第5話 藤堂 沙月
雪憐に胡蝶蘭を任せた日の夜、俺は夜道を歩いていた。自然のことわりに反抗した人類達が作り出した人工の弱々しい街灯によって辺りが漆黒に包まれる事は無かった。
前も後ろも人がおらず薄暗い脇道というほど細くなく、大通りと言えるほど広くない道を俺は進んでいく。孤独で薄暗いここは不気味な反面、とても落ち着いた。人に囲まれ、夜も昼間のような明るさの大都市の方がよっぽど孤独で不安に駆られる。孤独は自分のために時間を使えるチャンスなのだ。
などと思いながら、進むとそこには古風で小綺麗な喫茶店があった。街灯の寒そうな光とは違い暖かそうな光を出すその店だ。ここが田舎の村だと言っても信じてもらえそうだと感じた。
あれだけ孤独は良いと言いながら、結局のところ目的地は知人のいる店なのだから、思考と行動が乖離している。思わず俯き気味で自嘲の笑みがこぼれてしまった。
自嘲の後は後悔が押し寄せてくる。だから、後悔に潰されないよう空を見上げた。夜空は自然のことわりに従い暗く黒かった。都会化の副作用によって星は少ししか見えなかった。空を見上げていた俺は酷い顔をしていたと思う。
「いらっしゃい。って、凛君じゃないか」
喫茶店に入るなり女性店員は俺を見つめる。
「本当ならおひさしぶりはしたく無いんですけどね、藤堂先輩」
藤堂 沙月先輩はここでバイトをしている大学生で、俺がここにくるたびに相談ごとをするように求めてくる大変面倒な店員だ。もう、それ俺が店員なんじゃねえの?藤堂先輩から金とった方が良いんじゃない?
俺はカウンター席に座り、コーヒーを頼んだ。
「ここに来たということは、何か相談事かい?」
藤堂先輩はスタイリッシュな雰囲気を醸し出しながら俺に聞いた。いかにも相談して欲しそうだな。
「そうですね、藤堂先輩がどうしたら黙るかを相談しに来ました」
「それは難しいな、君が自分で解決できる大人になったら黙ろうと思っている」
「残念ですけど、自分で解決できないような問題ごとは起きていませんよ。早く仕事をしてください」
「君以外客がいないのにどうやって仕事をするというのかね?」
「簡単ですよ。唯一の客である僕のためにだらだらスマホでも見てれば良いんです。なぜ自分から仕事を増やそうとするんですか?」
「ふふ、君が心配だから…というのが正解だ」
いつまでも続くのであろう応酬を察知したのか藤堂先輩は話を打ち切り、藤堂先輩にとっての本題であろう相談事を持ち出してきた。
「どうだ、彼女とは順調かね?」
藤堂先輩は特に恋愛の相談事を大変好んでいる。もう自分でしろよって言いたくなるくらいその相談事が好きだ。その容貌なら余裕でできるだろ。
「そもそも彼女なんていませんよ。俺にできると思いますか?専門外です」
俺はキッパリと否定する。そもそも俺に彼女がいるかもしれないと少しでも考えるのもどうかと思う。恋は専門外だ。人の気持ちはよく分からない。
「ほらあの子だよ。確か名前は……紗恵だったかな?」
ああ、藤堂先輩やっぱり勘違いしていた…。というか紗恵の話前もして俺が否定したよな。藤堂先輩ついにボケ始めてしまったのか…というか、若年性アルツハイマーって10代でも発症するのか…。これ藤堂先輩の卒業論文のネタに使えるのでは?
