第12話:似顔絵は設計図ではない
――グリフィン家・本邸/ヨモギの自室
ヨモギは作業机に向かい、小型魔力変換器の設計図を描いていた。
内部の回路を細い線で繋ぎ、部品の横へ寸法を書き込んでいく。
残るのは、外装の固定位置だけだった。
その時、背後の扉が勢いよく開いた。
「ヨモギちゃん、遊びに来たよ!」
フローラは、大きな木箱を両腕で抱えていた。
箱の上から顔だけを覗かせたまま、部屋の中央まで歩いてくる。
「勝手に入るな。あと、前が見えてないだろ」
「ちゃんと見えてるよ」
フローラは、抱えていた箱を床へ下ろした。
留め具を外して蓋を開けると、中から色とりどりの絵の具や筆、真新しい画用紙が現れる。
さらに、折り畳まれていた小さなイーゼルまで取り出し、手際よく組み立て始めた。
床が汚れないよう大きな布を広げ、その上へ水入れと絵の具を並べていく。
「昨日、新しい画材をもらったの。最初に描くものは、もう決めてあるんだ」
「何だ」
「ヨモギちゃん」
「何でボクなんだ」
「一番に描きたかったから」
あまりに迷いなく答えられ、ヨモギは一瞬だけ言葉に詰まった。
髪の隙間から覗く尖った耳が、わずかに揺れる。
けれど、すぐに机へ向き直った。
「今日は絵を描こう!」
「一人で描け」
「ヨモギちゃんを描きたいの」
「だったら機械を描け」
「機械は笑わないよ?」
「ボクも笑わない」
「でも、笑うよ?」
「笑わない」
ヨモギは設計図へ視線を戻した。
フローラは構わず、机の向かい側へイーゼルを置く。
その上へ画用紙を載せると、椅子に座るヨモギをじっと見つめた。
「こっちを向いて」
「嫌だ」
「少しだけでいいから」
「今、忙しい」
「じゃあ、そのままでいいよ」
フローラは鉛筆を手に取り、画用紙へ線を引き始めた。
さらさらと、鉛筆が紙を擦る音が続く。
ヨモギは気にすることなく、設計図へ外装の固定位置を書き込んでいった。
向かい側では、フローラが何度も画用紙とヨモギの顔を見比べている。
輪郭を取っては消し、耳の形を整えてから、机の上に散らばる工具や部品まで描き加えていった。
しばらくすると、正面から声が飛んでくる。
「ヨモギちゃん、もう少し楽しそうな顔をして」
「これが普通だ」
「じゃあ、笑って」
「笑わないって言っただろ」
「一回だけ」
「一回も嫌だ」
フローラは頬を膨らませたが、すぐに画用紙へ視線を戻した。
鉛筆から細い筆へ持ち替え、作ったばかりの色を画用紙へ重ねていく。
ヨモギは設計図へひと区切りつけると、壁の時計を見た。
「もう二十分経ってるぞ」
「あと少しだよ」
「それ、さっきも聞いた」
「今度は本当に少しだから」
さらに十分が過ぎた。
ようやくフローラは筆を置き、完成した絵を両手で持ち上げた。
「できた!」
画用紙の中には、作業机の前に座るヨモギがいた。
アッシュブラウンの髪には銀色の毛先が混じり、髪の両側からは、二つの尖った耳が覗いている。
片手に工具を持ち、金色の瞳を細めながら、楽しそうに笑っていた。
その周囲には、小さな歯車やねじが星のように散りばめられている。
実際の作業机よりも、ずっと綺麗に片づいていた。
「……誰だ、これ」
「ヨモギちゃんだよ」
「耳が大きすぎる」
「大きい方が可愛いよ」
「工具の形も違う。持ち手はこんなに曲がってない」
「そこを見るの?」
「部品の配置も違う。これは変換器の隣に置かない」
「絵だから、少しくらい違ってもいいの」
「それで誰を描いたか分からなくなってるだろ」
「ヨモギちゃんだって、すぐに分かったでしょ?」
「耳を見れば分かる!」
「それに、ボクはこんな顔をしない」
ヨモギは、絵の中で笑っている自分を指さした。
「するよ」
「いつだ」
「ゲームで勝った時とか、新しい機械がちゃんと動いた時とか、みたらし団子を食べてる時」
「笑ってない」
「笑ってるよ」
「笑ってない!」
フローラは、絵とヨモギの顔を交互に見比べた。
「今は怒ってる顔だね」
「当たり前だ!」
ヨモギは椅子から立ち上がり、フローラの前に並べられた画材を見下ろした。
「見本を見せてやる」
「ヨモギちゃんも描くの?」
「正しい描き方を教えるだけだ。そこへ座れ」
フローラは嬉しそうにヨモギと席を入れ替わった。
椅子へ座り、両手を膝の上に揃える。
ヨモギは新しい画用紙をイーゼルへ載せると、鉛筆と定規を手に取った。
最初に描いたのは、顔ではなかった。
画用紙の中央へ縦と横の基準線を引き、その周囲へ細かな目盛りを書き込んでいく。
「何を描いてるの?」
「動くな。ずれるだろ」
ヨモギはフローラの輪郭を取り、目と鼻、口の位置へ補助線を重ねた。
腰まで伸びた髪の流れを確かめ、ピンクと銀色が混じる割合まで画用紙の端へ書き留めていく。
線を一本引くたびにフローラの顔を見て、わずかな違いも修正していった。
