【夕暮れの露天風呂と、魔王の残影、あるいは制裁の夜】
【夕暮れの露天風呂と、魔王の残影、あるいは制裁の夜】
氷川神社分社の森の奥深くに隠された、巨大な岩で囲まれた天然の露天風呂。
時刻は夕暮れ時。西の空が燃えるようなオレンジ色から、深い赤紫色のグラデーションへと移り変わり、その境界線に一番星が鋭く瞬き始めている。周囲を囲む鬱蒼とした木々は茜色の光に照らされ、初夏の瑞々しい青葉の香りを乗せた清らかな風が、水面を優しく撫でるように吹き抜けていた。ここは都内であることを完全に忘れさせる、まさに神聖にして隠された秘境の空間であった。
昼間の過酷極まりない修行――影安壮三先生による極限の筋肉破壊から、本多鮎先輩の禊、そしてルージュの命懸けのサポートによる「光の神術」の基礎習得を経て、合気武道部の十人は心地よい疲労感と圧倒的な達成感に包まれていた。
「……はぁぁ。本当に、空気まで美味しいッスね」
夕日に照らされて黄金色に輝くお湯に肩までどっぷりと浸かりながら、ネイビーのサーフパンツを穿いた佐藤陽翔が、岩に頭を乗せてほうっと心地よさそうなため息を漏らした。しなやかな細マッチョの肉体には、日中の超回復によって、一段上の次元へと引き上げられた魔力の残滓が心地よく脈打っている。
「ああ。限界を超えるような地獄の稽古の後に、これほど素晴らしい環境で身体を休めることができる。俺たちは本当に、良いところで修行させてもらえているな。感謝しなければならん」
黒のサーフパンツ姿の主将・門蒼真も、丸太のような腕を岩に預け、普段の硬派でストイックな顔を緩めて深く頷いた。肉体強化と円の理を融合させた彼の屈強な胸板が、温かい湯気の中でどっしりと佇んでいる。
「フッ……この大自然の夕暮れすら、僕の美しさを引き立てる完璧なエフェクトに過ぎないね。空の色彩が、僕のオシャレなボタニカル柄の水着に劇的な調和をもたらしているだろう?」
洗練されたポーズでお湯に浸かるのは、若手俳優の桐生蓮だ。動体視力と遠視に特化した千里眼を持つ彼だが、相変わらず基礎体力が皆無なため、すでに湯あたりしかけて少し顔を上気させている。
「押忍ゥゥッ! 自分、この大自然のエネルギーと温泉の天然ミネラルを、すべて大胸筋と広背筋に浸透させておりますッ! 明日の稽古では、金剛武身の出力をさらに倍化させてみせますッ!」
真っ黒な面積最小ブーメランパンツ姿の大文字鉄平は、お湯の中でも頑なに正座の姿勢を崩さず、湯口から落ちるお湯を頭から浴びながら謎の精神統一を続けていた。純粋な物理的暴力の結晶のような彼の肉体は、湯気の中でも異様な威圧感を放っている。
そんな賑やかな男子陣から、適度な距離を置いた岩風呂の反対側では、女子陣が華やかな水着姿で集まり、お湯をパチャパチャと弾きながら今日の修行の成果について話し合っていた。
「でも、本当にすごかったよね! 鮎先輩とルージュさんが魔力に介入してくれた瞬間、身体の中心に一本の芯が通ったみたいで……! 神様(恋問持子)から与えられた極黒の魔力って、やっぱり底知れないんだなって改めて思ったよ!」
阿部凛花が、180センチの圧倒的なプロポーションを包むボタニカル柄のビキニを揺らしながら、興奮気味に身を乗り出した。パリでのトップブランドCEOとの邂逅を経て、次世代トップモデルとしての圧倒的な美のオーラを身に纏った彼女の肌が、夕暮れの光を弾いて神々しく輝いている。
「ええ、本当に。何事にも完璧な型を求める私ですが、あの光の柱が通った瞬間の、攻防の隙が一切消え去るような全能感……言葉では表現しきれませんわ。女優としての演技の幅にも、新しいインスピレーションが湧きそうですのよ」
シックでエレガントな純白のビキニを完璧に着こなした高橋玲央が、洗練されたお嬢様口調で、眼鏡の奥のクールビューティーな瞳を細めた。
