第十話:選ばれていない
「ただ、私は霊視をする者ではありませんから、ここに誰が何人いる、といったことまでは、はっきりとは申し上げられません。はっきり言えるのは、この家が、そういうものを呼び込みやすい場所に建っているということだけです」
「ここに集まってくる霊たちは、行き場所を探しているんです」
祈祷師は、神棚の前から動かずに言った。
「だからこそ、この家の人たちは、心から信心しなさい。最後まで神さまにお仕えするつもりで、ここを守ってください」
母は、何度も「はい、はい」とうなずいた。
父も、黙ったまま正座している。
ヨシコは、その横で膝をそろえながら、自分がこの家を継ぐのだと、当たり前のように思っていた。
さっきから出てくる「この家の人たち」という言い方の中に、自分も含まれているはずだと、疑っていなかった。
祈祷師は、ふっと視線をこちらに移した。
「ただ——」
少しだけ言いよどんでから、ヨシコをまっすぐ見た。
「あなたは、この家には選ばれていません」
背中のあたりが、ざらりと冷たくなった。
「どういう意味ですか」
思わず、ヨシコは声を荒らげていた。
「わたし……いえ、ヨシコが、この家を継いでいきます」
それは、子どもの反発というより、当然のことを言い返しただけだった。
祖父母もいない。きょうだいもいない。
この家を守るのは、自分しかいないと信じていた。
祈祷師は、首を横に振った。
「あなたがそう思っていても、この家は、そうは思っていない」
きっぱりとした口調だった。
「どういう……」
言いかけた言葉は、喉の奥でほどけていった。
「この家が、受け入れると決めた人と、そうでない人がいるということです」
祈祷師は、それ以上は説明しなかった。
「あなたは、この家とは縁が薄い。いずれ、ここから離れていく人です」
ヨシコには、その言葉のどこが一番腹立たしいのか、自分でもうまく説明できなかった。
家族の輪から外に押し出されたような気がしたのかもしれない。
それとも、この家のほうから拒まれたように感じたからかもしれない。
玄関の引き戸が閉まる音がしてからも、しばらく誰も動かなかった。
居間には、さっきまで祈祷師が座っていた座布団だけが取り残されている。
薄くへこんだ真ん中を、ヨシコはじっと見つめた。さっきまでそこにいた人の重さだけが、まだ畳に残っているように思えた。
「……お茶、出したらよかったなあ」
最初に口を開いたのは母だった。言葉の内容の割に、声はかすれていた。
父が、ゆっくりと立ち上がる。
「ほな、神棚、言われたとおりに動かそか」
居間の空気は、夕方に近づいているのに、妙に冷たかった。
南側の窓から入る光が、座卓の上だけを白く照らし、部屋の隅はもう影になっている。
ヨシコは立ち上がりかけて、また座り直した。
「心から信心しなさい」
「あなたは、この家には選ばれていません」
祈祷師の声が、さっきの場所からまだ聞こえる気がした。
母と父は、何も言わずに神棚の周りを片づけ始める。
古いお札をどけ、新しい白い紙を敷き、祈祷師にもらった護符をどこに置くか相談している。
二人の動きはぎこちないが、もう決まったことを淡々とこなしている人たちのそれだった。
「ヨシコ、あんたも拝み」
母にそう言われて、ヨシコはようやく膝を進めた。
神棚の前に並んで座ると、いつもより天井が低く感じられる。
手を合わせても、「心から」というところで、指先が止まった。
この家は、そうは思っていない。
祈祷師のあの一言が、胸の奥で引っかかる。
「……お願いします」
声にならない声でつぶやいて、ヨシコは目を閉じた。
何を、誰に、どんなふうにお願いしているのか、自分でも分からないまま、しばらくそうしていた。
台所から、水道の水の音がした。
いつもの夕方と同じ音なのに、今日は、少し遠くから聞こえるように思えた。
あの日、ヨシコはまだ知らなかった。
この家と、この団地が、これから十年以上かけて「祈祷師の言うこと」を証明していくような形になることを。




