【金剛の胎動と、地下五階の激突(第三試合)】
【金剛の胎動と、地下五階の激突(第三試合)】
神品蘭が恐怖を乗り越え、南原紗良との絆を深めていた頃。
結界が修復された地下訓練場の中央には、第三のペアが向かい合っていた。
「それじゃ、いくよ桐生くん!」
阿部凛花が、180センチの長身としなやかなプロポーションを沈め、楽しげに笑う。
対する桐生蓮は、少しキザな笑みを浮かべつつも、内心では冷や汗をかいていた。
(……いくよ、じゃないですよ阿部先輩。僕、体力皆無のただの美男子なんですけど……っ!)
しかし、今の桐生の視界は以前とはまるで違っていた。
C級覚醒——『超高速思考』。
目から入る莫大な情報量を、脳が完璧に処理しきる。阿部の筋肉の微細な動き、重心の移動、魔力の流れ、さらには空間に漂う微細な霊的要素(霊視)までが一瞬で【分析】され、0.1秒で状況判断と作戦立案が完了する。
「シッ!」
阿部が踏み込む。長い手足から繰り出される、神速の連続突き。
シュパパパパパンッ!!
空気を切り裂く鋭い連撃が、桐生の顔面や胴体を正確に捉えにくる。
(見える……! 全部、くっきりと見える……!)
以前の桐生なら「見えているのに体が動かない」と絶望してボコボコにされていた。
だが今は違う。背後すら完全に把握する全周囲視界と、数十キロ先まで見通す狙撃手並みの望遠視を完璧に制御し、TIA技術開発局の天城結人らが調整した高出力マッスルスーツが彼を支えている。制服の下に密着する黒い人工筋肉が、桐生の貧弱な基礎体力を強制的に引き上げ、超高速で演算された脳の指令通りに肉体を駆動させる。
スッ、フッ、ダンッ!
桐生は最小限の動きで、阿部の神速の突きを紙一重でかわし続ける。
「へえ……! すごいよ桐生くん! 本当に全部見えてるんだね!」
「フッ……まあ、伊達に俳優志望じゃありませんから。先輩の美しい動き、特等席で見惚れちゃいますよ」
だが、余裕な口調とは裏腹に、桐生の脳内には警報が鳴り響いていた。
(速い……! しかも、一撃一撃が重い……!)
「でも、これならどうかなっ!」
阿部がさらに速度を上げる。バレエ特有の柔軟な体幹から放たれる変則的な打撃。
ドスッ! バキッ!
「ぐっ……!」
完全に軌道は見えているのに、マッスルスーツの駆動限界を超えた速度。徐々に阿部の攻撃が桐生のガードをすり抜け、浅く被弾し始める。
(まともにやり合えば、普通では絶対に勝てない。S級のバケモノモデル……!)
桐生は瞬時に作戦を切り替えた。
合宿で本多鮎から叩き込まれた戦術——『嫌がらせ』、つまりおもてなしの逆だ。相手の望むものを与えず、望まぬものを押し付ける。ならば、あえて相手の欲しいものを【餌】として撒く。
「ハァッ!!」
桐生は防戦一方の態勢から一転、阿部の胸元へ向けて鋭い『手刀』を打ち込んだ。
「もらった!」
阿部は美しく笑い、その手刀を軽やかにいなした。
阿部の得意技、バレエの回転を応用したえげつない『入り身投げ』。
桐生には分かっていた。この手刀を打てば、阿部が確実にその技を狙ってくるということを。手刀は、入り身投げを誘うための完璧な【餌】だったのだ。
阿部が桐生の腕を取り、首元へと入り込んでくる。
その瞬間——桐生はその場でガクンと片膝をついた。
「えっ?」
阿部の腕が空を切る。入り身投げの支点となるはずだった桐生の重心が、唐突に下へと消えたのだ。
技を空振りし、阿部の体勢がわずかに崩れる。
(今だ……!)
すぐさま立ち上がり、桐生はカウンターの『切り返し』を狙った。
完璧な読み。完璧なタイミング。
だが、彼が立ち上がったその時、桐生の全周囲視界が信じられない光景を捉えていた。
空振りして崩れたはずの体勢を、まるで優雅な舞台のターンへと変換するように。
阿部がその遠心力を利用して、独楽のように美しく、そして凶悪な速度で【回転】していたのだ。
(なっ……!?)
桐生の超高速思考が、阿部の次の動きを完全に予測する。
回転の勢いを乗せた、回避不能の裏拳、あるいは投げ。
見えている。痛いほどにくっきりと見えている。
(動け……! 動け、僕の体……!)
脳が絶叫し、高出力マッスルスーツが限界のモーター音を鳴らす。
しかし、どれほど視覚と脳髄が優れていても、生身の肉体の限界という壁はどうしても超えられなかった。
体が、間に合わない。
フワッ……
だが、予想された痛撃は来なかった。
回転の勢いを完璧に殺し、ピタリと桐生の目の前で止まった阿部が、その長い腕を伸ばし、桐生の体をギュッと優しく抱きしめたのだ。
モデルとしての洗練された香水の匂いと、成長した圧倒的なプロポーションの柔らかさが、桐生をすっぽりと包み込む。
「はい、ここまでだねっ!」
耳元で、阿部の明るい声が響いた。
「私を誘い込んでカウンターを狙うなんて、すっごく賢い! あと少し筋力がついて、体が思考のスピードに追いついていれば届いてたよ。桐生くん、すごい進化だね!」
ブザーが鳴り、試合終了が告げられる。
桐生は心臓をバクバクと言わせながら、抱きしめられた状態で大きく息を吐いた。
負けた。完全に手玉に取られた。
しかし、桐生はすぐにいつものキザな笑みを浮かべ、阿部の背中にそっと手を添え返す。
「……フッ。こんなに美しい阿部先輩に抱きしめてもらえるなら、僕は何度だって負けでよろしいですよ」
「あははっ! 桐生くんってば、本当に口が上手いんだから!」
あっけらかんと笑って離れていく阿部の背中を見つめながら、桐生は苦笑混じりに首を振る。
(やれやれ……。目が良くなりすぎるのも、自分が狩られる瞬間まで完璧に見えちゃって、困ったものですね)
それでも、自分の新たな『目』と『頭脳』がこれからの戦いで確実に役立つという手応えと、自身が鍛えるべき「肉体」という次なる課題は、彼の心に強く刻まれていた。




