第4話:猫クッキーが止まらない -その①-
――シンクレア家・本邸
「ヨモギちゃん、一緒にクッキーを作ろう!」
フローラにそう言われ、ヨモギは目の前のテーブルへ視線を落とした。
白いクロスの上には、二人分のティーカップと銀色のティーポットが並んでいる。けれど、菓子を載せるはずの皿には何もなかった。
「お茶に誘ったんじゃなかったのか」
「だから、紅茶は用意したよ?」
「クッキーはどうした」
「これから作るの」
フローラは笑顔で立ち上がった。
「帰る」
「まだ来たばかりだよ!」
ヨモギも席を立とうとしたが、その腕へフローラがしがみつく。
「離せ」
「一緒に作ろうよ。すぐ終わるから」
「お前がそう言って、すぐ終わったことがあるか?」
「今日は大丈夫!」
「信用できない」
それでも、フローラは離れようとしなかった。
ヨモギが何度腕を振っても、フローラの身体が左右へ揺れるだけだった。
とうとうヨモギは抵抗を諦め、深いため息をついた。
「……作るだけだぞ」
「うん!」
フローラはヨモギの腕をつかんだまま、部屋を出た。
廊下を少し進んだ先で、フローラが大きな扉を押し開ける。
その向こうには、シンクレア家の広い厨房があった。
磨き上げられた調理台やオーブンが、整然と並んでいる。
その中央に、周囲の調理器具とは明らかに異なる機械が置かれていた。
人の胸ほどの高さがある銀色の箱。
上部には材料を入れる複数の容器が並び、正面には大きな画面と、クッキーを排出するための開口部がある。
側面には、透明な筒に収められた魔力電池が二本取りつけられていた。
ヨモギは見慣れない機械を眺め、眉を寄せる。
「何だ、これは」
「自動クッキー製造装置だよ」
フローラは得意そうに答えた。
「ここに絵を描いて読み込ませると、その形のクッキーを自動で作ってくれるの」
生地の攪拌から成形、焼き上げまで。そのすべてを一台で行う試作機らしい。
フローラは隣に置かれていた入力用の端末を手に取り、画面へ線を引き始めた。
丸い輪郭を描き、その上に三角形の耳をつける。さらに大きな目と、弧を描いた口を加えた。
「できた!」
画面には、笑っている猫の顔が表示されていた。
ヨモギは横から画面をのぞき込む。
「右目がずれてる」
「笑ってるんだよ」
「口が曲がってる」
「かわいいでしょ?」
「獲物を見つけた魔物みたいだ」
「猫さんだよ!」
フローラは頬を膨らませ、端末をヨモギへ差し出した。
「それなら、ヨモギちゃんも描いて」
「ボクは絵を描きに来たんじゃない」
「猫さんが描けないの?」
「描ける」
ヨモギはすぐに端末を受け取り、フローラの描いた線へ手を加えていく。
左右の目を揃え、耳の角度を調整する。輪郭のずれを消し、口の位置も中央へ移した。
「これでいい」
「ヨモギちゃんの猫さん、真顔だね」
「クッキーに愛想は必要ない」
二人で描いた猫を一つのデザインにまとめ、製造装置へ送信する。
フローラが開始ボタンを押すと、装置の内部から低い作動音が聞こえてきた。
小麦粉や砂糖などの材料が自動で投入され、続いて攪拌機が回り始める。
しばらく待つと、正面の排出口から一枚のクッキーが運び出されてきた。
「できた!」
フローラの顔が輝く。
だが、受け皿へ落ちたクッキーを見たヨモギは、眉を寄せた。
片方の耳は白いままなのに、もう片方の耳だけが黒く焦げている。
表面には混ざりきらなかった粉が残り、猫の右目も半分ほど潰れていた。
「失敗してるじゃないか」
「ちゃんと猫さんだよ?」
「片方の耳が生焼けだぞ」
ヨモギはクッキーを持ち上げ、裏返して焼き具合を確かめた。
端にはほとんど色がついておらず、生地も中央だけが妙に膨らんでいる。
「攪拌が足りない。成形するときの圧力も偏ってる」
「そうなの?」
「熱の回り方も雑だ。これじゃ何枚作っても同じだぞ」
ヨモギは製造装置の周囲を一周し、側面の留め具へ手をかけた。
その様子に気づいた使用人が、慌てて駆け寄ってくる。
