第14話:魔法は二人で混ぜてはいけない -その④-
「では、すでに覚えている魔法の続きから始めましょう」
リシアナは循環シミュレーターから離れ、壁際の指導用ボードへ向かった。
透明だった板が、黒く色を変えた。
細い魔力ペンを走らせると、金色の線が板の上へ浮かび上がった。
最初に、属性を定めるルーン。
続いて、風を広げる方向と範囲を指定するルーン。
最後に、術式を閉じるための短い線を加える。
「これは初級風魔法《突風》の術式です。風を刃や弾にせず、面のまま押し出します」
ヨモギは、浮かび上がった金色の線を目で追った。
「《風刃》より簡単だな」
「構造だけを比べれば、そうですね。使ったことはありますか?」
「ない」
「では、今の形を脳内で組み上げてみましょう。分からない箇所があれば――」
「できた」
「まだ説明の途中です」
「もう覚えたぞ?」
その返事に迷いはなかった。
リシアナは一度だけ、ボードを振り返った。
その視線を追ったヨモギは、壁際の収納棚へ目を止めた。
中には、二本の短い杖が収められていた。
白い金属で補強された、練習用の魔導杖だった。
「それは何だ?」
「練習用の魔導杖です」
「見ていいか?」
「見るだけでしたら」
リシアナは収納棚を開き、一本をヨモギへ手渡した。
「私も見たい!」
フローラにも、もう一本を手渡す。
ヨモギは受け取るなり、杖を横から覗き込んだ。
先端には、小型の魔石が組み込まれていた。
「この魔石、交換できるのか?」
「できますが、今は外さないでください」
「まだ何もしてない」
「外そうとしましたね?」
ヨモギの指は、魔石を固定する留め具へ掛かっていた。
「構造を見ようとしただけだ」
「授業が終わってからにしてください」
「……分かった」
ヨモギは名残惜しそうに、留め具から指を離した。
その隣では、フローラが杖を軽く振っている。
「フローラ。人へ向けてはいけません」
「向けてないよ?」
杖の先端は、ヨモギの耳のすぐ横を通過していた。
「今、当たりそうだったぞ!」
「当たってないよ?」
「当たってからじゃ遅い!」
リシアナは二人から杖を受け取り、収納棚へ戻した。
「魔導杖は、脳内で組み上げるルーン詠唱を安定させ、魔力の収束や放出を補助するための武器です」
「今日は使わないのか?」
「一般的な魔法訓練は素手で行います。まずは、自分の魔力を直接扱えるようになることが大切です」
リシアナは収納棚を閉じると、制御卓を操作し、実技区画の出力制限を初級訓練用へ設定した。
それから二人を強化標的の前へ立たせ、床の境界線を指し示した。
「この線から前へ出ないでください。まずはヨモギさんだけです。先ほどの術式を、出力を抑えて発動してください」
ヨモギは右手を標的へ向けた。
ボードに描かれたルーンを、脳内で組み上げる。
魔力が風へ変わり、掌の前へ集まった。
(《突風》)
見えない風の塊が、標的の正面を広く叩いた。
標的の左右に置かれていた試験用の布まで同時に跳ね上がり、壁際へ向かって大きくはためいた。
「できたぞ」
その術式を初めて発動したとは思えないほど、風の範囲も強さも均一だった。
リシアナはボードへ向き直り、《突風》の術式の一部を消した。
風を広げるルーンを、一点へ圧縮するものへ書き換える。
「こちらは《空気弾》です。今度は風を――」
鈍い衝撃音が、説明を遮った。
標的の中央へ、圧縮された空気の塊がすでに叩きつけられていた。
「これで合ってるか?」
「……合っています」
ルーンを書き終えてから、まだ数秒しか経っていない。
ヨモギは一度見ただけで違いを読み取り、別の術式として組み直していた。
「次は何だ?」
金の瞳が、期待に満ちている。
リシアナはボードとヨモギを交互に見た。
一つ教えるたび、すぐに結果が返ってくる。
教師として、これほど教えがいのある相手はいない。
同時に、渡す知識を間違えてはいけない相手でもあった。
それでもリシアナは、持ってきた鞄へ手を伸ばした。
取り出したのは、風と土の魔法を基礎から応用までまとめた教本だった。
表紙を見たヨモギの金の瞳が、一気に輝いた。
「おおお! それ、見ていいのか?」
「一つずつ、私と確認しながらです」
「分かった!」
