第8話:りりちゃんを捕まえろ -その②-
今度は一時間以上、作業部屋の扉が開かなかった。
机の上には屋敷の見取り図が広げられ、その周りを大小さまざまな魔導部品が埋め尽くしている。
ヨモギが複数の感知器を一つの制御装置へ接続し、フローラは魔法を使って、その感知範囲を屋敷全体へ伸ばしていく。
さらに、各所の罠に組み込んでおいた小型端末を、制御装置と同期させた。
対象を感知すると、端末のランプが赤く点灯し、音声で知らせる仕組みだった。
捕獲装置の作動方式も、先ほどまでとは違っていた。
「今までの速さじゃ駄目だな。猫は罠が動いてからでも、反射的に避ける」
「じゃあ、りりちゃんが気づく前に捕まえないとね」
各端末に蓄えた魔力を一気に放出させ、罠が瞬時に作動するよう制御を変更した。
猫が反応して跳び退くよりも早く、最も近い罠が袋やクッションで周囲を塞ぐ仕組みだった。
さらに、捕獲部分には衝撃を吸収する術式が施されている。どれだけ速く作動しても、捕まえた猫を傷つけることはない。
すべての調整を終えると、フローラが両手を上げた。
「できた!」
作業机の上では、赤、青、緑の小さなランプが順番に点灯していた。
ヨモギは制御盤へ目を走らせ、すべてが正常に接続されていることを確かめると、満足そうに頷いた。
「魔力、熱、振動、音。どれか一つに反応すれば、近くの捕獲装置が動く」
「これなら絶対に見つかるね!」
「感度は高めにしておくぞ。りりちゃんは静かに隠れてるからな」
ヨモギがつまみを、赤い目盛りの手前まで回す。
それに合わせて、屋敷の見取り図へ緑色の光が広がっていった。
ヨモギは小さなレンチとドライバーをポケットへ入れ、フローラは完成した制御装置を抱えた。
二人はそのまま廊下へ出る。
「よし。始めるぞ」
「いけるよ!」
二人で同時に起動ボタンを押した。
直後。
屋敷のあちこちで、赤いランプが一斉に点灯した。
『対象を感知』
『対象を感知』
『対象を感知』
無数の音声が重なり、廊下の奥からも同じ声が聞こえてくる。
ヨモギは、フローラが抱えた制御盤を覗き込んだ。
見取り図のほぼすべての部屋で、捕獲対象を示す光が激しく点滅している。
「多くないか?」
「屋敷中にいるみたいだね」
「猫は一匹だぞ」
答えが出るより先に、罠が動き始めた。
ガコンッ!
フローラの足元で床が開く。
「わっ!」
足元を失ったフローラの手から制御装置が滑り落ち、廊下の中央へ転がった。
そのまま身体も穴へ落ち、敷き詰められたクッションの中へ埋もれる。
「フローラ!」
ヨモギが咄嗟に手を伸ばす。
その動きを感知し、今度は頭上の捕獲装置が開いた。
「しまっ――」
落ちてきた袋が、ヨモギを頭から丸ごと包み込む。
袋の口が閉じると、そのまま天井近くまで吊り上げられた。
「何でボクたちに反応するんだ!」
「感度を上げすぎたからじゃない?」
「人と猫を判別する設定は!?」
「ヨモギちゃんが入れたんじゃないの?」
「お前が入れると思ってた!」
二人が言い争っている間にも、屋敷中では罠が次々と作動していた。
扉が開くたび、捕獲袋が降ってくる。
床の仕掛けが開く。
左右の壁から、巨大なクッションが突き出す。
仕掛けの激しい作動音に交じって、使用人たちの悲鳴が至るところから聞こえてきた。
ヨモギは袋の中でドライバーを取り出すと、手探りで留め具を外した。
袋を抜け出して床へ降り、落とし穴の底でクッションに埋もれていたフローラを引っ張り上げる。
「止めるぞ!」
「でも、まだりりちゃんを捕まえてないよ?」
「このままだと、屋敷の人間が全員捕まる!」
その時、玄関の方から扉の開く音がした。
「ただいま戻った」
聞こえてきたのは、レオルの声だった。
ヨモギとフローラの動きが、同時に止まる。
玄関ホールでは、帰宅したレオルが立ち尽くし、変わり果てた周囲を見回していた。
床には工具や布が散乱し、天井からはいくつもの捕獲袋が下がっている。
廊下の奥では、使用人が巨大なクッションの壁に挟まれていた。
その光景を前に、レオルの眉間へ深い皺が刻まれる。
「……これは何だ」
答えるように、廊下へ転がった制御装置が音声を発した。
『対象を感知』
「父さん、動くな!」
ヨモギが叫ぶ。
レオルの足元で、小さなランプが赤く光った。
「何を――」
直後、天井から巨大な袋が落ちた。
レオルの身体を頭から包み込むと、そのまま勢いよく引き上げる。
