【美の魔法は容赦しない】
【美の魔法は容赦しない】
スタジオ・アルタイルの奥深く。防音扉によって完全に隔離された広大なVIPメイクルームは、足を踏み入れた瞬間にフローラルな香水と高級化粧品の匂いが鼻を突く、まさに「美の最前線」と呼ぶにふさわしい空間だった。
阿部凛花の号令と共に、合気武道部の十人は完全に男女別々の部屋へと押し込まれた。
「さあ、女の子たちはこっちよ! 最高の魔法を見せてあげるから、覚悟してね!」
待ち構えていたのは、芸能事務所「スノー」が誇る、あるいは世界を股にかける超一流のヘアメイクアップアーティスト、スタイリスト、そしてエステティシャンの集団であった。彼女たちの目は、磨き甲斐のある極上の原石たちを前にした飢えた獣のようにギラギラと輝いている。
「ひゃっ!? な、なんですかこれ!?」
「まずは徹底的なクレンジングと、産毛・ムダ毛の処理からね。ベースが命だから。さあ、ベッドに横になって」
有無を言わさぬプロたちの洗礼が始まった。
芸能科である高橋玲央、南原紗良、神品蘭、そしてもちろん阿部凛花の四人は、普段から表舞台に立つための美容やメイクの知識がある程度備わっている。彼女たちはプロの手際の良い作業に驚きつつも、「美しくなるための試練」として素直に身を任せていた。
だが、一般科の、しかも極度のビビリであり、普段はダボッとした制服で自身の超絶プロポーションを隠しているだけの素朴な少女——雨宮千歳にとっては、そこは文字通りの「地獄の拷問部屋」と化していた。
「ひいいいいいっ!? い、痛いです! そこはダメですぅぅっ!」
ビリィィィッ!!
「はい、右腕のワックス完了。綺麗に抜けたわよー。次、脚いくわよー、しっかり押さえてて!」
「あうあうっ! な、なんか冷たくてベタベタするクリーム塗られましたぁっ!」
「フランス直輸入の最高級保湿クリームよ。あなたの肌、少し乾燥してるじゃない。こんな『超絶・曲線美』の宝の持ち腐れなんだから、もっと磨きなさい!」
「ト、トランジスタグラマーってなんですかぁっ!? わたし、普通におっぱいが大きいだけですぅぅっ!」
千歳は三人がかりでベッドに押さえつけられながら、なすがままにされていた。恥じらいと恐怖で涙目になりながらもがくが、美のプロフェッショナルたちの拘束は、下手な合気武道よりも強固だった。
「はい、次は顔の産毛処理と、ノーズワックスね。動かないでー」
「あ、あの! わたし、鼻毛なんてないです! 毎日ちゃんと洗顔してますからぁっ!」
「甘いわね。プロのカメラの前では、最新の高画質レンズがミクロン単位の影すら拾い上げるのよ。一本の剃り残しも許されないの。はい、リラックスしてー」
容赦なく、千歳の鼻腔に温かいワックスがたっぷりと絡んだスティックが突っ込まれる。
ズボッ。
「——!?」
「はい、一気にいくわよ。スリー、ツー、ワン」
ブチチチチチッ!!!
「ひぎゃああああああああっ!? な、なんかジャギッて! ジャギッて抜けましたぁぁっ! わたし、こんなに鼻毛あったんですかぁっ!?」
「ええ、大漁ね。根本からごっそりよ。さあ、次は反対側と、眉毛のワックスよ」
「もう嫌ああああああっ! 陽翔せんぱぁぁぁいっ、助けてくださいぃぃぃっ!」
千歳の断末魔の悲鳴とともに、彼女のA級能力である『境界支配』が、恐怖と痛みによって無意識に暴走を始めた。
ゴゴゴゴゴゴ……ッ!!
メイクルームの空気が歪み、見えない念動力の嵐が吹き荒れようとする。壁が軋み、大理石の床が微かに震え、並べられた高価な化粧瓶がカタカタと音を立てて宙に浮きかけた——その瞬間。
キィィィィン……ッ!
