18
「現実には、戻りたくない」
最小単位社会の日々があまりにも尊すぎた。この幸せがあまりにも素晴らしすぎた。
「楽しいだけに、このまま……引き篭もりたい」
今更開かれた、現実社会の未来になんの幸せがある。
「お願い、します。……センパイ」
この現実社会に、わたしの幸せはありません。
「わたしを……一閃十界の、レナファルトのままで……いさせてください」
貴方の側にいることだけがわたしの幸せです。
わたしという存在が、現実社会でどれだけ重荷になるかは承知しています。もしこの地が陽の光に晒されてしまえば、貴方がレールの上で築いた全てを失ってしまうことも。
それでもどうかお願いします。
これからも、リスクを背負ってください。
「最後通告だ。これが人生のセンパイなりの、最後に見せてやれる優しさだ」
重荷になり続ける覚悟を示したわたしに、センパイは言った。
「ハッキリ言おう。レールに乗った人生なんざクソだ。いっそリスクを背負ってでも、レールやルールを外れて左団扇で暮らしたい。レールを走ってる奴らを、こいつらなに必死こいてんだ、って雲の上から笑っていたい。
だがな、そんなことができないから、俺はこうして底辺街道を走り続けてる。向上心もないが賞罰もない。嫌々、泣く泣く、レールの上で日銭を稼いで、まあ、なんとかこの暮らしくらいは維持できてる。これが一度もレールを外れなかった男の末路だ」
現実社会でのセンパイの将来は、輝かしいものではないのは知っていた。
なにかの拍子で簡単に崩れ落ちる、拙い足元であることも。
センパイは現実社会で真面目にやってこなかった、必死にやってこなかった。
だから社会はそんなセンパイが落ちたとき、自業自得だと言うであろう。
「だがな、初めからレールを外れた奴は、もっと悲惨だぞ。無理にレールへ戻ろうとしたところで、一度外れた奴に社会は容赦ない。
通過儀礼を怠ってきたことに、今までおまえはなにしてきたんだ、って罵ってくる。今更戻ってきたところで、わざわざ踏み台になりにきたのか底辺め、と嘲笑ってくる。そのくらい面倒で、だるくて、かったるくて、惨めな思いをしなきゃならん。
後先考えず楽しいことだけをやってきたツケは、そうやって未来で払わなきゃならん。残念ながら、それがクソみたいな社会に生かされるってことだ。一度レールから外れたら、二度と這い上がれん自信があるぞ俺は。
そんな未来への不安を抱えたままで、これまでどおりやっていけるか? 怖くないのか? 今まで通り、楽しいに引き篭もっていられるか?」
それでもセンパイは立派である。わたしとは違って、現実社会で生きていけているのだから。
センパイは現実を現実のまま捉えられない、愚かな盲人ではない。楽に流され未来から目を背ける人間であっても、置かれた現実を受け入れず、両耳を塞いで俺は悪くない社会が悪いんだと叫ぶ愚者ではない。
現実を捉え、受け入れた上で『社会はクソだ』といつも叫んでいる、模範的なろくでもない大人なのだ。
そんな大人の姿を、臆面もなく見せつけてくる。
人間、こうはなりたくないだろ、と。
おまえはまだ間に合うぞ、と。
わたしの未来を想って、そんな道化を必死に演じてくれる。その優しさがとても温かかった。
「怖く、ないです。だって――」
ですがわたしに、そんな優しさは必要ありません。
「未来のことなんて、なにも、考えてませんから」
だって最初から、未来のことを捨ててセンパイに救いを求めて来たのだから。そこに間違いはありませんでした、この幸せこそがその証明です。
先に待っているのは決して明るい未来ではない。
けれどこの幸せが、漠然とした未来への展望を暗ませてくれる。そこに不安も恐れはなにもないのだ。
「一閃十界のレナファルト!」
怒鳴るような音。ろくでもない未来に微笑みすら浮かべてしまったことに、説教されるかもしれないとつい身をすくませてしまった。
「汝の自宅警備員雇用は、本日を持って正社員へ格上げだ!」
だがもたらされたのは説教ではなく、