「なっ!?」
袋に入ったレオルが、玄関ホールの中央へ吊り下げられた。
数秒の沈黙。
「ヨモギ!」
屋敷全体が揺れるような怒声が響き渡る。
「今、止める!」
「レオルさん、暴れないで! 動くと別の罠が反応するよ!」
「誰がこんなものを作った!」
「二人で作った!」
「二人とも、今すぐ止めろ!」
ヨモギとフローラは、廊下の中央に転がった制御装置へ駆け出した。
その足音と振動を感知し、廊下に並ぶランプが一斉に赤く染まる。
「また来るぞ!」
「ヨモギちゃん、急いで!」
ヨモギが停止ボタンへ手を伸ばす。
その指先が届く直前、左右の壁から巨大なクッションが飛び出した。
二人の身体が左右から挟み込まれる。
「うわあああ!」
「きゃあああ!」
そこへ天井から一つの捕獲袋が降り、二人まとめて包み込んだ。
袋の口が閉じると、二人の身体も天井近くまで吊り上げられた。
玄関ホールと廊下で、三人の入った二つの袋が天井近くに揺れる。
「……ヨモギ」
玄関ホールの方から、低い声が聞こえた。
「今、止めるから待て」
「どうやってだ」
ヨモギは袋の隙間から腕を伸ばした。
しかし、床へ転がった制御装置までは届かない。
フローラも懸命に手を伸ばし、指先へ桃色の光を集める。
「私が押すよ!」
細い光が、制御装置へ向かって伸びた。
けれど、停止ボタンの手前で感度調整のつまみに触れてしまう。
つまみが右端の赤い目盛りまで回った。
『超高感度モードへ移行します』
「何でそっちを回すんだ!」
「ちょっとずれた!」
直後、屋敷中で先ほどまで以上に激しい作動音が響き始めた。
レオルの入った袋も、大きく左右へ揺れる。
「今すぐ止めろ!」
「分かってる!」
ヨモギは袋の中から小さなレンチを取り出した。
揺れに合わせて狙いを定め、制御装置へ向かって投げる。
レンチは停止ボタンへ当たり、そのまま床へ転がった。
赤く点滅していたランプが消える。
同時に、屋敷中へ響いていた作動音がぴたりと止まった。
捕獲袋を吊り上げていた装置も停止し、三人の身体がゆっくりと床へ降りていく。
三人はそれぞれ袋から抜け出した。
レオルは乱れた服を無言で直す。
その顔から、すべての表情が消えていた。
ヨモギとフローラは、並んで正座した。
周囲を見れば、クッションを敷き詰めた穴へ落ちた使用人や、袋に包まれたままの警備員たちがいる。
「それで」
レオルが二人を見下ろした。
「何のために、屋敷中を罠だらけにした」
「りりちゃんを捕まえるためだ」
ヨモギが答えた。
「りりちゃん?」
「私の猫なの。びっくりして逃げちゃって」
フローラが、空になったキャリーを示す。
レオルは改めて、屋敷の惨状を見回した。
「その猫は捕まったのか」
二人は同時に周囲を見た。
捕獲袋の中。
落とし穴の底。
クッションの隙間。
どこにも、りりちゃんの姿はない。
「……いない」
「まだ捕まってないみたい」
レオルの眉間に刻まれた皺が、さらに深くなった。
その後、ヨモギとフローラは罠にかかった使用人たちを助け出し、屋敷中に仕掛けた罠を一つずつ解除して回った。
散らばった工具や魔導部品をすべて作業部屋へ戻し終えたころには、二人ともすっかり疲れ果てていた。
ひと休みしてから探し直そうと、二人は並んでヨモギの部屋へ向かう。
ヨモギが扉を開けた瞬間、二人の足が同時に止まった。
ベッドの真ん中に、りりちゃんがいた。
柔らかな掛け布団の上で長い身体を伸ばし、ふわふわの尻尾だけをゆっくりと揺らしている。
二人が近づいても、逃げようとはしない。
りりちゃんは眠そうに目を開け、ヨモギとフローラを見上げた。
「……いた」
「いつからここにいたんだ」
その首元で、金色の星形飾りが小さく揺れた。
ヨモギは手を伸ばし、ふさふさした毛の間から星を摘まみ上げる。
「……フローラ。これは何だ」
「隠密用の試作品だよ。魔力や熱、音、匂いを外へ漏らさなくして、振動も伝わりにくくするの。だから、感知装置にも引っかかりにくいんだよ」
「何でそんなものを、りりちゃんにつけた」
「星の形が可愛かったから」
ヨモギの表情が固まった。
「それを先に言え!」
「だって、聞かれなかったから!」
「聞かれなくても言うことだろ!」
「ヨモギちゃんだって、首輪を見て何も聞かなかったじゃない!」
「おいいいいいいい!」
言い争う二人を眺めながら、りりちゃんは何食わぬ顔で口を開き、大きなあくびをした。




