第17話:カスタム魔導機グランプリに出よう -その⑦-
『待ってください! 本当に待ってください!』
ニールの訴えが、通信機から聞こえてくる。
機体はすでにピットを離れ、コース上の試走開始位置で停止していた。
コース上に人や障害物がないことを確認した職員が、正面の信号を青へ変える。
ニールの右手の親指は、独立した緊急停止スイッチへ届いている。
だが、操縦席には異常を示す警告が一つも出ていなかった。
親指はスイッチの上で迷ったまま、動かなかった。
ヨモギは遠隔操縦の接続状態を確認する。
加速、操舵、制動。それに、三つの動力を切り替える制御も、すべて正常に接続されていた。
フローラも、魔力駆動の出力と、それをほかの動力へ重ねるタイミングを調整し、出力上限を解除する。
「準備できたよ!」
「始める」
『私の準備はできていません!』
ヨモギが発進操作を行った。
電動モーターが最大トルクを発生させ、機体を前へ押し出す。
その直後、魔力駆動が重なった。
『うわああああああああああっ!』
ニールを乗せた機体が、一気に試走開始位置を飛び出していく。
先ほどまでの走行よりも、明らかに速い。
ヨモギが操舵と電動モーターの出力を制御し、フローラがそこへ重ねる魔力出力を調整する。
コーナーへ入る直前、二人はそれぞれの出力を落とし、車体が向きを変えた瞬間に再び引き上げた。
AIが車体姿勢を補正し、機体はほとんど速度を失わないままコースを周回していった。
「速い速い! まだ上がってるよ!」
計測画面を見ていたフェリシティが、嬉しそうに声を上げる。
『実況しないでください!』
「ニール、次の直線でもっと上がるわよ!」
『教えなくていいです!』
機体はそのまま一周目を終え、二周目へ入った。
長い直線へ入ると、先ほどよりもはるかに手前で時速三百二十キロを超える。
それでも、加速は止まらない。
ヨモギは計測地点までの距離を確認した。
「フローラ」
「魔力出力も、重ねるタイミングも安定してるよ。いつでも大丈夫」
「固形燃料式動力機関を接続する」
後部に収められた動力機関が始動した。
三本目の表示灯が、橙色へ変わる。
低い駆動音が重なり、車体後部から熱を含んだ排気が噴き出した。
電気、魔力、燃料。
三つの出力が、一つの駆動軸へ流れ込む。
ヨモギの端末へ、同期結果が表示された。
《三源同期:正常》
《瞬間最大出力:約千二百馬力》
次の瞬間、機体がさらに強く前へ押し出された。
『うわあああああああああああああっ!』
ニールの叫び声が、通信機からピットへ響き渡る。
暗い銀色の機体は、そのまま計測地点を駆け抜けた。
大型画面の数字が上がり続け、やがて止まる。
《最高速度:時速四百四十七キロ》
「四百四十七キロ!」
フェリシティが歓声を上げた。
「これはいい! いける!」
ヨモギも珍しく声を弾ませる。
「やったね、ヨモギちゃん!」
フローラが嬉しそうに振り返った。
だが、通信機から聞こえていたニールの叫び声は、いつの間にか途切れていた。
「……ニールさん?」
フローラが操縦席の映像へ目を向ける。
ニールの頭が、力なく前へ落ちていた。
「気絶した」
ヨモギはすぐに固形燃料式動力機関を切り離した。
フローラも魔力出力を落とし、そのまま魔力駆動を停止させる。
ヨモギは電動モーターを回生制動へ切り替え、遠隔側から制動を強めていった。
AIが前後の制動力を調整し、車体姿勢を保つ。
機体は急激に姿勢を崩すことなく、確実に速度を落としていった。
左右へぶれることもなく、コース脇の緊急停止区画へ入り、そのまま完全に停止する。
「止まった!」
フローラが端末を置き、機体へ向かって走り出した。
ヨモギとフェリシティも、そのあとを追う。
三人が緊急停止区画へたどり着くと、ニールは保持具に身体を支えられたまま目を閉じていた。
フェリシティが呼吸を確かめ、首元へ指を当てる。
続けて瞼を持ち上げ、目の状態も確認した。
「大丈夫。気絶してるだけ!」
「大丈夫じゃないよ?」
フローラが心配そうに顔を覗き込む。
しばらくすると、ニールの瞼が動いた。
ゆっくりと目を開き、ぼんやりと空を見上げる。
「ここは……天国ですか?」
「ニールさん、大丈夫?」
声のした方へ視線を動かす。
ヨモギとフローラの顔が、すぐ近くから自分を覗き込んでいた。
「…………」
意識が、一気に戻る。
「ぎゃああああああああっ! まだ地獄だった!」
後ろで、フェリシティの笑い声が弾けた。
