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——私……まだ、成人してないんだけどな。
以上が今日の予定への感想だった。成人は十八歳。ルーヴェンスは現在十七歳。全く持って意味の分からない話である。しかし、それには事情があり、彼女は新成人として出席するのではないのだった。彼女はヴェルナヴェーア貴族当主としての業務の一環で参加するのだ。
さて、この成人式とは実は悍ましいものである。いや、年に一度大々的に開かれる華々しい行事なのだが、それはあくまで新成人にとっての話である。裏方にとっては、ただの悲劇だ。というのも、成人式には国中の新成人が集まってくるため、一日如きでは終わらず……一週間連日開催なのだ。
その間、ずっと徹夜である。というか、昼夜逆転生活を強いられる。
——成人もしてない子供に、なんという仕打ち!
ルーヴェンスがそう嘆くのも仕方がないことだった。
*
幾ら片付けても減らない書類の山と睨み合い、ギルフェリノと激しい剣術訓練を終え、そしてついに迎えた政治会議。既にそこには他家のヴェルナヴェーア貴族当主が揃っていた。
ちなみに政治会議とは、ペリアヴェーア貴族が各々の領地で月初めに開催する会議のことで、それぞれに所属する五つのヴェルナヴェーア貴族本家の当主達を集めて行われるものである。ペリアヴェーア貴族とヴェルナヴェーア貴族の関係性を一言で表したらどうなるか。
——『上司と部下』
以上。
ということで、ルーヴェンスは他のヴェルナヴェーア貴族四名と共に、未だ顔を出さない上司を待っていた。場所は彼女が住まう領地コントラント領を統治するペリアヴェーア貴族、コントラント家の屋敷の会議室。そして、その場は沈黙に包まれていた。
ルーヴェンスは無言で書類仕事をしている。さて、何の書類か。……無論、午前中に片付けきれなかった、ルーヴェンシナ紅茶店についての書類である。手袋に包まれた手でペンを握り、ルーヴェンスは無心になって必要事項を記入していた。
——店舗に追加の部品を仕入れて……あぁ、そういえば家具にひびが入っていたって報告があったような……値段を調べておかなくちゃ駄目だなぁ。
一人、会議室で頭を抱えていた時だった。
「ルーヴェンス嬢、君は今日も忙しそうだな」
自身の名が呼ばれたことに気がつき、ルーヴェンスは顔を上げた。どうやら彼女に話しかけたのは彼女の隣に座っていた男、ディースであるようだ。彼は唯一、コントラント領のヴェルナヴェーア貴族の中で好意的に話しかけてくる男である。
「仕事が立て込んでおりまして……」
そして、ルーヴェンスも彼に悪感情を抱いていないため、無難な返答を返した。そんな彼女に対し、ディースは「そのようだ」と笑った。事実、彼女はこの会議室に来てからずっと手を動かし続けている。諸事情によりペンが握りにくくて困っているのはご愛敬。ルーヴェンスはディースが話しかけているというのに、未だ手を止めない。しかし、彼はその失礼を気に留めることなく続けた。
「紅茶店の方の仕事か? うちはそっちの仕事は全部、助手任せだからなぁ」
「助手といってもネア家の方でしょう?」
「そう、俺の従弟達だな」
ディースは彼女の言葉に頷く。
ネアは連家のことで、いわゆる本家リアの親戚にあたる家のことである。掲げる家名も階級も同じで、単純にリア家の裏方を担当するだけのこと。通常は一つのリア家に対して一つのネア家が存在し、本家とは血縁的に密接な関係にあった。ちなみに、ルーヴェンスが当主に立っているパトラシス家はリア家である。そもそも、政治会議にはリア家の当主しか呼ばれない。
ルーヴェンスはディースの言葉に返答する。
「従弟なのですか。ならば、なおさら仕事は任せやすいでしょうが……」
そこで、低い声が割り込まれた。
「隠し子で戸籍を持っていなかった其方は、仕事を頼める親戚すらおらぬのか。哀れなものだな、リア・ヴェルナヴェーア・パトラシス・ルーヴェンス」
そこで、ルーヴェンスは一度も止めなかったその手をぴたりと止めた。彼女は声がした方向へ顔を上げる。
「……ミルキリク様」
「もともと其方の父、リア・ヴェルナヴェーア・パトラシス・キエパス殿は、ネア家を持っていなかったからな。素性も知れぬ母に至っては、ネアどころか貴族の知り合いもいなかろう」
ルーヴェンスの対面に座る男、ミルキリクはそう吐き捨てた。彼は無表情だったが、馬鹿にしているのは誰からの目を見ても明らかである。しかし、そうと分かっていても、その周りにいる者が発言者と同じ意見だった場合、誰も口を挟まないものだ。
