【残された五人と、静かに回り出す歯車】
【残された五人と、静かに回り出す歯車】
怒涛のような熱狂に包まれた新入生歓迎ステージと、地獄のような朝練が始まってから、早くも一週間が経過していた。
放課後の合気武道部・専用道場には、ある種の「予定調和」とも言える静寂と、濃密な熱気が漂っている。
「……結局、残ったのはあの五人だけだったッスね」
道場の隅で腕を組みながら、副主将の佐藤陽翔がしみじみと呟いた。
視線の先では、入部当初は50名近くいたはずの一年生たちが跡形もなく消え去り、たった五人の新入生だけが汗だくになって基礎稽古に励んでいる。
「仕方がないよな。俺たちの稽古は、常軌を逸しているからな」
主将の門蒼真が、至極当然といった顔で深く頷いた。
「ええ。むしろ、この過酷すぎる環境で一週間も耐え抜き、辞めずに道場に通い続けている彼らの方が異常ですわ。良い意味で、ですが」
高橋玲央が眼鏡の奥の瞳を細めて、洗練されたお嬢様口調で同意する。
「最初の三日で三十人が消え、週末にはさらに五人が消えました。残ったのは、最初からチート級の能力持ちか、純粋に頭のネジが外れている子たちだけですね」
南原紗良も、冷徹な分析を交えながら五人の一年生を静かに見つめていた。
佐藤、門、高橋、南原、そして阿部。
彼ら五人は同じ一般科・芸能科の二年生であり、理不尽な魔王・恋問持子の下で同じ苦楽を共にしてきた「同級生」だ。フラットで気安い、確かな信頼関係が彼らの間にはごく自然に築き上げられていた。
道場の中央では、巨漢の大文字鉄平が「押忍! 押忍ゥ!!」と道場が揺れるほどの凄まじい気合いで素振りを続けている。彼は門の圧倒的な強さに心底惚れ込んでおり、熱血の塊となって重い木刀を振るっていた。
その隣では、雨宮千歳が「ひぃ、ひぃ、ふぅ……っ」と涙目で受け身の稽古をしている。極度の怖がりで体力もない彼女だが、先輩たちからこっそり分け与えられる回復の魔力と、持ち前の根性だけで必死にしがみついていた。
少し離れた場所では、桐生蓮が「もう……イケメンの顔が崩れる……」と早々にへばっているが、幼馴染である南原が「少しは根性を見せなさい」と呆れながらもタオルを投げてやるという、ある種の甘やかな空間が形成されている。
そして、相変わらずのカオスを巻き起こしているのが、残りの中の二名だ。
「さ・と・う・セ・ン・パ・イ♡ 今日の稽古が終わったら、一緒にプロテイン飲みに行きませんかぁ?」
愛が重すぎる男の娘、桃井琉生が、熱を帯びた視線で佐藤の背中にねっとりと纏わりついてくる。
「行かないッス! っていうか、お前俺のお尻見すぎなんだよ! 集中しろ!」
「え〜、だって先輩の筋肉、どんどん引き締まってきて最高なんですもん♡」
「このゴミ虫がぁぁっ!! 僕のお姉さまの視界の中でイチャつくなんて許さないッ!!」
そこに、阿部凛花を「お姉さま」と崇拝する神品蘭がバチバチと危険な静電気を散らしながら突っ込んでくる。
「ひぃぃぃっ! なんで俺が怒られなきゃならないんスか!」
佐藤が悲鳴を上げて逃げ回り、道場内を追いかけっこする様子は、もはやこの一週間ですっかり見慣れた「合気武道部の日常」となっていた。
「あははは! 陽翔くん、今日も大人気だね〜!」
阿部凛花はそんな修羅場をゲラゲラと笑いながら見守っている。彼女の180cmの長身と発育した圧倒的なプロポーションが揺れるたび、神品が鼻血を出しそうになっている。
(……本当に、朝から晩までエロに振り切った変態的なノリですわね。佐藤くんと阿部さんのあの空気、理解はできても嫌悪感を禁じ得ませんわ)
高橋は内心で深くため息をつき、扇子をパタンと閉じた。完璧主義の彼女にとって、あの騒がしさは少しだけ苦手だ。
(騒がしいのは苦手ですが……それでも、阿部さんのモデルに対する真摯な姿勢や、誰にでも優しい心だけは、同じ芸能科の仲間として心から尊敬していますけれど)