「数式や理詰めの計算だけでは決して到達できない、感覚の超同調……。持子先輩の残してくれた『魔力の器』の広大さには、ただただ圧倒されるばかりです」
南原紗良も、淡いブルーの大人びたビキニから覗く均整の取れた柔らかなスタイルを少し赤らめながら、真面目な知性を宿した眼鏡を曇らせて微笑んだ。
「お姉さまたちの闇と光の二重螺旋、本当にすっごく綺麗でした! わたしも早く追いついて、阿部お姉さまの隣に立っても恥ずかしくないくらい、強力な電磁支配を使いこなしてみせます!」
神品蘭が、清楚なワンピースタイプの水着姿で、黒髪のロングヘアを揺らしながら狂信的な眼差しを阿部に向けた。
「わたしもぉ♡ 陽翔センパァイへの重すぎる愛を完全変身の力に変えて、いつでもセンパァイのメインヒロインになれるように磨きをかけちゃうんだからぁ♡」
女性の姿に変身した桃井琉生が、際どいビキニ姿で、完璧な「彼女力」を放ちながら男子側に向かって熱烈なウインクを飛ばす。佐藤は慌てて目を逸らして湯船に沈んだ。
「あ、あの……わたしは今日も能力を暴発させて、空間を歪めそうになっちゃいましたけど……でも、みんながいてくれたから、怖くなかったですぅ……。合気武道部のみんなと一緒の場所は、すっごくあったかいです……っ」
雨宮千歳が、白いTシャツの上から透ける黒いビキニの紐と、その下の規格外のIカップのスイカのような膨らみを恥ずかしそうにお湯に沈めながら、潤んだ瞳でポロッと本音を漏らした。
「それにしても……」
阿部凛花が、ふと岩風呂のド真ん中に鎮座する、ひときわ大きく平らな岩を見つめて、懐かしそうに目を細めた。
「去年の今頃の夏合宿も、こうして持子様と一緒に、みんなで温泉に入ったんだよね……。あの時の持子様、あそこに立って、本当にめちゃくちゃなことして笑わせてくれたなぁ」
阿部の言葉に、同じく一年生の頃から持子のカリスマ性に触れていた二年生の女子たち(玲央、紗良)の顔に、深い愛着と、少しの呆れが入り混じった柔らかな笑みが浮かんだ。
「ええ……本当に、存在自体が規格外の、理不尽なまでに美しい先輩でしたわ」高橋がクスリと笑う。
「台風の目がそのまま歩いているような人でしたよね、本当に」南原も肩をすくめる。
「よしっ! ちょっと再現してみるね!」
阿部は悪戯っぽく微笑むと、温泉のお湯をザバァッと割りながら、長い手足を器用に動かして中央の大きな岩の上にひょいっと登り立った。
夕日を背に浴びた彼女の180センチの圧倒的なプロポーションと美貌のシルエットが、夕闇の中に鮮やかに浮かび上がる。阿部はドンと腰に手を当て、顎をツンと尊大に上げて、わざとらしく低い魔王っぽい声を作った。
「『フハハハ〜ッ! わしをよく見ろ! これが世界のトップモデルだ! この神々しきポーズを見逃すでないぞ!』」
阿部が、かつて恋問持子が見せた尊大な魔王のポーズを完璧に模倣して言い放った。香水やメイクだけでなく、所作までコピーしている彼女の熱演に、女子陣からドッと大きな笑い声が湧き起こる。
「やってましたわね! しかもそのポーズ、『この角度が世界的雑誌の表紙を飾った最高のアングルなのだから、凛花、玲央、紗良、やってみよ!』って、私たちにまで恥ずかしいポーズを強要してきましたのよ!」
高橋が、普段の完璧なポーカーフェイスを完全に崩して、楽しそうに声を上げて笑った。
「そうそう! 挙句の果てには、『千手、お主もだ!』って、芸能人でもない合気武道部の千手美貴先輩まで無理やり巻き込んで! わしから目を離すと怒るぞ!』って、本当に子供みたいに大騒ぎしてさ!」
阿部が岩の上で別のポーズを取りながら、ゲラゲラと笑う。
「ええ、本当に理不尽でした。……でも、これもやっていましたよね」
