1
場所は騎士団、部屋は客室。若草色の長髪を持つクローザという男は、座り心地の良い椅子に座りながら考える。
確かに、部下から面会の申し込みの件は聞かされていた。しかし、まさか本当に来るとは実際に彼の顔を見るまで信じられなかった。
「クローザ様。お忙しい中、このような急な面会を許してくださり、ありがとうございました」
フードを深々と被りながら自身の胸に手を当てて頭を下げる若い男に、クローザは微妙な顔になってしまう。傍に控えていた部下に、彼は軽く手を振った。
「はぁ……この付近からの人払いを頼む」
――この若作りめ。彼は謁見に来た目の前の男に、心の中で毒づいた。
ネア・ペリアヴェーア・カント・クローザ。それが彼の正式な名であり、二十七という若さで騎士団の第三副団長という高い地位に君臨する男である。ちなみに、その年齢は今も頭を下げ続けている男と同じ年であった。
その男と二人きりになった彼は、深々とため息をつく。
「もう、いいよ。そういうの。君がやるとなんだか気持ち悪く思えるんだ」
「失礼だな、クローザ」
部屋からクローザ以外の誰もいなくなった途端、目の前の男はコロッと態度を変える。顔を上げると、彼の整った顔立ちが晒された。彼はクローザが席を勧める前に勝手に近くのソファーに腰かける。片腕を背もたれに掛けた彼の姿は、どう見ても己よりも階級が上の人間に対する態度ではなかったが、むしろ彼とクローザの関係はこちらの方が自然なのだ。
「席ぐらい許可を取ればいいのに、ギル」
しかし、つい嫌味でそう言ってしまえば、ギル――つまり、ルーヴェンスの側近であり彼女の剣術の師であるギルフェリノは、フンと鼻で笑う。
「気持ち悪いと言った口で何を言う?」
そう言いながら彼が深々と被ったフードを取れば、その下から美しい緑色の髪が露わになる。その様子を見て、クローザは何だか馬鹿馬鹿しくなってきた。
「全く、君は相変わらずなんだから……というか、まさか君がこんな所まで面会にくるなんて思っていなかったよ」
「面会の申し込みはしたぞ。偽名で」
「本当に分かりにくいからな、それ。いつもみたいに私の屋敷に来てよ。こんな騎士団に来るなんて危険を冒して……」
「急な話だから余裕がなかったんだ。こうするしかなくてな」
「こっちも今期の入団生の報告が上がってきたばかりで、忙しいんだけど」
「悪い、悪い。ついでに、今からさらにお前を忙しくさせる予定なんだ。要するに面倒事のお届け便ってやつだな」
そんなお届け便は願い下げだ。軽く謝ってくる男に殺意を覚える。
「……何? もしかして、君のお嬢様の因子が成人してないのに発現した件?」
すると、ギルフェリノはヒュウと口笛を鳴らした。
「ほーう。箝口令は敷かれたはずだが、お前は知ってるんだな」
「いや君、私の地位知ってる? 一応この騎士団の副団長だからね?」
「三番目だろ」
「だから何だよ」
ちなみに一人しかいない騎士団団長とは異なり、副団長は六人存在する。勿論、数字が小さい方が偉いのである。しかし、ギルフェリノにとってクローザはクローザであり、地位などはどうでも良いので話を流すことにした。
「まぁ、何にせよ、お前が把握してるんなら話は早いな」
「いや早くないよ。殉職したことになっている君が、ここに来たことを周りに知られないように頑張った私に、労りの言葉ぐらいかけてよ」
「俺をここまで案内したお前の部下は?」
「信頼出来る部下だから大丈夫。それに彼は若くて君の顔を知らないからね、君が偽名を名乗っている限りは平気だよ。――とはいっても、君は死ぬ前までは有名だったから、本当に大変で」
「死ぬ前って……俺を殺すなよ。ピンピンしてるぞ」
「はいはい、死んだ振りね。分かってるよ。君は面倒な奴だな……」
ギルフェリノとは同期として騎士団に入団した頃からの付き合いだが、相変わらず軽い奴だ。彼との話は楽しいが、こういう軽口は深掘りする必要はない。特に、成人式が終わった直後のこの時期は忙しいのだ。クローザは話を早々に戻す。
「それで、面倒事の具体例は? 君の大切で大切で大切なお嬢様に問題でもあったの?」
「いや、まあ。知っての通り、俺のお嬢様はもう入団決定だろ?」
「だろうね。因子を発現した限りは、魔術事故を防ぐために騎士団で因子の制御の方法を学ばねばならないから。それが未成年であろうと変わらない」