「ヨモギ様、そちらは試作機ですので――」
「だから直すんだ」
「いえ、そういう問題ではなく……」
ヨモギは聞く耳を持たず、持っていた小さな工具入れを取り出した。
「すぐ終わる」
「本当?」
「お前は何もするな」
「分かった!」
フローラが元気よく答える。
ヨモギは製造装置の外装を開き、内部をのぞき込んだ。
攪拌機の回転数、成形時の圧力、焼成室へ送られる魔力の配分。
画面に表示された数値を一つずつ確かめながら、設定を次々と変更していった。
ヨモギが作業に没頭しているあいだ、フローラは最初にできたクッキーを眺めていた。
「猫さんの顔が潰れてる……」
厨房の料理人がクッキーを半分に割り、断面を確かめた。
「生地が少し柔らかすぎたのかもしれません」
「柔らかいから、形が崩れたの?」
「その可能性はございます」
フローラは材料棚へ目を向けた。
薄力粉の隣には、強力粉の入った大きな容器が並んでいる。
「強力粉を混ぜれば、もう少し形が残るよね」
そのとき、奥の調理台から料理人を呼ぶ声がした。
「配合を変える場合は、水分量も合わせて調整する必要がございます」
料理人が装置を離れたのを確かめると、フローラは強力粉の容器へ手を伸ばした。
「少しだけだから大丈夫だよ」
容器から強力粉をすくい、製造装置の投入口へ加えた。
その直後、ヨモギが外装を閉じる。
「終わったぞ」
「こっちも終わったよ!」
「何をした?」
「何もしてないよ?」
フローラは空になった計量カップを、そっと背中側へ回した。
ヨモギは疑うように目を細めたが、フローラは笑顔を崩さない。
「早く作ってみよう!」
「……まあいい」
再び開始ボタンが押された。
攪拌機が先ほどよりも速く回り始め、内部から軽快な作動音が聞こえてくる。
ヨモギは画面に並ぶ数値を確かめ、満足そうに頷いた。
「これなら焼きムラは出ない」
その直後。
ガコン、と装置の内部で何かがぶつかった。
ヨモギとフローラが同時に顔を上げる。
続けて、ガコン、ガコン。
銀色の箱が左右へ揺れ、装置の脚が床を叩き始めた。
「ヨモギちゃん?」
「待て。何か引っかかってる」
言い終わるより先に、音の間隔が縮まった。
ガコン、ガコン、ガコン。
振動は急速に激しさを増し、調理台に置かれた食器まで触れ合って音を立てる。
「すごく揺れてるよ!」
「見れば分かる!」
ヨモギは操作盤へ手を伸ばし、停止ボタンを押した。
しかし、攪拌機は止まらない。
回転に引きずられるように機械全体が左右へ激しく揺れ、内部からは低い唸り声のような音が響いてくる。
やがて画面に警告表示が浮かび、攪拌機の回転が鈍くなった。
揺れも次第に収まり、そのまま装置は完全に停止した。
厨房に静けさが戻る。
ヨモギとフローラは、動かなくなった製造装置を見つめた。
「壊れた?」
「まだ分からない」
ヨモギは外装を開き、内部へ手を伸ばす。
攪拌機の軸には、粘りの強くなった生地が絡みついていた。
「何だ、この生地」
「少しだけ強力粉を入れたよ」
ヨモギの手が止まる。
「何で勝手に入れた」
「猫さんの顔が崩れないようにしようと思って」
「配合データを変えずに、材料だけ足したのか?」
「少しだけだよ?」
「攪拌力を上げたところに、粘りの強い生地を入れたら止まるに決まってるだろ!」
「でも、ヨモギちゃんが改造する前は動いてたよ?」
「お前が余計なものを入れなければ、改造したあとも動いてた!」
二人が言い合っている横で、装置の画面が明滅を始めた。
それに気づいたフローラが、側面の魔力供給計をのぞき込む。
供給量を示す針は、目盛りの一番下まで落ちていた。
「魔力切れかな?」
「違う。安全装置が働いて供給を遮断したんだ。今、原因を――」
「それなら、いっぱい入れれば動くよね」
「待て」
フローラは、二本のうち稼働中の魔力電池へ両手を当てた。
「待て、フローラ!」
制止が届くより早く、まばゆい光が透明な筒の中へ流れ込んだ。




