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本家パトラシス家が若き当主、リア・ヴェルナヴェーア・パトラシス・ルーヴェンスの朝は早い。掛け時計の針が示す数字は六。冬の時とまでは言わないが、この秋の季節には少々寝覚めるのが億劫になる頃合いである。ガラスが嵌め込まれた窓から「さっさと起きろ」と言わんばかりに、眩しい朝日が差し込んでいた。ところでその窓の外には屋敷が誇る広大な庭が広がっており、秋である今も何やら花が咲き誇っている。それはパトラシス家の誇る最高の庭師が日々丁寧に手入れをしているからだ。いつもありがとう、スバル……違う。今はそれどころではない。そう、ルーヴェンスは眠かった。
起きたくない。起きたくないのに、起きろだって? ――ふざけないで欲しい。
ルーヴェンスは忌々しい朝日を無視しようと決意した。
「ルーヴェンスお嬢様、入りますよ!」
その瞬間、乱雑に扉が開かれた。
非情である。
さて。誰かの部屋に入る際、本来ならば扉を開ける前に入室許可を貰う口上を述べるか、せめてノックの一つは必要である。しかし、彼女にそんな遠慮などあったためしがない。
ズカズカとルーヴェンスが眠る部屋に押し入ってきたのは一人の女性。ルーヴェンスに仕える側近の一人である。実年齢五十代。見た目も五十代。有り余る元気のみ、二十代。健康で良し。
その名をリア・リエリヴェーア・ハースネル・フォリカという。いやに長い名前であるが、覚えておくべきは「フォリカ」の部分のみで良い。そんな彼女は、ルーヴェンスが離すまいとしがみつく毛布を無理矢理に剥ぎ取った。
心の友である愛すべき毛布を強奪されたため、ルーヴェンスは仕方なく「もう起きておりますから」とゆっくりと上半身を起こす。フォリカをジトリと見つめるのは忘れずに。その様子を見ていたフォリカは、呆れたようにため息をついた。
「お嬢様、早く起きて下さいませ。いくら昨夜、夜更かししていたからと言って、お嬢様は今日でもう十七歳。子供ではありませんから、叩き起こされる前に起きるのが道理というものです!」
「私はまだ成人前ですから、幼気な子供ですわ」
「喧しい! いいから早く目をお覚ましなさいませ、お嬢様!」
そう叫びながら、フォリカはテキパキとルーヴェンスの寝巻を脱がし、ドレスに着替えさせる。フォリカは側近であるというのに、主に対するその一連の行為に遠慮も何もあったものではない。その態度を注意しないルーヴェンスもルーヴェンスである。
さて、着せられたドレスは深めな赤を基調としたものだ。第三階級のヴェルナヴェーアに相応しい意匠であるが、ルーヴェンスのこだわりにより、見た目よりも動きやすさが重視されていたりする。閑話休題。
ルーヴェンスが眠気にぼうっとしている間に髪の一部を結い上げられ、いつの間にか、彼女が寝る際にも外すことがないターバンも新たな物に交換されていた。ターバンといっても本来の使い方とは異なり、何故か首に巻かれている。これもまた彼女のこだわりの一つだ。
ルーヴェンスの目がいい加減覚めたところで、鏡に映る己の姿を確認する。
パチリと大きな瞳は美しく煌めく金色。フォリカに整えてもらった巻き髪もまた金色。左側の一部だけが結い上げられているのは、何もせずに下ろしたままではあまり貴族らしくないからに過ぎず、大した理由はない。特に、ルーヴェンスの髪は煌びやかな黄金とはお世辞にも言えず、むしろくすんだ色であったため、少しくらい派手に結い上げた方が華やかに見えてよいのだが、そこはルーヴェンスの性格上、あまり派手なものは好まない。着飾ることに興味がないとも言える。
「はい、お嬢様。終わりましたよ」
「ありがとう」
「ほらほら、次は朝食のお時間ですよ! お仕事があるんですから、さっさと動く!」
そして相変わらず、フォリカの物言いは側近らしさの欠片もない。