最初は、線だけならすぐに終わると思っていた。
けれど、フローラの髪は、単純に二色へ塗り分けられるものではなかった。
銀色の上へ淡い桃色が重なっているところもあれば、光を受けた毛先だけが白く見えるところもある。
ヨモギは次第に画用紙へ身を乗り出し、絵の具を混ぜ直した。
少しだけ色を載せては、実物と見比べる。
合わなければ、また別の色を作る。
いつの間にか、画用紙の端には、色の配合まで書き加えられていた。
「まだ?」
「まだだ」
「少し動いてもいい?」
「駄目だ」
「笑うのは?」
「表情が変わる」
「喋るのは?」
「口の形が変わる」
フローラは口を閉じた。
けれど、一分も経たないうちに、足を揺らし始める。
窓の外へ目を向けたかと思えば、廊下から足音が聞こえるたび、そちらへ顔を動かした。
「じっとしてろ!」
「ずっと同じ顔は疲れるよ」
「座ってるだけだろ」
「ヨモギちゃんも、さっきずっと下を向いてたよ?」
「ボクは作業してたんだ」
「じゃあ、私も何かしながら――」
「動くな!」
フローラは再び姿勢を正した。
退屈そうに何度か瞬きをしたあと、鼻のあたりへ手を伸ばす。
絵を描いていた時についたのか、その指先には桃色の絵の具が残っていた。
何も気づかないまま鼻を擦り、先端へ丸い色をつける。
ヨモギの鉛筆が止まった。
「何?」
フローラが首を傾げる。
その拍子に、まだ鼻へ触れていた指先が横へ滑り、桃色の跡が伸びた。
ヨモギは口元を押さえた。
「……ふっ」
小さな声が漏れる。
フローラの目が丸くなった。
「笑った!」
「笑ってない」
「今、笑ったよ!」
「鼻に絵の具をつけたまま動くからだ!」
フローラは慌てて鼻を擦った。
桃色の跡が、今度は頬まで広がっていく。
ヨモギの肩が、もう一度揺れた。
「さっき描いた顔と同じだよ!」
「同じじゃない!」
「やっぱり笑うでしょ?」
「いいから動くな!」
ヨモギは机の上から布を取り、フローラの鼻と頬を拭った。
「痛いよ、ヨモギちゃん」
「お前が余計に広げるからだ」
絵の具が落ちたことを確かめると、ヨモギは再び鉛筆を握った。
それからさらに時間をかけ、目元や口元を整えていく。
フローラは姿勢を戻したまま、壁の時計を見上げた。
「ヨモギちゃん。もう三十分経ってるよ」
「あと少しだ」
「それ、さっき私が言った時に怒ってたよ?」
「今度は本当に少しなんだ」
フローラの口元に、笑みが浮かぶ。
「何だ」
「同じだなって思って」
「どこがだ」
「ヨモギちゃんも、描き始めると終わらないところ」
「お前の絵と一緒にするな。ボクは正確に描いてるんだ」
そう言いながら、ヨモギは一度消した線を、ほんの少しだけ位置を変えて引き直した。
最後に髪へ色をつけ、余白へいくつかの数値を書き足す。
「できたぞ」
フローラは椅子から立ち上がると、すぐに画用紙を覗き込んだ。
そこに描かれているのは、間違いなくフローラだった。
顔立ちも、瞳の形も、髪の色も正確に再現されている。
けれど、輪郭の周囲には補助線が残り、目の間隔や髪の角度を示す数値が細かく並んでいた。
「すごい。本当に私だね!」
「当然だ」
「でも、似顔絵というより、設計図みたい」
「正確に描いたんだからいいだろ」
「似顔絵は設計図じゃないよ?」
ヨモギの眉が動いた。
「お前の絵より正しい」
「私の絵も正しいよ。ヨモギちゃん、ちゃんと笑ったから」
「あれは、お前の顔がおかしかっただけだ!」
フローラは楽しそうに笑い、自分の似顔絵を持ち上げた。
「これ、もらってもいい?」
「そんなものをどうするんだ」
「部屋に飾るの」
「補助線も消してないぞ」
「ヨモギちゃんが描いてくれたから、そのままがいい」
フローラは画用紙が折れないよう、持ってきた木箱へ丁寧に収めた。
代わりに、笑っているヨモギの絵を作業机へ立てかける。
「これはヨモギちゃんにあげるね」
「いらない」
「交換だよ」
「勝手に決めるな」
画材を片づけ終えると、フローラは木箱を両腕で抱えた。
「今度は、二人で笑ってる絵を描こうね」
「描かない」
「その絵、ちゃんと見えるところに置いてね」
「置かない」
「じゃあ、また明日ね!」
返事を待たず、フローラは部屋を出ていった。
扉が閉じると、部屋にはいつもの静けさが戻った。
ヨモギは作業机へ座り、途中だった設計図を手元へ引き寄せる。
その横には、フローラの描いた似顔絵が残されていた。
耳の大きさも、工具の形も、実物とは合っていない。
笑っている顔にも、まだ納得はできなかった。
ヨモギは、絵を伏せようと手を伸ばす。
けれど、その手は途中で止まった。
少し考えたあと、机の端に積んであった部品箱を別の場所へ移す。
そして、空いた場所へ似顔絵をもう一度立てかけた。
精密な設計図の隣で、正確ではないヨモギが、楽しそうに笑っていた。




