第六話「幸せになります」
丘の上で、僕は、リーネさんに言った。
「リーネさん。」
『えぇ。』
「この能力を、なかったことにできますか。」
リーネさんは、僕を、じっと見た。
『……また、逃げるの?』
「違います。」
僕は、首を、横に振った。
「僕は、この全てをなくした世界で。なくせないまま、生きていきます。」
『……。』
「もう、なかったことには、しません。この景色も。僕がやったことも。全部、抱えたまま生きます。」
リーネさんは、しばらく、黙っていた。
『……なかったことにした過去は、戻らないわ。誰も、帰ってこない。それでも?』
「はい。」
迷いは、なかった。
「一生を、この世界で、生きます。償いきれないものを、抱えて。」
リーネさんが、僕の額に、手を伸ばした。
最初に、能力をくれた時と、同じように。
『……いいわ。』
「ありがとうございます。」
『お礼を言うのは、まだ早いわよ。』
僕は、目を閉じた。
——白紙化。
僕の中にある、あの力を。
あらゆるものを、なかったことにできる、最強の力を。
——なかったことに、する。
なぜか、世界が、光に包まれた。
—
目を、開けた。
白い、空間だった。
何もない、白い場所。
——知っている。
「えっと。ここは、あの時の。」
最初に、リーネさんと、会った場所だ。
「正解よ。渕。」
振り返ると、リーネさんが、いた。
白いドレスのまま。
最初に会った時と、同じ顔で。
「正解……?」
「そ。世界を巻き戻す、唯一の方法。」
「……え。」
「あなたが白紙化したものは、能力が存在したから、歪んだ因果なの。」
「……。」
「その能力そのものを消せば。能力によって白く塗り潰された因果だけは、ほどける。」
「ほど、ける?」
「まぁ。分かりやすくいうと、巻き戻る。」
——巻き、戻る。
「……まき、戻るって。」
「えぇ。やり直しよ。渕。」
「……それじゃあ。エイシアさんも。」
「戻るわ。あなたが、消す前に。」
「……っ。」
「でも。」
リーネさんが、僕を、まっすぐ見た。
「あなたの記憶は、残る。あなたがしたことは、あなたの中からは、消えない。」
——消えない。
そうか。
世界は、戻る。
でも、僕がしたことは、僕の中から、なかったことには、ならない。
それで、いい。
それが、いい。
頭が、追いつかなかった。
巻き戻る。
やり直し。
それは、つまり。
「……結局、なかったことに、なったんですね。」
僕がやったことも。
エイシアさんが、いなくなったことも。
全部、なかったことに。
——僕はまた、なかったことにして、しまった。
そう思った、時だった。
「いいえ。」
リーネさんが、言った。
「これも、あなたの決断の、結果よ。」
「……。」
「渕。あなたは、歪よ。」
リーネさんが、静かに言った。
「自分の力を、人のためだけに使って。自分のことは、ずっと後回しで。最後には、自分を消そうとした。」
「……はい。やっぱり、僕は、ダメダメでした。」
「違うわ。」
「……はい?」
リーネさんが、僕の前に、立った。
「あなたは、いえ——誰しも、幸せになる権利があるの。」
「……。」
「そもそも、この異世界転生は救済処置なのよ。」
——救済処置。
初めて聞いた、言葉だった。
「異世界転生は、冴えない人生を送った人への、救済処置。」
「……僕は、冴えない人生だったんですか?」
「そう。だからこそ、白紙化なんていう規格外の能力を授かった。」
「……。」
「あなたは、それを人を救うことに使った。自分のためには、何も、使わなかった。」
「……。」
「渕。よく聞いて?」
リーネさんが、笑った。
「あなたが。まずは、自分が幸せになる努力を、しなさいな。」
「……。」
「あなたは、幸せになっていいのよ?」
「……っ。」
「誰も、あなたが幸せでも、困らない。」
リーネさんの声は優しかった。
僕は、あんな間違いを、犯したのに。
「あなたが幸せでいることに、幸せを感じる人が、必ずいるわ。」
「……いませんよ。」
「必ず、いるわ。見つけなさい。」
——必ず、いる。
保証のない言葉。
でも、なんだろう。すごく、救われる。
それが、エイシアさんだと、いいな。
なんて。
おこがましい。
—
「さて。」
「……リーネさん?」
「そろそろ、お別れね。」
「……お別れ?」
リーネさんは、少しだけ、寂しそうに笑った。
「えぇ。能力がなくなれば、私との繋がりも、消える。もう、声も、届かない。」
「……。」
「だから、これで、お別れ。」
——ずっと、隣にいてくれた人。
僕のことを、心配して。
ルールを破って、ついてきて。
僕が、間違えた時も。
僕が、壊れた時も。
ずっと、見ていてくれた人。
その人と、もう、会えない。
「……ありがとう、ございました。」
頭を、下げた。
「リーネさんが、いてくれたから。僕は最後に、間違えずに済みました。」
「……。」
「リーネさんが、僕を、なかったことにしないでくれたから。」