「何度も言いますが、彼女はただの知人です」
何度目かの否定の言葉を口にする。
「だが、好意はあるのだろう?」
藤堂先輩の目は輝いていた。本当に恋愛話がお好きなようだ。
「俺が欲しいのは紗恵じゃありません、友人です」
藤堂先輩の期待には答えられそうになかった。でも誠実に答えたつもりだ。それにあいつに好意を抱いても誰も得しない。価値観が違いすぎるし、そもそもあいつが俺に好意を抱くかすら不透明だ。
「またまた、本当かね?」
先輩は追撃するかのように聞いてきた。
「本当ですよ。俺は嘘をつけるほど器用じゃありません」
少しだけ嘘をついた気分になった。心にちくりとなにかが刺さる。でもこれを嘘にしてはいけない。これは真実であると同時に"紗恵が好きではない"という真実を補強しているんだ。こうやって罪悪感をすぐに感じる自分の性質を利用して自分を制御する。
もし好きになれば嘘をついた事になる。嘘をつけば罪悪感と自己嫌悪に悩まされる。むしろ嘘をついてでも紗恵が好きになったのであれば、それは相当な覚悟をもって彼女を愛している何よりの証拠になるだろう、その時はその時に考えれば良い。
「そうか?後悔しないうちに答えを出さないと手遅れになるぞ」
藤堂先輩は何かを懐かしむような遠い目をして言った。もしかしたら先輩にもそのような過去があったのだろうか?先輩の目を追っても答えは出ないだろう。答えを知っているのは先輩だけだ。自分の過去は自分自身しか向き合えないから。
ここまで話したが、俺はこの話題を話したいとは思わない。他人の本心が良く分からないのに恋をしたいなんて思えない。俺は恋よりも先にやるべき事があるだろう。雪憐の事だって何一つ解決できていない。4年間、問題を先送りにし続けただけだ。
俺が考え込むと先輩はふと笑みを浮かべ俺に問いをぶつける。
「じゃあ、紗恵が君に好意を持っているとしたら、どうする?」
「そんな事は無いと思います。だから、考えた事はないです」
俺はこの人の事を"相談ごとをするように求めてくる大変面倒な店員"と称した。でも、藤堂先輩は相談するよう強要してきてくるくせに、相談に乗るのは上手いんだ。
相手の悩みを的確に推測しうまく悩みを吐き捨てさせる事ができる。本当ならさっさと断ってしまえばよかった。ある意味たちが悪い。
「では、紗恵が友達では無くなってもうまくやれるのか?」
「…それは」
藤堂先輩の顔は至って真剣であった。ニヤニヤとしていればそこを突っ込めたが、隙がない。その問いへの回答を避ける事はできなかった。でも答える事も…できなかった…。俺が回答に窮していると、藤堂先輩は追撃するかのように次の問いを俺にぶつけた。
「紗恵に彼氏ができても君は何も思わないかい?」
本当にこの人は俺の心にブスブスと刺してくる。考えても答えが出ないのに答えを出さなければならない難題から逃げる自分を鏡で見させられている気分だ。人は心であれ体であれ痛みを感じると苛立ちを覚える事がある。俺も例外ではなかったようだ。
「…何が言いたいんですか?」
思わず声色に苛立ちが含まれてしまった。感情を抑えこんでも溢れ出てしまったのであろう。
「君は紗恵と一緒にいるのが楽なのだろう?」
藤堂先輩のことだ、きっと俺の考えている事は大まか予想がついているのであろう。ここで隠し事をしてもあまり意味が無いだろう。俺は落ち着くため深呼吸に近いため息をつくと話始めた。
「そうですね。ただ、楽しくはないです」
自分でも言葉にするとスッキリとする。紗恵と一緒にいる事は楽なのだ。紗恵は事を深く考えず行動し、空気も読め、考える必要が無いアニメやライトノベルの話をする。好きなものは「それな」と言い、嫌な事はやんわりと断る。
語彙力も適度に死んでいて、良くわからん社交辞令的な共感をして、地雷のような話は徹底的に避ける。空気清浄機並みの能力で、空気を改善し、絶対に居心地の悪い空気にしないよう努力する。絵に書いたような一般的なjkだ。
今日のように「キモ」と直接的に言われたのは随分と久しぶりだ。今回は流石にあちらから見ても不愉快だったのかもしれない。
「君の中では楽でも楽しくは無いのか?どうして?」
「嫌です、あんな生き方。辛くてもちゃんと考えて最善のものを選ぶべきです」
言い終わると俺は少し俯き気味になった。紗恵との今までの事を思い出した。思いだすと自信が無くなったのか、最後の方は声のトーンが自分でもダウンしたのが分かった。
「…薬物ですよ。関係性を例えるなら…」
俯いた状態で吐き捨てたその台詞は自分でも情けなくなるくらいの声だった。"依存している"とは言えなかった。依存を薬物と言い換えた。自分の非から目を逸らすために。
