【魔界の最深部と、未知なる環境の牙】
【魔界の最深部と、未知なる環境の牙】
「さあ、ここが今回の拠点……地獄の『センターステージ』だよぉ☆ 死なないように、精々あがいてね♡」
ぽっかりと陥没した中央の空間。どす黒い土と異様な巨石が鎮座するその場所で、花園美羽は最高に愉しげな笑顔を浮かべた。
周囲の暗闇からは、先ほどの蜘蛛型怪異など比較にならない、特級クラスの怨霊たちの視線がギラギラとこちらを狙っているのが、肌を刺すような悪寒と共に感じ取れた。
「……花園先輩。ここの連中、只者じゃないッスね。さっきまでの雑魚とは魔力の質が違う」
佐藤陽翔が、遊撃手としての広い視野で周囲の森を警戒しながら、油汗を滲ませて呟いた。
「大正解〜☆」
美羽はポンッと手を叩き、指を一本立てた。
「いい? 今回の最大の目的は、この魔界の森の最深部にいる『ここの主』をあんたたちの手でぶっ倒すこと。この森に蔓延る怪異や怨霊たちのランクは、大体A級からS級ってところかな!」
その言葉に、一年生たちが「S級……!?」と息を呑んだ。
しかし、主将の門蒼真や佐藤をはじめとする二年生たちの顔に、絶望の色はなかった。
(……なるほど。確かに脅威ではあるが、絶望的じゃないッスね)
佐藤は冷静に分析していた。
かつて二年生たちは、伝説の魔王・恋問持子やその下僕たちに同行し、東京ダンジョンの最深部へと潜った経験がある。そこで相対したのは、S級からSSSクラスという、人間の理解を超えた神話級の悪魔たちだった。持子たちの規格外の力がなければ、間違いなく一瞬で肉片にされていたであろう、本物の地獄。あの時の圧倒的な死のプレッシャーに比べれば、ここの敵の放つ魔力はまだ「対応可能」な範囲内に収まっていた。
「でも、油断しないでね」
美羽が、佐藤の心中を見透かしたようにニヤリと笑った。
「あんたたちが今少し苦戦気味なのは、ここが『ダンジョン』じゃなくて『森』だからだよ」
「……地の利、ですか」
南原紗良が眼鏡を押し上げながら推測する。
「ピンポーン! ダンジョンはある程度構造が論理的だけど、ここはただの大自然。足元の腐葉土、木々の配置、風向き、瘴気の滞留……すべてが不規則で、初見の敵ばかり。環境そのものが、あんたたちの体力を削る武器になってるの」
どんなに強力な魔力を持っていても、足場が悪ければ踏み込めない。視界が遮られれば連携が遅れる。未知の環境への適応力こそが、今の合気武道部に課せられた最大の課題だった。
【サバイバルの掟と、息の詰まる野営】
「というわけで、まずはこの拠点でどうやって夜を明かすか、サバイバルの基本を教えちゃいまーす!」
美羽はダッフルバッグの上にヒョイと座り、足をブラブラとさせながら講義を再開した。
「一つ! 地面に直接寝るのは絶対にNG! この土には何百年分もの瘴気が染み込んでるから、直接寝転がると肺から呪いを吸い込んで、朝には内臓が腐ってるよぉ♡ だから、必ず石の上か、木の上、あるいは魔力で断熱層を作ること」
「ひぃっ……!」
地面に座り込もうとしていた雨宮千歳が、弾かれたように飛び起きた。
「二つ! そこの大きな倒木の近く。風除けになりそうに見えるけど、罠や怪異の『獣道(通り道)』になりやすいから近づいちゃダメ。安全に見える場所ほど、一番危険な交差点なんだよ」
「なるほど……これも『おもてなしの逆』の心理ですね」
桐生蓮が、超高速思考で即座に状況をマッピングしていく。
「三つ! 火を起こせば暖は取れるし、獣は遠ざけられる。でもね……ここは魔界。煙の匂いや焚き火の光は、遠くにいる特級の怨霊たちに『ここに新鮮なお肉がありますよー!』って宣伝してるのと同じ。火を焚くか、暗闇の冷気に耐えるか。そのジレンマをどう解決するかが腕の見せ所だよ☆」
美羽はそこで言葉を区切り、あざとい笑顔を消して、スッと冷たい視線を部員たちに向けた。
「さあ、見張りの交代制、寝床の確保、火の扱い。……どうするか、自分たちで考えなさい」
試練が、与えられた。
ただの野営準備であるはずなのに、一瞬でも判断を間違えれば死に直結するという事実が、一年生たちの首をギリギリと締め上げる。
「……まずは防壁ッスね」
沈黙を破ったのは佐藤だった。
「千歳ちゃんのA級『境界障壁』をベースにして、俺と紗良ちゃんで魔力のカモフラージュ(迷彩)を重ね掛けするッス。光も匂いも外に漏らさない『見えないテント』を作る。これなら最低限の火は焚けるはずッス」
「わたし、がんばります……っ!」
千歳がブルブルと震えながら両手を胸の前に掲げ、魔力を練り上げようとした——その瞬間だった。
『……バキィィッ!!』
突然、暗闇の奥で太い枝がへし折れる強烈な音が響いた。
ピタリと、全員の動きが凍りつく。
音のした方向は、美羽が先ほど「獣道になりやすい」と警告した倒木のすぐ向こう側だ。
『ズルル……ニュチャァ……』
何か、とてつもなく巨大で重い肉塊が、腐葉土を引きずりながら拠点のギリギリ外側を徘徊している音が聞こえる。
「ひっ……!」
千歳が喉の奥で悲鳴を上げそうになるのを、阿部凛花が背後からスッと口を手で覆って封じた。