沈黙。
いつも通りのこと。——ルーヴェンスはこの場の殆どの者に盛大に嫌われている。唯一、反論してくれるのは、ルーヴェンスの横に座る男だけだった。
「ミルキリク殿、貴殿はいったい——」
「ディース様」
しかし、ルーヴェンスは鋭い瞳でディースを牽制した。固い声で告げられたその言葉に、彼はグッと押し黙る。本当にいいのか、と言いたげな瞳でルーヴェンスを見下ろすと、彼女はその視線を受けて軽く頷いた。
ディースが口を閉ざすと、ルーヴェンスは改めてミルキリクに向き直る。
「失礼ながら、ミルキリク様。確かに、私の亡き父の代から当家にネアはありませんわ。しかし、我がパトラシス家の派閥に所属する貴族の方々とは、ネア家のような密接な関係を築いておりました。ですから、ミルキリク様のご心配は大変嬉しく存じますが、私にも頼れる者は多くおりますの。お父様亡き後も、私が責任を持って派閥貴族との関係を維持しておりますから」
「己に仕える者がいるなどヴェルナヴェーア貴族として当たり前のことだ。其方はそれを、まるで自分の努力の証だと自慢したいようだな」
「滅相もございませんわ」
ルーヴェンスは笑顔を崩さず、常に丁寧な態度を貫く。
「また、確かに私は依然、戸籍を持っておりませんでしたわ。しかし、今の私は王家直々に存在を認められたリア・ヴェルナヴェーア・パトラシス・ルーヴェンスであり、誇りあるヴェルナヴェーア貴族の一員です。どうか、そこは誤解なきようお願い申し上げますわ、ミルキリク様」
ミルキリクはルーヴェンスの言葉をじっくりと聞いた。そして、納得したように大きく頷く。
「そうだな、確かに今の其方はパトラシス家の当主だ。――しかし其方が昔、戸籍を持っていなかったのは、其方のことが公表するのも躊躇われるような忌々しい存在だったからであろう?」
ミルキリクはそこで初めてニヤリと笑った。
「良かったではないか。其方の父が死んだおかげで、其方の言う誇りとやらが得られたと言うことなのだから。お父様が死んでくれて良かった……そう思っているということだろう? リア・ヴェルナヴェーア・パトラシス・ルーヴェンスよ」
「……っ」
ルーヴェンスも、そこで初めて笑顔が崩れた。しかし、それも一瞬のこと。
「……まさか。そのようなことは、欠片も思っておりませんわ」
再び微笑む。しかし、その手は小さく震えていた。もっとも、震えを見ることが出来たのは隣に座っていたディースだけだったが。それに気づいた彼はそっと目を伏せる。
ディースは心優しいルーヴェンスがそのような感情を持っていないのは知っているし、ミルキリクも分かっていてそのようなことを言っている。
しかし、彼女がかつて戸籍を持っていなかった隠し子だったのは本当のことだった。父を失ったことをきっかけに戸籍を得たのもまた事実である。
戸籍を持っていないということは、この国を統率する王家に存在を認められていないということ。奴隷ですら出生届の提出を求められるという事実から、その異常性は分かるだろう。
つまり、隠し子だったため戸籍を持っていなかったルーヴェンスは、公式にはその存在を認められていなかったのだ。そして、あまりに皮肉なことに、彼女は自身の父の死と引き換えに戸籍を得た。
父の死で存在を認められた。それは、なんて皮肉なことだろう。
ミルキリクがさらに罵倒を続けようとした、その時だった。ルーヴェンスはふと部屋の出入り口に顔を向ける。
そして、唐突に椅子から立ち上がったのだ。
皆が不思議そうにルーヴェンスを見つめるが、彼女はその視線を受けながらジッとその場に佇んでいる。ディースが何をやっているのかと彼女に問おうとした、その時だった。
扉が開き、一人の人間が部屋に入ってきたのだ。
「あぁ、すまない。随分待たせたな。別の仕事が終わらなくてな……」
そう言いながら奥へと進む女性。ピンと背筋を伸ばして歩く彼女の姿を見た皆は、すぐに起立した。それは、自分達よりも上位の階級である彼女を向かい入れるためだ。
リア・ペリアヴェーア・コントラント・ルキス。それがこの会議の主催者であり、コントラント家当主である彼女の名前だ。
そして、ルキス以外の誰もがこう思ったことだろう。
『何故、ルーヴェンスはルキスの入室を、扉が開く前に察することが出来たのか?』
皆が慌ただしく立ち上がる中で一人、既に姿勢を伸ばして待っていたルーヴェンスを見て、彼等はそのような思いを巡らせた。




