第6話 クリスタ・アレンス
都市化の代償に人類が支払った物は大きかった。満員電車に揺られ、大量の人々の海に飲み込まれた俺はそう感じた。
距離を取れるほどのスペースは無く、常に接する必要は無いにしろ揺れればすぐに当たるような距離に他人がいる。しかしこれでも、通勤ラッシュにしては空いている方では無いだろうか。
いつもと違うのが隣にいるのが他人では無く雪憐である事だ。雪憐はスマホを見る訳では無くぼーっとしていた。
いや、口があんぐりと開いている訳ではないし、瞼が閉じそうになっている訳でも無く、落ち着いた顔をしているから、世間一般的なイメージのぼーっとしているとは違う。どちらかと言えば、考え事をしていると言った感じか…。
乗り始めて最初の方は、雪山に遭難した時のような極限状態であった。満員電車の中で雪憐と近くにいるのはある意味荒治療だ。4年前よりも大人びたその少女は先程よりずっと近い距離にいるし、少し揺れれば普通に接触をする。
だが、人間というのは適応する生き物、この荒治療はなんとか、正常な思考ができるまでの成果をだした。これは治療法として論文発表するべき。
荒治療の成果で、雪憐を見ると、何故スマホをやらないのかと疑問が湧いた。しかし、良く考えれば知り合いがいるのにスマホをやるのは失礼だ。俺は人がスマホをやっていても、そもそも俺はそいつを知り合いと認めないからセーフだが、真面目な雪憐はそんな事をしないのだろう。
「混んでるな」
俺は雪憐に言った。別に答えを求めた訳では無いし、独り言にも聞こえたのかもしれない。だが、雪憐もこうしてスマホをやらないでいてくれている事もあり、このまま黙って過ごすのも良いことでは無いと考えたからだ。
「ですね。朝ですし」
雪憐は答えた。話の切り口として使った話題だが、余りに当たり前すぎた。朝の帰宅ラッシュに混んでいるのは当然ではないか。話題を広げるのに適していたものだったかは疑問だった。
「…」
雪憐が答えたのはいいものの沈黙が続く。話を広げる良い話題も思い付かず、ただ時間ばかり過ぎていく。最初に出会った時もそうだったが、最初の時よりは居心地が良かった。
雪憐は「今の先輩の事が知りたいです」と言ってくれた。果たして俺はどうだろうか。4年前の雪憐の事は良く分かっているつもりだ。では、今の雪憐の事は?
雪憐の本質的な価値観が変わっていなくても、4年という歳月は人の多くの部分を変える。きっと、俺の知らないところは沢山あるし、4年前とは変わった所も同様だ。
じゃあ、知るべきか。俺は今の雪憐を知りたいか?知ったところで、何になる。4年の歳月を感じるだけだ。むしろ、知る事は苦痛を増やす。苦痛を背負ってでも知りたい事か。メリットは思い付かないのに、デメリットばかり思いついていく。損得で言えば明らかに損だ。
でも、頭の中からこの考えがこびりついて離れなかった。否定しようとしてもできなかった。きっと、紗恵ならこうは思わなかった。きっと、藤堂先輩ならこうは思わなかった。雪憐が大切だから、選ぶんだ。花ちゃんだから、選ぶんだ。これは、4年前と同じ考えだ。だとしても、俺は知りたい。
「雪憐、『エンドロールと恋の果て』見たか?」
俺はふと、前に見ていた映画の名を言う。『エンドロールと恋の果て』、くたびれた独身の中年エリート銀行員にある日一通の手紙が届く。それは彼の初恋の人と同姓同名からで、そこから奇妙な文通が始まる。
言ったどこかで聞いたようなあらすじだが、主人公の一途な想いと、夫と子供がいながらどこか自分に疑問を感じ主人公との間で揺れるヒロインの苦悩と後悔が描かれており、色々な層から幅広い評価を受けた作品だ。
この手の作品が若者層からも受けたのだから、クオリティの高さは折り紙付きだと言える。
…先ほど、あれだけ、今の雪憐を知るかどうかに悩んだのに、聞いた内容が「最近やった映画を見たか」なのだから少し複雑な思いだ。だが、今の雪憐の事を聞いたのには変わりは無い。
雪憐も俺から雪憐のことを聞いたのが意外だったのか驚いた顔をした。だが、すぐに雪憐は嬉しそうに微笑んで言った。
「見ましたよ。おもしろかったです」
雪憐の率直で非常にシンプルな感想。だが、適当に答えていない事は顔と声色で分かる。不器用でも一生懸命答えようするその姿は実に雪憐らしかった。
「ああ。そうか」
若者も沢山見ているし、特段不思議ではないが、中三か高一の女子があれを見るのもな。雪憐の事だし流行りと関係無く純粋に見たかったのかもしれない。となると、雪憐は結末を知っているのか。
「結末どう思った?」
『エンドロールと恋の果て』の最後は主人公に惹かれながらも、夫と子供への想いも捨てきれなかったヒロインを見た主人公は、ヒロインのために関係の解消を提案する。
2人は相手を幼い頃の姿と重ねた後、別れをつげるのだ。特に一途だった主人公はとても傷つき心に暗い影を落としていた。
