第七話「欲しがっても」
母に、抱きしめられた記憶はある。
あの時、僕は確かに愛されていたのだと思う。
僕を着せ替えて、髪を撫でて、かわいいねと言ってくれた。
それに僕は、とても安心していたと思う。
「——がほしい。」
僕が、何かを母に望んだ日。
何を言ったのかは覚えていないけど、その日のことは良く覚えている。
母の、僕を見る目が変わった瞬間。
その瞬間だけは、忘れられない。
怒鳴られは、しなかった。
叩かれも、しなかった。
ただ、僕への眼差しは、『愛玩』から『人』を見る目へと変わった。
僕が、僕の意志を母に示した日。
その日初めて、母の子供が僕へと変わってしまったのだろう。
僕は、母にとって、何かを望んではいけない存在だったのだろう。
何かを欲しがる僕を、母は、容認できなかった。
——僕は、学んだ。
欲しがった瞬間に生まれてしまった僕を、なかったことにしよう。
僕は、何も、欲しがっては、いけない。
ただ、そう学んだ。
—
それから、僕は、欲しがるのを、やめた。
何も望まず。
ただ、役に立って。
邪魔にならないように、生きた。
僕は、僕をなかったことにするように努めた。
——結局僕は、いないまま、過労で死んだのだけど。
そして、今。
僕は、もう一度、生きている。
—
ギルドでの登録を済ませ、ハルカの村へと向かった。
前と同じ、盗賊の討伐だった。
盗賊。
その言葉を聞くだけで、胸の奥が、少し冷たくなる。
前の僕は、その言葉だけで、人を消した。
だから今度は、消さずに、見なければいけない。
ちゃんと、向き合って、決めるんだ。
………………。
…………。
……。
エイシアさんが、盗賊たちを縛り上げた。
鮮やかな、手際だった。
僕は——ほとんど、何もできなかった。
前とは違い、白紙の能力は、もう、ない。
ただの、平良渕だ。
弱くて、足手まといで、後ろで、おろおろしているだけ。
「ほら、終わったよ。」
「……すみません。僕、何も。」
「はぁ。だから、謝んなって。報酬は貰うよ?」
「それは、もちろんです。」
「……っち。やっぱ根暗だわ。こいつ。」
エイシアさんは、剣を鞘に納めた。
僕は、役に立てなかったことが、申し訳なかった。
このままだと、邪魔だと思われる。
邪魔だと思われたら、きっと——。
—
ハルカの村で、今の僕にできることはあまりにも少なかった。
そのまま、グレンの村へと向かうと決めた。
消してしまった人たちが、いた場所へ。
盗賊たちの、根城。
今の僕に、何ができるのかはわからない。
でも、このまま何もしないことはできなかった。
………………。
…………。
……。
野営の、夜。
エイシアさんは、まだ一緒にいてくれた。
焚き火の前で、スープを作る。
前のエイシアさんに教えてもらった野営飯だった。
「……美味いけど、なんか薄いな。」
エイシアさんが、スープを一口飲み言った。
「す、すみません。」
「あー、もう!いちいち謝んなよ!」
「すっ……む。」
思わず謝ろうとして、堪えた。
変な感じになってしまった……。
「んはは!何だよ!それ!」
「……変な感じになっちゃいました。」
エイシアさんはひとしきり笑っていた。
なんだか、嬉しかった。
「んで、根暗。」
「はい。」
「塩、ケチったでしょ?」
「……はい。」
「なんで?」
僕は、少しだけ考えた。
多分、癖だった。
「少しでも、『長持ち』させようと思いまして。」
「長持ちぃ~~?」
「はい。一日でも節約しないと……。」
「……。」
「……っは!!」
僕は、気付いた。
「エイシアさん!!」
「……なんだよ?」
「水も減らせば、薄くならなかったのでは!?」
「それだと、そもそも量が減るだろーが!!」
「……っは!!」
「『っは!!』じゃねーよ!止めろよ!その貧乏性!!」
怒られてしまった。
やっぱり、僕が何かやるとダメだ。
そもそも、エイシアさんの分だけ作ればよかったのかもしれない。
「……今度は、ケチんなよ?」
「……っ。」
「なくなったら、また稼げばいい。冒険者は体が資本なんだ。」
「……。」
「返事はぁ!!」
「はい!」
『今度』がある。
保証のない、そんな何気ない言葉に、胸が熱くなってしまった。
………………。
…………。
……。
夜が、更けていく。
エイシアさんが、干し肉をかじっていた。
僕は少し離れた場所に、座っていた。
近くにいたら、邪魔かもしれない。
だからいつも、人より少しだけ距離を取る。
これも、僕の癖だった。
「……あんたさ。」
「はい。」
「なんでそんな、遠くにいんの?」
「……あ、すみません。」
「謝んなくていいから。こっち来なよ。寒いでしょ?」
