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【防水の聖典と、笑顔のスパルタ講義】

【防水の聖典と、笑顔のスパルタ講義】


「はーい! それじゃあみんな、いきなり突入〜……なんて、そんな無茶はしないでくださーい♡」


不気味な怨嗟の声が木霊する『とある樹海』の入り口。トラックから降り立ち、漆黒の闇と濃密な瘴気に圧倒されていた合気武道部の面々に対し、花園美羽はあざとく小首を傾げて拍手を叩いた。


彼女は足元に置いた巨大な軍用ダッフルバッグのジッパーを『ジジジジッ!』と軽快な音を立てて開けると、中から一冊の分厚いノートを取り出した。


「花園先輩、それは……?」


副主将の佐藤陽翔が迷彩服の襟元を正しながら尋ねる。


美羽が掲げたのは、透明なビニールシートで寸分の隙もなく表面をコーティングされた、いかにも手作り感の漂うノートだった。過酷な雨や泥、あるいは怪異の体液を浴びても絶対に中の文字が滲まないよう、徹底的な防水処理が施されている。


「これはね、私が『風魔裏隠衆』の地獄の隠れ里で泣きながら書き溜めた、世界にたった一冊の『特製サバイバル虎の巻』だよぉ☆」


美羽はニコニコと満面の笑みを浮かべるが、その瞳の奥には本物の暗殺者特有の冷徹な光が宿っている。


「みんな、最新鋭のインナースーツも特注の呪具もぜーんぶ没収されちゃって、今はただの生身の高校生でしょ? だから、今から一時間かけて、この樹海で生き残るための最低限の術と知識を、みんなの脳みそに強制インストールしちゃいまーす!」


そこから、暗闇の樹海入り口を舞台にした、美羽による『地獄の青空(夜空)教室』が幕を開けた。


美羽はサバイバルキットから一本の無骨な軍用ナイフを取り出すと、その刃を自分の指先で『チキチキ』と弄びながら語り始める。


「まずナイフの使い方! これはね、怪異を刺して殺すためのものじゃないの。木を削り、火を起こし、獲物を解体するための『命の道具』。握る時は絶対に力んじゃダメ。親指を峰に添えて、自分の体の一部みたいに優しくコントロールすること。生身のあんたたちが刃物を滑らせて自分の指を切ったら、その出血の匂いで、奥にいる怨霊さんたちが大喜びで集まってきちゃうからねぇ♡」


美羽のあざとい警告に、極度のビビリである雨宮千歳が「ひぃうっ……!」と短い悲鳴を上げて自身の豊かな胸元を抱え込んだ。


「次は食事! 補給なんてないから当然現地調達。でも、素人がその辺のキノコや植物を適当に口にしたら、一発で内臓がドロドロに溶けて死んじゃうよ。いい? 食べていいのは、このノートの12ページに載せてある、葉っぱの裏に細かい毛が生えたこの野草だけ。逆に、この毒々しい斑点があるやつは、TIAのB級怪異の毒に匹敵する猛毒。見つけても絶対に触っちゃダメ」


美羽は淡々と、しかし極めて実践的でシビアな知識を次々と叩き込んでいく。


高機能スーツという『盾』を奪われた一年生たちにとって、その知識は文字通り、生死を分ける命綱そのものだった。


大文字鉄平は「押忍! 野草の毛の有無、完全に網膜に叩き込んだでありまッス!」と脳内で大声を上げ、神品蘭は「触ったら内臓が溶ける……」と呪文のように呟いて顔を青ざめさせている。