部屋全体を包み込むように、淡い青色の幾何学模様——桔梗印の強力な結界が浮かび上がり、千歳の念動力を優しく、しかし絶対的な強度で上から押さえ込んだ。空間の歪みが一瞬にして凪のように静まり返る。
「……ふふっ。暴れる元気があるなら結構」
メイクルームの最も奥のソファで、優雅にハーブティーを傾けているのは、スノーの社長である立花雪だった。大陰陽師である彼女は、ビビリの千歳が慣れない美容処理でパニックを起こすことを事前に完全に予測し、スタジオ全体に最高強度の『鎮圧と防壁の結界』を張り巡らせていたのだ。
「さ、スタッフの皆さん、手は止めないでね。この子の殻、全部引っ剥がしちゃってちょうだい」
「了解です、社長!」
「嘘ぉぉぉぉんっ!」
絶対的な防壁に守られた(閉じ込められた)空間で、千歳の悲鳴が虚しく響き渡り続けた。
---
その隣のセクションでは、顔に高級な泥パックを乗せられ、スチーマーの心地よい蒸気を浴びている高橋玲央と南原紗良が、横になりながら信じられないという顔で阿部凛花を問い詰めていた。
「……阿部さん。これ、ただの服ではありませんわよね? なんでこれって、新作でしょ?」
玲央の完璧主義の観察眼が、ハンガーラックに恭しく掛けられた衣装の正体を見破る。生地の光沢、緻密な縫製、そして何よりタグに刻まれた黄金の百合の紋章。それは間違いなく、リュクス・アンペリアルの今期の、いや、まだ世に出ていない未発表のコレクションラインだった。
「南原さんも、混乱して、どういうことですか理解できません……」
紗良もまた、理詰めの脳をフル回転させていたが、処理が追いつかずに眼鏡の奥で目を回しそうになっていた。
「私のようなドラマの端役(ちょい役)しかやっていない女優や、素人の一般科の生徒にまで、リュクスの新作が用意されているなんて……。論理的に考えて、あり得ない事態です」
「凛花お姉さま、教えてください! 一体どんな魔法を使ったんですか!?」
神品蘭が、目をキラキラと輝かせながら身を乗り出す。
混乱する三人をよそに、阿部はヘアアイロンで髪を巻かれながら、終始楽しそうにアハハと笑っていた。
「だからさっきも言ったでしょ? パリでエレーヌさんにお願いして、合気武道部の部員全員と、立花雪社長の分まで、特別に新作を作ってもらったの!」
「エ、エレーヌ・リジュ! CEO!?」
南原が思わず素っ頓狂な声を上げる。あの巨大コングロマリットを束ねる、ファッション界の女帝の名だ。
「そんなこと、許されるはずがありませんわ! 世界のトップブランドのトップに、一介の新人モデルが直談判して衣装を全員分せびるなんて……っ!」
玲央がパック越し見開いて震える。
「無茶苦茶ってわけじゃないよ? さっきも言ったけど、私に先行投資で前借りって形にしてくれたんだ。だから、その代わりエレーヌさんのところで、これからめちゃくちゃ沢山撮影しなきゃいけないのね! もう、スケジュール真っ黒になっちゃうかも!」
阿部は事も無げに、まるで「放課後にクレープ奢ってもらった」くらいの軽いノリで言い放った。
その言葉を聞いて、蘭は感動のあまり両手で口を覆った。
「す、すごいです……! 世界のブランドCEO相手に、堂々と交渉して仲間全員の衣装をもぎ取ってくるなんて……! 凛花お姉さま、僕、一生ついていきます!!」
「あはは、蘭ちゃん大げさだよー」
「大げさではありませんわ……! これ、全部で一体いくらするんですの!?」
玲央が震える指でハンガーラックを指差す。オートクチュールに近い一点物の新作が、十一人分。単純計算でも恐ろしい桁になる。
「……玲央さん。怖くて、考えたくもありません。私たちが一生かかっても稼げるかどうか……」
紗良が青ざめた顔で呟く。
「もう、二人とも固いなぁ。ただのパリのお土産だよ! 楽しんで着てくれなきゃ、エレーヌさんにも失礼でしょ?」
阿部がウインクをして笑う。
その笑顔に、玲央と紗良、そして蘭は、顔を見合わせた。
震えは止まらない。だが、彼女たちはプロのエンターテイナーであり、合気武道部で死線を潜り抜けてきた戦士でもある。
「……そうですわね」玲央がスッと姿勢を正し、鏡の前で己の目を見据えた。「ここまで用意されて、逃げるわけにはいきませんわ。最高級のブランドが私たちを彩るというのなら、それに恥じない完璧なパフォーマンスを見せるのが、プロの役目ですわ!」
「……同感です。この衣装の価値に見合うだけの『結果』を出す。……もうここまで来たら、覚悟を決めて、撮影に臨みましょう! 玲央さん、神品さん!」
紗良が極寒の知性を取り戻し、力強く頷く。
「はいっ! 僕、お姉さまの隣で絶対に恥をかかせません!」
三人は、並々ならぬ覚悟とプロ意識で闘志を燃えたぎらせた。
「ひぎぃぃっ! だ、だから、痛いですぅっ! そこはダメですってばぁぁっ!」
そんな三人の美しい決意のすぐ横で、ビビリのA級能力者は未だにスタッフ三人がかりで全身を磨き上げられていた。
「ああっ、ダメッ、千歳ちゃん! 動かないで! せっかくのクリームがムラになっちゃう!」
「クリームなどは、ベタベタしますぅっ! あうあうっ、もう許してくださいぃぃっ!」
恥じらいと恐怖で涙目になりながらもがく千歳。
その無様な姿を見て、完璧主義の玲央が呆れたようにため息をついた。
「……普段、何も美容に気を遣っていないから、あんなことになりますのよ。自業自得ですわ」
「大変そうですね。……とはいえ、私たちも人前に立つ以上、あの苦痛は通るべき道ですが」
紗良が眼鏡を押し上げながら冷静に分析する。
「何もしない方が悪いんです。美に対する怠慢は、悪です! 千歳先輩も、凛花お姉さまを少しは見習うべきですよ!」
蘭が胸を張って言い切る。
「あははははっ! 千歳ちゃん、メチャクチャ面白い顔してるよ! もっと叫んで叫んでー!」
阿部は腹を抱えて大笑いしながら、地獄の拷問を受ける千歳を指差していた。
「阿部せんぱぁぁぁい! 笑ってないで助けてくださいぃぃっ! もうお嫁に行けませんぅぅっ!!」
千歳の悲鳴と、阿部の明るい笑い声、そしてプロたちの容赦ない美容の魔法が交差する中、かつてないほど華やかで、そして過酷な極秘撮影の準備は、着々と進んでいくのだった。




