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第7話 回想

 ノスタルジックな色のない光景がそこには広がっていた。俺の知っている近所の草原を背景に、俺の前には幼い少年と少女。懐かしいあの頃の風景が描かれ、これは4年前の記憶に基づいた夢を見ているのだとすぐに分かった。


 俺だけは色がついていて、2人からは認識されない傍観者。それは、俺がどう足掻いても過去には干渉できない事を意味していた。何をしても、何度見ても結末は変わらない。何故なら、これは記憶を再生しているような夢だから。


「どうして、クリスちゃんを助けなかったの?」


 その少女は少年へ問いかける。少女はいつもより強い声色だと少年は感じていた。ああ、今の雪憐の凛とした声に近い。歳の幼さを感じてもこの声が雪憐の今の声の原型だとすぐに分かった。


「いいよ。いいんだ、これで」


 少年は自信に満ちた答えをした。それはまるで正義のヒーローが助けに来たような声だ。悪びれもせず…いや、少年はその少女を無事助けられたと、これから待つのはハッピーエンドだと信じて疑わなかった。だから悪びれるどころか、悪と言う言葉は少年の頭の片隅になかった。


「どうして?」


 その少女は聞いた。その声には「分からない」と言うニュアンスを感じる。考えが整理できていないのか、少し焦ってもいるとも感じた。


「クリスちゃんはいじめられていたんだよ」


 少女は俯き気味でいう。それは低く暗い声の後悔であった。自分が間違った事をしたのではないかと言う疑念が少女を襲った。


 目の前の少女が納得行かない事が少年の自信を削いだ。少年は"このまま何も問題無くハッピーエンド"になると思っていたんだ。だが、その考えが無くなった今、少年は"説明すれば分かってくれてハッピーエンド"になると信じていた。結局、思い描いた結末は何も修正されていなかった。


「だって、クリスタのいじめが終わったら、花ちゃんがいじめられたかもしれない」


 少年はポツリと説明をはじめる。話せば分かってくれると信じて。


「僕は花ちゃんがターゲットにされないためだ」


 少年は語気を強めて言う。それが少年の唯一の動機だったから。少年は目の前の少女を泣かせないためにやったんだ。幼い未熟な少年が出した最善の選択。


「そうだけど!そう…だけど…」


 少女はそれを聞いて、酷く動揺した。どれが、良いのか。どうすれば、正しかったのか。何が、最善だったのか。苦悩していることが見ている俺にも伝わってきた。少年よりも早熟だった少女。彼女にとって、その余りに独善的な少年の考えは受け入れがたいものであった。


「他に方法は無かったの?これじゃあ、クリスちゃんが…クリスちゃんが……」


 少女は動揺したまま、少年に聞いた。目に涙を浮かべ、最後の方はかすれるような声だ。


 それを見た少年はつられて酷く動揺した。今まで信じた自信が偽物なのではないかと疑問を抱く。頭の中が真っ白になり、ハッピーエンドが音を出して崩れ始めた。


「こうして大きな問題になったから、終わったんだ。これが一番いい」


 少年はそう呟いた。負け惜しみのような声で、最初の自信に満ち溢れた声の面影すら無かった。


 "そうだ、正しかった。あいつが酷いいじめを受けたから、ちゃんと先生が気づいたんじゃないか。中途半端じゃあ、また再燃した"と少年は自分に言い聞かせた。あんな学年をまたいで行われていたいじめだぞ。自分の選択が最善である事を保証するために、少年は虚像の自信を自分で生み出す。


「クリスちゃんは転校しちゃった」


 少女は言う。少女にとって、先ほどの少年の言う"終わった"状態では無かった。


「こんな事になるんだったら、私が傷付けば良かったんだ」


 少女は続ける。少女の声色はこれまで少年が見た事が無いほどの後悔が滲み出ていた。


「クリスちゃんが悲しんでいるのに私は何もできなかった」


 嗚咽が混じったその声とともに、一つの涙が零れた。少年はそれを見て、ついに虚像の自信さえ持てなくなった。"自分は間違った選択をしたのか"と言う思いが時間が経てばたつほど、少年を侵食していった。


