第4話:猫クッキーが止まらない -その②-
魔力計の針が一気に跳ね上がる。
中央を越え、黄色の範囲を通過し、そのまま赤い領域の端まで振り切れた。
「入ったよ!」
「またやったな!! 入れすぎだ!」
直後、装置の奥から何かが弾けるような重い音が響き、安全装置の警告表示が消えた。
止まっていた画面が再び点灯し、表示された猫の顔が大きく歪んで左右へ伸びる。
次の瞬間、攪拌機が猛烈な速度で回転を始めた。
ガガガガガガガガガガ――!
激しい振動に揺さぶられ、製造装置が床の上を跳ね回る。
「動いた!」
「喜ぶな!」
材料容器の蓋が勢いよく吹き飛び、小麦粉が白い煙となって厨房に舞い上がった。
異変を察した使用人たちが、一斉に動き出す。
「装置から離れてください!」
「魔力供給を止めろ!」
「停止ボタンが反応しません!」
ヨモギは操作盤へ飛びつき、停止ボタンをもう一度押し込む。
けれど、何度押しても装置は止まらない。
激しく揺れる正面の排出口が開き、黒い何かが受け皿へ転がり落ちた。
それは、猫の顔をしているらしいクッキーだった。
黒く焦げた顔で、両目は別々の方向を向き、口は耳の近くまで裂けている。
笑っているのか、怒っているのか。
そもそも、猫なのかどうかも怪しい。
「……猫さん?」
フローラが首を傾げる。
その後ろから、二枚目が排出された。
続いて三枚目、四枚目。
クッキーが出てくる間隔は次第に短くなり、ついには黒い塊が途切れることなく飛び出してきた。
「何で止まらないの!?」
「制御装置まで壊れたんだ!」
「ヨモギちゃんが改造したからだよ!」
「お前が強力粉と魔力を入れたからだろ!」
クッキーは受け皿からあふれ、そのまま次々と床へ落ちていく。
使用人たちは大きな籠や皿を持ち出し、排出口から飛び出してくるクッキーを懸命に受け止めた。
だが、それでも製造速度には追いつかない。
床の上を、焦げた猫の顔が転がっていく。
そのうちの一枚が調理台の脚へぶつかった。
割れることなく、硬い音を立てて跳ね返る。
「クッキーの音じゃないぞ!」
「強くなったね!」
「強くしてどうする!」
ヨモギは装置の側面へ回り込み、緊急停止用のレバーを引いた。
だが、レバーだけが根元から外れ、ヨモギの手には銀色の棒が残った。
「取れたよ?」
「取れたんじゃない。壊れたんだ!」
「直せる?」
「今それを聞くな!」
製造装置が大きく跳ねた。
その勢いで上に載っていた材料容器が傾き、さらに大量の小麦粉が内部へ流れ込む。
排出口から飛び出すクッキーの量が、一段と増えた。
押し寄せる勢いに、ヨモギとフローラはそろって後ろへ下がる。
「どうするの、ヨモギちゃん!」
「魔力電池を外す!」
「どこ?」
「反対側だ!」
「クッキーがいっぱいで行けないよ!」
床にはすでに、大量の猫クッキーが製造装置の向こう側まで積み上がり、足の踏み場もなくなっていた。
ヨモギがその上へ足を踏み入れると、重なったクッキー同士が滑り、靴底越しにも石のような硬さが伝わってきた。
床を進むのを諦め、近くの調理台へ飛び乗った。
そのまま製造装置の上へ移ろうとした瞬間、機械が横へ大きく揺れる。
「ヨモギちゃん!」
フローラが、とっさにヨモギの服をつかんだ。
引き寄せられたヨモギに巻き込まれ、フローラも体勢を崩す。
二人はもつれ合うように、小麦粉の袋へ倒れ込んだ。
袋が二人の下で潰れ、開いた口から白い粉が一気に舞い上がる。
「離すな!」
「離してないよ!」
ヨモギは、服をつかんだままのフローラに支えられ、製造装置の上へよじ登った。
排出口から吐き出される黒いクッキーが、足元を飛び交う。
使用人たちは皿や鍋の蓋を盾にしながら、二人と装置の周囲へ集まっていた。
「フローラ! 装置を押さえろ!」
