004 温かい食事
厨房の中で、女将さんと仙川がてきぱきと動いている。
厨房の中は相当な暑さだった。それでも、女将さんは額に汗を滲ませながらも嬉しそうにしていた。仙川はいつのまにか装備を脱ぎ捨て、女将さんの指示で右に左に動き回り、少年の傍に居たメディカルウェアの女性も、カウンターの前で食器などの準備を手伝い始めていた。
——しばらくすると、食堂の中でいい匂いが広がった。
醤油と出汁の香ばしい匂い。
カウンターに一人用の定食盆が人数分並び、食事の準備が進められていく。
続いて、梅干しが乗った小皿と、1人前の小さな土鍋がぐつぐつという音を立てながら載せられた。
そして、カウンターにライム入りの冷水で満たされたピッチャーも、どん、と置かれた。
「はい、あがったよ~。ところで、隊長さんは?呼んでこれんの?」
女将さんが楓に声をかけた。
「隊長は見張り番、後であたしと交代します」
ニコニコしながら楓が駆け寄ってきた。
「ほ~かね、じゃあ隊長さんのは置いちょこうね。あ、楓ちゃんのはこっちのお盆ね、たなかうどん~」
楓は土鍋の中を覗き込み、嬉しそうに定食盆を持ち上げた。
「いただきまーす!」
楓は定食盆を嬉しそうに抱えて少年が座っているテーブルに座り、さっそく土鍋の蓋を開けてふーふー云いながら食べ始めた。
「楓ちゃん、梅干しも食べるんよ?疲労回復!」
「ほら、ほかのみなさんも、熱いうちにもってって、食べて」
女将さんがカウンターの中から、皆に声をかけた。
紗綾が率先して料理盆を抱え、少年のところへ運んだ。
少年は座ったまま、眼の前に運ばれてくる食事をじっと見つめていた。
「さ、ご飯、あったかいうちに食べて」
「あ、ありがとう、ございます」
かすれるような小さな声で、少年が頭を下げた。
「やっとしゃべった~」
少年の向かい側に座っていた、楓が笑った。
「ご飯食べて元気ださなな?おねーちゃんな、岡崎 楓ゆうねん。よろしくな」
「おおたに・・・あきらです」
少年・大谷 映は、楓をじっと見つめ、消え入りそうな小さな声で呟いた。
「あきらくんかー、よろしくな~」
楓はニィっと大きく微笑んだ。
「ほら、蓋あけて、一緒に食べよ?」
あついから気ぃつけてな、と楓が少し身を乗り出し、アキラのお膳の土鍋の蓋を開けた。
ふわっと湯気があがり、昆布、鰹節、醤油で整えた優しくも香ばしいお出汁の香りが広がった。ふつふつと音を立てるお出汁の中で、白いご飯、コーン粒、グリンピース、キューブ状のニンジンが浮かぶ。まあるくかけられた、とろとろ黄金色の溶き卵、ぱらぱらと振りかけられた細かく刻んだきざみ海苔。
「ありあわせじゃけど、特製ミックスベジタブル雑炊よ。お口に合うとええけど。付け合せの梅干しもどうぞ!」女将がカウンター越しに微笑んだ。
「うまそうや~ん」
楓の目の色が変わっている。
「あんたのぶんはあるじゃろ!あきらくん、遠慮せんでええからようけ食べてね」
女将さんは楓を嗜めると、皆に早く取りに来るよう両手で手招きした。
「皆さんのも同じ雑炊じゃけど、小皿の梅干を少しずつ入れて食べてみてーね。さっぱりしますよ」
カイたちは順番に女将さんの特製雑炊を受け取った。
各々がテーブルに付き、食べ始める。
カイは徳川、葉月、上田と一緒の席につき、蓋をあけた。
小皿の梅干しを箸で割り、少しだけ雑炊の上にちょこんと乗せてれんげで掬うと、ふぅふぅと少し息をふきかけ、口へ運んだ。
酸っぱいかな、と思っていたが、梅干のさわやかな酸味が広がったその後、まろやかな出汁の旨味と甘みが口の中に広がる。梅干しの酸っぱさが、そのあとに広がる旨味と甘味を際立たせている。
蒸し暑ささえ感じる夜に、あつあつの雑炊。
なのに、不思議と食が進み、ほっこりする。
男性陣は、みな「おお!?」と驚き、ほぼ無言で食べ続けた。
「口にあったみたいじゃね。よかったわぁ」
カウンターの女将さんがしてやったり!と微笑んだ。
