ホームにて
高校を卒業すると同時に家を出た。
進学校と言ってよい学校だったが、三年間を通して目的を見つけられなかった。
周りが受験モードに入っていくのを横目で見ながら、どうしても勉強に集中できなかった。
当然、大学受験には失敗した。
浪人することになったとき、父は予備校の近くに小さなアパートを借りてくれた。
母との関係が限界にきていることを、父もとうの昔に理解していたのだろう。
家を出るという選択を、父は反対しなかった。
むしろ、静かに背中を押したように思う。
アパートは、長屋と言った方がしっくりくるような、築50年は経っていそうなオンボロだった。風呂なし、共同トイレ。六畳一間に、申し訳程度のキッチンが付いているだけだ。
畳は陽に焼けて、ところどころ色が抜けているし、窓を開けると、裏の畑から堆肥のにおいがした。
でも、僕にとっては、息の詰まる家から解放されて、初めて息をつける空間だった。
ただ、その軽さは、自由というより、ただの空白に近かったが。
引っ越しの荷物はスーツケースが1つと、ボストンバッグが1つだけだった。
スーツケースには衣類、ボストンバッグには予備校のテキストや参考書、それにお気に入りの本が数冊入っている。
机と布団と小さな冷蔵庫は父と一緒に新しいものを買いに行った。
最低限の調理道具や食器も買う必要があったが、それは自分で買いに行くからと断った。
引っ越しの間も、買い物の間も、父とは必要なこと以外、何も話さなかった。
話さなかったが、父の気遣いを感じていた。
父は父なりに、ずっと気を使っていたのだと思う。長い間、母と僕にはさまれて、どうしてよいか分からなかったのだろう。
父の気遣いを、ありがたいと思うと同時に、どこか申し訳なく感じていた。
夜になると、六畳しかない部屋が、やけに広く感じられた。
天井の蛍光灯を点けても、部屋の隅には暗闇が居座り、誰もいない空間が、静かに音を吸い込む。
布団に横になり、天井を見つめる。
家を出たはずなのに、どこに行ったらいいか分からない。
駅のホームで、どの列車に乗るか決められないでいるような。どこへ行くべきなのか、どこへ行きたいのか、それすら分からなかった。
そもそも、自分は列車に乗る気があるのかも分からない。
それでも、ラジオだけは、部屋の空気を少しだけ変えてくれる。
深夜番組のパーソナリティが軽い声で喋っている。今日は、みゆきじゃないんだなと、何となく思う。
「こんばんは。今日も夜更かしの仲間たち、元気ですか」
そんな言葉に、少しだけ救われる。
誰かが、自分の存在を前提にして話してくれている。
ラジオの向こう側には、僕と同じように眠れない夜を過ごしている誰かがいる。その誰かの存在が、ほんの少しだけ強さをくれる。
ラジオの音量を少しだけ上げる。
深夜放送のパーソナリティの笑い声が、部屋の空気をゆっくりと満たしていく。
「明日も、なんとかやっていきましょうね」
その声に、小さくうなずいた。