南原紗良も、楽しそうな空気に当てられたのか、恥ずかしそうに顔を真っ赤にしながらもお湯から立ち上がり、両手を頭の後ろで組んで腰を大きくセクシーに捻る、持子独特のコケティッシュなポージングを再現してみせた。普段の極寒ツンデレからは想像もつかないその無防備な姿に、男子側がゴクリと息を呑む。
「そう! 話の内容もポージングも、全く理路整然とはしていなくてめちゃくちゃでしたけれど……。鮎先輩が持子先輩に理不尽に踏みつけられて泣きべそをかきながら喜んでいた失敗談とか、立花雪社長のへんな私生活の癖とか、みんなを笑わせるための話題ばかりでしたわよね」高橋が懐かしそうに目を細める。
「うん。こんな変なポーズもしてたよね! 『あ、腰痛める!』って自分で言いながら変な角度に骨格を曲げて……。今思えば、なんであんなに、私たちのこと全力で笑わせてくれたんだろうね……」
阿部が、岩の上で少し不格好なポーズをとりながら、茜色から群青色へと変わりゆく夕空を見上げて、優しく呟いた。絶対的な女神であり、魔王であった恋問持子。彼女が去った今も、その残り香と温かい伝説は、この合気武道部に深く刻まれていた。
その、感動的でノスタルジックな空気の真っ只中。
男子陣の方から、あまりにも無邪気で、朗らかな笑い声が響き渡った。
「あははははッ! 違うッスよ凛花! その時持子先輩がやってたのは、そんな可愛いポーズじゃなくて……!」
佐藤陽翔が、ザバァッと温泉から勢いよく立ち上がった。
「こうッスよ! 『わしの美しさに平伏せ!』って言いながら、温泉の中で腰を限界まで深く落として両手を広げるアクロバティックな変なポーズをとって、その直後に足を滑らせて、お湯に顔面からダイブしてたッス! あれマジで超ウケたッスよね!!」
佐藤は、その変なポーズをお湯の中で完璧に実演し、ドヤ顔で大笑いした。
「……っ!!!!」
一瞬。
露天風呂全体の空気が、文字通り『絶対零度』に凍りついた。
ピキィィィン……と音が聞こえそうなほどの静寂。初夏の風が木々を揺らす音と、滝口からお湯が流れ落ちる音だけが、やけに大きく響いている。
「……おい、佐藤」
門蒼真が、完全に血の気が引いた顔で佐藤の肩をガシッと掴んだ。
「え? 何スか、門。俺、何か変なこと言ったッスか?」
佐藤はまだ、自身の口から放たれた言葉が、どれほどの致命傷を意味しているのか、全く気づいていない。
「……あ、そうそう! してたしてた! 滑って派手にコケてたよね!」
岩の上の阿部凛花が、ポンと手を叩いて笑う。
「……うん?」
高橋玲央の眼鏡の奥の瞳が、キラリと、恐ろしく危険な、肉食獣のような光を反射した。
「……何故」
南原紗良の声が、これまでの比ではない、極寒のシベリアの永久凍土の底のような冷徹さへと一気に叩き落とされた。
「……何故、その『女子風呂』の奥深くでの出来事を、佐藤くんはそれほど詳細に知っているのですか……?」
「「「「「…………あっ」」」」」
佐藤陽翔の思考が、ついに完全にショートした。
彼の顔から、サァァァッと恐ろしい速度で血の気が引き、土気色に青ざめていく。
「あ……あの……その……ッスね……」
佐藤の目が、助けを求めるように激しく泳ぐ。しかし、頼みの綱である主将の門蒼真は――。
(……消えている)
門は、まるで熟練の暗殺者のように存在感を極限まで希薄にし、足音も立てずにお湯の底深くに潜水し、すでに音もなく対岸へと逃亡する体制に入っていた。
――一年前。
合宿所の露天風呂。
実戦経験ゼロのピュアな男子でありながら、持子のオッパイへの煩悩をこじらせていた佐藤は、あろうことか『女子風呂の覗き』を敢行した。
門は、佐藤の暴走を止めるべく、慌てて追って川から岩で隠れて見ている佐藤に向かった。
……だが。
岩の向こうに広がっていた、恋問持子という『絶世の美貌と、圧倒的な美神の裸体』の引力は、あまりにも強大すぎた。