そんな俺は何も言わずに見ていた藤堂先輩はふと優しそうな声で言った。
「私は紗恵君も彼女なりに君の事を思ってくれていると思う。君が思っている薬物は君が思っているほど醜いものでは無いよ」
「そうですかね…」
藤堂先輩の声に俺は曖昧な返事しかできなかった。
「彼女にはしっかり謝っておきなさい」
「あ、はい…え?」
驚いて、思わず顔を上げたそこには声色と同じ優しく微笑んだ藤堂先輩がいた。目の前の人は人生の先輩という表現が近いと感じた。
しかし、どこかから情報を仕入れたのか、俺から推測したのかは不明だがどちらにしても流石だと言わざるを得ない。俺も出来る限り平穏を装っていたはずだが、無意味だったようだ。
凄さを実感すると、思考が鈍り、余計な事を口にしてしまった。
「昼ご飯、あいつ、俺はずっと断り続けているのにな…」
藤堂先輩は「ふむ」というと、こう切り出した。
「紗恵君だって人間だ。我慢の限界だってあるだろうからな。人間断られ続けたら嫌な気持ちは溜まるだろう」
「だったら、なおさらです。なぜ、不快に感じる事を続けるのか理解できませんよ」
「それは紗恵君が君を…と言っても凛君は納得しないか」
「そうですね」
藤堂先輩の言おうとしていた事はなんとなく察した。俺も藤堂先輩も夜彩凛の回答は目に浮かぶように分かっていた。時間の無駄だ。
「では、考え続けなさい。君が私の言葉や紗恵の行動が納得できないなら、自分で納得できる答えを探すべきだ」
藤堂先輩のアドバイスはシンプルで明快であった。理解できない難問であるなら理解できるまで思考を続ければいいと。一番辛くて一番夜彩凛が望んだ解法だ。
「だが」
藤堂先輩はアドバイスを終えると少し視線を下げて言った。藤堂先輩はとても言いづらそうに切り出した。憐れむような、悲しむようなそんな様子だ。
「それはとても辛いやり方だ。紗恵君とズレを感じ続けなくちゃいけない。きっと、そんな関係では、君も紗恵君も望む結果は得られない。君も紗恵君もとても後悔する」
だから俺は…
「それでも、ちゃんと考えます」
と答えた。言葉通りだ。覚悟はできてない。自信なんて微塵も無い。後悔しないなんて思えない。でも、俺は一番辛くて一番望んだ方法を選んだ。これが最善だ。
藤堂先輩は感慨深く頷くと、すぐにいつもの頼りがいのある顔で笑った。
相談するよう強要してきてくるくせに、相談に乗るのは上手い。ありがたいが、藤堂先輩に甘えてはいけない。自分の選択を最終的に決めるのは自分自身だ。そう思った。
少し間が開くと、藤堂先輩はそう言えばと、ポンと手を叩き俺に聞いた。
「胡蝶蘭はちゃんと世話できたかね?」
胡蝶蘭…。雪憐の事を思い出した。先輩から後輩へ、あれはこうして受け継がれてきた。
「ええ、ちゃんとしました」
嘘は言っていない。むしろこれは自信を持って言えた。物であれ人であれ、ちゃんと愛着を持って長期間接した数少ない事例だ。
「そうか。ありがとう」
藤堂先輩は少し嬉しそうに言い。言い終わるとコーヒーを飲んだ…。え、藤堂先輩、店員だろ。
なんでちゃっかり自分用のコーヒー作って、飲んでいるんだ?客いなくても店員だろ。これはこれ、あれはあれ、ありがたくても仕事はするべきだ。
そう思い、ジロっとした目で見ていると、藤堂先輩は視線に気付き咳払いをした。
「凛君は相変わらずだな…。ちゃんと許可はもらっているぞ」
藤堂先輩は呆れた表情をすると、ダメ押しとばかりにもう一口コーヒーを飲んだ。
そして、話を続けた。
「胡蝶蘭は今年の1年1組の風紀委員に託されるのか。面倒事扱いされてなければ良いが」
藤堂先輩は懐かしむような声で言う。心なしか少し寂しそうだと感じた。
だが、俺もそれは同じ気持ちだったので理解できた。そして、言うべきだと感じた。ちゃんと、あの胡蝶蘭は後輩に受け継がれたと。
「胡蝶蘭は俺の後輩に頼みました。大切なものだったので」
俺が藤堂先輩を見て言う。藤堂先輩は意表を突かれたような顔をしていた。
「君が胡蝶蘭を託すなんて相当信頼しているんだな。一体、どんな関係なんだ?」
新入生が入学してほとんど経っていないにもかかわらず、俺がその後輩を信頼している。藤堂先輩からしてみれば俺が答えを言っているのとほぼ同義だろう。
「幼馴染ですよ。4年ぶりの再会ですけどね…」
藤堂先輩はそれを聞くと苦笑した。
「君は本当に世話が焼ける後輩だな。今日はもう遅いし、また今度にしようか」
藤堂先輩のその苦笑には苦痛が感じられず、代わりに無邪気さと嬉しさがあり、苦笑と呼ぶには不適切では無いかと感じた。




