第14話:魔法は二人で混ぜてはいけない -その⑤-
見開きには、赤と緑のルーンが複雑に重なった術式が描かれていた。
炎属性と風属性を組み合わせた既存合成魔法《爆炎旋風》。
術式の中央に生み出した炎へ風を絡め、燃焼を強めながら螺旋状に押し出す魔法だった。
「炎と風を一緒に使うんだって」
「外側の風で炎を圧縮してる」
ヨモギの指が、二つの術式を繋ぐ細いルーンをたどった。
「ここで回転方向を決めて、その次に炎を――」
「その教本を渡してください」
二人の頭上から、リシアナの声が届いた。
フローラが顔を上げる。
「もう少しだけ見てもいい?」
「いけません。合成魔法は、今のお二人が扱ってよいものではありません」
リシアナは教本を受け取ると、すぐに閉じた。
「どうして?」
「通常の魔法を一つ覚えるのとは、難しさも危険性も違うからです」
「二つの術式を重ねるだけじゃないのか?」
「重ねるだけでは成立しません」
リシアナは教本を胸元へ抱えたまま、二人へ向き直った。
「それぞれの魔力量、発動位置、術式を繋ぐ順序。その全てが正しく噛み合って、初めて一つの魔法になります。どこか一つでも崩れれば、属性同士が反発します」
「反発すると、どうなるんだ?」
「術式が消滅するだけで済む場合もあります」
「済まない場合は?」
「爆発します」
フローラがヨモギを見る。
ヨモギもフローラを見た。
「ですから、今の術式は忘れてください」
「もう覚えたぞ」
「私も覚えたよ」
リシアナの表情が止まる。
二人がその見開きを見ていたのは、ほんの数十秒だった。
「……覚えていても、使ってはいけません」
「はい」
「分かった」
返事だけは素直だった。
ただ、二人の意識はすでに先ほどの術式へ戻っていた。
ヨモギは、先ほど見た術式を脳内で組み上げた。
最初に風側のルーン。
続いて、その内側へ炎側のルーンを重ねる。
掌の前へ、緑色の光が浮かんだ。
だが、炎側のルーンへ魔力を流そうとしても、赤い線は途中までしか現れない。
ヨモギに炎属性の適性はない。
何度繋ごうとしても、術式は完成しなかった。
隣では、フローラも同じ術式を組み上げていた。
掌の前へ小さな炎が灯り、その外側を風が回り始める。
しかし、風へ意識を向けると炎が揺らぐ。
炎を立て直せば、今度は風のルーンが崩れていく。
二つを繋ぐ接続ルーンが閉じる前に、炎も風も消えてしまった。
「……できない」
フローラが掌の前を見つめた。
「ボクも炎側が作れない」
「お二人とも」
リシアナの声が低くなった。
ヨモギとフローラが顔を上げる。
「今、何をしていたのですか?」
「覚えた術式を試した」
「でも、使えなかったよ?」
「使えたかどうかの問題ではありません。使おうとしてはいけません」
「消えただけだぞ」
「今回は、術式が繋がらなかっただけです。途中まで発動させた時点で、何が起きてもおかしくありませんでした」
リシアナは、二人が手を下ろすまで黙ってその場に立っていた。
「もう一度言います。合成魔法を勝手に試してはいけません」
「はい」
「分かった」
二度目の返事も、素直だった。
リシアナは三冊の教本を鞄へ戻し、留め具を閉じた。
「合成魔法の教本は、通常の収納棚ではなく、隣の保管庫へ戻します。ここで待っていてください」
「はい」
「分かった」
リシアナは制御卓へ目を向け、実技区画の出力制限が初級訓練用のままであることと、緊急防護フィールドが正常に待機していることを確認した。
少なくとも設計上、この設定下で初級魔法が防壁の外へ被害を及ぼすことはない。
それから鞄を抱え、制御卓の奥にある扉へ向かった。
認証を終えると、分厚い扉が開く。
リシアナがその向こうへ姿を消すと、扉は再び閉じた。
それを待っていたフローラが、ヨモギへ顔を寄せる。
「ヨモギちゃん」
「何だ?」