硬派で真面目な門蒼真でさえ、持子の神々しいまでの美の暴力を前に理性を吹き飛ばされ、そのまま佐藤と二人で並んで、食い入るように覗き見をしてしまったのだ。
そして――持子は、その鋭い直感で、すぐに覗きの気配に気がついていた。
だが彼女は、後輩たちを怒ることはしなかった。
むしろ、覗き見している二人が他の女子たちに見つかって大問題にならないよう、あえて岩の上に立ち、変なポーズをとり、大声で笑い話をして……女子全員の注目を『自分だけ』に集め続けたのだ。
すべては、バカな男子後輩たちを庇い、女子後輩たちを楽しませるための、彼女なりの不器用で深い『愛情』だった。
あの時は、バレなかった。
持子の機転により、完全犯罪は成立していたはずだった。
だが――一年という月日が流れ、佐藤の油断と持ち前の「デリカシーの無さ」によって、その真実が最悪の形で露呈してしまったのである。
「さ・と・う・く・ん?」
「は・る・と?」
「さ・と・う・陽・翔……?」
南原、阿部、高橋。
二年生の女子三人が、ゴゴゴゴゴゴ……という、目に見えそうなほどの漆黒の怒りの魔力オーラを全身から立ち昇らせながら、佐藤を完全に包囲するようにジリジリとお湯を掻き分けて距離を詰めてきた。
「ち、違うッス! 誤解ッス! あの時は、持子先輩の圧倒的なオーラに当てられて、不可抗力というか、目が吸い寄せられただけで……!」
佐藤が滝のような冷や汗をお湯に流しながら後ずさる。
「不可抗力で、女子風呂を覗いたと?……万死に値しますわ」
高橋が、純白のビキニ姿のまま、冷酷な暗殺者のような声で宣告した。
「サイテー……。私たちが、あんなに無防備に笑い合ってたのを、隠れて見てたなんて……っ。絶対、一生、許さない……!」
南原の顔が、怒りと羞恥心でリンゴのように真っ赤に染まり、拳をギリギリと握りしめる。
「陽翔……アンタ、持子様への狂信的な執念は認めるけど……ルール違反をした男には、それ相応の痛みを教え込まないといけないわよね?」
阿部が、180センチの長身から佐藤を見下ろし、ボキボキと指の関節を鳴らした。
「ま、待ってッス! 門も一緒だったッスよ! 門も持子先輩の裸見て『美しい……』ってゴクリと生唾飲み込んでたッス!!」
死に物狂いの佐藤が、お湯の底に潜んでいた門を情け容赦なく生贄として売り飛ばした。
ザバァッ! と、逃げ切れなくなった門蒼真がお湯から顔を出す。
「さ、佐藤お前っ……! 玲央、違うんだ! 俺はアイツを止めに行っただけで……!」
門が必死に弁明しようとするが、高橋の冷徹な眼差しが彼を射抜く。
「言い訳は聞き苦しいですわ。……門くんも、完全な共犯ですのね」
「っ……!」
門は、すべてを察したようにガックリと項垂れ、「……すまん。甘んじて受ける」と静かに目を閉じた。
「「「制裁るわよ!!!」」」
女子三人の怒号が、夕闇の空に鋭く響き渡った。
次の瞬間、温泉の中で激しい水しぶきが爆発した。
「ぎゃあァァァァァッッ!? 痛いッス! 紗良ちゃん、顔だけは勘弁ッス! 凛花、その関節技はモデルの力じゃないッス!! 玲央さん、お湯に顔面を沈めないでぇぇぇっっ!!」
佐藤の悲惨な絶叫が森にこだまする。
阿部のバレエ仕込みのしなやかな四肢から繰り出される容赦のない合気柔術の関節技が佐藤の腕を極め、高橋の洗練された完璧な型による沈め技が佐藤の頭部を捉え、さらに南原の的確な急所への高速水鉄砲攻撃(お湯の弾丸)が佐藤の脇腹を容赦なく撃ち抜く。三人の怒りの連撃は、凄まじいテンポで佐藤を蹂躙していった。
門もまた、高橋からの激しい水かけと怒りの平手打ちを、一切防ぐことなく真正面から直立不動で受け止めていた。主将としての威厳はどこへやら、完全に借りてきた猫のように小さくなっている。
バシャアアアッ! ドゴォッ! バキィッ!
