第5話:泊まる必要はない -その①-
――シンクレア家・本邸
窓の外では、夕日が庭園の噴水を赤く染めていた。
ヨモギは遊び終えたゲーム機を鞄へしまい、ソファから立ち上がる。
「そろそろ帰る」
「ヨモギちゃん、今日うちに泊まっていかない?」
「断る」
返事は早かった。
フローラは瞬きをしたあと、胸元のクッションを抱き直す。
「まだ何も説明してないよ?」
「泊まる必要がない。夜になったら帰ればいい」
「お泊まり会は、夜になってからが楽しいんだよ」
「だったら朝まで起きて遊ぶ会って言え」
「それだと、お泊まり会じゃなくなっちゃうよ?」
「同じだろ」
鞄を肩に掛けたヨモギの前へ、フローラが回り込む。
逃がさないとでもいうように両手を広げたが、ヨモギはその横を抜けようとした。
「待って。今日は、いろいろ用意してあるの」
「何をだ」
「見れば分かるよ!」
フローラはヨモギの手をつかむと、隣の部屋へ駆け出した。
「引っ張るな!」
扉の向こうには、長いテーブルが置かれていた。
星形のチョコレート。
果物を閉じ込めた透明なゼリー。
砂糖をまぶした小さなドーナツ。
見たことのない文字が書かれた菓子の箱まで、隙間なく並んでいる。
甘い匂いが、部屋いっぱいに漂っていた。
「夜に食べるお菓子!」
「これを全部食べるつもりか?」
「残ったら明日食べればいいよ」
「明日までいることになってるじゃないか」
フローラは答えず、テーブルの下から大きな箱を引っ張り出した。
中には、カードゲームや立体パズル、魔力で駒が動く対戦玩具が詰め込まれている。
その中の一つに、ヨモギの目が留まった。
七つの国が描かれた、大型のボードゲーム。
箱には《七王国の旅》と書かれている。
箱の隅には、一般販売品では見かけない《開発中》の札が貼られていた。
「それ、まだ発売されてないだろ」
「試作品を送ってもらったの」
フローラは箱を抱え、得意そうに笑う。
「ヨモギちゃんと遊ぼうと思って」
ヨモギは箱へ近づき、札の端を指で持ち上げた。
製造番号の下には、試遊後に改善点を報告するよう記されている。
「……試作品なら、不具合が残ってるかもしれない」
「そうだね」
「ルールの調整も必要だ」
「うん」
「遊びたいわけじゃないぞ。問題がないか確認するだけだ」
「じゃあ、一緒に確認しよう!」
フローラはすぐに箱を床へ下ろした。
ヨモギはしばらく立ったまま、その様子を見ていた。
やがて肩から鞄を外し、扉のそばへ置く。
「一回だけだからな」
フローラは勢いよく頷いた。
開いたままの扉の向こうでは、二人分の寝間着を抱えた使用人が廊下を通り過ぎていった。
ヨモギが床へ腰を下ろすのも待ちきれず、フローラは箱の留め具を外した。
中から折り畳まれた盤を取り出し、二人で広げていく。
七つの国からなる大陸が、床いっぱいに現れた。
海には青い硝子が敷き詰められ、山や城は精巧な彫刻で再現されている。
魔力を通すと街道沿いに灯りがともり、小さな馬車がひとりでに動き始めた。
街で依頼を受け、道具を揃え、七つの国に隠された宝を集める。
いずれかの馬車が王都へ到着した時点でゲームは終了し、最も多くの財産を持っていた者が勝者となる。
ヨモギは説明書を一度読んだだけで、盤上の街道と港の位置を頭に入れた。
最初の勝負は、十五分で終わった。
ヨモギは早々に二つの港を押さえ、フローラが国を移動するたびに通行料を取った。
対するフローラは、困っている村を助ける依頼や、迷子の動物を送り届ける依頼ばかり選んでいる。
