩の位置はずれなかった。
もう一歩進んで足を寄せるうちに、回るところが近づいてくる。
ヨモギの指に、少し力が入った。
(……急に引くな)
指を緩めてフローラが動き出す間を残し、彼女の身体がついてくるのに合わせて、自分も向きを変える。
肩がぶつかることもなく、水色の裾が二人の足の脇を通り過ぎた。
「そう。今の――」
「待て。今、数えてる」
フローラは慌てて口を閉じたが、笑みまでは消えなかった。
その顔を見ているうちに、ヨモギはほんの少し数を忘れる。
次の拍を聞いて順番を思い出し、足を運び直した。
今度は一歩が小さくなりすぎたものの、フローラも近くへ足を寄せてくれたので、そのまま続けられた。
「……今、合ったか?」
「うん」
「少し狭かっただろ」
「大丈夫。このくらいでも踊れるよ」
フローラがつないだ手をほんの少し動かし、ヨモギはその動きから、自分の腕が固くなっていたことに気づく。
力を抜くと、彼女の肩も自然な位置へ戻った。
窓が横へ流れ、鏡には二人が並んで回る姿が映っている。
ヨモギは一瞬だけそれを確かめ、すぐにフローラへ目を戻した。
さっきまで間違えないように何度も見ていた足元が、今は気にならなかった。
手を動かすと、フローラの足がついてくる。
ヨモギが大きく進みすぎそうになると、彼女の掌からわずかな力が返ってきた。
それを感じて歩幅を小さくすると、フローラが頷く。
何度目かの回転で、束ねた髪がふわりと肩の後ろへ広がり、鏡の中のピンクと銀が光を受けた。
ヨモギがそちらへ目を向けると、フローラも鏡を見る。
二人の視線が、鏡の中で合った。
フローラが笑う。
ヨモギはすぐに顔を戻したが、手を強く握り直すことはなかった。
曲が、終わりへ近づいている。
初めに教わった順番は覚えているが、今はフローラが動く分だけ、少しずつ歩幅を変えていた。
最後の音が伸びる中、ヨモギはフローラの足が寄るのを待ち、自分の足も揃える。
二人が同じところで止まると、音も消えた。
すぐには、どちらも手を離さなかった。
ヨモギは床を一度見てから、フローラへ顔を戻す。
「……今ので、合ってたか?」
「うん! 楽しかった!」
「出来の話をしてるんだが」
「だから、すごくよかったよ!」
フローラが大きく頷いても、ヨモギは少し眉を寄せたまま、その顔を見ていた。
「途中で、一回狭くなっただろ」
「そのあと、ちゃんと戻ったでしょ?」
「……ああ」
「最後まで踊れたね」
フローラがつないだ手を軽く持ち上げると、ヨモギもそれを見て、ようやく息を吐いた。
「まあ、さっきよりはな」
◇
「じゃあ、これで終わりだ」
ヨモギは手を離して窓際へ戻り、置いてあった鞄を開こうとした。
「ねえ。もう一回だけ」
すぐ後ろから掛かった声に、ヨモギの手が止まる。
「今、踊れただろ」
「うん。もう一回できるか、確かめようよ」
「できたものを、何度確かめるんだ」
「じゃあ、違う曲でも踊れるかな?」
ヨモギが振り返ると、フローラはもう曲を選ぶ端末の前に立っていた。
楽しそうに画面を送り、次の曲を探している。
「……今の曲のための練習じゃなかったのか?」
「そうだけど、ほかの曲も踊れた方がいいでしょ?」
開きかけた鞄へ目を落とすと、ゲームの箱はまだ入れた時のままだった。
「お前、最初からずっと踊らせるつもりだっただろ」
「一曲だけで終わったら、ちょっと寂しいなとは思ってたよ」
フローラは端末から顔を上げ、笑った。
隠すつもりは、まるでなさそうだった。
ヨモギはしばらく彼女を見ていたが、やがて鞄から手を離す。
「……一曲だけだぞ。今度こそ」
「うん!」
フローラが曲を選ぶと、ヨモギは端末の画面へ目を向けた。
曲名の隣に出た再生時間は、さっきの曲よりずいぶん長い。
「待て。長くないか?」
「でも、一曲だよ?」
「そういう意味で言ったんじゃない」
「途中で繰り返すところもあるから、大丈夫!」
「長さの話をしてるんだ」
フローラが笑いながら再生を押すと、やわらかな前奏が練習室へ広がった。
彼女が端末から離れて戻ってくると、ヨモギはもう一度だけ画面の再生時間を見る。
それから、フローラへ左手を差し出した。
「終わったら、今度はボクの番だぞ」
「ゲーム?」
「ああ。お前も最後まで付き合え」
フローラは嬉しそうに、その手を取った。
「うん。もちろん!」
ヨモギは何か言いかけ、やめた。
どちらにしても、フローラは楽しそうだった。
前奏の終わりが近づくと、今度はヨモギがフローラの目を見て、小さく頷いた。




