月の裏側
そんなある日、縁側に猫がいた。
洗濯物を干そうと窓を開けたら、サッシのところに、灰色の塊が座っていた。日の当たる縁側の板の上で、目を閉じている。
片方の耳が、かぎ裂きになっている。
「…おい」
声をかけると、かぎ裂きの耳がぴくりと動いた。起きていることは分かったが、僕のことなど気にしていないようだ。
痩せているが、骨太で、毛並みはざらざらとしている。顔のあちこちに、古い傷があり、歴戦の風格を漂わせている。
いちど顔をあげたが、興味のなさそうな目つきで僕を見ると、また丸まってしまった。
「遊びに来た風じゃないね」
独り言に、猫は答えなかった。その代わりに、目を閉じたまま、のびを一つした。日向ぼっこの権利を、断固として主張しているようだ。
それ以来、猫は時々来るようになった。
来るといっても、遊びに来るのではない。縁側で勝手に日向ぼっこをして、飽きると勝手に帰っていく。
まるで、自分のなわばりだと言わんばかりに、ごく当然のような顔をしてやってくる。
そのうち、気が向くと、部屋の中に入ってくるようになった。
いちばん日当たりのいい畳の真ん中で、腹を見せて、無防備に眠っていたりする。
多分、僕の存在など、気にもしていない。
今夜も深夜のラジオから、みゆきの声が流れてくる。
「こんばんにゃー」
緑のランプの灯りの中で、いつもの様にはしゃいでいる。他愛のない話、はがきの紹介、かける曲の解説。
その声を聞きながら、昼間の猫のことを考えていた。
縁側で、一人で日向ぼっこをしている猫。
陽の当たる猫の背中が、ゆっくりと膨らんで、ゆっくりと縮む。誰にも媚びることがない背中だった。
あの猫は、たぶん、孤独を引き受けている。
耳のかぎ裂きも、顔の傷も、一人で戦ってきた証だ。
だから誰にも媚びる必要が無い。
僕よりもずっと、あの写真の狼に近いだろう。群れを捨てて、雪の上を一人で歩いていた狼に。
みゆきの声が、今夜の最後の曲の紹介に移った。
僕は、言い訳をかき消したくて、ラジオの音を少しだけ上げた。