「一人で炎と風の二つを維持して、合成ルーンまで繋ぐから難しいんだよね?」
ヨモギは、先ほどの失敗を思い返した。
フローラは炎と風の両方を作れていたが、二つの術式を同時に維持しながら、合成ルーンで繋ぐことができなかった。
一方、ヨモギは炎属性のルーンそのものを完成させられない。
二人が失敗した理由は違う。
それでも、どちらも一人では《爆炎旋風》を完成させられなかった。
ヨモギは閉じた扉を一度だけ確認した。
「だったら、魔法にしなければいい」
「どういうこと?」
「初級魔法は、ルーンを組み上げた時点で形と動きが決まる。《火球》なら飛ぶ。《風刃》なら切れる。発動した魔法を重ねようとしても、狙った場所で、必要な形のまま留めておけない」
「じゃあ、魔法になる前の魔力を使うの?」
「そうだ。魔法として完成させず、属性へ変えた魔力だけを必要な形で外へ出す」
ヨモギは訓練場の中央を指した。
「お前は火と水。ボクは風と土だ」
「四つとも使うの?」
「炎で空気を熱して、上昇気流を作る。その上へ水を置けば、蒸気になる。外側から風を回して、土属性の魔力を鉱物粒子に変えて混ぜる」
「それを、二人で同時にやるんだね!」
「そうだ」
「うん!」
二人に迷いはなかった。
「合成ルーンは作らない。初級魔法としても完成させない。四つの属性魔力が起こす現象だけを、同じ場所で重ねる」
「じゃあ、合成魔法じゃないね!」
「別々に出すだけだからな」
二人の中では、禁止された方法とは別のものになった。
ヨモギとフローラは、強化標的の正面で左右へ分かれた。
「炎からだ。小さくしろよ」
「うん!」
フローラが両手を前へ出す。
右手の先に、小さな炎が灯った。
初級魔法ではない。
火属性へ変えた魔力を、炎の形でその場へ留めているだけだ。
フローラは炎を消さないまま、左手の先へ薄く水を広げた。
水は炎の上で熱せられ、白い蒸気へ変わっていく。
「次、風だ!」
ヨモギが右手を横へ振ると、炎と蒸気を包むように風が回り込んだ。
上へ流れていた空気がくるりと捻れ、細い渦になる。
「土も混ぜるぞ!」
ヨモギは風を操ったまま、左手から土属性の魔力を放った。
魔力は細かな砂と鉱物粒子へ変わり、風に巻き上げられて渦の中へ吸い込まれていく。
「入った!」
「うん、そのまま!」
フローラは火と水を、ヨモギは風と土を同時に維持していた。
二属性を使えることと、異なる二属性を同時に操ることはまるで違う。
だが二人は、その難しさに気づいてすらいなかった。
制御卓も、まだ異常とは判定していない。
画面に表示された四属性は、全て別々の反応だった。
術式も二人の魔力を繋ぐ接続もなく、それぞれの出力は設定された上限を下回っている。
警告音は鳴らなかった。
それでも、中央の渦では、二人の想定を超えた変化が始まっていた。
上へ昇った蒸気が冷え、細かな水滴へ戻る。
水滴は鉱物粒子と一緒に激しくかき回され、渦の中で何度もぶつかり合った。
ぱちっ、と小さな音が鳴る。
フローラの髪が、静電気を帯びたようにふわりと持ち上がった。
「ヨモギちゃん。今、光ったよ?」
「ボクは雷なんて出してないぞ」
渦の中で、青白い光がもう一度走る。
水滴と鉱物粒子がぶつかるたび、渦の中には少しずつ電気が蓄えられていた。
小さな雷雲と同じ現象が、二人の目の前で起きていた。
次の瞬間、視界が白く弾ける。
轟音とともに、渦の上部から中心へ雷が落ちた。
それは、二人が直接放った魔法ではない。
四属性の重なりが生み出した、小さな雷雲からの落雷だった。
雷に貫かれた炎が、一気に膨れ上がる。
熱を得た渦は周囲の空気を吸い込み、赤い炎を巻きつけながら天井近くまで伸びていった。
細かった渦は、雷を内側に抱えた火災旋風へ変わっていた。
「できた!」
フローラが歓声を上げる。
「やったぞ!」
ヨモギも拳を握った。




