【呪いの装備《ハイブランド》】
【呪いの装備】
女子側のVIPメイクルームで雨宮千歳の断末魔の悲鳴が響き渡っている頃。
分厚い防音の壁を隔てた男子用のメイクルームでも、それに勝るとも劣らない——いや、物理的な質量と剛毛の量という意味では、確実にそれ以上の阿鼻叫喚の地獄絵図が展開されていた。
「押忍ッ!! い、痛いッス!! な、なんスかこの熱い泥みたいなやつは!! 自分のすね毛が、すね毛が根こそぎ持っていかれるッス!!」
最初に悲鳴を上げたのは、一年生の武道バカ、大文字鉄平だった。
体重120キロ、極限まで鍛え上げられた巨大な筋肉の塊である彼は今、三人の屈強な男性エステティシャンに取り囲まれ、巨大なリクライニングチェアに張り付けにされていた。
彼の太く逞しい脚には、広範囲にわたって特製の脱毛ワックスが分厚く塗られている。
「大文字くん、力抜いて! 君が筋肉を硬直させると、毛根まで一緒にガチガチになっちゃって抜けないのよ! ほら、リラックスして!」
「お、押忍! しかし、本能が危険を察知して、勝手に『金剛皮膚』が発動しかかっているでありまッス!!」
怪異の爪すら弾き返すB級能力『金剛皮膚』。それが、ワックスシートを剥がされる恐怖によって無意識に皮膚を金属のような光沢へと変えようとしていた。
「なにが金剛よ! これから世界最高峰のハイブランドを着るのに、脚から熊みたいな毛がはみ出してたら台無しでしょ! いくわよ! スリー、ツー、ワン!!」
ベリッッッッッッ!!!
「ギィヤァァァァァァァァァッ!!??」
大文字の図太い悲鳴が、メイクルームの空気をビリビリと震わせる。怪異に殴られても「まだ一本お願いします!」と笑う不屈の男が、毛根を引き抜かれる激痛に涙目を浮かべて痙攣していた。
「ひぃぃぃっ! な、なんなんスかこれぇっ!」
その隣のチェアでは、副主将の佐藤陽翔が別の意味で限界を迎えていた。
実践経験ゼロ、ピュアな煩悩の塊である彼にとって、複数の洗練された女性スタッフたちに取り囲まれ、顔や腕、脚など全身をペタペタと触られまくる状況は、刺激が強すぎたのだ。
「佐藤くん、お肌少し荒れてるわね。普段化粧水とか使ってないの?」
「つ、使ってないッス! 男は洗顔フォームでゴシゴシ洗うだけで十分ッスから!」
「ダメダメ! そんなガサガサの肌じゃ、照明の光を綺麗に反射しないわよ。はい、まずはピーリングジェルで古い角質を落として、そのあと高保湿の美容液をたっぷり浸透させるからね」
ひんやりとしたジェルが佐藤の頬に塗られ、滑らかな指先が優しくマッサージをしていく。
(ち、近すぎるッス! お姉さんたちの顔が近いし、すっげぇいい匂いがするッス! ああっ、腕が、腕が俺の肩に当たってるッス!!)
健全な男子高校生である佐藤の顔は、茹でダコのように真っ赤に染まっていた。
だが、そんな甘い時間は一瞬で終わる。
「はい、それじゃあ佐藤くんも眉毛の形を整えて、鼻毛のワックスいくわよー」
「えっ? 鼻毛? い、いや、俺そんなに出てないはずッスよ!?」
「プロのカメラを舐めないで。はい、息止めてー」
ズボッ。
「んぐっ!?」
「いくわよー。はいっ!」
ブチチチチチチッ!!!