この結末には議論を呼び、痛みを伴いながらも引きずり続けた初恋に決着をつけたこれをハッピーエンドと捉える人と、初恋が叶わず心に傷を負ったこれをバッドエンドと捉える人がいる。
しかし、俺もこんな聞き方しないで「最後やばかったよなー」とか間接的に聞けば良かったのかもしれないが、周りくどいと感じたためやめた。そんな器用な聞き方はできない。
「モヤモヤする終わり方でしたね」
モヤモヤする終わり方か…。一体どういう事だろう。確かに一般的にモヤモヤはするかもしれないが。
「モヤモヤする終わり方?」
俺は疑問をぶつける。雪憐は考え込むようにして。
「ええ、あれだけ想いがあったなら初恋を叶えるべきかなって」
少し遠慮しがちな声で答えた。
主人公とヒロインは惹かれあっていたし、おそらく何もなければラブラブカップルになっていただろう。だが、過去の2人の出来事や時が経って変わってしまった事、多くのものを背負った事で、初恋を叶える事はメリットよりデメリットの方が大きくなってしまったのではないか。だから俺は聞いた。今の雪憐の意見を。
「でも、失う物が大きすぎたから選べなかったんじゃないか。家族がいたわけだし」
問いがあれば正面から考える。雪憐の良いところだと思う。
「自分にあそこまで嘘を続けても誰も幸せになれないと思います」
雪憐の回答は言い訳が無くシンプルなものだった。あんな嘘を続けてヒロインが子どもや夫と接してもヒロインや主人公、そしてヒロインの家族、どれも幸せにならないという事だろう。"優しい嘘"は本当に優しいかは分からない。人によっては悪意に感じる事もある。これは賛否両論あるところだろう。
「そうか、じゃあ、バッドエンドか?」
俺は急かすような質問をしてしまい少し後悔した。
「そうですね」
雪憐はそう答えた。その後、少し俯き気味に間を置いて聞き辛そうに聞いてきた。
「…初恋を選んでも、誰も傷つかなければ良かったと思いませんか?」
その声色は後悔があり、どこか拗ねているようでもあった。
そんな選択があれば素晴らしいことだ。誰も傷付かず自分の望む選択ができる。
だが、それが無いから人は考えて選択肢を選んで、時に後悔するんだ。
「人は複雑に利害が絡み合っている、全員が幸せになる方法なんてないだろ。取捨選択するしかない」
雪憐の意見を否定したくはなかった。しかし、意見を求められた以上答えなければならない。答えるのであれば嘘をつきたくはない。それに、雪憐も嘘の同意なんて望んでいないはずだ。
「…理想論ですか…?」
雪憐が寂しげに微笑んだ。電車の中では距離が近く、雪憐の顔がよく見えた。その儚げな表情はどきっとしてしまう。
「そう…だな」
俺も少し不器用に笑って答えた。
この会話が続けば良いと思った。今なら、少しずつ、4年前の事も向き合っていける。だからこれで良いんだ。4年前に戻る事はできないけど、ちゃんと"夜彩先輩"と"雪憐"として接する事ができている。
後は4年前と向き合う事ができれば、先輩後輩としても幼馴染としても両方の関係が大丈夫になるはずだ。だから、これで大丈夫。学校の最寄り駅に着いた電車の中でそう思った。
電車から降りるとそこはいつものホームだった。俺はすでに1年間通った、この場所。高校1年間で慣れた光景に幼馴染の雪憐がいるというのは、まるで4年前を境に断絶していた、"俺の人生の前半"と"俺の人生の後半"を繋ぎ合わせてくれたような気分になった。
そんな事を考えていると、ふと見慣れない金髪の少女を見つけた。うちの制服を着ていて、日本の駅にいると相当浮世離れしているなと感じた。…クリスタさんか。うちの高校の金髪の少女なんて1人しかいないだろう。
「先輩…」
が隣に居た雪憐がクリスタさんを見つけると酷く驚いたように言ってきた。戸惑っているのも伝わってきた。何か自分の犯した罪を見るような表情で、事の異常性を表した。
「クリスちゃん…ですよね…」
雪憐の絞り出すような声で言う。
「あ、ああ……」
クリスちゃん。雪憐が言ったその響きで4年前の記憶が浮かび上がる。俺はあいつの事を知っているのか。記憶を辿ろうとすると「やめろやめろ」と頭の中で自分が騒ぎ立て、周りに人が沢山いるのに時が止まり、俺と雪憐とクリスタしか居ないような錯覚に襲われる。
クリスタがふとこちらに気づきこちらに向いた。
それが引き金となり、記憶の固い何かが外れて、記憶が頭の中を行き渡る。
クリスタ・アレンス。
それは、4年前に俺が忘れようとした事。
それは、4年前に俺の選択の生贄。
それは、4年前の俺の罪。
クリスタは俺達に気付くと、にっこりと笑って会釈した。何気ないそれが、酷く不気味に感じ、気持ち悪い何かが身体を食い荒らして身震いがした。彼女は俺を恨んでいるのだろうか。いや、恨んでいないはずがない。
クリスタ・アレンス、雪憐花乃、夜彩凛。
贖罪に必要な人物はすべて揃った。
もう一度選択するんだ。例え間違っていても、大切な物を守るために。
過ちは繰り返す。




