【金剛の胎動と、地下五階の激突(第四試合)】
【金剛の胎動と、地下五階の激突(第四試合)】
阿部凛花による温かい抱擁で第三試合が幕を閉じると、地下訓練場には張り詰めた静寂が戻った。
修復されたコンクリートの床に、第四ペアが進み出る。
「ふふっ……先輩方はS級なんていう規格外ですから、わたしは最初から『武器』を使わせてもらいますね」
桃井琉生は、美しすぎる女性の顔立ちに妖艶な微笑みを浮かべながら、両手の手袋に仕込まれた特殊武装——『魔導糸』のワイヤーを引き出した。
桃井はB級へと覚醒したことで、その能力である『完全変身』の制限が劇的に緩和されていた。身長はプラスマイナス20センチ、体重は30キロまで調整可能となり、性別の壁も完全に超越。老若男女問わず、指紋や虹彩、さらには着用している服やアクセサリーまで本物そっくりに魔力で生成できるようになったのだ。情報収集や潜入において、スノーでもトップクラスの性能を誇る。
さらには、顔だけ、腕だけ、髪だけを変える『部分変身』も可能となり、魔力による『身体強化・改』の出力も跳ね上がっていた。
対峙するのは、スノーが誇る若手実力派女優にして、完璧主義のS級能力者・高橋玲央である。
「無駄口はなしですわ。……来なさい」
玲央は表情を一切変えず、静かに、そしてスッと滑るような歩法で桃井との距離を詰め始めた。女優としての完璧な所作と、武道家としての無駄のない重心移動が融合した、不気味なほどの静けさ。
「いきますよっ!」
シュパァッ!!
桃井が両腕を振るうと、極細の魔導糸が特殊結界の照明を反射してキラキラと光りながら、網目のように『面』で展開され、玲央に襲い掛かる。
だが、玲央は涼しい顔のまま、ワイヤーが届くギリギリ数センチ手前の位置へと正確に移動し、攻撃を完全に空ぶらせた。
「……あら、届きませんね。でも、これならどうかしら!」
桃井はステップを踏みながら、再びワイヤーを面で展開し、玲央を絡め取ろうと放つ。
玲央は先ほどと全く同じ見切りで、ワイヤーの長さと軌道を計算し、届かない安全圏へとスッと身を引いた。
——はずだった。
シュルルルルッ!!
「……っ!?」
届くはずのない間合い。それなのに、魔導糸は突如としてそのリーチを伸ばし、玲央の右腕に深々と絡みついたのだ。
「捕まえましたぁっ!」
桃井がニヤリと笑う。
なぜ届いたのか。ワイヤーが伸びたのではない。ワイヤーを放つ瞬間、桃井が自身の『手(腕)』そのものを、部分変身の能力によって瞬時に20センチも長く【伸長】させていたのだ。
「わたし、成長期なのよ先輩♡」
「……なるほど。自身の身体のリーチを誤認させるフェイク。演技が上手くなったわね、桃井くん」
「高橋先輩の御指導の賜物です!」
桃井はワイヤーを両手でしっかりと握りしめ、玲央を自身のほうへと強く引きずり倒そうと引っ張った。
グンッ!!
「……! あら、力も随分と増したのね」
玲央の身体が、抗う間もなく前方へと引っ張られる。
桃井の腕を見ると、長さを元に戻しただけでなく、今度は丸太のように極太の筋肉質な腕へと【部分変身】させていた。
「うふふ。マッチョは好みではないのですけど〜、これくらい筋力がないと、バケモノみたいな先輩方とは遊べませんからねっ!」
「……ふふ、言うじゃない」
玲央は絡みついたワイヤーから逃れるため、瞬時に『闇の魔力』を展開した。極黒の霧が玲央の腕から噴き出し、魔導糸に絡みついてその拘束力を腐食させるように弱める。
「逃しませんっ!」
桃井はB級の身体強化と部分変身の筋力を全開にし、さらに強くワイヤーを引っ張った。
(……かかりましたわね)
玲央の瞳の奥で、女優の冷たい計算が光る。
「くっ……!」と、玲央はあえて抵抗するふりを一瞬だけ見せた直後、自ら闇の魔力の抵抗を完全にゼロにした。
桃井が全力で引っ張る力に、自身の踏み込みの力を極限まで乗せる。
ドンッ!!