「(動くな、音を立てるな。……息を殺せ)」
門が、声帯を震わせない極小の唇の動きだけで全員に指示を出す。
『ドスッ……、ドスッ……』
見えない何かが、千歳が展開しかけていた薄い障壁の表面に、ベチャリと張り付いた。
生温かい腐臭が結界越しに漂い、巨大な眼球のような影がヌラリと動くのが霊視能力を持つ者たちには見えた。
戦ってはいけない。今ここで音を立てれば、森中の怨霊が押し寄せてくる。
体感時間にして数十分にも思えるほどの息の詰まる数十秒。やがて、その巨大な気配は興味を失ったのか、ズルズルと闇の奥へと消えていった。
「……っ、はぁぁ……っ」
気配が完全に消えたことを確認し、全員が堰を切ったように荒い息を吐き出した。
ただの野営準備。それすらも命懸けなのだという現実が、彼らの心を否応なく削り取っていく。
「見張りは俺と大文字、高橋、阿部でローテーションを組む。桐生は『全周囲視界』で結界のほころびを監視、桃井と神品は遊撃としていつでも動けるように待機だ」
門が、盤石の指揮で全員の役割を素早く決定していく。
二年生たちの冷静で的確な判断のもと、一年生たちも必死に自分たちの役割を全うすべく動き始めた。
【剥がされたメッキと、独り立ちの条件】
拠点構築が一段落し、結界の中でわずかな焚き火がパチパチと音を立て始めた頃。
美羽は、疲れ切って息をつく一年生たちを、まるで品定めするような目で見回した。
「……ボスを倒すことも大事だけどさ。一番の目的は『生き残ること』だよ」
美羽のその声は、アイドルのような弾けるトーンではなく、どこまでも低く、静かだった。
「死にかけながらでも経験すれば、それは次に活きる。でも、死んだら次はない。……あんたたち一年生さぁ、たった二ヶ月でE級からC級、千歳ちゃんに至ってはA級まで上がって、『自分たちは強い』って勘違いしてない?」
ビクッ、と。
一年生五人が身を強張らせた。
「あのね、あんたたちが短期間でそこまで戦えるようになったのは、ひとえに二年生たちの必死のサポートと、TIAが用意してくれた『高価な武器防具(課金装備)』のおかげに過ぎないの。インナースーツが呪いを弾き、魔導ワイヤーが攻撃を補助し、先輩たちが常に死角をカバーしてくれてたから、能力をガンガンぶっ放せただけ」
美羽の言葉は、鋭いクナイのように一年生たちの驕りを正確に抉り出していく。
「今の、その何もない生身の状態で。地の利もない未知の環境で。先輩のカバーに頼らずに戦えなきゃ……あんたたち、いつまで経っても『独り立ち』できないよ」
痛いほどの沈黙が落ちた。
大文字鉄平は、ギリッと奥歯を噛み締め、力不足の己を恥じるように分厚い拳を白くなるほど強く握りしめた。
神品蘭は「うっ……」と呻き、悔しさと不甲斐なさで大粒の涙を瞳に浮かべて、血が滲むほど唇を噛んでいる。
桃井琉生は、いつもの余裕を完全に失い、自嘲気味に「あはは……参ったな、図星すぎますよぉ」と、ヒクつくような笑みを浮かべて顔を覆った。
桐生蓮は「……完全な論理です。反論の余地もありません」と、冷や汗を流しながらも、その重い現実を理屈で必死に咀嚼し、受け止めようとしている。
そして雨宮千歳は、先輩たちの後ろに隠れ、守られてばかりいた自分の弱さを突きつけられ、ガクガクと小刻みに肩を震わせてうつむいていた。
全員が、自分たちがどれだけ「恵まれた環境」で戦わされていたかを、この樹海に来て初めて痛感していたのだ。
「ま、そういうことだから! 気を引き締めてね〜☆」
空気を変えるように、美羽は再びパッと明るい笑顔を作った。
「ちなみに私、魔力判定はA級だし、回復魔法とか一切使えないからね! 怪我しても治してあげられないから、自己責任でよろしくぅ!」
テヘペロ、と舌を出す美羽。
「……あの、花園先輩」
桐生が、眼鏡の奥で探るような視線を向けた。
「先輩の魔力がA級だというのは理解できます。ですが、先ほどの巨大蜘蛛を一瞬で解体したあの速度と威力……S級の門先輩や佐藤先輩すら凌駕していました。魔力がA級なのに、なぜあそこまで強いんですか?」
純粋な疑問だった。魔力の絶対量がA級であるならば、あれほどの物理的破壊力を生み出すのは計算上不可能なのだ。
しかし、美羽はその問いには答えなかった。
ただ、妖しく、書籍背筋が凍るほど美しく微笑むだけだった。
---
美羽はゆっくりと立ち上がると、結界の縁へと歩み寄った。
「ここまできたら、もう無駄口はなし」
振り返った彼女の顔からは、アイドルの笑顔も、先輩としての優しさも、完全に消え失せていた。
そこにあるのは、血の海を歩き続けてきた本物の『暗殺者』の顔。
「私は、見るだけなの。手出しは一切しない。……いい? あなた達の死体を、東京に持って帰らせないでね」
ゾクッ……。
部員全員の心臓が、恐怖で一瞬停止した。
『ザザザワァァァッ……!!』
美羽の言葉に呼応するかのように、結界の外の森が大きく揺れた。遠くから、特級怪異の悍ましい咆哮が夜闇を切り裂く。
サバイバルの準備を終えた彼らを嘲笑うかのように、本当の夜襲が、今まさに始まろうとしていた。