*
慌ただしいフォリカと別れて一人でダイニング向かえば、そこには二人の少女が待っていた。
「おはようございます、ルーヴェンス様!」
「おはようございます、ルーヴェンス様!」
全く同じ挨拶をハキハキとした二人に、ルーヴェンスはニコリと微笑みかけた。
「おはよう、そろそろ朝方は冷え込んできたわね」
そう言いながら、ルーヴェンスは自分で椅子を引いて席に座った。十人以上の人間が座れるだろう長方形の机の上には、既にルーヴェンスの分の朝食が揃っている。
「昨日はカリカリのパンだったから、今日はフワフワのパンです! ジャムは裏山で取ってきた果物で私が作ったんですよー!」
そう言って明るく笑う彼女はカナリア。この屋敷の料理人であり、青色のクルクルと巻かれた髪を頭上で二つに縛り上げた愛らしい少女だ。年若く、今日で十五になったばかりであるが、料理人としての腕はよく、このパトラシス家の食事は彼女一人に任されている。
「ちなみに、私も手伝いましたよー!」
そして、元気よくカナリアに続いたもう一人の少女はスバルだ。こちらもカナリアと同じく十五歳の少女であり、少しポサッとした栗色の短い髪が特徴で、持っている明るい雰囲気がカナリアによく似ていた。しかし、カナリアとは異なり彼女は庭師だ。この屋敷の広大な庭は全て彼女一人の管理下にある。
この二人は非常に仲が良く、血のつながりはないが姉妹のようなものだ。エプロンもお揃いで、とても愛らしいとルーヴェンスは思っている。
「手作りのジャムが楽しみだわ」
そう言いながら、ルーヴェンスは若き料理人カナリア特製の朝食に手を伸ばす。その横でスバルがいきいきと入れたばかりの紅茶をコトリと机に置いた。
「どうぞ!」
満面の笑み目の前に置かれたティーカップ。ルーヴェンスはそれを一口だけ飲み、そして一言。
「残念!」
「うわーん!」
ルーヴェンスの遠慮のない一言に、スバルは崩れ落ちた。カナリアが泣き出すスバルを慰めだすが、ルーヴェンスは紅茶に関してだけは偽ることがない。それは一種の矜持である。ちなみに、その他諸々に関しては平気で嘘をつく性格であるのが、また一興。
そして、ルーヴェンスの言葉は止まらない。
「味が濃すぎるわ」
「昨日は薄すぎるって言われたからですもん!」
「中間をお願いします。後、冷めすぎよ」
「だってだって、昨日は熱すぎって言われたんですもん!」
「だから、中間ですってば」
ルーヴェンスが評価を重ねていると、そこでダイニングの扉が音を立てて開いた。彼女が振り向くと、呆れたような顔をした一人の男が丁度、部屋に足を踏み入れているところだった。
「朝から一体、何をやっているのですか」
そう言いながらルーヴェンスのそばへとやってきた彼の名は、リア・リエリヴェーア・アルセライト・ギルフェリノ。彼もまた長い名であるが、覚えるべきは「ギルフェリノ」の部分のみである。彼はルーヴェンスに仕える側近の最後の一人だった。
「おはようございます、お嬢様」
そう言って胸に手を当てて礼をした彼の見た目は若い。ルーヴェンスとそう変わらない年のように見えるが、実年齢は今日で二十七だったはずだ。緑色の髪に紺色の瞳はどちらも鮮やかで、彼の非常に整った外見を一層美しくみせている。
「えぇ、おはようございます、お師匠様」
「ところで、お嬢様。未だにあれを続けていたのですね」
「あぁ、スバルに朝の紅茶を入れてもらうことですか?」
ルーヴェンスはギルフェリノに肩を竦めて見せた。
「朝はスバルに、間食時はカナリアに紅茶を入れてもらっているんですわ。だって、ちっとも二人が上達しないから……」
ギルフェリノはその言葉を聞いて、深々とため息をついた。そして、その紺色の瞳がギロリと向くのは勿論、スバルとカナリアである。二人はその鋭い視線に「ひっ」と竦み上がった。プルプルとまるで小動物の様に震える二人に、ギルフェリノは深く告げた。
