第五話:移動するおもちゃ
「おい、なんでこんなもん、床にぶちまけとる!」
翌朝。 一階から響いた父の怒鳴り声で、ヨシコは目を覚ました。
時計を見ると、まだ七時前。
いつものように、父が会社に行く前にひげそりをしている時間だ。
だるい体を起こし、とりあえずスウェットのまま廊下に出る。
階段をおりると、脱衣所から父の声がもう一度飛んできた。
「誰や、こんなん置いといたんは!」
洗面台の前で、父が電気シェーバーを片手に仁王立ちしていた。
足元の床には、小さな影がひとつ、ぽつんと転がっている。
「何事?」
ヨシコが声をかけると、父はイラついた顔で床を指さした。
「こんなもん、踏んだらどうするんや。危ないがな」
そこにあったのは、昨日、ヨシコが姿見の前に置いたはずのレゴの警察官だった。
青い帽子をかぶったまま、仰向けにひっくり返っている。
「あ……」 思わず声が漏れる。
父はそれを拾い上げると、洗面台の端に乱暴に置いた。
「お前か? おもちゃ散らかしとるんやったら、子どもと変わらんで」
「違う。昨日は、二階の部屋に置いとった」
ヨシコは、乾いた声でそう答えた。
父は鼻を鳴らす。
「猫かなんかが運んだんやろ。
あのタマ、なんでも口にくわえていくけん」
言われて振り向くと、廊下の向こうでタマがこちらを見ていた。
昨夜、人形にまったく興味を示さなかったタマだ。
確かに、タマが咥えて階段を下り、ここまで運んだと考えれば説明はつく。
けれど、レゴ人形の小さな手足には、猫の歯型のような傷ひとつついていない。
それに、タマは今も、ただ退屈そうにこちらを見ているだけだった。
その瞬間、ヨシコの背中を、ぞわりと冷たいものが這い上がった。
――この廊下で、すれ違った、あの男の子。
小学生くらいの、あの細い腕なら、レゴ人形を片手に持って走り回っていてもおかしくない。
あの子がもし、まだこの家のどこかにいるのだとしたら。
脱衣所の白い蛍光灯の下で、青い警察官の人形は、昨日と同じ笑顔のまま、私を見上げていた。




