狼になりたい
「こんばんにゃー」
真夜中のラジオでは、今夜も、みゆきがはしゃいでいる。
部屋の電気は消してある。机の上で、ラジオの小さなランプだけが緑に光っている。
深夜のラジオは、淋しい人たちのための遠吠えだ。僕たちは電波のこっち側で、それを聞いている。
そして、一人きりではないことを感じて、いくらかの慰めを受け取る。
家はもう、眠っている。いや、眠る前から、静かな家だ。夕食のとき、食卓にはテレビの音だけが流れている。
「いただきます」と「ごちそうさま」と、たまに天気の話。
それ以外の言葉は、音にならずに、溶けて消えていく。父と母と三人で食卓を囲んでいても、それぞれ別の場所にいるみたいだ。
この家には、僕のいる場所がない。
正確には、母の心の中に僕のいる場所が無い。
父は再婚だった。2歳になったばかりの僕を連れて再婚したらしい。多分その時から、母にとって僕は要らない存在だったのだろう。
そんな母に気を使って、父も徐々に僕に構わなくなった。
僕にとってもその方がありがたかった。まだ幼かった僕が笑ったり、はしゃいだりすると母の機嫌が悪くなったからだ。
母の機嫌が悪いと、家の中の空気が冷えて固まる。身体の中にも氷のような感触が広がる。
だから、家の中では出来るだけ目立たないように、母の機嫌を損ねないように過ごしてきた。
黙って、味のしない夕食を食べた。
小学校のころ、図書館で借りた動物の写真集に、狼がいた。
雪の上を一匹で渡る、灰色の獣。その写真を見たとき、どこかで、何かが震えた。
狼は群れで暮らす生き物だと書いてあった。
群れから遅れた者は、雪の上に残されていく。それでも、あの写真の狼は、悲しそうには見えなかった。孤独を、全部引き受けた顔で、ただ、静かに、まっすぐに歩いていた。
そして一人静かに、月に向かって吠えるのだろう。
僕は、今まで一度も、吠えたことがない。
みゆきの声が、はがきを読み終えて、また一人で笑った。
夜風が吹いた。カーテンの隙間から流れ込んで、足の甲を撫でていく。夜の風は、どこからか、何かを運んでくる。まだ名前のない、何かだ。
言葉になる前の、ざわめき。
喉の奥が、かすかに鳴った。
これでも、一応、鳴いたことになるんだろうか。