「そして知っての通り、俺の大切なお嬢様をここの規則なんぞに従わせることは出来ない」
「え、知らないよそんなこと」
顔を顰めるクローザに、ギルフェリノは肩を竦めた。
「いやぁ、色々事情があるんだって。仕方ない、仕方ない」
「仕方なくない」
「でさ、ちょっと便宜を図ってくれないかなってさ」
さーあ、面倒事の気配が近づいてきたぞー……。クローザは心の底から続きを聞きたくないと思った。このまま世間話に持ち込めないかな。例えば猫の生体の話とか。そしてあわよくば、そのまま帰ってくれないかな。そのようなことを考えつつ、結局クローザは口を開いていた。
「……それは、具体的には?」
「よし、じゃあここからは真面目な話になるんだが」
「初めから真面目に話してほしい……」
クローザがそうぼやく横で、ギルフェリノは崩れ切った態勢をある程度は整える。そしてソファーからクローザを見上げて口を開いた。
「まず初めに、お嬢様と一緒に二人側近を連れて行かせてくれ」
「……えぇ?」
面倒なことを言い始めた彼に、クローザは嫌そうに顔を歪める。そんな彼を眺めながら、ギルフェリノはなんてことないように続けた。
「いや、入団の際に貴族が連れていける側近は一人と決まっているのは知っている」
「なら、君のお嬢様も一人でいいじゃないか……」
自らが側近になるリエリヴェーア貴族でない限り、普通の貴族が入団する場合は側近を連れていくのが通常だ。しかし、その人数は一人まで。騎士団では掃除人も料理人も大勢働いており、精々寮生活の手伝いをするくらいしか側近が必要になる場面がないからである。
かつては騎士団に所属していたギルフェリノも、その事実はよく知っているはずだが、それでも譲ろうとしない。
「お嬢様はあの若さでパトラシス家の当主だ。経営する店は王族御用達のルーヴェンシナ紅茶店。訓練騎士として騎士団に属す義務が発生する二年間は、この騎士団にも相当の地位にいる客を招くことになるだろう。訓練騎士であろうとも、お嬢様は貴族当主であり経営者なのだから。それで、考えてみろ。その時の準備をたった一人の側近に任せられると思うか?」
「さぁ……」
「だから、せめて二人だ。どうか頼む」
あれこれと言葉を並べるギルフェリノに、クローザはつい半眼になってしまった。彼はジトリとギルフェリノを睨む。
「建前は分かった。それで本音は?」
クローザの言葉に、ギルフェリノは「これが本音さ」と肩を竦めた。
全く信用ならない。どうせ自分のお嬢様を大切に思うがあまり、そのようなことを言い出したのだろう。彼が自身の主へ向ける愛情と執着を、クローザは良く知っている。そして、彼がそうなってしまった経緯も。クローザは内心そのようなことを考えつつ頷いた。
「まぁ、君の言い分も最もだ。確かに、貴族当主が側近一人のみで騎士団に入るのは大変だろうね。とりあえず他の副団長達にも相談しておくから、期待してくれていていいよ」
「おっ、そりゃ助かるね」
何だかその軽い言い方に腹が立ったので、クローザはジトリと彼を睨みつける。
「……もう少し感謝の色を見せてみたら?」
「……俺の願いを聞き届けてくださるとは、クローザ様はなんと立派な御方なのだろうか!」
「棒読みすぎるよ、君」
クローザがそう指摘すると、ギルフェリノは愉快そうに「ははは」と笑った。
「当時の騎士団長や王家騎士長にも敬語を使わなかった俺に、お前は何を求めてるんだか。それで、お前に頼みたいことはまだあって」
「え?」
まだあるのか。まだあったのか。うんざりする。しかし、ここまで来て聞かない訳にはいかないため、クローザは嫌々と続きを促す。
「何を頼みたいって?」
「お前の絶対に信用出来る部下をお嬢様の教育者につけてほしい」
「……それだけ?」
クローザはその要求に若干拍子抜けした。いや、面倒であることには変わりないのだが。しかし彼は人事の権限も持っているので、無理な願いではない。
「まぁ、信用出来る人間にしか君のお嬢様を預けたくないっていう気持ちは分かるけどさぁ」
「入団の儀式もそいつに当てて欲しい。多分面倒なことになるから」
「……いや、なんだって?」
聞きたくない言葉が台詞の後半に聞こえてきた。さぁて、そろそろ話を逸らす時が来たようだ。クローザが鳥の飛ぶ仕組みについての世間話を始めようとしたが、その前にギルフェリノに先を越されてしまう。
「手に傷があってさぁ、それで儀式がうまくいくか分からないんだよな」
