【金剛の胎動と、地下五階の激突(後半)】
【金剛の胎動と、地下五階の激突(後半)】
大文字鉄平と門蒼真による規格外の肉弾戦が終わり、地下五階の特殊訓練場に張り詰められた結界が、土御門朔夜の術式によって急速に自己修復していく。ひび割れたコンクリートが生き物のように塞がっていく様を見つめながら、門が静かに声を上げた。
「よし、次は第二ペアだ。神品、南原、前へ」
「は!はい……! よろしくお願いします、南原先輩!」
神品蘭は、制服のポケットの中でパチンコ玉サイズの鋼球を転がしながら、緊張で強張る体を震わせて進み出た。
先日の測定で、蘭の階級は『C+』へと昇格していた。あの地獄のGW合宿、そしてTIAから斡旋された数々の不気味な魔物や霊との戦い。死線を潜り抜けるたびに、蘭は自分の地力が確実に上がっているという、確かな『実感』を抱いていた。魔力の練り込む速度も、発生させられる電圧の最大値も、一か月前とは比べ物にならない。
対峙する南原紗良は、小柄な体躯に圧倒的な童顔、そして冷たい知性を宿した眼鏡の奥の瞳で、淡々と蘭を見つめていた。
「神品さん。条件は先ほどの大文字くんたちと同じです。全てを出し切りなさい。私に対する遠慮は一切、入りません」
紗良の言葉は丁寧だが、理詰めの冷徹さが含まれている。だが、蘭はごくりと唾 a飲み込み、どうしても構えが甘くなってしまう。
(そ、そう言われてもさ……僕の能力は……)
蘭の脳裏に、自身の新能力のプロファイルが浮かぶ。
現在の蘭は、両手を使ってパチンコ玉を『二連射』し、それを同時に亜音速で撃ち出す戦術的レールガンを体得している。
相手は同じ部活の先輩であり、生身の女子高生だ。そんなもの、もし直撃でもしたら——怪我では済まない。肉が弾け飛び、骨が粉砕する未来しか想像できなかった。
「あの……南原先輩。やっぱり、僕、先輩相手に本気でレールガンを撃つなんて、そんなの怖くてできません! もし当たっちゃったら……!」
「なるほど。当たれば私が死んだり、あるいは再起不能になると? だから本気になれない、と」
紗良は小さく溜息をつき、眼鏡の位置を指先で直した。
「……ナメられたものですね。仕方ありません」
ポツリと、紗良が呟いた。
普段の南原紗良は、テレビドラマでも名前のない「通行人A」のようなちょい役ばかりに甘んじている。実戦でも、佐藤陽翔の卓越した魔力操作を頭脳でサポートし、裏方に回ることが圧倒的に多い。そのため、部内でも「敵を派手に倒している印象」が最も薄いのが彼女だった。
だが、忘れてはならない。
彼女は、あの伝説の魔王・恋問持子から直接『極黒の魔力』を分け与えられた、世界でもトップクラスの『S級相当』の能力者なのである。
格が、違いすぎるのだ。
「——『解放』」
紗良が静かに呪言を紡いだ瞬間、スノー本社ビル地下五階の全域が、文字通り【凍りついた】。
ーーーッッッ!!!
ブワァァァァァッ!!! と、凄まじい密度の『極黒の魔力』が紗良の小柄な肉体から噴き出す。それは漆黒の霧となって空間を侵食し、天井の照明の明かりすらも吸い込んで、フロア全体が闇に覆い尽くされたかのような、圧倒的なプレッシャーへと変貌した。
「ひっ……、あ……」
蘭の喉から、情けない悲鳴が漏れた。
牙。剥き出しの巨大な牙が、自分の喉元に突きつけられているような、強烈な【死の錯覚】。
恐怖で頭の中が真っ白になり、心臓が爆発しそうなほど激しく脈打つ。呼吸は完全に乱れ、過呼吸寸前になりながら、全身から嫌な冷や汗が吹き出した。あまりの重圧に、蘭の目からは無意識に涙がボロボロと溢れ落ちる。立っていることすら奇跡のような、絶対的な捕食者を前にした小動物の絶望。
闇の霧の向こうから、紗良が感情の消えた冷徹な瞳で蘭を見下ろす。
「このままだと、本当に死にますよ」
ドッ!!! と、さらに引き上げられる精神的重圧。結界の空気が歪み、蘭の防護スーツの表面が魔力の圧力でミシミシと音を立てる。
(死ぬ……! 撃たなきゃ、僕、ここでこの先輩に殺される……!!!)
本能が理性を上書きした。蘭は涙を拭う余裕すらなく、ポケットから二つの鋼球を両手に握りしめ、前方に突き出した。
「いやああああああああッッッ!!! 【電磁支配】!!!」
パチパチパチパチズガァァァァァンッッッ!!!
極限の恐怖によって蘭のリミッターが完全に外れ、青白い激しいプラズマが両腕を奔った。弾き出された二つのパチンコ玉は、凄まじい衝撃波を巻き起こしながら、亜音速の『二連射レールガン』となって紗良の胸元へと突き進む。
だが。
キィィィィィィィンッ……!!