ヨモギは両手で教本を受け取った。
「安全にやりましょうね」
「分かってる」
返事をした時には、すでに最初のページを開いていた。
「私もやる!」
フローラが横から覗き込む。
「これは風と土だ。お前には必要ないだろ」
「風なら私もできるよ?」
「全部できるやつは別の本を読め!」
「では、フローラはこちらを使いましょう」
リシアナは、光、闇、炎、水、風、無属性の魔法を基礎から応用まで収めた教本を渡した。
フローラは嬉しそうに受け取ると、ヨモギの隣へ並んだ。
「どっちがたくさんできるか勝負しよう!」
「ボクは二属性しか載ってないぞ!」
「じゃあ、同じ数だけにする?」
「それならいい」
「勝負ではありません」
リシアナの声は、二人に届いていなかった。
ヨモギは、風を薄い膜のように身体の周囲へ巡らせる《風の鎧》のページを開いた。
フローラが選んだのは、細い氷の矢を一直線に放つ《氷の矢》だった。
二人の視線が、それぞれの術式を上から下へ一度だけなぞった。
先に動いたのはヨモギだった。
(《風の鎧》)
淡い風が足元から立ち上がり、身体の輪郭に沿って流れ始める。
髪と服だけを揺らしながら、身体との距離を一定に保ったまま全身を包んでいた。
続いて、フローラが左側の標的へ片手を向ける。
(《氷の矢》)
空中に生まれた透明な矢が、左側の標的へ突き刺さった。
命中した箇所から白い霜が広がり、表面だけを正確に凍らせていく。
「できた!」
「ボクの方が早かったぞ」
「でも、私の方が真ん中に当たったよ?」
「三センチずれてる」
「三センチなら真ん中だよ!」
「中心は一点だ!」
二人が言い合っている間に、リシアナは記録を確認した。
二人とも、選んだ魔法を使うのは初めてだった。
術式の崩れはなく、出力も制御卓で設定された制限内に収まっていた。
普通なら、ここから同じ魔法を何度も繰り返す。
記憶したルーンが途中で抜けないか。
出力を変えても術式を維持できるか。
狙った位置へ安定して発動できるか。
それらを確かめてから、ようやく次へ進む。
しかし、二人はすでに次のページを開いていた。
「次はこれだ」
二つ目に選んだ《硬化》と《耐火結界》でも、結果は変わらなかった。
ヨモギが《硬化》を施した石板は、圧力を加えても傷一つつかなかった。
フローラの《耐火結界》に包まれた布にも、焦げ跡は残らなかった。
リシアナが記録を確認する頃には、二人はもう三つ目のページを開いていた。
「今度は、どっちも撃つ魔法だな」
「真ん中に当てた方が勝ちね!」
「待ってください。同時に撃ってよいとは――」
ヨモギの《石つぶて》が右側の標的を叩き、ほぼ同時に、フローラの《水弾》が左側の中央で弾けた。
どちらも指定された範囲から外れず、出力も上限内に収まっていた。
それを確かめるより早く、ヨモギは《地割れ》、フローラは《炎の壁》のページを開く。
「次はこれだ」
「こっちも大きそう!」
リシアナは二人の手から教本を取り上げた。
「ここまでです」
「まだ三つしか使ってないぞ」
「私も三つだよ!」
「初めて見る術式を、数で競わないでください」
「全部できたぞ?」
「だから止めています」
ヨモギとフローラは、揃って首を傾けた。
リシアナは二冊の教本へ目を落とした。
教えた魔法は、その場で使える。
自分で本を読ませれば、さらに早い。
フローラに並外れた才能があることは、以前から分かっていた。
だが、ヨモギも同じだった。
しかも二人を並べると、片方が新しい魔法を使うたび、もう片方まで次へ進もうとする。
このままでは、教本を一冊渡しただけで、収録された術式を片端から覚えかねない。
「今日は、今使った三つを安定させるところまでにしましょう」
「もう安定してるぞ」
「私も失敗してないよ?」
「一度成功しただけです」
リシアナは二冊を重ね、鞄へ戻そうとした。
その拍子に、別の薄い教本が鞄の口から滑り落ちる。
床へ落ちる前に、フローラが両手で受け止めた。
「これも魔法の本?」
濃紺の表紙には、二色のルーンが重なった紋章。
その下に、《既存合成魔法・基礎術式集》と記されていた。
ヨモギがすぐ隣から覗き込む。
「合成魔法?」
フローラが最初のページを開いた。