「あぎゃああああああああっ!!??」
佐藤の目から、生理的な涙が滝のように吹き出した。痛い。とにかく痛い。闇の魔力でいくらバリアを張ろうとも、体内から直接毛を引き抜かれる物理ダメージには何の役にも立たなかった。
「……ッッ!!」
そしてもう一人。合気武道部主将である門蒼真は、腕を組んだまま、リクライニングチェアの上でひたすら沈黙を貫いていた。
彼の顔には、緑色の分厚い泥パックが塗りたくられており、目元にはきゅうりのような冷却パッドが乗せられている。
「……門くん、本当に筋肉凄いねぇ。でも、ちょっと日焼けで肌がダメージ受けてるから、今日は徹底的に鎮静化させるからね」
「……」
門は微動だにしない。硬派で真面目な彼は、この理不尽な拷問(美容処置)に対しても、「これは、いかなる苦痛にも耐えうる精神を鍛えるための、新たな修行だ」と己に言い聞かせ、合気武道の『円の理』を用いて痛みを逃そうと必死に耐え忍んでいた。
だが、その組まれた極太の腕の筋肉は、ピクピクと痙攣を引き起こしている。
「……主将ぉ……これ、いつまで続くンスか……俺、もう顔の感覚がないッス……」
「……耐えろ、陽翔。俺たちはタレントを守る盾だ……。この程度のパックやワックスで……悲鳴を上げて……ッ、ぐああっ!? 今、すね毛を抜いたのか!?」
「はい、綺麗に抜けましたよー!」
鉄の意志を持つ門蒼真でさえ、ワックス脱毛の理不尽な痛みには声が漏れてしまうのだった。
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そんな、雨宮千歳と同じかそれ以上に悲惨な目に遭わされ、果てしない時間をかけられている三人の様子を、少し離れた安全地帯から優雅に眺めている二人の姿があった。
桃井琉生と桐生蓮である。
「うふふふっ。大文字くんも佐藤先輩も、本当に美容に関して無頓着すぎますのよ。だからあんなに痛い思いをするんです」
桃井は、まるで高級ホテルのラウンジにいるかのように、優雅に脚を組みながらハーブティーを啜っていた。その顔はすでに完璧なベースメイクが施されており、美しすぎる男の娘としての魅力が極限まで引き出されている。彼(彼女)は普段からモデルとして活動し、スキンケアも徹底しているため、プロのスタッフたちも「ほとんど直すところがないわね」と感嘆するほどスムーズに準備を終えていたのだ。
「フッ……全くですね。美しさというものは、一日にして成らず。日々の積み重ねがあってこそ、カメラの前で最高のパフォーマンスを発揮できるというものです」
桐生もまた、キザに前髪をかき上げながら同調した。俳優志望である彼も、子役時代からの経験と持ち前の美意識の高さから、基礎的なメイクや肌のケアは日常茶飯事である。
二人はシルクのガウンを羽織り、阿鼻叫喚の三人を高みの見物と洒落込んでいた。
……しかし。
余裕に見えるその態度とは裏腹に、桃井と桐生の膝の上に乗せられた手は、微かに、しかし確実に小刻みな震えを打っていた。
「……桐生くん。手が震えているわよ?」
桃井が、ジト目で桐生の手元を指摘する。
「……フッ。おや、奇遇ですね桃井くん。君の持つティーカップも、さっきからカチャカチャと音を立てていますが?」
桐生が冷や汗を流しながら、キザな笑みを引きつらせて返す。
そう。この二人は、美容の施術に関しては問題なかった。
しかし、彼らは「芸能界」という業界の端くれに身を置くプロである。だからこそ——今から自分たちが袖を通そうとしている衣装の『本当のヤバさ』を、他の誰よりも正確に理解してしまっていたのだ。
二人の視線の先には、恭しく黒い布がかけられた特注のハンガーラックと、黄金の百合の紋章が刻まれた化粧箱が並んでいる。
「リュクス・アンペリアル……」
桐生が、まるで呪文のようにその名を呟いた。
「18世紀から続く、フランスの超名門。世界中の王侯貴族やトップセレブだけが身につけることを許される、ファッション界の絶対的頂点。僕も雑誌でしか見たことがありませんよ。それを……まだ世にも出ていない今期の新作ラインを、極東の、しかもまだ何の実績もない僕たちが着るだなんて……」
「ええ……信じられないわ」
桃井もごくりと唾を飲み込む。
「スノーのモデル部門でも、リュクスのアンバサダーになれるなんて、ほんの一握りのトップ中のトップだけよ。それを、阿部先輩は『お土産』感覚で全員分引っ張ってきたっていうの……? エレーヌCEOは、一体阿部先輩の何を見て、そこまでの投資を決断したのよ……」
二人の背中に、重圧という名の冷たい汗が流れ落ちる。
これは、ただの記念撮影ではない。
世界最高峰のブランドの新作を身に纏い、それを世間にアピールするための、絶対に失敗の許されない『真剣勝負(プロの仕事)』なのだ。
万が一、服に着られてしまったり、ブランドの価値を下げるような無様な姿を見せれば、阿部の顔に泥を塗るだけでなく、自分たちの芸能生命すらも終わるかもしれない。
「……プレッシャーで、胃が痛くなってきましたよ。マッスルスーツの駆動限界よりもキツい重圧ですね、これは」
