第18話_名探偵は二人もいらない -その①-
――午前/ワングル社・装備試験施設
グリフィン家の車から降りたフローラは、ヨモギの隣に並ぶと、弾む足取りで建物へ向かった。
「今日は、二人ともいるんだよね?」
「ああ。新しい手甲の試験だってさ」
「また、戦ってるところを見られるんだ!」
「見に来たのは手甲だぞ」
「使ってるところも見なきゃ、分からないでしょ?」
ヨモギは少し考えたものの、言い返すのをやめて受付へ向かった。
そこから案内された見学室へ入ると、ガラスの向こうで重い音が響いた。
振り下ろされた訓練用の大槌を、獅子堂焔が剣で受け止めている。
手甲に刻まれた紋様が明るくなると、焔は一歩も下がらず、そのまま大槌を押し返した。
開いた正面へすかさず御剣宗司が踏み込み、訓練装置の胸にある小さな標的を剣先で捉える。
短い電子音とともに装置の腕が止まり、フローラはガラスへ両手をついた。
「すごい!」
その隣で、ヨモギは脇の表示へ顔を寄せていた。
「……今の負荷でも、ずれてないな」
「何が?」
「手甲への魔力供給。衝撃を受けた瞬間も、ちゃんと一定になってる」
フローラは表示を確かめてから、もう一度、ガラスの向こうの二人へ目を向けた。
「うん。でも、二人もすごいよ!」
「それは見れば分かる」
試験室の中でこちらに気づいた焔が、大きく手を上げる。
フローラがすぐに手を振り返すと、焔の隣にいた宗司も剣を下ろし、二人へ穏やかに頷いた。
◇
試験を終えた二人が見学室の前まで来ると、焔は首に掛けたタオルで汗を拭いながら、ヨモギへ目を向けた。
「今日は見ているだけだろうな」
「そのつもりで来た」
「前も、そんなことを言ってなかったか?」
「今日は送風装置がない」
「あれば触るつもりだったのか」
そのやり取りに、手甲を外していた宗司が小さく笑う。
「試験の記録なら、あとで見せてもらえるそうだ。気になるところがあったか?」
記録と聞いて、ヨモギはすぐに顔を上げた。
「強く握り込んだ時の反応が見たい。さっきのは、剣越しの衝撃だっただろ」
「それなら、最初に測ったものがある」
宗司が説明を続けていると、担当者が装備を引き取りに来た。
二人は手甲と剣を渡し、汗を流しに更衣室へ向かう。
「少し待っていてくれ。戻ったら、記録も一緒に見よう」
「うん!」
返事をしたフローラは、さっそくヨモギの腕を引いた。
「待ってる間に、飲み物買おうよ」
廊下を曲がった先の小さな休憩室に入り、フローラは壁際に並ぶ二台の自動販売機へ向かった。
飲み物を選んでいると、開いた入口の前を、タオルの載った台車が通っていく。
「あ、それ、売り切れみたいですね」
清掃担当の女性に声を掛けられ、フローラは指先のボタンを見直した。
桃のジュースには、赤い「売り切れ」の文字が灯っている。
「食堂の方にも自動販売機がありますよ」
「ありがとう! でも、ここで待ってる約束なの」
フローラが隣のりんごジュースを選ぶと、缶の落ちる音に重なって、廊下から焔の声が聞こえた。
「宗司、こっちでいいんだったか?」
「ああ。今日は、この更衣室を使ってくれと言われている」
二人が向かいの扉へ入っていくのを見送り、ヨモギとフローラも席を選ぶ。
窓の下に並んだ四人掛けのテーブルから入口に近い一つを選び、隣り合って腰を下ろした。
ヨモギがミルクティーの缶を開けたところで、今度は試験担当者が廊下へやってくる。
担当者は更衣室の前で足を止め、扉を軽く叩いた。
「獅子堂さん。先ほどの記録について、一点だけ確認をお願いできますか」
「おう、今行く!」
すぐに廊下へ出てきた焔は、差し出された記録票を覗き込み、担当者と何か話し始めた。
「まだお仕事してるんだね」
フローラがその様子を眺めている横で、ヨモギは缶を口元へ運ぶ。
「試すだけじゃ終わらないからな」