「分かった!」
「絶対に魔力は入れるなよ!」
「もう入れないよ!」
フローラはヨモギの服から手を離し、今度は両腕で製造装置へしがみつく。
使用人たちも四方から機体に取りつき、跳ね回る装置を床へ押さえ込んだ。
揺れが弱まった隙に、ヨモギは上部へ身を伏せ、外装の隙間へ工具をねじ込む。
金属が軋み、外装が持ち上がった。
内部では、魔力を帯びた配線が激しく明滅し、その奥で稼働中の魔力電池が赤い光を放っている。
ヨモギは熱を持った固定具へ工具を差し込み、力任せにこじった。
鈍い音を立てて固定具が外れる。
ヨモギはむき出しになった魔力電池をつかみ、一気に引き抜いた。
甲高い音が厨房を切り裂く。
攪拌機の回転が落ちていき、製造装置は何度か大きく揺れたあと、ようやく動きを止めた。
それまでの騒音が消え、厨房には小麦粉の煙だけが漂っていた。
ヨモギは魔力電池を手に、装置の上から降りる。
髪も服も、白い粉にまみれている。
向かいに立つフローラも同じだった。
二人は互いの姿を見たあと、そろって周囲を見回した。
床だけではない。
調理台にも、籠の中にも、棚の上にも、焦げた猫クッキーが積み重なっている。
厨房中を歪んだ猫の顔が埋め尽くし、左右の目が同じ方向を向いているものは一枚もなかった。
ヨモギは魔力電池を近くの調理台へ置くと、足元から一枚を拾い上げ、端を噛んでみた。
ガチッ。
石を噛んだような硬さが、歯に返ってくる。
ヨモギが口から離して確かめても、クッキーには歯形すら残っていなかった。
「……食えるか、こんなもの」
フローラも足元から一枚拾い、口へ運ぶ。
ガチッ。
そのまま動きが止まった。
持ち方を変え、今度は奥歯で噛んでみる。
それでも、クッキーには傷一つつかない。
しばらく無言で格闘したあと、そっと元の場所へ戻した。
「保存食にはなるかも」
「建材の間違いだろ」
そのとき、製造装置の奥から低い音が響いた。
二人が振り返る。
排出口から、最後のクッキーが一枚、ゆっくりと転がり出てきた。
ほかの猫クッキーよりも一回り大きい。
頭には三つの耳が生え、縦に並んだ目の下では、裂けた口から何本もの牙が突き出している。
クッキーは床へ落ち、石のような音を立てた。
「これも猫さんかな?」
「呪われた魔物だ」
ヨモギは異形のクッキーを拾い上げ、ほかの焦げた猫たちが詰まった籠へ放り込んだ。
使用人たちが厨房の片づけを始めると、二人も床や調理台に散らばったクッキーを拾っていく。
最後の一枚を籠へ収め、髪や服についた小麦粉を払い落としてから、ヨモギとフローラは元の部屋へ戻った。
最初に淹れられた紅茶はすっかり冷めており、テーブルには新しい紅茶が用意されていた。
二人の髪や服には、まだ小麦粉が少しだけ残っていた。
中央の皿には、大量に作られた中で最も猫らしい形をしていたクッキーが、一枚だけ載っている。
もちろん、食べられる硬さではない。
厨房からは今も、使用人たちが片づけを続ける音が聞こえていた。
フローラは紅茶を一口飲み、皿の上の猫を眺める。
「次は、もっとかわいく作ろうね」
「次は普通に手で作るぞ」
そのとき、厨房の方から何かが床へ落ちる音がした。
ゴトン。
続いて、止まっていたはずの製造装置が低い駆動音を響かせる。
ガコン。ガコン。ガコン。
使用人たちの声が途切れた。
ヨモギとフローラは、そろって厨房の方を見る。
「……ヨモギちゃん。魔力電池、外したよね?」
「外した」
ヨモギは答えたあと、しばらく黙り込む。
「予備の方は?」
「…………」
再び、厨房から石のような音がした。
ゴトン。
ヨモギは何も言わず、紅茶へ口をつける。
フローラもそれ以上は尋ねなかった。
二人は何も聞かなかったことにして、紅茶を飲み続けた。




