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神獣の犠牲  作者: 水瀬白龍
序章
4/14

仮面舞踏会

 それは最高品質の真紅の布を贅沢に重ねて作られた、まさに最高級品のドレスだ。豪華絢爛という言葉が相応しい。財を惜しまず取り付けられた金と銀の飾りが輝き、稀に見る深い味を持つ漆黒の糸で丹念に刺繍された模様が光る。

 誰が見ても息を飲むほどの華麗なそのドレスを纏う女性は、豪華な椅子に腰かけている。その首元にはネックレスの代わりに、幾重にも重なる豪奢なレースが巻かれていた。彼女の顔は分からない。他の参加者達と同じく、彼女もまた目元を覆う仮面を被っているからだ。ドレスとよく似合う白と赤の仮面には、透き通るような大粒の宝石が埋め込まれており、さらに黒のベールが後頭部へとサラリと流されている。半透明なそれは彼女の髪をも覆い隠し、髪色を曖昧にさせていた。しかし、そこから透けて見える髪は驚くほど複雑に結い上げられていて、その独特な美しさをその場にいた誰にも見せつけていた。——否、髪の編み方のみではない。

 頭の先から爪の先までの全身が、他の者とは一線を画すのだ。


 この舞踏会の中で、彼女ほどの存在感を醸し出している者は他にいなかった。彼女は瑞々しい赤の唇を品良く上げて微笑んでいる。暫く彼女は会場を楽しそうに眺めていたが、やがて真紅の扇子をパッと開き、ゆるりと口元へ持ってゆく。横にいる女性を振り向くと、凛とした声で話し始めた。


「ねぇ、フェラニーラ。御存知かしら?」


 隣にいる女性、フェラニーラと呼ばれた彼女は優雅に振り向き小首を傾げた。


「御存知……? あら、心当たりがなくってよ。何か面白いことがあったかしら」


「ふふ、別に事件の類ではないわ。ここは王家都市にある由緒正しき仮面舞踏会場……そんな物騒な話は、ここではしませんわよ?」


 クスクスと笑う女性に、その横にいた男性が思わず口を挟んだ。


「あぁ、クロセス。貴方様がそれをおっしゃるのですか?」

「ふふ、どういう意味かしら、ノーゼン」


 ノーゼンと呼ばれた男性の声は溌剌として若い。おそらく、まだ二十歳前後だろう。誰もが仮面を被るこの場所で人の年齢など分かりようもないが、強いて言うならば、あの豪華絢爛なドレスを纏った女性、名をクロセスと呼ばれた彼女の声は、まるで少女と言われても疑わない程には高かった。しかし、この場所は成人した貴族以外は決して立ち入ることが出来ない。やはり、声だけでは人の年齢など判別しかねるというものである。

 そしてまた、更に横から挟まれたその声も、人によっては案外幼く聞こえた。


「……ノーゼン様、ミロオアはですね。クロセス様が話したがっていらっしゃるのは紅茶についてだと思うのです」


 そんな彼女の名はミロオラ。声が高い分、少し背が低い女性である。彼女はあまり口数が多い者ではないが、大人の女性の魅力を持つフェラニーラ、若々しい青年のノーゼンに続き、小柄で幼げな印象を持たせる彼女もまた、クロセスのお気に入りの一人である。そして、全ての中心に立つノーザンクロスのお気に入りは後、もう一人。


「えぇ、私もそう思いますね。貴方のお心を動かすのはいつだって紅茶ばかりです。もしやクロセス嬢、また新しい紅茶を入手したのですか?」


 愉快そうに口遊んだ男の名はベガ。彼は唯一、老人とまでは言えないが、若いという部類には到底入らないであろう年長者だった。年は四十から五十か、それくらいだろうか。仮面に隠されていない口元には皺が覗いていた。