「え……?」
蘭は絶望に目を見開いた。
必死の思いで放った二連射のレールガンは、紗良の身体に届く遥か手前——彼女の周囲を覆う、防壁のごとき分厚い闇の魔力の層に衝突した瞬間、火花を散らして完全に停止し、そのまま床へポロポロと虚しく落ちたのだ。
S級の魔力の『厚み』に対して、C+級の全力はかすり傷すら付けられない。
「まだです。その程度では、私の髪一本すら揺らせません」
「あ……、あーーーーーーーーーーッッッ!!」
蘭は狂ったように叫びながら、自らの心を、恐怖を、強引に鼓舞した。大好きな阿部凛花お姉さまの顔を思い浮かべ、あんな男(佐藤)に負けてたまるかと、己の内なる力を限界の底から絞り出す。
その時、蘭の『真の地力』がスパークした。
ズガアァァァァァンッ!!!
蘭の全身から放たれた電撃の色が、青白から、神聖な黄金の輝きへと変色する。
新能力——『霊体への電撃(退魔の雷)』。
それは本来、霊体や怪異に対してクリティカルな特効を持つ神聖な雷撃だ。
地獄の合宿でルージュの神術を浴び、冷たい滝に打たれて自らの穢れを祓った記憶。その澄み切った光の波動が、蘭の電撃と共鳴する。
黄金に輝く退魔の雷は、紗良が展開していた極黒の『闇の魔力』と激突し、内側から激しく相殺し始めた。
バリバリバリィィィッ!!!
「……っ!? 退魔の、光……? まさか、私の闇を……」
紗良の眼鏡の奥の瞳が、初めて驚愕に揺れた。
蘭の放った黄金の雷撃が直撃した瞬間、フロアを覆い尽くしていた紗良の闇の魔力が、ガラスが割れるかのように一瞬で【霧散】したのだ。
「やった……! 今度こそ——!!」
好機。蘭はすかさず追撃の鋼球を構え、レールガンを撃ち込もうとした。
しかし、その瞬間には、すでに南原紗良の姿は蘭の正面にはいなかった。
(……皮膚感覚。おもてなしの逆。相手の望まぬものを、押し付ける——!)
紗良は蘭が追撃の意識を向けた0.1秒の隙を突き、完全に気配を消してその死角へと回り込んでいた。
「しまっ——」
蘭が気づいた時には、背後から小柄な身体が冷ややかに密着していた。
スッと、蘭の両脇の下から紗良の細い腕が通される。そのまま背後から首元へと腕が巻き付き、両肩の関節と頸動脈を同時に絞め上げるような、完璧な拘束が完成した。
交差した腕の形が着物の襷のように見える、合気武道・固め技——『逆襷』。
「あぐっ……ぇ、あ、痛いっ!!! 痛いいいいいいッ!!!」
逃げ場を完全に塞がれた理詰めの角度で、激痛が蘭を襲う。一歩でも動けば首が極まる完璧な拘束。蘭は為す術もなく、涙目で悲鳴を上げるしかなかった。
「そこまでだ」
主将の門の硬派な声が響き、特殊訓練場のブザーが鳴り響いた。
「……ふぅ。合格ですよ、神品さん」
紗良はスッと技を解き、自身の魔力を完全に霧散させて元の童顔の女子高生へと戻った。
拘束から解放された蘭は、その場にへたり込み、首と肩を押さえながらハアハアと荒い息を吐く。
「こ、怖かったです……。南原先輩、本当に、僕のこと殺す気かと……うぅ……」
「そうしなければ、あなたは生身の人間を相手に、あの恐ろしいレールガンを全力で撃てなかったでしょう? 敵が人間に擬態した怪異だったら、その一瞬の躊躇があなたの命を奪うのですよ」
理詰めの正論。しかし、蘭の華奢な肩は、未だに抜けない死の恐怖の余韻で、ガタガタと小刻みに震え続けていた。
それを見た紗良は、ふっと冷徹な仮面を崩し、酷く申し訳なさそうな、焦った顔を見せた。
「……ごめんなさい。少し、やりすぎました」
紗良はそう呟くと、床に座り込む蘭の前に膝をつき、その小柄な身体で、蘭を正面から強く、きつく、抱きしめた。
「ふえ……っ?」
蘭の顔が、紗良の胸元へと埋まる。
さっきまでフロアを絶望で満たしていたあの恐ろしい極黒の魔力は、どこにもない。今、蘭を包み込んでいるのは、カラスノエンドウのような爽やかな香水の匂いと、自分よりも少し小柄な先輩の、とても温かくて優しい、確かな体温だった。
「よく頑張りましたね、神品さん。あなたの『退魔の雷』、私の闇を切り裂くほど見事でした。……だから、もう怖がらなくて大丈夫ですよ」
耳元で、紗良の優しく落ち着いた声が囁かれる。
ツンデレで不器用な先輩が、精一杯の免罪符として差し出してくれた、温かい抱擁。
「……うぅ、南原先輩ぃ……」
蘭はその温もりにすがるように、紗良の背中に手を回し、ようやく恐怖から解放されて、ホッと安心したようにその胸に顔をうずめて小さく泣きじゃくるのだった。