「ヨモギちゃんも、記録つけるもんね」
「誰かが勝手に出力を変えると、つけ直しになる」
「増やした方も、書けばいいんじゃない?」
「元の出力も試せって言ってるんだ」
そんなやり取りをしているうちに、焔は記録票への署名を済ませ、更衣室へ戻っていった。
◇
最初に戻ってきたのは、戦闘服から濃い色のシャツとズボンに着替えた焔だった。
「待たせたな!」
まだ濡れた髪を短く立たせた焔は、肩に掛けていた大きな鞄を足元へ置き、空いている椅子に腰を下ろす。
「宗司は、まだか?」
ヨモギが尋ねると、焔は入口の方を振り返った。
「もうすぐ出てくるだろ。あいつは髪まで洗ってたからな」
自動販売機で買った水を一口飲み、焔は先ほどの手甲について話し始める。
装着した時の重さや、剣を握る手の動かしやすさをヨモギが尋ねるたびに、自分の手を開いたり握ったりして答えてくれた。
フローラも身を寄せ、その拳を横から覗き込む。
そうして話しているうちに、普段着へ着替えた宗司が入口に現れた。
片手に提げた鞄は、開いたままだ。
「焔。少し、いいか」
「どうした?」
焔が席を立って入口の脇へ行くと、宗司が声をひそめて何かを伝えた。
それを聞いた焔は頷き、そのまま向かいの更衣室へ戻っていく。
宗司はテーブルまで来ると、鞄の脇にあるポケットを開けた。
続けて反対側のポケットまで確かめ始めたところで、フローラが缶を置く。
「何かなくしたの?」
「いや、着替えが一つ見当たらなくてね」
宗司は困ったように笑った。
「出したところまでは、覚えているんだが」
そこへ戻ってきた焔が、入口から声を掛ける。
「パンツだろ? やっぱり台の上にはなかったぞ」
ヨモギが顔を上げ、フローラも宗司へ目を向けた。
二人の視線を受けた宗司は、鞄へ手を入れたまま、少しだけ目を閉じる。
「……声を落としてくれるかな」
「おう。悪い」
焔は声を落とし、改めて尋ねた。
「どっかに落としたんじゃないか?」
「床も見たよ。タオルの間も確認した」
「パンツ、盗まれちゃったの?」
フローラに尋ねられ、宗司は静かに首を振る。
「まだ、そうと決まったわけではないよ。どこかへ紛れただけかもしれない」
「でも、ないんだろ?」
今度はヨモギが尋ねた。
「うん。替えを出したはずなのに、一枚だけ見当たらないんだ」
「今は、どうしたんだ?」
「仕方がないから、元のものをもう一度はいた」
焔が腕を組む。
「着替えまで持ってきて、それじゃすっきりしねえな」
「そうなんだよ」
それを聞くと、フローラは椅子を引いて立ち上がった。
「じゃあ、私たちも捜すよ!」
「ボクもなのか」
缶を持ったまま、ヨモギが隣のフローラを見上げる。
「ヨモギちゃん、こういうの得意でしょ?」
「パンツを捜したことはない」
「なくなったものを見つける方!」
「それは、どこへやったかによる」
宗司は、いったん鞄を閉じた。
「気持ちはありがたいが、せっかく来てくれたのに――」
「すぐ見つかるかもしれないよ!」
フローラは自分の鞄から小さなノートを取り出し、ぱらぱらとめくって、何も書かれていないページを開いた。
「私が探偵で、ヨモギちゃんが助手ね」
「どうしてボクが助手なんだ?」
「じゃあ、二人とも探偵!」
「名探偵は、一人で十分だろ」
「うん。じゃあ、ヨモギちゃんが助手だね」
「そうは言ってない」
譲らない二人に、焔が口元を緩める。
「頼もしいな。俺も手伝うぞ」
フローラは頷き、開いたページの一番上へ、大きな字で書き込んだ。
《御剣さんのパンツ事件》
宗司の視線が、その文字で止まる。
「……名前は、小さくしてもらえるかな」
◇
ヨモギは飲み終えた缶を端へ寄せ、ノートを自分の方へ引いた。
「まず、どこに置いたんだ?」
「更衣室の中に、着替えを置く台がある。そこへ、タオルや服と一緒に出した」
