第四話「ごめんなさい」
結論から言うと、僕は、失敗した。
人の悲しみも、怒りも、憎しみも。
それらを、白紙化した瞬間。
人は、動かなくなった。
道の真ん中で。
家の中で。
畑の前で。
人々は、ただ、立っていた。
笑ってもいない。
泣いてもいない。
怒ってもいない。
何も、していなかった。
「あの、すみません。」
声をかけても、返事はなかった。
目は開いている。
でも、何も映していない。
そのまま、その人は、立ち続けていた。
水も飲まず。
食事も取らず。
ただ、立ったまま。
——朽ち果てるまで。
感情の一部を失った人は、もう、自分で立つ理由を失っていた。
ただ、空っぽの器みたいに、そこに残っていた。
悲しみも、怒りも、憎しみも。
それは、その人が、その人であるための、一部だった。
それを消された人間は、もう、ただの抜け殻でしかなかった。
この世界の、全ての人が。
そうなった。
——いや。
例外が、二人だけいた。
僕と。
それから。
——エイシアさんだけが、まだ、動いていた。
—
朝が、来た。
世界には、もう誰もいないのに。
朝だけは、いつも通り、来た。
目を覚ますと、いい匂いがした。
エイシアさんが、コーヒーを淹れていた。
「お、起きた?」
「……エイシアさん。」
「はい、これ。」
差し出されたカップを、受け取る。
温かかった。
外では、動かなくなった人たちが、立ち尽くしている。
その横で、僕たちは、二人きりで朝を迎えていた。
異常だった。
何もかも、おかしかった。
それなのに、エイシアさんは、笑っていた。
僕が、この世界をこんな風にしたのに。
エイシアさんは、僕を怒らなかった。
むしろ、僕を、好きだと言ってくれた。
「エイシアさん。その、ごめんね。」
「……はぁ?なんで謝んのよ。」
エイシアさんが、呆れたように笑った。
「好き合ってんだから、普通のことでしょ?」
「……。」
「あんたには、何されても嫌じゃないのよ。こんな人、多分一生出会えない。」
——その言葉が。
なぜか、その時、ひどく、怖く聞こえた。
何されても、嫌じゃない。
それは。
本当に。
エイシアさんの、言葉なのか。
「渕?どうしたの?」
「……いえ。」
僕は、それ以上、考えるのをやめた。
考えたら、何か、取り返しのつかないことに、気づいてしまう気がした。
—
『……平良渕。』
リーネさんの声がした。
「リーネさん。」
『……エイシアは、おかしいと思わない?』
「おかしい?」
『この世界で、あなた以外に、まだ動いている人間。』
「……。」
『なぜ、彼女だけ、無事だと思う?』
分からなかった。
分かりたく、なかった。
その日、エイシアさんに、城の屋上へ呼ばれた。
—
屋上は、風が強かった。
エイシアさんは、欄干の近くに立って、空を見ていた。
「呼んで、ごめんね。」
「……いえ。」
「ねぇ、渕。」
「はい。」
エイシアさんが、振り返った。
笑っていた。
でも、その顔は、ひどく、疲れて見えた。
「結構、耐えてたんだけどなぁ。もう、無理みたい。」
「……何を、ですか。」
「時々ね。意識が、遠くなるのよ。」
——どきり、とした。
「みんなみたいに、なりかけてる。あの、立ったまま、動かない人たちみたいに。」
「そんな……。」
「でも、私は、まだ、踏ん張れてた。なんでか、分かる?」
分からなかった。
エイシアさんは、笑った。
「たぶんね。あんたのことが、嫌いだったから。」
「……。」
「最初に会った時、私、あんたのこと、気持ち悪いって言ったでしょ。」
「……はい。」
「あれ、たぶんね。本当の気持ちだった。根暗で、ぼそぼそ喋って、気味が悪いって。」
エイシアさんは、淡々と話した。
「でも、次の瞬間には、その気持ちが、なくなってた。」
「……。」
「あんたが、消したのよね。私の、あんたを嫌う気持ち。」
——心臓が、止まりそうだった。
「気づいて、たんですか。」
「おかしいと思ってたのよ。なんで私、こいつのこと好きなんだろうって。」
エイシアさんは、自分の胸に、手を当てた。
「嫌いだったはずなのに。なんで、こんなに、離れたくないんだろうって。」
「……。」
「答え、簡単だったわ。あんたが、私の『嫌い』を、消したから。」
「……。」
「でもね。消されたのは、あんたを見た瞬間に湧いた『嫌い』だけ。」
エイシアさんは、自分の胸を、指で叩いた。
「『嫌いだった私』の記憶までは、消えてなかった。だから、その私が、ずっと、抵抗してた。こんなの、おかしいって。この気持ちは、作られたものだって。」
だから。
エイシアさんだけが、抜け殻にならずに、済んだ。
本当の自分が、まだ、中に残っていたから。
「皮肉よね。あんたへの『嫌い』が残ってたから、私は、人間でいられた。」
エイシアさんが、笑った。
泣きそうな、笑顔だった。
「あんたは、結果として、人類を、滅ぼした。でも——」
「……。」
「魔王軍に殺された両親の仇を、あんたが取ってくれた。」
エイシアさんの声が、震えた。
「嫌いで、恩人で、大好きで——。」
「……。」
「もう、ぐちゃぐちゃで、分かんないの。」