同級生同士の、それぞれの個性がぶつかり合う道場。
しかし、彼ら二年生たちが後輩の指導にかかりきりになれる時間は、次第に限られ始めていた。
***
「——おーい! 凛花、迎えに来たよ〜!」
道場の外から、よく通る快活な女性の声が響いた。
窓から外を見ると、学園のロータリーに一台の傷だらけの高級な黒塗りのミニバンが停まっており、運転席から、ボーイッシュで小柄な女性が手を振っている。
この学園の卒業生であり、かつての合気武道部の「元主将」——現在は巨大事務所『スノー』の新人マネージャーとして奮闘している女性、千手美貴だった。
「あ、千手マネージャーだ! はーい、今行きます!」
阿部は道着を脱ぐと、手早く私服に着替えた。
その服装は、以前のようなギャル系のものではない。気品と上質さを兼ね備えた、洗練されたハイブランドの衣服だ。
絶対的な神であった恋問持子が卒業し、学園を去った現在。その空いた王座を継ぐかのように、持子のすべてを完璧に模倣しようとたゆまぬ努力を続けた阿部凛花は、驚異的な飛躍を遂げていた。
己の肉体と精神を極限まで磨き上げ、国内外のコレクションを次々と成功させてきたのだ。その圧倒的な実績と放たれるオーラが評価され、彼女はなんと、パリに拠点を置く世界的コングロマリット『リュクス・アンペリアル』のモデルに抜擢されたのである。現在はその国内ブランドの撮影で、分刻みのスケジュールをこなしている。
「ごめんねみんな! 今日はこれからブランドのシューティングがあるから、お先に上がるね!」
「お姉さま、いってらっしゃいませ! 撮影、頑張ってください……っ!」
神品が目を潤ませて深くお辞儀をする。
「千手マネージャー、今日もよろしくお願いします! また土御門副社長に怒鳴られないように、私が現場でしっかりフォローしますからね!」
ポンコツ気味な新人マネージャーの千手と、それを支える阿部。タレントと裏方の枠を超えた、女性同士の二人三脚の絆がそこにはあった。
「俺たちも、そろそろ行くか。玲央」
「ええ、蒼真」
門と高橋も、道着を片付けながら立ち上がった。
高橋玲央は現在、ゴールデンタイムの連続ドラマの主演に抜擢されており、若手の注目株として撮影スケジュールが非常に過密になっている。恋人であり担当マネージャーでもある門も、当然それに同行しなければならない。
「留守は任せたぞ、佐藤」
「任せるッス、門! 気をつけて行ってこいッスよ!」
同級生同士、言葉は短くとも確かな信頼の視線を交わす。
門はマネージャー業で不在になる時もあるが、そこは巨大事務所となった「スノー」の手厚いフォロー体制がある。おかげで門は、合気武道部の主将としての責務も、学年上位をキープするための学業も、無理なく完璧に両立できていた。
稽古も終わり最後の挨拶を終えて、格技場の掃除が終わってから。
「……さて。私たちも行きますよ、佐藤くん。今日は深夜枠のドラマの、通行人Cの撮影です」
南原紗良が、ため息まじりにポンッと佐藤の背中を叩いた。
「うすっ! 任せてください紗良ちゃん! 俺の完璧なサポートで、今日こそ監督の目に留まるような名演技の通行人を見せつけてやるッス!」
「通行人に名演技も何もありません。それに、私は元子役として確かなキャリアがあるんです。ちょい役ばかりなのは……ただの不遇の時代です!」
プイッと顔を背ける南原。彼女は学年トップの頭脳と確かな演技力を持つが、圧倒的な「童顔」が災いしてちょい役ばかりをこなす日々が続いている。しかし、佐藤は担当マネージャーとして、彼女の才能を誰よりも信じて同行を続けていた。
***
二年生たちが全員道場を後にし、ふっと静寂が訪れた専用道場。
残された一年生の五人は、先輩たちの抜けた穴の大きさを実感するように、少しだけ静かになっていた。
「最近、先輩たち……すごく忙しそうですね」
雨宮千歳がほうきで畳を掃きながら、ぽつりと呟いた。