「本当に反省してるッス! 悪かったッスからぁぁぁ!」
「うるさいですわ! まだまだ型が甘いですわ!」
「二度と覗きなんて不純な真似ができないように、徹底的に理詰めで沈めます……っ!」
激しい制裁の嵐が吹き荒れる中、その圧倒的な迫力に、お湯の端っこに避難していた一年生たちは完全に圧倒されていた。
「ひわぁぁぁ……すごい迫力ですぅ。やっぱり二年生の先輩たちは、怒らせると世界が滅びちゃいますぅ……」
雨宮千歳が、白いTシャツを濡らしたまま、ガタガタと震えて目を回している。
「さすが阿部お姉さま! 怒ったお顔も凛々しくて世界一美しいです!」
神品蘭だけは、阿部の華麗な関節技にうっとりと見惚れて拍手を送っていた。
「陽翔センパァイ、ドンマイだよぉ♡ でも覗きは女の子の敵だから、しっかりお仕置きされちゃいなっ♡」
桃井琉生は、美少女の姿のままクスクスと楽しそうに笑いながら、浮き沈みする佐藤を傍観している。
「フッ……愛憎渦巻く湯煙の惨劇。まるで一流のサスペンス映画のワンシーンのようだね。僕の千里眼でも、先輩方の手の速さは捉えきれないよ」
桐生蓮は、完全に安全圏からキザな台詞を吐いて楽しんでいた。
「押忍ッ!! 女の怒りとは、かくも凄まじい物理エネルギーと破壊力を生むのかッ! 自分、この先輩方の理合の応酬を、しっかりと目に焼き付けますッ!」
大文字鉄平は、一人だけ完全にズレた感心をしながら、お湯の中で直立不動の敬礼を続けていた。
バシャバシャと激しく飛び散るお湯の嵐。佐藤が半分白目を剥き、門が完全にシュンとしたあたりで、ようやく雨宮千歳がおずおずとお湯の中から手を挙げ、宥めるように声を掛けた。
「あ、あのぅ……先輩方……っ」
千歳が、怯えながらも必死に言葉を紡ぐ。
「さ、佐藤先輩も、門先輩も、お湯をいっぱい飲んで、すっごく、すっごく反省してるみたいですし……。もう、これくらいで、許してあげませんか……?」
「そ、そうだよ! 陽翔センパァイ、もう完全にノックアウト状態で可哀想だしぃ!」
桃井も、水面にプカプカと浮かびかけた佐藤の頭をツンツンと突きながら加勢した。
「押忍ッ! 先輩方の烈火のごとき怒りは、我々一年生の丹田にも十分に響き渡りました! これ以上の制裁は、彼らの肉体の終焉を招くであります!」
大文字の力強いKYな説得(?)も加わり、ようやく女子三人の激しい攻撃の手がピタリと止まった。
「ハァ……ハァ……っ。もう、これくらいにしておいてあげますわ……」
高橋が、乱れた息を整えながら、濡れた眼鏡の位置を直して佐藤を冷酷に見下ろした。
「ええ……っ。私の、お湯を飛ばす腕の筋肉も、さすがに限界です……」
南原が、疲労困憊の様子で額の汗を拭い、フゥと息を吐く。
「ふぅ、すっきりした! 陽翔、門、持子様の思い出を汚した罪、しっかり身体に刻み込みなさいよね!」
阿部が、岩の上に戻ってドンと腰に手を当てて仁王立ちした。
一年生たちの必死の宥めのおかげで、温泉を満たしていた漆黒の怒りのオーラが、ようやくスッと霧散していく。
「……一年生がそこまで言うなら、今日のところはこれで勘弁してあげますわ」高橋が、冷たく言い放つ。
「……感謝しなさいよね。千歳ちゃんたちに」南原が、フンと鼻を鳴らしてプイッと顔を背けた。
「ゲホッ、ゴホッ……! あ、ありがとうッス、みんな……。俺、マジで三途の川の向こうに、持子先輩の全裸の幻影が見えたッス……」
佐藤が、温泉のお湯を激しく吐き出しながら、フラフラとゾンビのように立ち上がった。全身が赤く腫れ上がり、見事な制裁の跡が刻まれている。
「……俺も、すまなかった。高橋、本当に反省している」
門も、ガチガチの筋肉を縮こまらせて、深く頭を下げた。
「ただし!」
阿部凛花が、ビシッと濡れた指先を佐藤に突きつけた。
「陽翔! アンタは覗きの主犯格であり、この最悪のハプニングを引き起こした張本人なんだから……合宿最後の日の食事当番は、アンタ一人で『全員分の食事当番』ね! もちろん、調理から最後の片付けに至るまで、全部一人でやること! 分かった!?」