「お前等。紅茶店を営む当家の側近を務めるのならば、いい加減、紅茶の一つくらいまともに入れるようになれ」
「ふわぇっ」
「ひゃみっ」
ギルフェリノの言葉に飛び上がる少女達。ルーヴェンスは他人事のように「今の声はどこから出たんだろう」と心の中で首を傾げた。
ギルフェリノはルーヴェンスの内心など露知らず頭を抱えている。ルーヴェンスが当主を務めるパトラシス家は代々、商業地区で店を開いているのだ。何かの店を持っているのは彼女の階級であるヴェルナヴェーアであれば当たり前のこと。問題は、その店が紅茶店であることだ。店名はルーヴェンシナ紅茶店。王家御用達の最高級品を扱う店である。そして、そんな店を経営するルーヴェンスに仕える側近が、まともな紅茶一つ入れられないなど論外だった。
「ただでさえ今日は忙しいというのに。朝からお嬢様の手を煩わせるなど、お前達は何をやっているんだ……」
「ごめんなさいぃ」
「まぁまぁ、私が始めたことですし、お師匠様もそう不機嫌にならないでくださいませ」
基本的には側近に甘いルーヴェンスは、柔らかい声でそうギルフェリノに注意するのだった。
「ところで、お師匠様」
そして、彼女は率先して話を逸らす。
「今日は忙しいとのことでしたが、どのような予定が入っておりましたか」
「本日は特に多忙ですよ。朝食を済まされた後は、ルーヴェンシナ紅茶店についての書類仕事をお願いします。昨日出かけていたから、散々溜まっておりますよ。フォリカが手伝いますから、何とか頑張ってください」
「聞きたくありませんでした……」
「書類仕事が終わり次第、俺と剣術訓練です。継続が大切ですからね」
「そちらは頑張れますわ。楽しみです」
「書類仕事も頑張ってくださいね、お嬢様」
ギルフェリノの台詞に、ルーヴェンスはコクンと素直に頷いた。
「そして、その後は政治会議へ参加する予定となっています。昼食はそちらで。そしてさらにその後は――」
さらに彼が言葉を続けようとしたところだった。
「……お嬢様――ッ!」
元気に満ち溢れた声が響き渡った。
ギルフェリノの時とは異なりガタンと盛大に音を響かせながら開かれた扉から入ってきたのは、やはりフォリカだ。彼女は何故か顔を顰めていたが、思い当たる節がなかったルーヴェンスは、とりあえず笑顔で彼女を出迎える。
「まぁ、フォリカ。いらっしゃいな」
「まぁ、いらっしゃいな、ではありません!」
駄目だったらしい。
「……あら?」
「あら? でもありません!」
あら。と、ルーヴェンスは心の中で呟いた。
フォリカは怒ったようにズカズカとルーヴェンスのもとに歩いてくる。そして、耳を塞ぎたくなる程の大音量で彼女を怒鳴りつけた。
「待てど待てどもお嬢様が執務室に来やしない! 一体いつになったら朝食を食べ終えるのですか!」
そう言えば、まだ朝食を一口も食べていない。ポヤンと机を見下ろすルーヴェンスのそばで、フォリカの怒りはギルフェリノに向いた。
「ギルフェリノもお嬢様に朝食を食べさせなさい! 全く、今までお前は何をしていたのです!」
「はいはい。悪かった。悪かった」
手を腰に当てて眉を上げる彼女に、ギルフェリノは鬱陶しそうに顔を顰めて、おざなりに手を軽く振ってみせる。二人の関係は親子のそれに近い。ルーヴェンスはそんな仲の良さそうな二人の会話を聞きながら、カナリアに「いただくわね」と一声かけて、ようやく食事を取り始めた。
そしてフォリカの登場によって中断されてしまっていたが、彼女はギルフェリノから予定を聞いている途中だったのである。ルーヴェンスは未だに小言を言われているギルフェリノを見上げて問い掛けた。
「……それで、政治会議の後の予定はどうなっていますの?」
「あぁ、そうでした」
彼もルーヴェンスに問われて思い出したのであろう。彼は苦笑しながら告げた。
「成人式へ出席する予定になっております、お嬢様」