「それだけ叫べれば大丈夫ね!」
「何も大丈夫ではありません!」
ニールの意識がはっきりしたのを確認すると、ヨモギは保持具を解除した。
四人はそのままピットへ戻り、機体もヨモギの遠隔操作でゆっくりとあとに続く。
ニールを椅子へ座らせてから、ヨモギとフローラは走行データの確認を始めた。
三つの動力の同期記録に、異常はない。
駆動軸とフレームにも歪みはなく、冷却装置の温度も許容範囲に収まっている。
防護障壁、遠隔操縦、制動装置、搭乗者保持機構も、すべて正常に作動していた。
「問題ないな」
ヨモギが診断画面を閉じる。
フローラは車体の横へしゃがみ込み、暗い銀色の外装を覗き込んだ。
「猫も無事だよ!」
「それは性能に関係ない」
「大事だよ?」
少し離れた椅子では、ニールが水を飲みながら、白い猫の飾りを見つめていた。
今日の試走で、最初から最後まで何も変わらなかったのは、その猫だけだった。
一通りの点検を終えた頃には、すでに昼を回っていた。
四人はピットを離れ、レース場の休憩室へ向かった。
◇
休憩室へ入ると、四人は窓際のテーブルを囲んだ。
ほどなくして昼食が運ばれ、それぞれが料理へ手を伸ばす。
フェリシティとフローラは、食事をしながら午前の走行を楽しそうに振り返っていた。
ヨモギも二人の話を聞きながら、黙々と食事を進めている。
その向かいで、ニールだけは目の前の料理にほとんど手をつけていなかった。
「安全なのは分かりました」
ニールは、ようやくスープを一口飲んだ。
「機体が安定していることも、遠隔操作で止められることも分かりました」
「なら問題ないな」
「私の精神が、本番に耐えられるか分からないんです」
フローラが、パンを持ったまま首を傾げる。
「大丈夫だよ。精神力は鍛えれば強くなるって、お母様が言ってたから」
「そうだ。午後も走れば慣れる」
ヨモギも同意した。
「これくらいでへばってたら、インサイダーは務まらないわよ!」
フェリシティまで加わる。
ニールは、三人を順番に見た。
「私はインサイダーではありません! 一般人です! 一般人には限度があります!」
三人とも、納得していない顔をしていた。
昼食を終え、少し休憩を挟むと、四人は再びピットへ戻った。
最高出力を使う試験は午前中の一度だけで、午後は中速域からの急制動、停止直後の再加速、コーナー途中での駆動切り替えを繰り返した。
電動モーターを停止させ、残る魔力と燃料だけで走行する。
今度は魔力駆動を切り離し、燃料と電気へ切り替える。
また、操縦の優先権をいったん操縦席側へ戻し、入力を意図的に途切れさせた場合に、瞬時に遠隔側へ制御が移るかも確認した。
試験内容が切り替わるたびに、ニールの叫び声がコースへ響いた。
それでも、機体に重大な異常は一度も出なかった。
連続走行後の冷却性能も、緊急停止装置の反応も、すべて設計値の範囲に収まっている。
西へ傾いた日差しがコースを橙色へ染める頃、予定していた試験項目がすべて終わった。
最後の診断を済ませ、機体を輸送車へ積み込んだあと、ヨモギはピットの奥に置いていた黒いケースを持ってきた。
そのままニールの前へ差し出す。
「試験走行は終わった。約束の分だ」
ニールが留め具を外す。
蓋を開けると、中には一千万クレジット相当の紙幣が、束になって収められていた。
「本当に、現金で払うんですね……」
「口座へ送金すれば、記録が残るからな」
「これ、本当にもらっていいんですか?」
「そのために今日乗ったんだろ」
ニールは紙幣とヨモギを何度か見比べた。
やがて蓋を閉じ、両手でケースを受け取る。
手へ伝わる重さで、ようやく報酬を受け取った実感が湧いた。
同時に、今日一日の記憶も鮮明に蘇った。
「次の練習は、いつにしますか?」
「必要ない」
「……はい?」
「機体に問題はなかった。必要なデータも取れた。あとは本番で走るだけだ」
「機体ではなく、私の練習です!」
「お前も今日一日走っただろ」
「一日で足りる競技ではありません!」
「でも、最後まで走れたよ?」
フローラが笑う。
「最後は気絶していました!」
「気絶しても、機体はちゃんと止まったわよ!」
フェリシティも笑顔で続けた。
「私の話をしています!」
「次は本番だね!」
「楽しみねー!」
フローラとフェリシティの声が重なる。
現金の入ったケースは、確かに重かった。
だが、次にあの機体へ乗るのが大会本番だと分かった瞬間、残りの一千万クレジットが、ひどく遠く感じられた。