「「「大賛成ですわ(ね)!」」」
高橋と南原が、力強く同調して冷たい笑みを浮かべる。
「えええええええッ!? 十人分の食事を、一人で!? 俺、料理なんてカップ麺しか作ったことないッスよ!?」
佐藤が絶望の声を上げ、温泉の中で天を仰いだ。
「門くん、手伝ったら、次は私の専属顧問弁護士の約束、白紙に戻しますわよ?」
高橋が、門に致命的な釘を刺す。門は青ざめて無言で激しく首を横に振った。
「嫌なら、今からもう一度制裁の第2ラウンドを開始しますけれど?」
南原が、冷たい笑顔で、防水ケースに入ったタブレットの角を見せつける。
「……や、やるッス。喜んでやらせていただきますッス……」
佐藤は完全に心を折られ、温泉の中にガックリと崩れ落ちた。
「あははははっ! 陽翔センパァイ、お料理がんばってねぇ♡ わたし、すっぽんの生き血とかマムシ粉末とか、スタミナ素材いっぱい持ってきてあげるからぁ♡」
「ギャアアアッ! 桃井、それ絶対に混ぜるなよ!? 片付けの手伝いだけしてくれッス!」
佐藤が涙目で叫ぶ。
「押忍ッ! 佐藤先輩の作る、筋肉が歓喜するような漢の男飯、自分、今からメチャクチャ期待しておりますッ!」
大文字が、温泉の中で豪快にガッツポーズをしてみせた。
「……ふふっ。佐藤先輩、がんばってくださいね。わたし、美味しいご飯、楽しみに待ってますぅ」
雨宮千歳が、お湯の中から顔を少し出して、守られたことへの感謝を込めて、優しくふわりと微笑んだ。
「……あーあ。俺、本当に料理できないッス……」
佐藤が、温泉の縁に突っ伏して、トホホ……と情けない声を漏らす。
「みんな、期待してますからね!」
南原紗良が、少しだけ意地悪く、しかしどこか嬉しそうに微笑みながら、佐藤に向かってパチャッとお湯を掛けた。その不器用な乙女のやり取りに、岩風呂のあちこちから、今度こそ温かく、こらえきれない大爆笑が湧き起こった。
賑やかな笑い声が響く中、夕闇は完全にその帳を降ろし、神社の周囲を包む深い森は、静寂な夜の装いへと移り変わっていく。
「さあ、お湯も十分に堪能したし、身体が冷える前に上がるぞ」
主将の門の声を合図に、部員たちは一人、また一人と、名残惜しそうに温かい岩風呂から上がっていった。衣服を濡らした雨宮千歳も、阿部や南原に手伝ってもらいながら、嬉しそうに笑って湯船を後にする。真新しい禊装束や着替えを抱え、部員たちは更衣室のテントへと、ドタバタと賑やかな足音を立てて歩いていった。
最後に一人、お湯から上がった佐藤陽翔は、更衣室へ向かう道すがら、ふと足を止めて夜空を見上げた。
「……すげえな」
思わず、感嘆の声が漏れる。
木々の隙間から覗く広大な天空には、都会の喧騒では決して見ることのできない、息を呑むほどに美しい満天の星空が広がっていた。数え切れないほどの星々が、天の川の淡い光とともに、キラキラと神秘的な輝きを放っている。
昼間の過酷極まりない地獄の修行、限界を超えた身体に一本の芯を通した光の神術の驚異。そして、先ほどまでの、持子の思い出を巡る騒がしくも愛おしい大騒動。
そのすべてが、この清らかな夜風の中に溶けていくようだった。
自分の身体の中心には、確かに新しく強固な「武の器」の土台が完成している。そして何より、この騒がしくて、理不尽で、けれどどこまでも温かい合気武道部という『最高の仲間たちの輪』の中に、自分がいる。
「……よし。最後の日は、マジで気合入れて、美味いもん作ってやるっスよ」
佐藤は、小さく拳を握りしめ、誰に言うでもなく呟いた。全身の制裁の痛みすら、今は心地よい青春の勲章のように思えた。
「おーい、陽翔! 早く着替えないと、おいてっちゃうぞー!」
遠くから、悪友である阿部凛花のハキハキとした明るい声が、夜の森に響いた。
「今行くッスよ、凛花!!」
佐藤は元気よく声を張り上げると、満天の星空に見守られながら、仲間たちの待つ温かい光の溢れる道場へと、力強く走り出していくのだった。