クロセスは扇子を口元に当てると笑みを深める。


「ベガは相変わらず鋭くって?」

「当たりでしたか」


 満足そうに頷くベガに微笑みながら、その時、クロセスは唐突に両手を叩いた。

 ——パンパンッ。

 当たり前に鳴らされたその音が鳴り響いた途端、仮面舞踏会の会場はしんと静まる。一斉に他の客人がクロセスのほうを向いたのだ。皆が皆、揃って仮面の下から彼女へ期待の視線を向けている。それは一重に、この仮面舞踏会に足を運ぶ者の全てが、あのクロセスがよもやつまらぬことをするはずがないという共通認識を持っているからである。月に一度の仮面舞踏会へ必ず足を運び、常に他とは違う芸術性に満ちた仮面とドレスで参加者達を魅了する存在、クロセス。酒より紅茶を、舞踏より対話を、退屈より興奮を。彼女がヒラリと手を振ると、すぐさまどこからか現れた給仕達がその場にいた全員の元へティーカップを運んでいった。


「おぉ、これはこれは」

「此度はまさか、全員の分を用意なさったのか」


 その場は騒めいた。皆は手に持っていたグラスをあちこちにある机に置き、その代わりに美しい装飾のティーカップを給仕達から受け取る。その中には、底がよく見える透き通った紅茶が入っていた。

 クロセスは全員の元へ紅茶が配られたことを確認し、その紅茶について説明し始めた。


「南の地方に咲く花から作った紅茶だそうですわ。苦みの中に甘味を感じる不思議な味がしますの。革命的に思えましたわ。とても素敵だったから、是非、皆様にも飲んで頂きたいと思いましたの。どうぞご賞味なさって」


クロセスに促されるがまま、会場の全員が紅茶を口へ運び、その上品な味に感嘆の息をついた。クロセスの隣にいたフェラニーラも、コクリと紅茶を呑み込んだ途端、「まぁ」と声を上げる。


「驚きましたわ。苦みの中に繊細な優しさを感じる、とても素晴らしい味ですわね」

「えぇ、そうでしょう?」


 クロセスはフェラニーラの評価に相好を崩した。


「クロセス嬢、この紅茶はどこでも味わったことがありませんが、一体どこで手に入れたのですか?」


 次に口を開いたのはベガだ。彼もまた好ましそうに表情を緩めて、ティーカップを口に運んでいる。クロセスはそれに「勿論、ルーヴェンシナ紅茶店ですわ」と答えた。


「新商品なのですって。実は、私もたった昨日手に入れたばかりですのよ」

「そして、急にこれを皆に振る舞いたいと言い出したのですよ。全く、こちらの苦労も考えて頂きたいですね、クロセス」


 楽しそうにベガに話しかけた彼女に、ノーゼンがため息をつきながら口を挟んだ。これは公然の事実であるが、ノーゼンはクロセスの側近なのだ。それは、彼が常に彼女に付き従がっていることから容易に予想出来ることである。このように、側近を連れてこの場へやってくるのは普通のことだった。特に、フェラニーラとベガも主従の関係である。勿論、フェラニーラが主だ。

 ところで、仮面を被った彼等の貴族階級もある程度は察することが出来る。

 

 この国クロスヴェアには家名を持つ「貴族」という位が存在し、それは五階級に分かれている。

 第二階級にあたる貴族はペリアヴェーア。六領地に分割される国土それぞれの代理統治者として君臨する階級であり、六家のみしか存在しない。

 第三階級にあたる貴族はヴェルナヴェーア。各六領地にそれぞれ五家ずつ、計三十家ある。彼等はペリアヴェーア貴族の直属の部下という立ち位置にあたるが、それとは別に商業地区と呼ばれる場所に店を構えることが出来るのだ。いわば、経営に特化した地位といえる。

 第四階級にあたる貴族がアリスヴェーア。この階級以下は家の数が定められていないが、通常ヴェルナヴェーア貴族一家に数家程度付き従っている。彼等はヴェルナヴェーア貴族が王家都市に構えた店の運営を担当する、いわば商業に特化した階級だった。

