第三話「それは、人なの?」
グレンの村は、僕が思っていたよりも、ずっと静かだった。
北の外れ。
痩せた土地に、崩れかけた家が、ぽつぽつと建っている。
人の気配は、なかった。
「……ここが、グレン。」
エイシアさんが、ぽつりと言った。
僕は、村の中を歩いた。
誰もいない。
畑は枯れて、井戸は涸れていた。
家の一つに、入ってみた。
—
小さな家だった。
寝台が、一つ。
その横に、薬包の空袋が、いくつも落ちていた。
壁には、子どもの落書きがあった。
背の高い人と、背の低い人。
手を、繋いでいる。
その隣に、たどたどしい字で、何か書いてあった。
『おにいちゃんと、わたし』
——心臓が、止まりそうになった。
寝台には、まだ、毛布が残っていた。
小さな、子ども用の毛布。
その下に、何かがあった。
人の、形をした。
「……っ。」
見なければよかった。
でも、見てしまった。
痩せ細った、女の子だった。
もう、ずっと前に、息を引き取っていた。
「……薬を、待ってたんだ。」
声が、勝手に漏れた。
「お兄ちゃんが、持って帰ってくる薬を。ずっと、待ってた。」
でも、お兄ちゃんは、帰らなかった。
帰れるはずが、なかった。
——僕が、消したから。
「僕が……。」
膝が、崩れた。
盗賊は、悪人だった。
人を襲って、物を奪って、傷つけて。
——でも。
でも、この子にとっては。
帰りを待つ、お兄ちゃんだった。
「僕が、殺した。」
この子を。
この子の、お兄ちゃんを。
「違う、僕は、助けたくて、僕は——。」
涙が、出てきた。
止まらなかった。
「うっ……あ、ぐ……。」
こんなの、知らなかった。
盗賊に、家族がいるなんて。
盗賊を待ってる子が、いるなんて。
知らずに、消した。
誰も傷つけてないと思って、消した。
「ごめん……ごめんなさい……。」
謝っても、もう、遅かった。
この子は、返事を、してくれない。
「……っ。」
肩に、温かいものが触れた。
エイシアさんが、僕を、抱きしめていた。
「……エイシア、さん。」
「いい。喋んな。」
エイシアさんの腕は、強かった。
「あんたは、助けようとした。それは、本当でしょ。」
「でも、この子は……。」
「うん。」
「僕の、せいで……。」
「うん。」
エイシアさんは、否定しなかった。
慰めも、しなかった。
ただ、抱きしめて、背中をさすってくれた。
「泣きな。好きなだけ。」
「……。」
「泣いてから、ちゃんと向き合えばいいよ。」
僕は、子どもみたいに、泣いた。
エイシアさんの胸で、ずっと、泣いていた。
『…………。』
リーネさんは、何も言わなかった。
ただ、静かに、僕を見ていた。
—
しばらくして、僕は、エイシアさんに聞いた。
「……エイシアさん。」
「ん?」
「あの盗賊たちは、どうして、あんなことをしたんでしょうか。」
エイシアさんは、少し考えてから、答えた。
「……このへんは、もともと、魔王軍に追いやられた人たちが流れ着く土地なのよ。」
「魔王軍に……。」
「ええ。村を焼かれて、畑を奪われて。行く場所がなくて、ここまで来る。でも、ここも痩せた土地でしょ。食べていけない。」
エイシアさんは、枯れた畑を見ていた。
「そういう人たちが、盗賊になる。悪いことだって、分かってる。でも、そうしないと、生きていけなかった。」
——魔王軍。
その言葉が、頭の中で、こだました。
盗賊を生んだのは、魔王軍。
この子を死なせたのは、僕。
でも、その元をたどれば。
「……全部、魔王軍のせいだ。」
ぽつりと、呟いた。
「魔王軍さえ、いなければ。この人たちは、盗賊にならずに済んだ。この子も、死なずに済んだ。」
『……平良渕。』
リーネさんの声がした。
でも、僕は、もう、考えていた。
——そうだ。
僕が間違えたのは、盗賊を消したことじゃない。
盗賊は、本当は被害者だった。
だから、消しちゃいけなかった。
でも、魔王軍は違う。
魔王軍は、誰がどう見ても、悪だ。
村を焼いて、人を殺して、こんな悲劇を生んだ、元凶。
あれを消せば。
あれさえ、なかったことにすれば。
もう、誰も、こんなふうに死ななくて済む。
「……エイシアさん。」
「ん?」
「僕、決めました。」
涙を、拭った。
「魔王軍を、白紙化します。」
エイシアさんは、息を呑んだ。
「……できるの?」
その声には、期待と、恐怖と、少しだけ怒りが混じっていた。
「できます。やります。絶対に。」
「……なら。」
エイシアさんは、拳を握った。
「やって。」
—
僕は、北を向いた。
何百年も、誰も倒せなかった魔王軍。
