第7話:アニメエキスポと大きなお友達 -その③-
次の瞬間。
「写真は嫌だ!」
ヨモギがステージから飛び降りた。
「あっ!」
人の間をすり抜け、出口へ向かって走る。
「なんでぇぇぇ!? ヨモギちゃーん!」
フローラも慌てて追いかけた。
ヨモギは速かった。
人と人の隙間を抜け、展示物を避け、通路を一気に駆けていく。
フローラとの距離が開く。
「待ってぇ!」
「待つわけないだろ!」
(《滑走》)
ヨモギの足元に、淡い風が集まった。
次の瞬間、風が靴底を押し出し、身体が地面を滑るように加速する。
髪と外套を大きくなびかせ、ヨモギは一気に速度を上げた。
「魔法を使うのはずるいよ!」
「追ってくるな!」
角を二つ曲がる。
階段を下りる。
開いていた扉へ飛び込む。
ヨモギは壁へ手をつき、息を整えた。
「……ここまで来れば」
顔を上げる。
目の前に広がっていたのは、一般参加者向けのコスプレ撮影エリアだった。
巨大な背景パネルと撮影用の照明が並び、端末やカメラを手にした大勢の参加者で埋め尽くされている。
そのど真ん中へ、猫猫姿のヨモギは一人で飛び込んでしまっていた。
撮影エリアにいた者たちが、次々とヨモギを振り返る。
「わああっ! 本物みたい!」
「優勝した子だ!」
「さっきの猫猫だ!」
「一枚だけお願いします!」
「猫猫ちゃん、こっち向いて!」
「こっちにもお願いします!」
人が集まり始める。
ヨモギは猫耳ごと、じりじりと後ろへ下がった。
「うへぇ……きもっ!」
「あっ、今の顔もそっくり!」
「撮れた!」
「もう一回お願いします!」
「するか!」
ヨモギは身を翻し、その場から全力で逃げ出した。
通路へ飛び出しても、撮影を頼む声と追いかけてくる足音は、すぐ背後まで迫ってくる。
振り切ろうと角を曲がれば別の撮影エリアへ迷い込み、階段を駆け上がれば、その先は行き止まりだった。
引き返した頃には、追いかけてくる人数がさらに増えていた。
フローラから逃げるために走り出したはずが、いつの間にか会場中の参加者から追われていた。
ヨモギは風魔法を使って逃げ回り、ようやく背後の足音が途切れたところで、柱の陰へ身を隠した。
追ってくる者がいないことを確かめ、壁際を進みながら元のブースへ戻っていく。
どれほど走っていたのか。
大会の行われていたブースへ戻ってきた頃には、すでに表彰式も記念撮影も終わっていた。
観客の姿はなく、残っているスタッフも片づけを始めている。
ヨモギはもう誰もいないことを確かめるように、きょろきょろと周囲を見回した。
ふと、その視線がブースの反対側で止まる。
壁の陰から、フローラが顔を半分だけ出していた。
すでに普段の服へ着替え、大きなキャリーケースの取っ手を握ったまま、じっとりとした目をヨモギへ向けている。
魔法少女姿のままなのは、ヨモギだけだった。
「……何だよ」
フローラは頬を膨らませた。
「知らない!」
「何で怒ってるんだ?」
「ヨモギちゃんが逃げるからでしょ!」
「写真は嫌だって言っただろ」
「一枚くらい、一緒に撮りたかったのに!」
「やだ」
「優勝したのに!」
「勝手に優勝させたのは、あいつらだろ」
「もういい!」
フローラはキャリーケースを引いた。
そのままヨモギへ背中を向ける。
「ふんっ。そのまま帰ればいいよ!」
「おい」
フローラは振り返らない。
キャリーケースの車輪を鳴らしながら、出口へ向かって走り去っていく。
ヨモギはしばらく、その背中を見送った。
「……何なんだよ」
自分も着替えようと、更衣室へ向かう。
そこで、足が止まった。
普段着も靴も、会場へ持ってきた荷物も、すべてフローラのキャリーケースに入れたままだ。
ヨモギは勢いよく振り返った。
フローラは、もう出口近くまで遠ざかっている。
「待て! ボクの服!」
声に気づいても、フローラは止まらない。
「知らない!」
「返せ!」
「写真を撮らせてくれなかったから嫌!」
「それとこれとは関係ないだろ!」
ヨモギは猫猫の衣装を着たまま走り出した。
大きなキャリーケースを引いて逃げるフローラ。
黒と紫の外套をなびかせ、鬼のような形相で追いかけるヨモギ。
二人は、そのまま会場の外へ飛び出していく。
周囲にいた参加者たちが、一斉に端末を向けた。
「猫猫だ!」
「まだ役を続けてる!」
「すごい! 追いかける場面まで再現してる!」
「違う! 撮るな!」
ヨモギが叫ぶ。
その声も、表情も、すべて撮影されていた。
◇
翌朝。
ヨモギは自室のベッドで眠っていた。
そこへ、勢いよく扉が開く。
「ヨモギちゃん、すごいよ!」
「……朝からうるさい」
ヨモギは布団へ顔を埋めた。
フローラが端末を抱え、ベッドの横まで駆け寄ってくる。
「昨日の動画、世界中で一千万回再生されてる!」
ヨモギの目が開いた。
ゆっくりと身体を起こす。
「……何が?」
フローラが端末の画面を向ける。
そこには、昨日の会場前を走る二人の姿が映っていた。
大きなキャリーケースを引いて逃げるフローラと、その後ろを猫猫姿のまま、鬼のような形相で追いかけるヨモギ。
やがて、端末からヨモギの怒鳴り声が響いた。
「待て! ボクの服!」
「知らない!」
「返せ!」
「写真を撮らせてくれなかったから嫌!」
「それとこれとは関係ないだろ!」
撮影者の笑い声まで入っていた。
投稿のタイトルは、
『本物の猫猫にゃんにゃん、会場から逃走』
再生回数は、すでに一千万回を超えている。
さらに、アニメの公式アカウントまで動画を紹介していた。
『猫猫とにゃんにゃんが、本当に現実へ飛び出してきました!』
その下には、世界中から何万件もの反応が届いている。
『再現度が高すぎる』
『猫猫の嫌そうな顔が完璧』
『最後まで役を崩さないのがすごい』
『来年も出てほしい』
『逃げる猫猫がかわいい』
ヨモギは無言で画面を見つめた。
「……消せ」
「私が投稿したんじゃないよ?」
「全部消せ」
「もういろんな人が別の場所にも載せてるよ」
「消せ」
「公式にも紹介されてるから、たぶん無理だと思う」
ヨモギの手が伸びる。
フローラは素早く端末を引いた。
「消せええええ!」
ヨモギが飛びつく。
フローラは笑いながら部屋の外へ逃げた。
「待て!」
「ヨモギちゃん、今度は二千万回を目指そう!」
「二度と出ない!」
「来年の衣装、もう考えてるよ!」
「やめろ!」
朝の屋敷に、二人の足音が響き渡る。
廊下の奥へ姿が消えても、フローラの笑い声とヨモギの怒鳴り声は、それからもしばらく屋敷の中を駆け回っていた。
本人は、今も必死に逃げ続けている。
けれど、猫猫姿のヨモギはすでに、数えきれないほどの画面の中にいた。
写真撮影を拒否したヨモギは、その年のアニメエキスポで、最も撮影されたコスプレイヤーになった。