桐生が『超高速思考』で最期のシミュレーションを連発し、青ざめた顔で額を押さえる。
「弱音を吐かないで桐生くん。……わたしたちは、選ばれたのよ。佐藤先輩にわたしの最高に美しい姿を見せつけるためにも、絶対に完璧なモデルを演じきってみせるわ!」
桃井は震える手を強く握りしめ、獲物を狙う深海魚のような黒い瞳に闘志の炎を宿した。
「おい……桐生、桃井……」
そこへ、ようやく地獄の拷問から解放された佐藤が、フラフラとゾンビのような足取りで近づいてきた。
「お前ら……なんでそんなに余裕そうなんだよ……。俺、もう腕も脚もツルッツルで、顔はなんかスースーして、自分が自分でなくなったみたいッス……」
佐藤の後ろでは、大文字が「押忍……自分のすね毛が……」と放心状態で壁に手をつき、門は「……パックのせいで、顔の筋肉が動かん」と能面のような顔で立ち尽くしていた。
桐生は、そんなボロボロの三人を見て、やれやれと肩をすくめて立ち上がった。
「先輩方。プロの仕事には逆らうだけ無駄ですよ。……それに、君たちはまだ分かっていない。これから僕たちが身に纏うものが、どれほど恐ろしい『呪いの装備』であるかということを」
「呪いの装備……? なんだそれ、天城さんが作った新しい対怪異用スーツの話ッスか?」
佐藤が首を傾げる。
「違いますよ。……いいですか、先輩。あそこにあるのは『リュクス・アンペリアル』です。一着で、高級車が買えるほどの値段がする、世界最高峰の芸術品です。それを着て、僕たちはこれからカメラの前に立つんです」
桐生が深刻な顔で説明する。
「高級車……!?」
「い、一着でッスか!?」
門と佐藤の顔から、一瞬にして血の気が引いた。
「押忍!? つまり、ちょっとでも破いたり汚したりしたら、一生かけて弁償しろってことッスか!?」
大文字が巨体をビクッと震わせる。
「……ええ。だから、毛の一本、肌のシミ一つすらも許されないんです。先輩たちが受けた拷問は、その服を着るための『最低限の儀式』に過ぎません」
桐生が宣告すると、門、佐藤、大文字の三人は、絶望したようにガクリと膝から崩れ落ちた。
「な、なんて恐ろしい合宿の延長戦なんスか……。俺たち、ただの裏方なのに……っ!」
「……陽翔。腹を括れ。これもタレントを守るための、避けては通れぬ道だ……」
「押忍! 金剛皮膚を発動させて、絶対に服を傷つけないよう身を護るッス!!」
三者三様に的外れな覚悟を決める漢たち。
「はい、お喋りはそこまでよー! 基礎のケアは終わったから、次はベースメイクとヘアセットいくわよ!」
スタッフの容赦ない声が響き、三人は再びドナドナと連行されていった。
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それからさらに一時間。
果てしない時間をかけ、徹底的に磨き上げられた三人が、ついにメイクルームの鏡の前に立った。
「……えっ。これ、本当に俺ッスか?」
佐藤が、鏡に映る自分を見て言葉を失った。
ボサボサだった髪はワックスとスプレーで絶妙な無造作ヘアにセットされ、ピーリングと美容液で整えた肌は、元ピッチャーらしい精悍な顔立ちを驚くほど引き立てていた。いつもはお調子者の「サル」のような雰囲気が消え去り、少しワイルドで爽やかな「大人の男」の魅力が滲み出ている。
「……悪くないな」
門もまた、自身の顔を鏡で見つめていた。
硬派で強面だった顔つきは、プロのシェーディングと眉のカットによって、彫りの深い、ハリウッド俳優のような重厚な威厳を放つようになっていた。その分厚い胸板と首の太さが、逆に男としての色気を醸し出している。
「押忍! 自分の顔が、まるで歌舞伎役者のようにキリッとしているでありまッス!」
大文字の武骨な顔立ちも、荒々しさを残しつつ、洗練されたサムライのような鋭いイケメンへと変貌を遂げていた。長髪のトップノット(髷)が、モード系のファッションショーに出てきそうな独特の雰囲気を放っている。
「……フッ。見違えましたよ、先輩方」
すでに準備を終え、完璧なキザな笑みを浮かべた桐生が、拍手をしながら近づいてきた。その隣には、中性的な妖艶さを極限まで高めた桃井が、うっとりとした顔で佐藤を見つめている。
「佐藤せんぱぁい……♡ そのワイルドな顔つき、すっごく素敵ですぅ……♡ もう、今すぐ食べちゃいたい……♡」
「ひぃっ!? 桃井、お前その深海魚みたいな目やめろッス! 食うなッス!」
佐藤が慌てて後ずさる。
「はい、男子チームも準備完了ね!」
チーフスタイリストがパンッと手を叩き、いよいよ部屋の奥に鎮座していたハンガーラックの黒い布がバサリと取り払われた。
そこには、息を呑むほどに美しい、緻密な刺繍と最高級の生地で仕立てられた、リュクス・アンペリアルの新作衣装がずらりと並んでいた。
「さあ、男の子たち! とびきりの魔法の服(鎧)を着せてあげるわよ! 着替え室へゴー!」
覚悟を決めた五人の男たちは、極度の緊張とプレッシャー、そして少しの高揚感を胸に抱きながら、黄金の百合が待つフィッティングルームへと足を踏み入れたのだった。