一時間が経過した頃、美羽は『パチン!』と小気味よい音を立てて防水ノートを閉じた。


「はーい、講義はここまで! それじゃあ、この樹海の入り口から、中央にあるちょっと開けた空間まで、全員で移動を開始しまーす!」


暗闇を照らすライトすら持たない十人の部員たちは、美羽の先導のもと、ついに一歩、魔界のごとき漆黒の樹海へと足を踏み入れた。


---


【心理の罠と、おもてなしの逆(嫌がらせ)】


樹海の中は、文字通りの『暗黒』だった。


足元を踏み締めるたびに、腐葉土が『クチャリ、ニュチャリ』と不気味な音を立てて迷彩服のブーツを汚していく。


進軍を開始して、わずか数分。


「はい、全員ストップ〜☆」


最前線を歩いていた美羽が、気配を完全に消したままスッと右手を挙げた。美羽はサバイバルナイフの先端を、目の前の空間へとそっと差し入れた。


『キィィン……』


闇の中で、ごく微かに金属が擦れ合う音が響く。地上からわずか十センチの高さに、髪の毛よりも細い鋼鉄製のワイヤーがピンと張り巡らされていた。


「これね、風魔の隠れ里の連中がよく使う『ワイヤートラップ』。足を引っ掛けたら、頭上の樹冠からクナイが数十発降ってきて全員串刺しだよぉ♡」


美羽はしゃがみ込み、信じられないほどの手際の良さで信管を無力化していく。


「いい? トラップを設置する側の『心理』を教えてあげる。人間ってね、こういう暗闇の細い道を歩いている時、目の前に大きな倒木とか、いかにも怪しい障害物があると、それを避けるために必ず『一歩、横に大きく踏み出す』の。……ほら、まさに大文字くんが今、右足を置こうとしてるそこ」


美羽のナイフの先が、大文字のブーツのわずか数センチ先を指した。大文字は『ビクッ!』と巨体を震わせ、上げた足を空中で静止させる。


「障害物のすぐ横。そこが、本当の『本命(罠)』。人間が障害物を避けて、ホッとして心の隙ができたその瞬間、その足が着地する場所にピンポイントで仕掛けるの。トラップっていうのはね、相手の視線、歩幅、心理的盲点を完全にコントロールして、自ら死地に歩かせる『究極の嫌がらせ』なんだよ」


美羽のその解説を聞いた瞬間、佐藤陽翔と南原紗良、そして桐生蓮の三人の脳裏に、全く同じ言葉が閃いた。


(((『おもてなしの逆(嫌がらせ)』……!!)))


地獄の合宿で伝説のOG・本多鮎から徹底的に叩き込まれた戦術の神髄。「あえて餌を撒いて相手を誘導する」。美羽の教えるトラップ心理学は、合気武道部の戦闘思想と完全にリンクしていた。


「なるほど。相手の自衛本能そのものを利用して、自滅へと導く……。非常に深く理解しました」


紗良が眼鏡の奥の瞳をギラリと光らせ、極寒の知性を研ぎ澄ます。


「フッ……素晴らしい。仕掛ける側の視点(カメラ位置)が分かれば、僕の全周囲視界で次の罠の予測精度が跳ね上がりますよ」


能力解析担当の桐生も、超高速思考で美羽のレクチャーを完璧に咀嚼していく。同じ知性派でも、紗良は理論を、桐生は空間解析を担うことで、見事な役割分担が成立していた。


一行は心理の罠を一つずつ暴き、確実に樹海の奥へと進んでいく。


---


【剥き出しの異能と、生身の実践】


だが、樹海が彼らに与える試練は、罠だけではなかった。


『ザワッ……ザワザワザワッ……!!』


突如として、周囲の茂みが激しく揺れ、空間そのものが『グニャリ』と歪んだ。


闇の奥から這い出てきたのは、禍々しい『小型の魔物(怪異)』数体と、顔面が引き裂かれたような『怨霊』たちだった。


「——来ますッス! 上と、右奥から3体!」


副主将の佐藤が、元ピッチャーの広い視野と魔力感知で即座に叫ぶ。


「まずは俺が止める!」


主将の門蒼真が、強靭な肉体に『闇の魔力』を纏わせて最前線へと飛び出し、先頭の魔物の突進を分厚い胸板で完璧に受け止めた。


「押忍ッ!! 特注バンテージがなかろうと、自分の拳はすでに『金剛』でありまッス!!」


大文字鉄平が、B級覚醒能力『金剛武身』を発動。彼の右拳の皮膚が一瞬、鈍い金属のような光沢を放ち、魔物の顔面を粉砕する。


「左からもう一匹! 僕が関節を極めます!」


桃井琉生がステップを踏み込み、腕を極太の筋肉へと【部分変身】させ、怪異の突進ベクトルを利用して合気柔術の『内小手』を極め、生身で骨をへし折る。


「神品、右からの怨霊を止めろ!」

「は、はいっ!! 【電磁支配(エレクトロ・マスター)】!!」


神品蘭が両手を突き出す。雷晶のブレスレットが無い今、電撃の反動が蘭の両腕を襲う。「痛いっ! でも、負けません!!」蘭は自傷の痛みに耐えながら黄金の雷撃を放ち、怨霊を内側から霧散させた。


