第三話:タオル取って!
あのころ、女子高生のあいだでは「朝シャン」が常識になりつつあった。
「朝のシャンプー」が当たり前になり、洗面台で髪が洗えるシャンプードレッサーも大流行していた。
ヨシコたちの新居にも、シャンプードレッサーとまではいかないが、水道の蛇口がシャワーになっていて伸ばせるタイプの洗面台がついていた。
夜のうちにシャンプーしてブローまで決めておいても、朝起きると寝癖で髪が爆発してしまうヨシコにとって、洗面台での朝シャンは、朝ごはんを抜いてでも欠かせない作業だった。
引っ越して数日たった、ある日の朝。
念願の朝シャンをしようと、ヨシコは脱衣所で洗面台のシャワーと格闘していた。
まだ朝シャンに慣れていないヨシコは、水量の調節がうまくできない。
強く出すぎたシャワーがあちこちに飛び散り、脱衣所の床はあっという間に水びたしになった。
そこへ、廊下から母の声が飛んでくる。
「ヨシコ! 何やってるの。脱衣所が水びたしじゃない。ちゃんと床を拭いておいてよ」
ちょうどリンスを流し終えて、ほっと一息ついたところだった。
けれど、リンスが目に入ってしまい、ヨシコは目を開けられない。
「おかあさーん、タオル取って。お願いしまーす」
すぐ横に手を伸ばせば、タオル掛けにタオルがかかっているのはわかっている。
それでも、怒った声でまくしたてる母の勢いをそぎたくて、わざと甘えた声を出した。
「甘ったれるんじゃないわよ。自分で取りなさいよ」
母はすかさずそう言い返す。
だが、ヨシコも負けていない。
「タオル取ってよ!お願いでごぜえますだぁ」
最後は志村けん風の口調で責めてみる。
そのときだった。
母の目の前で、タオル掛けにかかっていたタオルが、するすると落ちていったのだ。
母は思わず目をこすった。
目の前で起きていることが信じられない。
そしてタオルは、
床に落ちるわけでなく、誰かが持ち上げるように、ヨシコの背中に滑っていった。
「あ、ありがとう。おかあさん」
ヨシコは、自分の背中からタオルをつかみ取りながら、何も知らない調子で礼を言う。
母は、しばらく言葉を失った。
目の前で起こったことを、頭の中で必死に組み立て直している。
「ちょっと。ちょっと……何、今の。なんで? なんでタオルが勝手に動くの?」
髪を拭きはじめたヨシコが、のんびりと母のほうへ顔を向ける。
「ええ?」
「今、あんたがタオル取ってって言ったらね、勝手にタオルがあんたの背中に移動したのよ。
誰かがタオルを引っぱって、あんたの背中の上に置いたみたいに見えたんだから」
真剣な声色だった。冗談を言っている調子ではない。
「もう、おかあさん、脅かしなや。
それでなくても、こないだここであの男の子を見て、そのあと消えてまうし、
幽霊見たかもしれへんくて、怖くて眠れへんかったのに」
ヨシコは、母が素直にタオルを取ったことに照れて、自分を怖がらそうとしていると
思った。
だが、母の顔からは笑いが消えている。
「今、本当に動いたの。タオルが。あんたのほうに」
その静かな必死さに、ヨシコも息をのむ。
ヨシコは、そのとき初めて思った。
あの日見た男の子は、まだこの家にいるのかもしれない、と。