「もう勘弁してよ!」
クローザは嘆きながら机に頭を突っ伏した。ちなみにギルフェリノ達の言う入団の儀式とは、騎士団に入団する際に受けるちょっとした行事のようなものだ。本当に大したものではないのだが、それは騎士団に入団するためには必須事項である。
「あんまり公にしたい傷じゃないから、適当な者の目に触れて騒ぎになったら嫌なんだよな。だから、お前の信用出来る人間に頼みたい。後、儀式が成功しなかった場合の対応はお前に任せた」
「最悪だ……」
帰りたい。
全ての仕事を放棄して家に帰り、愛しの妻に癒されたい。しかし、他でもないギルフェリノの頼みであるから、クローザに断る選択肢はないのだった。
「全く、仕方ないな……。一人心たりがあるから、彼が構わないと言ったら君のお嬢様の教官に当てることにするよ。儀式も彼が担当するように手を回しておく。さっきの部下なんだけれど、私が騎士団に入団する前からの付き合いだから信用出来るし、問題はないよ。若いけど実力もある」
「よし、じゃ最後の頼みなんだけど」
「まだあるのか!」
もうこれで終わりかと思っていたのに。クローザは絶望の心地で顔を上げる。何て図々しい奴なのだろうかと内心毒づいていたのだが、しかしギルフェリノの表情を見てハッと固まった。
彼が珍しいことに、真剣な表情を浮かべていたからだ。
「……何、何なの?」
嫌な予感しかしない。
ギルフェリノはクローザの問いに一拍おいてから口を開いた。
「その……他の頼みとは違って、これだけは絶対に通してほしいんだ」
「何を?」
返ってくるのは沈黙。さらに嫌な予感が加速する。
「え、本当に何?」
「……頼むから」
その重々しい雰囲気に反して、次に続いた言葉は予想と違ったものだった。
「頼むから……お嬢様にネックレスを掛けないようにしてほしい」
「……は?」
そこでギルフェリノはやっと顔を上げた。滅多に見たことがない真剣な眼差しに、クローザはたじろぐ。ギルフェリノは続けた。
「女性訓練騎士はネックレスをかけ、男性訓練騎士はブローチを胸元に付けるのが規則だとは俺も分かっている。騎士と訓練騎士を見分けるためだな。ただ、その理由だけなら別に女がブローチを付けてもいいはずだ。ということで、どうにかしてお嬢様には首飾りでなくブローチを付けることが出来るように取り計らって欲しいんだ」
「……えぇぇ、待って。まず要求自体が理解不明だけれど、それは一旦置いておくとして……服の規則はそう簡単に変えれないよ。代々続く伝統なんだからさぁ」
「そこをどうにかならないか? 何も団服をドレスにしろとは言ってないだろ」
「騎士団って神獣と王族に仕える正式な組織だからね? 見栄も気にするから、一人だけ違う格好をしているのはまずいんだよ。統一感的な、そういう話。私だけの手には負えない。私が上に説明できるような建前はあるんだろうね?」
無言。
「……無いんだね」
「皆無だ……」
逆に、何がどうしたらネックレスを拒否するような事態になるのか、クローザも全く想像が出来ないのだが。項垂れたギルフェリノの姿にクローザは何とも言えない心地となる。
しかし、それも僅かな間だけだった。
「頭がお固そうな連中を、ちょっと闇討ちしに行った方がいいかな……」
ぼそりと小さく呟かれた彼の台詞に、クローザは一瞬放心する。
……え、こいつ、今、 何て言った?
「――おい、待て待て待て待て待て。お前、さっき何て言ったんだ!」
「え、だから、認めてくれなさそうな連中を先回りして潰しておけば」
「私が何とかする! 何とかするから、お前は手を出すな! 表向きだけじゃなくて本気で死ぬ気かよ、この大馬鹿野郎が!」
本当にこの男は、何を言い出すのか!
慌ててギルフェリノにそう言い募ると、彼は「頼んだ」と微笑んだ。それは本当に心の底から安堵したような笑みで、クローザは文句の一つでも行ってやろうとしていたが、それを見て言葉に詰まる。
あぁ、本当に。この男の笑顔には弱いんだ。今から数年前の彼の姿をふと思い出し、クローザは本日何度目かも分からないため息をついた。彼には昔から散々振り回されてきたが、彼の本質は優しく、穏やかなものなのだ。少々彼のお嬢様に対する愛情が過分な気がするが、それにも理由があるため仕方がない。多少の融通くらいは聞かせてやろう。
ギルフェリノはクローザの親友なのだから、それくらいはやってやるのだ。