 第五階級にあたるのがリエリヴェーア。彼等は少々特殊であり、貴族というよりも貴族の側近を務める階級だった。故に家名を持つだけで、どちらかというと平民に近い。しかし平民とは異なり礼儀作法と教養を身に着け、主の豪勢な屋敷に住まう彼等はやはり貴族なのである。

 以上が第二階級から第五階級である。

 ——では、第一階級とは何なのか。

それは言うまでもなく——王族である。このクロスヴェアという国に唯一存在する彼等の家名はクロスヴェア、即ち国の名そのものだ。彼等は国の最高権力者にあたり、ペリアヴェーアが代理で統治する六領地の本来の所有者であり、如何なる階級の者も彼等には従わねばならないのである。特にその長である王は、この国の最高権力者だった。

 関係ない話ではあるが、この仮面舞踏会の主催元も王族である。


 以上を踏まえると、側近を務めるノーゼンとベガが、リエリヴェーア貴族だと判断出来る。後は、唯一側近を連れていないミロオアもまたそうだろうか。そうでなければ、彼女もまた誰かしら側近を連れて来るだろう。

 このように仮面をつけて素顔を隠していようと、ある程度は階級の判別というのはつくものなのだ。しかし、そのようなことを気にすることなど、この場所では嘲笑の対象でしかない。

 ——何故なら、ここは外の身分など関係のない仮面舞踏会で、この会場内には独自の階級が存在するからだ。


「そういえば話があるのでしたわ、クロセス」


 フェラニーラはクロセスに声をかけた。クロセスはノーゼンの小言を無視して紅茶を飲んでいた手を止めると、「何かしら?」と尋ねる。フェラニーラはおっとりと告げた。


「私には弟がおりまして、実は明日で成人なのです」

「あらあら、それはおめでとうございます!」

「お祝いの言葉、ありがたく存じます」


 フェラニーラは嬉しそうにはにかむ。

 この国には誕生日という概念はなく、年に一度の決まった日に一歳年をとるのだ。それが単に明日という話ということ。特に祝うべき特別な日という認識は誰も持っていないが、十八歳の成人だけは別だ。国を挙げた成人式が行われる上に、宗教的にも大きな意味を持つ。


「では、フェラニーラ。もしや、来月の仮面舞踏会には、貴方の弟さんに会えるのかしら!」

「えぇ、そのつもりですの」

「まぁ、それは楽しみですわ!」


 そして成人と同時に、この舞踏会への参加権を得ることが出来るのである。嬉しそうに破顔するクロセスに、ミロオラも「楽しみですの」と呟いている。そんな二人とは対照的に、当のフェラニーラは少々声を潜めた。


「ですから、騎士団への招待だけは来ないことを願っておりますの」


 彼女は「ねぇ、そうよね」ベガを振り向く。言葉を求められた彼は、しかし困ったように首を横に振るだけであった。


「私も弟君が騎士団よりお招き預かられた場合は、何もすることができません」

「杞憂になることを私も願いますね。フェラニーラの弟には興味がありますから」


 ノーゼンもそう呟く。

 彼等が問題にしている「騎士団」に入った者は時間的な余裕がないために、この仮面舞踏会に参加することは難しくなるのだ。しかし、それをここで憂慮していたところで、騎士団入団の通達が下されるのは、成人式が行われる明日。故に、クロセスは明るく笑うことにとどめておいた。


「騎士団からのお招きがなかったら、是非、貴方の弟さんを私に紹介してくださいな」


 クロセスがそう言うとフェラニーラも「クロセスに紹介しないなど、この仮面舞踏会では言語道断ですわ?」と嬉しそうに笑う。

 そこで、流れていた音楽の曲が変化する。優雅なワルツだ。仮面舞踏会の終盤に行われる社交ダンスの合図である。まだ話足りないと考えつつ、クロセスは仕方なく立ち上がった。


「では、ノーゼン。参りましょう?」


 クロセスは側近のノーゼンに手を差し出すと、優雅に会場の中央へと歩いて行く。


 この仮面舞踏会の独自の階級とは何か。

 それは美である。美しさが全てを語るこの場所にて、その頂点に君臨するのはクロセス——彼女だった。

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