「ああ。みんな芸能界の第一線で仕事をして、その上で俺たちの面倒まで見てくれてるからな。……イケメンの僕から見ても、正直頭が上がらないよ」
桐生蓮が、普段のキザな態度を潜めて素直に同意する。
「押忍! 門主将のあの圧倒的な武のオーラ……! ご多忙なはずなのに、微塵も隙がありません! 自分たちも、早く先輩たちに追いつけるよう、さらに死に物狂いで稽古に励むのみです!!」
大文字が拳を固く握りしめ、熱く燃え上がる。
「そうですね……。僕のお姉さまも、あんなに美しくて尊いのに、毎日血の滲むような努力をしているんです。僕も早く、お姉さまの隣に立てるだけの力を……っ!」
神品蘭が真剣な眼差しで虚空を見つめた。
「ええ。佐藤先輩のあの引き締まったお尻……そして強靭な受け身……。わたしも早く強くなって、先輩と同じステージに立って……そして攻め落としますぅ♡」
桃井琉生がうっとりと両頬を押さえる。一部、目的が完全にズレている者もいたが、一年生たちの心には確かな「先輩への憧れ」と「追いつきたいという成長への渇望」が芽生えていた。
***
その頃。
夕暮れの学園を出て、南原と共に深夜枠ドラマの撮影スタジオへと向かう電車の中。
ガタンゴトンと揺れる車内で、不意に南原のスマートフォンの画面に、特殊な暗号化通信を知らせる赤い通知がポップアップした。
『——スノー/立花雪より至急通達。明日の夜、東京ダンジョン第三層にて怪異の群れが異常発生。合気武道部の二年生諸君に、討伐任務の要請を下す』
「うげっ。またッスか」
佐藤が周囲の乗客に聞こえないよう、声を潜めて呟いた。
「……ここ最近、東京ダンジョンからの探索や討伐依頼が急激に増えてきたッスね。事件の始まりの前触れじゃなきゃいいんスけど」
「仕方ありません。私たちの肉体には極黒の魔力が馴染んでいます。持子先輩からいただいた魔力を無駄にはできませんし、持子先輩の分まで頑張らないといけないんです」
南原が画面を見つめながら、淡々と答える。
「でも、さすがに明日、あの一年生たちを連れて行くのは無理ッスよね?」
佐藤の問いに、南原は画面をスワイプし、スノーの社長である立花から事前に共有されていた、一年生五人の『能力リスト』を開いた。
・桃井琉生:覚醒者C級。変身能力(身長・体重の制限あり)および魔力による身体強化。
・神品蘭:覚醒者D級。電気発生(現在は家電を壊せる程度)。
・桐生蓮:能力者E級。動体視力と遠視。
・大文字鉄平:能力者C級。自己の肉体強化。
・雨宮千歳:能力者B級。念力、霊視、結界、透視、短距離テレポート。
「ええ、当然です。彼らはまだ、東京ダンジョンに入れるレベルではありません」
南原は冷徹な頭脳で状況を分析する。
「雨宮さんのB級というポテンシャルはずば抜けていますが、本人が極度のビビリで力を制御できていません。大文字くんや桃井くんの身体強化も強力ですが、怪異の『呪い』や『精神攻撃』に対する防壁を持っていません。……今ダンジョンに連れて行けば、十中八九、命を落とすか精神を破壊されます」
「ッスね……。まずは徹底的に合気武道で基礎体力と精神力を鍛え上げないとダメッスね」
佐藤は深く頷いた。
彼ら二年生は、決して持子先輩から「理不尽なしごき」を受けてきたわけではない。神のごとき先輩から与えられた魔力の代償と、数々のカオスな日常を共に乗り越えてきたからこそ、今の確かな強さがあるのだ。
「彼らには、まだ明るい表の世界で、青春と芸能活動を楽しんでおいてもらいましょう。……裏の泥被りは、私たち先輩の役目です」
南原の静かな言葉に、佐藤は「そうッスね」と優しく、頼もしい先輩の顔で微笑んだ。
東京ダンジョンの不穏な事件の気配と、華やかな芸能界の喧騒。
二つの世界を綱渡りする二年生たちと、まだ何も知らない一年生たち。
新生・合気武道部の歯車は、日常と非日常を巻き込みながら、ゆっくりと、しかし確実に回り始めていた。