「えっ……!?」
ワイヤーを引く力に逆らわず、玲央は弾丸のような速度で桃井の懐へと飛び込み、不意打ちの掌底を顔面へと放った。
(速い……! でも、合宿でわたしも学んだのよ!)
桃井は迫り来る玲央の顔面に向けて、咄嗟に左手を突き出した。
あの地獄の滝行で身につけた、ルージュ直伝の神聖な力。
「【閃光】!」
ピカーーッッッ!!!
至近距離で、桃井の掌から強烈な『光の神術』が炸裂した。太陽を直視したような絶対的な閃光が、玲央の両目を灼く。
「きゃあっ……!?」
玲央が両手で顔を覆い、苦痛に顔を歪めて踏み込みの勢いを殺した。
(やった! さすがのS級でも、眼球を直接灼かれちゃたまらないわよね!)
桃井は確信した。あの光量は本物だ。いかに高橋玲央でも、今の数秒間は完全に視力を奪われているはずだ。
桃井は視覚を失ってうずくまりそうになっている玲央へ素早く近づき、勝負を決めるためにその細い腕をしっかりと握りしめた。
「もらいまし——」
その瞬間だった。
玲央の覆っていた手がスッと下がり、目が合った。
視点を失い、焦点が合っていないはずのその両目は——氷のように冷徹で、ハッキリと桃井を「見て」いた。
(……え?)
「甘いですわ」
玲央は桃井に腕を握られた反動を利用し、流れるような体捌きで手首を返し、桃井の関節を完全にロックした。
合気武道・固め技——『内小手』。
「あぐっ……ぇ!?」
関節を強烈に極められ、桃井はそのまま床へと無様に跪かされた。ピクリとも動けない、完璧な制圧。
ブザーが鳴り響く。
「な、なんで……!? 確かに光の神術で目潰しが入ったはず……っ!」
桃井が痛みに顔を歪めながら、信じられないというように声を上げる。
玲央は乱れた髪を優雅に払いながら、冷たく微笑んだ。
「ええ、入りましたわ。だから、目を灼かれた瞬間に光の魔力で視神経を修復しましたわ。ほんの一瞬でしたけれど、その一瞬があれば十分です。……あとは、『目が見えなくなって怯える哀れな少女』を演じただけですわ」
「え、えん、ぎ……!?」
戦闘の極限状態の中で、回復魔法を瞬時に行使し、さらには相手を油断させるための完璧な「盲目の演技」まで挟み込んでいたのだ。
「桃井くん。あなたのフェイクも、ワイヤーと部分変身の連携も素晴らしかったですわ。でもね……」
玲央は桃井を見下ろし、完璧主義者としての誇りを胸に、女優の凄みを含んだ声で告げる。
「あなたは本当に、素真面目で『良い観客』だわ。……舞台に立つなら、早く嘘を見破る『批評家』になりなさい。途中の計算がどれほど優れていようとも、最後に完璧な勝利を収めなければ、何の意味もありませんわ!」
「……うぅっ」
桃井は完全に手玉に取られたことを悟り、悔しそうに唇を噛んだ。
「……高橋先輩。女優って、本当に性格が悪いです」
負け惜しみを込めて、桃井が睨みつける。
「…………」
玲央の眉がピクリと動いた。
「オーッホッホッホッホ!!」
地下五階の訓練場に、高橋玲央の完璧な発声による、悪役令嬢のような高笑いが響き渡る。
「……高橋先輩、まだ笑うんですか?」
桃井がジト目で尋ねる。
「もちろんですわ! 性格が悪いと言われて、ちょっと腹が立ちましたからね!」
玲央はフンと鼻を鳴らし、勝ち誇った顔を崩さない。
「それまでっ!!」
見かねた主将の門蒼真の声が響き、第四試合はようやく終わりを告げたのだった。