「……はい。」
焚き火の、近くに、移った。
暖かかった。
エイシアさんの、隣は、暖かかった。
——ずっと、こうしていたい。
そう、思ってしまった。
そして、思ってしまった自分に、ぞっとした。
「……あの。」
「ん?」
——言うな。
頭の中で、声がした。
欲しがるな。
望むな。
口に出したら、また……。
——でも。
口が、勝手に動いていた。
「もう少しだけ、一緒に、いたいです。」
「……。」
言って、しまった。
——血の気が、引いた。
「あ、す、すみません。今のは、違います。忘れてください。」
慌てて、取り消そうとした。
欲しがっちゃ、いけないのに。
望んじゃ、いけないのに。
「僕、欲しがるつもりじゃ、なくて。今のは、なかったことに——。」
「……面倒くさいな。根暗。」
エイシアさんが、呆れたように、言った。
——あぁ。
やっぱり。
やっぱり、僕は。
欲しがったから。
だから、また——。
「一つだけ、条件。」
エイシアさんが、言った。
「……はい。」
捨てられる。
言い渡される。
覚悟を、決めた。
「謝んな。」
「……え。」
「謝んなって言ったの。さっきから、すみませんすみませんって、鬱陶しいんだよ。」
「……は、はい。す——。」
——言いかけて、止めた。
また、謝ろうとして、ぐっと、飲み込んだ。
「……はい。」
エイシアさんが、にっと、笑った。
「おぉ。耐えたじゃん!!んはは。変なの。」
「が、頑張りました。」
「うん。偉い偉い。」
——怒って、いなかった。
欲しがったのに。
望んだのに。
エイシアさんは、冷たい目を、しなかった。
「でもなぁ。バディは、ダメだな。」
「……。」
「あんた弱いし。今のままじゃ正直、足手まといだし。」
——そうだ。
分かってる。
僕は、弱い。
役に、立てない。
「すみ……。」
「あ?」
「……は、はい。」
また、飲み込んだ。
エイシアさんが、笑った。
「んはは!それツボだわ。なんか。」
「……それは、よかったです。」
「……ん~。」
エイシアさんが、僕をじろじろ見た。
それから、何か思いついたように言った。
「……舎弟だな。」
「……え?」
「バディは無理だけど、舎弟なら、いいよ。」
「しゃ、舎弟。」
「そ。このままだと、あんた、すぐ死にそうだしな。私が見ててやるよ。」
——見て、てやる。
その言葉が。
胸の、奥に、じんと、染みた。
捨てられ、なかった。
欲しがっても。
望んでも。
エイシアさんは、いなくならなかった。
「さぁて。そろそろ、寝るか?渕。」
「……え。」
「渕だろ?あんたの名前は。」
「……はい!」
エイシアさんが、立ち上がって歩き出す。
僕は、その後ろを、追いかけた。
少しだけ、近づいて。
いつか、隣を歩けるように、頑張ろう。
そう、思った。
その気持ちを、なかったことにしなかった。
—
欲しがっても。
エイシアさんは、いなくならなかった。
最終話、そして短編『白紙の転生者』。
最後までお読みいただきありがとうございました!
全七話の短いお話でした。
「なかったことにできる」最強チートで、みんなを幸せにする話。
……の、はずでした。
不幸を消す。
嫌悪を消す。
悪人を消す。
元凶を消す。
悲しみや怒りを消す。
その先にあったのは、幸せな世界ではありませんでした。
この話は、苦しみを消す話ではなく。
苦しみも、間違いも、嫌われる痛みも抱えたまま、それでも自分の足で幸せになろうとする話でした。
第六話で、渕は「幸せに、なります」と言いました。
でも、幸せになると決めたからといって、すぐに強くなれるわけではありません。
嫌われるのは怖いし、欲しがるのも怖い。
誰かの隣に行きたいと思うことさえ、渕にとっては簡単なことではありませんでした。
だから最終話は、渕がほんの少しだけ「欲しがる」話でした。
バディではなく、まずは舎弟から。
隣ではなく、少し後ろから。
それでも、欲しがっても誰かがいなくならない。
その小さな一歩まで見届けていただけたなら、とても嬉しいです。
渕は、かなり間違えました。
エイシアも、かなり大変な目に遭いました。
リーネさんは、たぶん一番胃が痛かったと思います。
普段は『スペル・エラー ~娘が生まれるのに異世界へ召喚されたので、何があっても帰ります~』という長編も書いています。
この短編と同じく、喪失のあと、それでも前へ進む人たちの話です。
もし空気が合いましたら、そちらも覗いていただけると嬉しいです。
ブクマや評価、コメントなどいただけると、とても励みになります。
ここまで読んでくれて、本当にありがとうございました!
また、どこかでお会いしましょう!