「鞄へ入れたのを覚えてるだけじゃなくて、出したんだな?」
「ああ。シャツとズボン、それから下着。三つそろっているのを確かめて、シャワーへ入った」
フローラから借りたペンで、ヨモギは紙へ四角い台を描き、その上に小さな丸を三つ並べる。
「戻ったら?」
「下着だけがなかった。シャツもズボンも、そのままだったよ」
「風で飛んだとか?」
フローラが尋ねると、焔は首を振った。
「窓はないな。換気口は、天井にあるが」
ヨモギはペンを止め、焔へ目を向ける。
「そこまで吸い込まれるような風が出てたのか?」
「いや」
「なら、床だろ。見たんだよな?」
「見た。だが、台の下に入り込んでるかもしれねえ。もう一度、確かめてくる」
立ち上がった焔に宗司も続こうとしたが、ヨモギが呼び止めた。
「宗司は、まだ座っててくれ。誰がいたか聞きたい」
「分かった」
宗司が椅子へ座り直すのを見て、フローラが少し声を潜める。
「被害者の人に、お話を聞くんだね」
「だから、盗まれたとは限らないんだよ」
宗司は穏やかに言い直し、更衣室でのことを話し始めた。
この時間、更衣室は試験に参加した二人だけが使うことになっていたという。
中にある二つの個別シャワーを使おうと、そろって着替えの準備をしていたところで、焔が担当者に呼ばれた。
宗司はその間に用意を済ませ、一足先にシャワーへ入ったらしい。
「ほかの人は?」
「室内では、見ていない。シャワーを使っている間のことまでは分からないが」
ヨモギがノートへ書き込んで入口に目を向けると、ちょうど試験担当者が、タブレットを手に廊下を歩いてくるところだった。
「御剣さん。先ほどの記録をお持ちしました」
「ありがとう。すまないが、別のことで少し確認をお願いできるかな」
宗司が着替えを一つ見失ったことを簡潔に説明すると、ヨモギも口を開く。
「着替えてた間に、ほかの誰かが入ったか分かるか?」
「廊下の映像なら、確認できます。あちらのカメラで入口が映っていますので」
担当者が天井の隅を指した。
「お願いします」
フローラも担当者へ頭を下げる。
頷いた担当者はタブレットをテーブルへ置き、確認のために休憩室を出ていった。
間もなく焔が戻ってきたものの、手には何も持っていない。
「棚の下まで見たが、ないな。台の裏にも落ちてなかった」
「ありがとうございます!」
フローラの声に片手を上げ、焔は椅子へ腰を下ろした。
「なあに。途中でやめるわけにはいかねえだろ」
水を飲もうとした手が、ふと止まる。
「待てよ。タオルの回収があったな」
宗司も顔を上げた。
「台の端にも、使ったタオルを置く籠があった。そっちに落ちて、一緒に持っていかれたんじゃねえか?」
「台車、通ってたよ!」
フローラが廊下を指す。
「いっぱいタオルが載ってた。上から布を掛けてあって」
「それだ。誰が押してたか、分かるか?」
「さっきのお姉さん。桃のジュースがある場所を教えてくれた――」
そこまで言いかけて、フローラは目の前にあるりんごジュースの缶へ目を落とした。
「……あれ?」
ヨモギが顔を向ける。
「どうした?」
「あの台車が通ったの、これを買った時だよ」
フローラは缶を持ち上げた。
「それから、焔さんが『こっちでいいんだったか』って言って、二人で更衣室に入ったんだよね?」
宗司が頷く。
「そうだね。入る前に、君たちが飲み物を買っているのを見た」
「じゃあ、その時はまだ、パンツは鞄の中だ」
ヨモギはペンを走らせ、丸を描いた台の手前へ短い線を引いた。
「台車が通った。そのあと二人が入った。宗司がパンツを出したのは、それからだろ?」
「ああ」
「だったら、最初の回収には混ざらない」
フローラがノートへ身を寄せる。
「もう一回、回収に来たのかな?」
「そこを確かめよう」