「知ってるとは思うが、うちには福利厚生なんてない。なにせブラック企業だからな。社員の人生の責任なんて取る気はさらさらないぞ。それどころか俺は、社員の未来とやりがいを搾取するようなクソ社長だ。このことが労基にバレたら最後、倒産だけじゃすまん。秒でしょっ引かれる。そんな社長のもとで働いてるんだ。そんときはおまえだって、タダじゃ済まんからな」
酷い雇用概要であった。
あまりにもろくでもないその内容だが、目を見開いてしまった理由はそれではない。
リスクを背負い続けてくれると決めてくれたのだ。
視界が霞んでしまうほどの喜びが、この胸の内に湧いた。これ以上ない喜びである。
「だからレナ」
しかしそれは打ち止めではなく、ポン、と頭に手を置かれると共に、
「堕ちるときは一緒だぞ」
最後の最後まで一緒にいてくれると誓ってくれたのだ。
衝動に任せるがまま、センパイの胸元に飛び込んでいた。喜びを抑えきれず、泣きじゃくってすらいた。
そんなわたしを鬱陶しがることもなく、慈しむように頭を撫でてくれる。
「ほんと、おまえも災難だな。こんなろくでもない大人に引っかかって。神童の未来が台無しだ」
センパイはおかしそうに、神童たるわたしの未来を憐れんだ。
「仕方、ありません。だって……」
そんな憐情があまりにもおかしくて、
「わたしは……ろくでもない子供、ですから」
涙声ながらついクスリと笑ってしまった。
わたしにとって、センパイは人生のセンパイだ。画面越しにいつも楽しいだけを与えてくれた人。人生の唯一の彩り。
現実社会に居場所がないからこそ、最小単位社会を構築し、たった二人の社会を営んできた。
未来のことを考えてくれた優しさではなく、その場しのぎの甘さだけ差し出してくれる。それを『この人だけはわたしのことを理解してくれる』と心の拠り所として、盲目的かつ献身的に、尊敬し崇めてすらいた。
自分にとって都合の良い人だから、こんなにも慕ってしまったのだ。
社会はそれを、依存心だと定義している。
真実の恋や愛ではないと、正論を操りロジハラしてくるだろう。
でも、いいのだそれで。
陽の光が降り注ぐ地ではそうかもしれないが、この最小単位社会に置いて、この想いは真の恋や愛だと定義されている。現実社会の定義など知ったことではない。
わたしの社会は、センパイと二人で完結している。
それがなによりも楽で楽しく、そして幸せなのだ。
センパイ、貴方のことが大好きです。
センパイ、貴方のことを愛してます。
これからもずっと側にいさせてください。
現実社会では禁断の果実なんて定義があるかもしれませんが、日陰の地にはそんな定義はありません。
貴方が実らせてくれたこの果実を、どうか口にしてください。
そうやって引き返せないところまで、リスクを背負ってください。
「ありがとうございます……センパイ」
ここはわたしたちだけの社会。
現実社会では決して許されない、幸せな営みがここにはある。
陽の光に晒されたとき、わたしたちは社会を追放される。その先で罰を与えられ、苦しまなければならない日がくるだろう。
わたしは恨みつらみは絶対に忘れない。社会がこの幸せを奪い、わたしたちを追いこんだときは絶対に許すつもりはなかった。わたしはどれだけ自分が悪かろうと、その全てを棚にあげられる生き物なのだ。
わたしは神童である。その時はどれだけ時間をかけようとも、アメリカ史上最悪の事件を越えてこの名を歴史とwikiに刻むだろう。
「どうか、こんなわたしと……」
隣家には大変理不尽な話であるが、その時はこう謝罪しよう。
「一緒に堕ちてください」
ごめんなさい田中さん。
恨むならどうか、わたしたちを追い込んだ社会を恨んでください、と。
当初は短編のつもりで書き始めた作品で、
タマ視点の補完として追加したレナ視点でした。
なので裏表となり、ただ同じことを繰り返すだけとなりました。
ですが本格連載しようと決め、ここまでを前提にし、最後までプロットを立て完結にいたりました。
妥協もご都合主義もない、これ以上は蛇足だろ、という最終話。
それをしっかり書ききれたと思っておりますので、どうか最後までこのままお付き合いください。
タマとレナが果たしてどうなるか。
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