「千歳ちゃん! 上空から急降下してくるッス! 十時方向、障壁を展開!」

「ひゃいぃぃぃっ! こわいですぅぅっ!」


雨宮千歳は泣き叫びながらも、佐藤のナビゲートを完全に信頼し、恐怖を押し殺して両手を天へと掲げた。


『キィィィィィィン……ッ!!』


護符無しでの能力行使。しかし暴走の気配はなく、完璧な『境界障壁』が上空に展開され、急降下してきた怨霊を弾き飛ばした。


「ナイス、千歳ちゃん! 凛花、玲央、紗良、残りを片付けるッス!」


佐藤の遊撃手としての的確な指示のもと、二年生の女子陣が連動し、残党の怪異を瞬く間に一掃した。


装備という「依存先」を失った状態での短期決戦。彼らは誰一人欠けることなく、純粋な己の力だけで見事に怪異を退けてみせた。


---


【暗殺者の瞬きと、地獄のセンターステージ】


「はぁ……はぁ……、やった、ッスね……」


佐藤がボロボロになった迷彩服の袖で汗を拭う。一年生たちも皆、肩で息をしながらも、「生身でも戦える」という確かな手応えを感じていた。


「——ふふっ。うん、合格合格〜☆」


先頭を歩いていた美羽が、パンパンと軽快に柏手を打った。


「でもみんな、勘違いしないでね? 今あんたたちが必死に倒したのは、この樹海の『入り口をうろついてる一番の雑魚(スライム)』だからねぇ♡」


その言葉に、息をついていた一年生たちの顔がサァッと青ざめた。


「え……?」


千歳が呆然と呟く。今ので雑魚。では、この森の奥には一体何が——。


その思考を遮るように。


『ギチチチチチィィィッ!!!』


突如、彼らの真上の巨大な樹冠から、先ほどの雑魚とは桁違いの濃密な瘴気を放つ、車ほどの大きさの『蜘蛛型怪異』が音もなく降ってきた。


死角からの完全な奇襲。桐生の超高速思考すら反応できず、門や佐藤でさえ「しまった」と目を見開いた、その瞬間。


——シュッ。


風が、鳴ったかどうかも分からなかった。


美羽が、あざとい笑顔を浮かべたまま、軽く指先を弾いたように見えた。ただそれだけだった。


『ズバババババァァァッ!!!!』


空中で落下しかけていた巨大蜘蛛が、まるで透明なミキサーにでも放り込まれたかのように、一瞬にして何十もの肉片に解体され、黒い灰となってパラパラと降り注いだ。


美羽の手には、いつの間にか三本のクナイが握られていたが、誰もその投擲の軌道はおろか、腕を振るモーションすら視認できなかった。


「ほーら。よそ見してると、あっという間に食われちゃうよぉ?」


美羽は振り返りもせず、クナイをクルクルと回しながら甘い声で笑った。


(((……ッ!!)))


部員全員の背筋に、氷をねじ込まれたような悪寒が走った。


これが、プロの暗殺者。真の暴力。自分たちが束になっても勝てない存在が、たった一人で自分たちの命綱を握っているのだと、痛烈に理解させられた瞬間だった。


「さあ、着いたよー!」


美羽が目の前の巨大な茂みをクナイでバサリと切り裂くと、視界が唐突に開けた。


そこは、不気味な樹木が円状に退き、ぽっかりと陥没した『中央の空間』だった。


どす黒く変色した土の中央には異様な巨石が鎮座し、周囲の暗闇の奥からは、先ほどの蜘蛛すら赤子に思えるほどの、圧倒的な特級クラスの怨霊たちの視線が、ギラギラとこちらを狙っている。


美羽はダッフルバッグをドサリと巨石の前に置くと、最高に愉しげな笑顔で振り返った。


「ここが今回の拠点……地獄の『センターステージ』だよぉ☆ 死なないように、精々あがいてね♡」


丸二日間に及ぶ、絶望のサバイバル本番が、ついにその幕を開けた。


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