リーネさんが、僕の頭に、そっと手を置いた。
「あなたは、よく頑張ったわ。」
——その一言が。
前の世界でも。
この世界でも。
ずっと、欲しかった言葉だった。
「今度こそ。自分のために、生きなさい。」
涙が、出そうになった。
でも、ぐっと、こらえた。
最後くらい、ちゃんと前を向いて、別れたかった。
「はい。」
——光が、僕を、包んだ。
「リーネさん。」
「なに?」
「……幸せに、なります。」
リーネさんの笑顔が、光の中に、溶けていった。
—
目を、開けると。
石畳の道。
木でできた建物。
見たこともない服を着た、人たち。
——異世界。
巻き戻った、世界。
魔王軍は、まだ、いる。
盗賊も、いる。
あの女の子も、きっと、まだ、生きている。
——全部が、やり直しの、世界。
僕は、能力を持っていない。
ただの、平良渕として、ここに、立っていた。
でも。
——記憶は、あった。
全部、覚えていた。
僕が、したことも。
僕が、消した人たちも。
エイシアさんが、最後に、言ったことも。
全部、抱えたまま。
僕は、もう一度、この世界に、立っていた。
—
街を、歩いた。
人を、探していた。
——見つけた。
赤毛の、女の子。
腰に剣を下げて、きびきびと歩いている。
——エイシアさん。
生きていた。
笑っていた。
ちゃんと、本当の彼女の顔で。
胸が、締めつけられた。
僕は、知っている。
この人が、僕を、嫌うことを。
気持ち悪いと、思うことを。
——でも。
もう、消さない。
二度と、彼女の心を、勝手に、書き換えたりしない。
僕は、勇気を出して、声をかけた。
「あ、あの。」
「あ?」
「こ、こんにちは。」
エイシアさんが、振り返った。
「誰よ。あんた?」
「……え、えと、えっと。ふ、渕っていいます。」
「……エイシア。エイシア・スタート。」
「……ど、どうも。」
「何?あんた、根暗ね?」
——ぐさり、ときた。
ああ。
これだ。
これが、本当の、エイシアさんだ。
「す、すみません。」
「なんで謝るのよ。気持ち悪い。」
——気持ち悪い。
その言葉が、刺さる。
ちゃんと、痛い。
でも。
その痛みごと、これが、本物だった。
「あ、あの!」
「まだ何かあんの?」
「ぼ、僕と、バディに、なりませんか!」
エイシアさんが、思いっきり、顔をしかめた。
「は?すげぇ嫌だ。根暗だし。」
「お、お試しで!一回だけ!一回だけでいいので!」
「しつこいって!!何、ナンパ?才能ねーよ!気持ち悪い!!」
——うん。
知ってる。
気持ち悪いって、言われるって。
でも、消さない。
今度は、ちゃんと、嫌われたまま、頑張る。
「ギ、ギルドに、用があるんです。よければ、一緒に、どうですか?」
「……。」
エイシアさんは、顔をしかめたまま歩き出した。
僕は、急いで後を追った。
「着いてくんな!!」
「ぼ、僕も!ギルドに、用があるので!」
「着いてくんなって言ってんだろ!!」
——足が、止まった。
そうだ。
今度は、止まらなきゃ、いけない。
嫌だと言われたら、ちゃんと止まらなきゃ、いけない。
「……すみません。じゃあ、少し、離れて歩きます。」
「……は?」
——っぷ。
エイシアさんが、笑った。
「いや!着いてはくんのかよ!!」
「ギルドには、本当に、用があるので……。」
「はぁ~。勝手にすれば?でも、隣には来んなよ?」
「はい!」
「返事だけは、いいのね。根暗。」
エイシアさんが、ずんずん、歩いていく。
僕は、その後ろを、少し離れて、歩いた。
—
怖かった。
何がどうなるか、分からない。
幸せになれるか、分からない。
このまま、ずっと、嫌われたままかもしれない。
失敗するかもしれない。
でも。
だから、頑張ろうと思った。
思い通りにならないから。
消せないから。
全部、自分の力で、やるしかないから。
幸せは、白紙に、描くものじゃない。
汚れて、破れて、間違えて。
それでも、誰かと、歩いた先に、あるものだから。
—
分からない。
幸せになれるか、分からない。
でも、頑張ろう。
僕は、エイシアさんの後ろを、少し離れて、歩いた。
まだ、隣じゃない。
でも、それで、よかった。
いつか、隣を、歩けるように。
今度は、ちゃんと、僕の足で。
「隣にくんなって言ったよな?根暗ぁ!!」
……頑張ろう。
第六話、お読みいただきありがとうございます。
渕が、白紙化を手放す話でした。
なかったことにできる力。
誰かを救えるはずだった力。
でも、たくさんのものを消してしまった力。
その力をなかったことにして、渕はもう一度、ただの平良渕として世界に立ちました。
そして最後に。
「みんなを幸せにします」ではなく。
「幸せに、なります」と言えました。
この物語としては、とても大事な一歩だったと思っています。
次回、最終話です。
このあと10分後に更新予定です。
渕が「幸せになります」と言った、その少し先の話です。
最後までお付き合いいただけると嬉しいです!