「全員を助けられないから、優先順位をつけて大切な人を助けるんだ」


 少年は侵食に抗って、続ける。違う、そうじゃない、納得ができない、少年の心の叫びだ。少年にとって信じて選んだ最善の選択だから。


「できない事をできるなんて言うのは嘘付きだ。大切な人を助けないなんてひどい事だ」


 分かってほしい、少年の最後の願いだった。少年は自分が信じたものを肯定して欲しかった。そして、肯定するためには少女が喜ばなければならなかった。


「わからない。分からないよ…。私のためにクリスちゃんが犠牲になるなんて…」


 少年の願いは少女には届かなかった。いや、違う、少女は少年の願いを受け入れなかった。私のために私の友達が犠牲になるのは間違っていると、そう言っている。


「私のせいだ…。私がちゃんとクリスちゃんと向き合わなかったから…。私が…私が凛に選択を押し付けたんだ…」


 少女の嗚咽まじりの声は大粒の涙に変わった。少女は声を上げて泣いた。少女がこんな泣き方をするのを少年が見たのは何年かぶりである。涙は全てを洗い流す大雨のように後悔の台詞と共に流れ落ちる。どうしようもできなかった彼女のどうすることもできない感情。


「ち、違う…。そうじゃ…」


 少年は否定の言葉を口にしようとして途中でやめた。いくら否定しても慰めても花ちゃんは納得しない。少年はそう悟ったのだ。


 少年が信じたものが少女の涙と共に音を立てて壊れた。少年の少女を「助けたい」という単純で純粋な思いで行動し、結果的に真逆の結果を生んだ。少年はいつも一緒にいた大切な幼馴染を傷つけたのだ。その事実だけで少年にとって耐えがたい苦痛である。


 だが、思春期を迎えつつあったその少年は、少女に淡い想いを抱いていた。初々しい恋を知らぬ少年は初恋の人を泣かせてしまった事で、今までに無い感情に戸惑い、そしてさらに彼の心をズタズタにした。


 もう、そこにはハッピーエンドのカケラなどなく、あれだけ確信していたハッピーエンドは少年の頭の中からも忽然と姿を消していた。


 そして、少年は後悔した。今までにも後悔はあった。しかし、それまでとは違う、"自分が選択を間違えた"という後悔である。ある意味、今までの後悔は後悔ではなかったのかもしれない。


 少年は前で自分を責め後悔して泣きじゃくる少女をただ呆然と見つめていた。しかし、決して、少女は少年を責めなかった。真実は分からないが、この時少年は少女の優しさからだと思っていた。


 それが酷く自分を責めていると感じていた。一層の事、責めて欲しかった。「あなたのせいだ」と言って欲しかった。


 そうじゃないと、自分の愚かさで自分が壊れてしまいそうだった。


 彼…いや、俺にとってこの結末は受け入れがたく、心をえぐり呪いのように、刻み込まれる。今も終わる事も続ける事もできず、初恋は4年前のかたちをとどめたまま、俺の心の奥深くへと沈んでいっている。終わりの無い奥底へと…。


 目が覚めると、そこは教室で、夕焼けのオレンジが空全体を覆っていた。周りに誰もおらず、孤独な自分自身を表している気がした。


 この夢を見るのは久しぶりだ。一昔前は一週間に一度ほど、疲れた時に必ずこの夢を見た。何度見ても、全く同じだった夢。


 同じだった…?


 俺の中に疑問が湧いた。クリスタの事を忘れていたのに。今まではクリスタの部分はまるでノイズが入ったように自然に切り取られていて、忘れていた事自体を忘れていた。たぶん、俺は名前自体に関心が無かったのだろう、俺の後悔は"クリスタを傷つけた事"では無く、"クリスタが傷ついた事で雪憐が傷ついた事"なのだから。


 そう思うと、"初恋は4年前のかたちをとどめたまま"というのは間違っているのでは無いか。俺は外見を見てかたちは変わっていないと思っても、実際は奥深くへと沈んでいくうちに、俺の手によって中身は無意識に歪まされグチャグチャになっているのかもしれない。もはや、俺を呪う初恋は"4年前の初恋"ではないのかもしれない。


 4年前、雪憐に抱いた感情。4年前のあれはある意味、俺の幼馴染としての最後になるはずで、あの後の物語は、幼馴染としての雪憐の話ではなく初恋の人としての雪憐の話になるはずだった。


 だが、それはハッピーエンドならばの話。終わった過去は変えられない。


 

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