豪快にうどんを啜る楓の前で、アキラと名乗った少年は目の前にある雑炊を見つめていた。
彼はれんげを手にとり、土鍋の中の雑炊を少しだけ掬った。
湯気をまとった淡い琥珀色のスープに、ふっくらしたご飯が浮かんでいる。
「あきらくん、熱いから軽くふーふーして、ふーふー」
自分の食事を運んできてくれたメディカルウェアの女性が、お盆を置きながらアキラに優しく声をかけた。
「ふーっ、ふーっ」
息を吹きかけ、アキラはゆっくりと口に運んだ。
温かい。でも、美味しい!という感情は湧かなかった。
味がしない。いや、ほのかな塩味は感じる。
もうひと口。掬う。
「ふーっ、ふーっ」
息を吹きかけ、口に運んだ。
やっぱり、味を感じない。
(ママのごはんがたべたいな)
胸がくぅっ、と締め付けられるような、苦しい感覚。
「どしたん?あつかった?」
楓が湯気越しに首を傾げた。
アキラは首をふるふると左右に振って、今度は多めに掬って、息を吹きかけ、口に運んだ。
「しっかり食べんと、おねーちゃんみたいに強くなれへんで」
楓はうどんを掬いながら、ニカッと笑った。
「うん」
掠れるような小さな声でアキラは頷くと、まだ口の中にご飯が残っていたが強引に飲み込み、また多めに雑炊を掬って口に運ぶ。
でもやっぱり、美味しいはずの雑炊は、あまり味がしなかった。
「あきらくん、ゆっくりでいいよ」
隣で食べ始めた紗綾は、少し心配そうな目でアキラを見ていた。
(たべないとつよくなれない)
またひと口、口に運ぶ。噛む・・・飲み込む。
(たべたらつよくなれる)
またひと口、口に運ぶ。
(たべていけばおおきくなれる)
またひと口。噛む。飲み込む。
(たべていけばつよくなれる)
またひと口・・・またひと口・・・またひと口。
(つよくなったら、パパとママを助けにいける)
(ぼくがよわいから、パパ、ママを助けられなかった)
目の奥で、父と母の最後の姿、声がフラッシュバックする。
今日の出来事なのに、もうすごく遠く感じる。
——玄関を開け、両親のもとへ駆け寄ろうとしたその時、
(あきら!くるな!)
(あーちゃん!でちゃだめ!)
目の前を横切る巨大な影
激しい風圧で押し戻され、勢いよく閉まった玄関のドアに吹き飛ばされる。
ほんのわずか一瞬のできごと
恐る恐る玄関のドアを開けたら・・・
パパもママも、何も・・・なかった——
「あきらくん!」
メディカルウェアの女性、九堂 紗綾が無理に口に運ぼうとするアキラの手を止めた。
紗綾は心配そうにアキラを覗き込む。
「待って、そんなに慌てて食べちゃだめ。ゆっくり噛んで、ね?」
と、制止した手を回し、やさしくアキラの背中をさすった。
(ぼくがよわいから、あのおじさん死んじゃった)
——激しい雨、風、雷鳴・・・
怪物に吹き飛ばされ、無軌道に跳ねながら破片をまき散らし、アスファルトの地面に叩きつけられ、動かなくなった、大きなロボット・・・
——怪物が飛び去って、ロボットの中から、自衛隊の人たちがおじさんを引っ張り出して——うごかなくなったおじさんを、大きな袋に入れて泣いている緑のお姉さんたち・・・
(いっぱい食べて、つよくなる)
(つよくなったら、あのおじさんの仇をとる)
(パパやママもたすける)
(パパ、ママ、どうしてるかな)
(パパ、ママ・・・し)
アキラはれんげに山盛りで雑炊を掬い、ろくに息も吹きかけずに、大きく口を開けて頬張った。
口の中が火傷しそうに熱かったが、気にせず噛んで、飲み込んだ。
味はまったく感じなかった。
目に涙が溜まって視界がぼやけ、れんげを持ったまま、涙をぬぐった。
そして再び、目に涙を溜めながら、ぼやけた視界で雑炊を睨みつけ、掬い、口に運んだ。
熱い雑炊を喉の奥に飲み込み、また涙をぬぐった。
隣の座る紗綾はハンカチを取り出しながら、アキラを静かに見守っていた。
その様子を楓は箸を止め両手を組み、頬杖をついて、眺めていた。
何か声をかけようと口を開きかけたが、その言葉を発することなく、呑み込んだ。




