026 学術調査
『脚部シリンダーの稼働に遅延が発生。即時洗浄を推奨します』
水田からの帰り道。
カイがツギハギで前進するたびに、アイリスの低いバリトンボイスがカイの耳を占領する。
『脚部シリンダーの稼働調整が限界です。即時洗浄を推奨・・・』
「もうすぐだから!わかってるって!」
カイは呆れたようにアクセルペダルを踏み込み、ツギハギの歩行速度を上げた。
急に走り出したツギハギは、八代の1番機を追い抜いて道路を疾走、物流倉庫のトラック用ゲートを抜けて、トラックヤードに入った。
『ん?佐倉君、どうした?』
追い抜かれた八代から通信が入る。
「ツギハギが脚を洗浄しろとうるさいので、急ぎます!」
物流倉庫の前では、二両編成の大きな指揮車両が停車していた。
後方のコンテナは開放され、車体は倉庫へ頭を突っ込むような形になっている。
ツギハギはその左側へ駆けていく。
2両編成の後方の架台では、積み込まれた残骸を調べる久永博士の背中が見える。
その先で、前方の架台へカートで物資を運びこむ徳川や上田の姿を見かけた。
カイは、アクセルを緩めてツギハギをゆっくりと歩行させた。
ようやく大きな洗浄水タンクの前に到着したカイは大きなため息をついた。
「ハァ・・・洗車大会、やるかぁ」
ツギハギは片膝立ちの駐機姿勢をとり、胸部装甲がせり上がり、パイロットシートが前方へせり出す。
HMDを外し、照り付ける陽光に思わず目を細める。
途端に外気の暑さに触れて、カイは思わず(あっつう~)と声が漏れた。
『ツギハギ、待機モードに移行します。アイハブコントロール』
外部スピーカーから、野太くひび割れたアイリスの声が響いた。
『カイ、さん。外部スピーカーにも泥が付着しています。洗浄・・・』
「を推奨しますだろ?すぐやるから待ってな!」
シートベルトを外して、パイロットシートから降りようとツギハギの脚部に足を掛けたカイは、付着していた泥で滑りそうになった。
カイが地面に飛び降りると、パイロットシートが収納され、コクピットが自動的に閉じた。
頭部カメラが、カイの方を向いた。
『アイリス、待機モードに移行します』
少しひび割れた音声が響いた。
カイは、トラック洗浄用の洗浄タンクの前へ駆けていき、パネルの電源を押すとガタガタとコンプレッサーの作動音が聞こえてきた。
まだ電源は使えるようだ。
きれいにまとめらたホースとノズルを手にとり、ツギハギの前まで伸ばし、ノズルのトリガーを引いた。
細いノズルの先から、勢いよく洗浄液が扇状に噴射される。
泥まみれの鋼板が、水圧に圧されて本来の輝きを取り戻していく。
噴射された洗浄液が霧散し、小さな虹を作った。
水溜まりが乾いたアスファルトから熱を奪い、周囲の空気まで冷却していった。
『あらぁ、精が出るねぇ』
女将さんが大きな段ボールを乗せたカートを押しながら倉庫から出てきて、足を留めた。
続いて紗綾とアキラが大きなポリタンクを沢山乗せたカートを押して出てきたが、女将さんの視線の先、大きなツギハギの脚を水洗浄している涼し気な光景に、同じように足を留めた。
「おねえちゃん、ボク手伝ってきていい?」
アキラが目を輝かせながら紗綾を見上げた。
「うん、いいよ、いっといで」
紗綾はにこっと笑ってアキラの背中を押した。
「おにいちゃん!ボクにもやらせてー」
11歳の子供らしく、アキラは元気にカイへ駆け寄った。
カイといくつか話を交わした後、ノズルをカイから受け取り、楽しそうに洗浄水をツギハギの脚部へかけ始めた。
「ちょっとは元気になったみたいじゃね」
女将さんはアキラの姿を遠目に見ながら、紗綾に声をかけた。
「そうですね」
紗綾は短く応えた。
あの子が抱える不安や寂しさを紛らわせてあげることが一番よね。
紗綾はそう思っていた。
アキラにノズルを任せると、カイは二人のところへ駆け寄った。
「運ぶんでしょ?手伝いますー!」