人間の土地を侵し、村を焼き、無数の命を奪ってきた、世界の元凶。
その全てを、思い浮かべた。
魔王も。
魔族も。
軍勢も。
——全部、なかったことにする。
「白紙化。」
—
その日、世界が変わった。
北の空を覆っていた、不吉な雲が、晴れた。
大地を蝕んでいた、瘴気が、消えた。
そして——魔王軍が、いなくなった。
「……魔王軍が、消えた?」
「嘘だろ。何百年も、誰も……。」
「英雄だ……! あの人が、魔王軍を滅ぼした……!」
歓声が、上がった。
街という街で、人々が、泣いて、笑って、抱き合った。
鐘が鳴った。
花が舞った。
僕は、英雄になった。
—
王都に、呼ばれた。
王様が、僕に頭を下げた。
騎士たちが、僕に剣を捧げた。
民衆が、僕の名前を叫んだ。
「平良渕様!」
「救世主様!」
「あなたのおかげで、世界は救われた!」
——救われた。
やっと、本当に、世界を救えた。
もう、誰も、あんなふうに死なない。
あの女の子みたいな子は、もう、生まれない。
僕は、心から、そう思っていた。
みんな、笑ってる。
あぁ。よかった。
本当に、よかったと、思ったんだ。
—
しばらくして、おかしな報せが、届き始めた。
各地で、暴動が起きている、と。
「どういうことですか?」
僕は、王宮の役人に尋ねた。
「魔王軍は、消えたのに。なんで、暴動なんて。」
王宮の役人は、困った顔をした。
「それが……魔王軍に、家族を殺された者たちが、暴れているのです。」
「……家族を?」
「ええ。村を焼かれ、親を、子を、殺された者たち。その怒りの、行き場が……。」
「……。」
魔王軍は、消えた。
でも、魔王軍に殺された人たちの、悲しみは、消えていない。
憎しみも。
怒りも。
復讐したいという気持ちも。
ぶつける相手が、いなくなった。
だから、その怒りが、行き場をなくして。
今度は、同じ人間同士で、ぶつかり合っている。
「そんな……。」
せっかく、元凶を消したのに。
みんなを、幸せにしたかったのに。
なんで。
なんで、まだ、苦しんでるんだ。
—
『平良渕。』
リーネさんの声がした。
「リーネさん。これって、なんで。いったい、何が。」
『あなたが消したのは、魔王軍だけ。でも、魔王軍が遺したものは、消えていない。』
「……遺したもの?」
『悲しみ、怒り、憎しみ。全部、人の中に残ってる。』
残ってる。
なら——話は簡単だ。
「……消せばいい。」
『え?』
「その、悲しみも。怒りも。憎しみも。」
僕は、顔を上げた。
「全部、消せばいいんだ。」
リーネさんの顔が、変わった。
『渕。待って。ちゃんと考えた?』
「考えましたよ!」
『……。』
「人の悲しみも、怒りも、憎しみも、全部、なかったことにする。そうすれば、誰も、争わなくなる。」
『……平良渕!!!!』
リーネさんが、叫んだ。
『ちゃんと、もっと、ちゃんと向き合いなさい!!』
「……ど、どうしたんです?」
『怒る理由は残ってるのに、怒れない。悲しい出来事は残ってるのに、悲しめない。憎いはずなのに、憎めない。』
『それは——それは、もう、人なの?』
僕は、リーネさんを見た。
何を言ってるんだろう、と思った。
「人ですよ。」
迷いなく、答えた。
「人が、人を、憎まない。人が、人の、幸せを願う。」
そんなの、決まってる。
「そんな世界、絶対に、幸せのはずだ。」
『……っ。』
リーネさんが、何か言おうとした。
でも、僕は、もう、止まらなかった。
「みんなが、幸せになる。誰も、傷つかない。誰も、悲しまない。」
『渕。待って。お願い!話を——』
——エイシアさんだって。
今、幸せそうじゃないか。
僕のバディとして、みんなに慕われて、笑ってる。
あんなふうに、みんながなれる。
それの、何が、いけないんだ。
「絶対に、良くなる。みんなが、幸せになる。」
『——渕!!!』
両手を、広げた。
世界中の、悲しみを、思い浮かべる。
怒りを。
憎しみを。
恨みを。
争いの、種を。
全部。
全部、まとめて。
「——白紙化。」
第三話、お読みいただきありがとうございます!
魔王軍、白紙化です。
世界の元凶を消した。
何百年も続いた悲劇を終わらせた。
今度こそ、みんな幸せになるはずでした。
でも、悲しみも、怒りも、憎しみも。
それもまた、人の中に残るものです。
それは、人なの?
タイトル回収回でした。
このあとも10分おきに更新予定です。
よければ最後までお付き合いください!
ブクマやコメントをいただけると、リーネさんが全力で「待ちなさい!!」と叫びます。
よろしくお願いします!