エイシアさんが、欄干に、背を預けた。
「あんたを、ちゃんと嫌いになりたかった。そんで、ちゃんと好きになりたかった。」
「エイシア、さん。」
「でも、できないの。あんたが、消したから。」
——僕は。
一歩、踏み出した。
「来ないで!!」
エイシアさんが、叫んだ。
「来たら、また、私じゃない気持ちであなたを見ちゃう。」
足が、止まった。
「——最後くらい、私でいさせてよ。」
エイシアさんは、泣いていた。
笑いながら、泣いていた。
「あなたは。あなたが、魔王だったのよ。渕。」
——魔王。
その言葉が、僕の中で、ばらばらに砕けた。
そうだ。
僕が。
僕こそが、この世界を、滅ぼした。
魔王なんかより、ずっと。
「ばいばい、渕。」
エイシアさんが、笑った。
最後に、もう一度だけ、本当に優しく、笑った。
「大嫌いで、大好きだよ。」
——僕は、手を伸ばした。
届かなかった。
風が、吹いた。
遠くで、何かが落ちる音がした。
屋上には、僕だけが、残された。
—
どれくらい、そうしていただろう。
僕は、屋上に、座り込んでいた。
涙も、出なかった。
声も、出なかった。
ただ、エイシアさんが、さっきまでいた場所を、見ていた。
「……ごめんなさい。」
誰に向けた言葉なのか、自分でも、分からなかった。
エイシアさんに。
世界に。
僕が、なかったことにした、すべての人に。
「ごめんなさい……。」
何度、謝っても。
もう、誰も、聞いていなかった。
——僕の、せいだ。
エイシアさんも。
動かなくなった、世界中の人たちも。
グレンの、あの女の子も。
全部、僕が。
「……消そう。」
声が、漏れた。
「こんな僕なんて。最初から、いなかったことにすれば。」
そうすれば。
僕が何もしなければ。
エイシアさんも、みんなも、こんなことには——。
「僕という存在を、白紙化——。」
『——また?』
リーネさんの声が、響いた。
「リーネさん……。」
『また、なかったことにするの?』
「だって!」
——叫んでいた。
「じゃあ、なんで!!!止めてくれなかったんですか!!!」
リーネさんの顔を、見た。
「僕は、やっぱり!!!おかしいんだ!!だから、やっぱりダメなんだ!!」
『……。』
「リーネさん、ついてきたんでしょ!僕、やっぱりおかしいんです!!なんで!なんで、止めてくれなかったんですか!」
『……。』
「僕なんかが、生きることを、なんで!なんで、もっと、強く、止めてくれなかったんだ!!!」
分かっていた。
八つ当たりだって。
リーネさんは、何度も、止めようとしてくれた。
でも。
誰かを、責めないと。
自分を、保てなかった。
—
『……止められなかったのよ。』
リーネさんが、静かに言った。
『私には、あなたの能力を、止める力はない。話すことしか、できない。』
「……。」
『でも。』
リーネさんが、僕の前に、膝をついた。
『あなた、前の世界でも、そうだったの?』
「……え。」
『自分が苦しいことも。寂しいことも。助けてほしい気持ちも。全部、なかったことにして。』
——やめて。
やめてください。
『最後まで、頑張って。誰にも、頼らないで。一人で、抱えて。』
「……お願い、止めて。」
『そうやって、自分を、なかったことにして——死んだの?』
「……っ。」
息が、できなかった。
そうだ。
僕は、ずっと。
自分の、痛いとか、苦しいとか、寂しいとか。
全部、なかったことにして、生きてきた。
そうしないと。
迷惑を、かけるから。
僕なんかが、苦しいなんて、言っちゃいけないから。
母が、みんなが、困るから。
僕が、生きてるだけで、みんなが、困るんだ。
だから、せめて僕は、僕をなくさなくちゃ。
なかったことに、しなくちゃ。
『平良渕。』
リーネさんの声が、優しかった。
『あなたの人生を、なかったことにしちゃ、駄目よ。』
—
僕は、何も、言えなかった。
自分を消すことが、償いだと思っていた。
でも、リーネさんは、それを、許してくれなかった。
「……じゃあ、僕は。」
掠れた声で、聞いた。
「僕は、どうすれば、いいだろう。」
リーネさんは、しばらく、黙っていた。
それから、静かに、言った。
『まずは。あなたが、したことを。ちゃんと、見るべきよ。』
——見る。
僕が、消したものを。
僕が、なかったことにした、人たちを。
答えなんて、分からなかった。
ただ、僕は、立ち上がるしか、なかった。
第四話、お読みいただきありがとうございます。
ごめんなさい。
この話は、その一言に尽きる回でした。
悲しみも、怒りも、憎しみも消せば、争いはなくなる。
誰も苦しまない。
誰も傷つかない。
でも、それは本当に人なのか。
エイシアが最後まで残っていた理由。
好きと嫌い。
作られた感情と、本当の自分。
渕が向き合わなければいけないものが、ようやく目の前に出てきました。
次回は、その後の話です。
このあと10分後に更新予定です。
最後までお付き合いいただけると嬉しいです。
ブクマやコメントをいただけると、リーネさんが渕の人生をなかったことにさせません。
よろしくお願いします。