アキラが運んでいたカートをカイが押し、3人は指揮車両の後部キャリアへ向かっていった。
女将さんは前側の架台へ、紗綾とカイは後側の架台へカートを運んだ。
紗綾とカイが運ぶカートには、いろんな種類の業務用洗剤の大きなポリタンクがいくつも重ねられていた。
「洗剤?これどうするんだろ?」
「さぁ・・・あの大学の方が業務用洗剤を大量に用意してほしいと仰って」
「久永博士が?あの残骸と関係あるのかな」
「あの、佐倉・・・さん?」
「ああ、カイでいいですよ、えーと」
「私、九堂、九堂紗綾です。サヤでいいですよ。あの、カイさん?」
「はい、サヤ・・・さん」
「アキラくんのこと、時々面倒みてあげてください。小さい子あの子独りだし、つらい目にあったみたいなので、あんな風に気を紛らわせる時間があるといいなって」
「ああ、全然、いいですよ!なんだか気が合いそうだし」
カイは笑顔で応えた。
「サヤさんは・・・看護師さんなんですか?」
「あ、いえ、私はまだ学生なんです」
「そうなんだ、僕も高専の学生なんです」
「そうなんだ、おいくつなんです?」
「19です。高専の4年です」
「じゃ、私が1つ上のお姉さんですね、ふふっ」
——2人は後部キャリアに着くと、残骸で何かを採取中の久永博士に声をかけた。
「博士、この大量の洗剤、ここに置いていいですか?」
博士は採取用のサンプル瓶とピンセットを持ったまま振り向き、カイの姿を見て険しかった表情を綻ばせた。
「ああ、佐倉くん、おつかれさま!アイリスはどうだった?賢い子だったでしょ?」
「え?アイリスですか・・・めっちゃうるさかったです(笑)」
カイは苦笑いしながらカートから洗剤のポリタンクを両手に抱えた。
「そうかい・・・ああそうか、今のあの子は生まれたての赤ちゃんみたいなものだから、そのうち会話も落ち着いて賢くなるよ」
サンプル瓶の蓋を閉めながら、博士はふふっと笑った。
「ああ、洗剤ね。ありがとう。それはね、このエイリアンに対抗する『切り札』になるかもしれない材料だよ。聞きたいかい?」
「はぁ・・・洗剤がですか?」
「そう」
博士は残骸—ラプトル—の調査で得た推論を述べ始めた。
「このエビみたいな甲殻の表面にね、細かい微粒子がびっしり張り付いてたんだが、採取して光学ルーペで見る限り、みな均一で工学的な生成物のようなんだ」
「つまり生き物でないってことですか?」
「それはまだわからないよ。でもね、この微粒子を集めてみたんだけど」
博士はそう言って、プラスチックのサンプル瓶に収まった灰色の物質をカイに見せた。
「これは?」
「佐倉くん、試しにこのピンセットをゆっくり中に差し込んでみて」
博士はそう言って、蓋をとってカイにサンプル瓶とピンセットを渡す。
「はい?・・・じゃあ」
カイは瓶とピンセットを受け取り、ピンセットをゆっくりと差し込んだ。
すると何も起こらず、するすると底まで入って行く。
ピンセットの先を動かすと、粒子がさらさらと動き、まるで粉のようだった。
「粉みたい、ですね」
カイはピンセットを差し込んだまま、瓶を博士に返した。
博士は受け取った後、悪戯っぽい顔を浮かべた。
「よく見てて」
博士はピンセットを引き抜いたかと思うと、力強く瓶の底めがけて突き刺した。
—瓶の中で、白い結晶が弾ける。
「きゃっ」いきなりの出来事に、紗綾が小さく悲鳴を上げた。
博士がゆっくりとピンセットを引き抜くと、その先端はぐにゃりと曲がっていた。
「さて、ここで問題です。こんな性質を持つ現象や物体を何というでしょう?」
博士は悪戯っぽく笑い、若い二人に問いかけた。
カイは思いつかず、虚空を見つめている。
紗綾は何か思いあたる節があるようで、必死に思い出そうとしていた。
「えっと、『片栗粉』のあれ、何でしたっけ・・・」
博士は目を丸くしながら手を差し出し、紗綾の手を無理やり掴んで握手した。
「ほぼ正解!お嬢さん賢いね!ではここに——」
博士の講義はさらに続いた。