ようやく最初の国を出た頃には、ヨモギの馬車が王都へ到着していた。
二度目は十二分。
三度目は、紅茶が冷めるよりも早かった。
ヨモギの前には金貨と宝石が積み上がり、フローラの馬車は山間の村で立ち往生している。
「ボクの勝ちだ」
四度目の勝負が始まった。
それから間もなく、フローラは自分の駒を持ち上げた。
三マス先には、星の印が描かれている。
「この星のマスに止まったら、あと二マス進めることにしよう」
「そんなルールはない」
「今、増えたの」
「負けてる方が勝手に変えるな」
「でも、試作品だから調整が必要なんでしょ?」
ヨモギの眉が動いた。
自分が先ほど口にした言葉だった。
フローラは紙とペンを用意し、追加した規則を書き始めた。
《星のマスに止まった駒は、さらに二マス進むことができる》
書き終えると、紙を盤の横へ置く。
「全員に適用するならな」
「もちろん!」
フローラの馬車は星の力を借り、近くの宝箱へたどり着いた。
中から現れた金貨を受け取り、満足そうに自分の前へ並べる。
ところが次の手番。
ヨモギの馬車も星のマスに止まった。
そこから二マス進んだ先には、別の星がある。
ヨモギは迷わず、もう一度駒を動かした。
二つ目の星から、さらに二マス。
三つ目の星からも二マス進み、馬車は一度の手番で国境を越えた。
「待って。進めるのは一回だけだよ?」
「そんなことは書いてない」
ヨモギは追加された規則を持ち上げた。
紙には、回数について何も記されていない。
フローラはしばらく紙を見つめたあと、その下へ新たな一文を書き加えた。
《星の効果が発生するのは、一回の手番につき一度だけとする》
「途中で変えるのか?」
「次の手番からだから大丈夫だよ」
「何が大丈夫なんだ」
ヨモギの馬車は、一度の手番で二つ目の国まで進んでいた。
対するフローラは、まだ最初の国にいる。
それでも気にした様子はなく、近くにあった宝箱へ馬車を進めた。
「また寄り道するのか?」
「宝箱があるよ」
フローラが山札からカードを一枚引く。
そこには、金色の竜と、山のように積まれた財宝が描かれていた。
《竜王の宝物庫。金貨を三十枚獲得し、王都へ移動する》
二人の間に、沈黙が落ちた。
フローラはカードと説明書を見比べたあと、箱の中から金貨を取り出した。
一枚、二枚、三枚。
数えても、なかなか終わらない。
やがてフローラの前に、ヨモギのものを上回る金貨の山ができあがった。
続いて馬車を持ち上げ、大陸の中央にある王都へ置く。
「私の勝ちだね」
「…………」
ヨモギは竜王のカードを手に取り、裏返した。
製造番号まで確認してから、もう一度表へ戻す。
「宝箱一つで三十枚は多すぎる」
「でも、そう書いてあるよ?」
「王都へ移動する効果も必要ない」
「ヨモギちゃん、遊びたいわけじゃないんだよね?」
ヨモギは答えなかった。
代わりに、盤上の馬車を二台とも最初の国へ戻す。
「もう一回だ」
フローラの顔が明るくなった。
「うん!」
次の勝負から、ヨモギもルールの調整に加わった。
宝箱から得られる金貨には上限を設ける。
ただし、七つの村を助けた者は追加報酬を受け取れる。
二つのサイコロで同じ目を出した者は、相手のカードを一枚もらえる。
橋が壊れていても、星の力があれば川を渡れる。
飛行船と魔法使いを持っていれば、山を越えられる。
フローラが自分に有利な規則を作れば、ヨモギがその穴を見つける。
ヨモギが抜け道を塞げば、今度はフローラが別の規則を足す。
盤の横へ置かれていた紙は二枚になり、五枚になり、やがてそこだけでは収まらなくなった。




