【本場流・極上のバーベキュー! 塊肉と「おもてなしの逆」理論】
【本場流・極上のバーベキュー! 塊肉と「おもてなしの逆」理論】
「……こ、これは……」
「すげえ……マジで……すげえッス……!」
竹刀一本でコテンパンにのされ、ドヨーンと重苦しい空気を引きずりながら道場の外へ出た合気武道部の十人は、目の前に広がる光景に完全に言葉を失っていた。
初夏の夕闇が迫る氷川神社の裏庭。そこには、アウトドア雑誌の表紙から抜け出してきたかのような、完璧にセットアップされた『本場流・バーベキュー空間』が広がっていた。
パチパチと心地よい音を立てる焚き火台、ランタンの温かいオレンジ色の灯り、そして何より中央に鎮座する、黒光りする巨大な蓋付きの本格的なBBQグリル。そのグリルからは、スモーキーで甘く、暴力的なまでに食欲をそそる肉とスパイスの香りがもうもうと立ち昇っていた。
「さあ、みんな! 好きな席に座ってちょうだい!」
特注のアウトドア用エプロンを身につけた本多鮎が、グリルの前でトングを片手にウインクを飛ばす。
「えっ、でも鮎先輩……俺たちも準備、手伝うッスよ!」
「そうですわ。食事の準備を先輩方に任せきりなんて、後輩として……」
佐藤陽翔や高橋玲央が慌てて駆け寄ろうとしたが、スッ……とルージュが二人の前に立ち塞がり、優雅に扇子を広げた。
「いいえ、あなた達は座っていなさい。……おもてなしの最大のポイントは『ゲストを一切働かせないこと』ですのよ」
ルージュはふわりと微笑み、十人をテーブルへと促した。
「今日のあなた達は、過酷な修行を乗り越えたVIPなゲストですわ。食材の下ごしらえから、焼き加減の管理、飲み物のサーブ、終わった後の片付けに至るまで……すべてホストであるわたくし達が行いますの。あなた達の仕事はただ一つ、『最高に楽しんで、最高に美味しく食べること』だけですわ!」
トップモデルと吸血鬼の元女王による、極上のフルサービス宣言。
「お、押忍ゥゥゥッ……! 先輩方の慈悲深きおもてなし、骨の髄まで堪能させていただきますッ!」
大文字鉄平が感動の涙を流しながら着席し、他の部員たちも戸惑いながらもふかふかのアウトドアチェアに腰を下ろした。
「よし、全員座ったわね。それじゃあ……まずは、喉を潤して小腹を満たしましょう!」
ルージュが手際よくテーブルに運んできたのは、キンキンに冷えた色鮮やかなモックテル(ノンアルコールカクテル)と、木製のカッティングボードに美しく盛り付けられた『ピンチョス』や『地元特産野菜のバーニャカウダ』だった。
「わぁっ……綺麗! トマトとモッツァレラのカプレーゼに、生ハムとオリーブのピンチョスだ!」
阿部凛花が目を輝かせる。
「日本の焼肉みたいに、いきなり薄切り肉を網に乗せて焼くのは野暮よ」
グリルの前で鮎が微笑む。
「本場のBBQはね、ゲストが到着したら、メインのお肉が焼き上がるまでの間、まずはこういう色鮮やかなフィンガーフードで歓迎の意を示すの。……さあ、乾杯しましょう!」
「「「「「かんぱーい!!」」」」」
カチンッ! とグラスが触れ合う音が夜の森に響く。
冷たくて甘酸っぱいベリーのモックテルが、乾ききった喉を潤していく。
「……美味しいっ!」
「んん〜っ♡ ピンチョスのお野菜、すっごく甘いですぅ!」
雨宮千歳と桃井琉生が、一口サイズのおつまみを頬張って顔をほころばせる。
「……なるほど。いきなり重い肉を入れるのではなく、まずは軽い前菜で胃袋の準備運動をさせる。理にかなった素晴らしいコース設計ですね」
南原紗良も、極寒のツンデレを忘れてバーニャカウダソースの深みに舌鼓を打っていた。
空腹が満たされ、美味しい飲み物が体に行き渡るにつれて、さっきまでの「ドヨーン」とした絶望的な空気が、嘘のように少しずつ薄れていく。
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【塊肉の洗礼】
「さて……前菜を楽しんでもらったところで、いよいよメインディッシュの登場よ!」
鮎が、巨大なグリルの黒い蓋に手をかけた。
「いいこと? 本格的なBBQの極意、それは『塊肉』を使い、低温でじっくりと火を通す『ロー&スロー(LOW & SLOW)』のテクニックよ!」
パカァッ!!
が開かれた瞬間、モワァァァァァッ! と濃厚なスモークの煙と共に、凄まじい肉の香りが爆発した。
「「「「「うおおおおおおおおっっ!!?」」」」」
十人の高校生が、一斉に身を乗り出して絶叫した。
グリルの網の上に鎮座していたのは、ラグビーボールのようなサイズ感の、巨大な『キューブロール(リブロースの芯)』の超・特大塊肉だった。表面は特製のスパイス(ラブ)で黒褐色にカリッと香ばしく焼き上げられ、極上の肉汁がジュワジュワと溢れ出している。
「で、デカすぎるッス!! なんですかあの漫画みたいな肉の塊は!!」
佐藤が目をひん剥いて立ち上がる。
「フッ……美しき赤身と脂身のコントラスト。まさに肉の芸術品ですね……ゴクリ」
桐生蓮がキザなポーズを崩して生唾を飲み込む。
「これだけの大人数をもてなす時はね、こうやって豪快な塊肉を焼いて、後から切り分けるのが一番盛り上がるのよ! さあ、冷めないうちに召し上がれ!」
鮎は、専用の長いミートフォークと鋭いカービングナイフを両手に持ち、グリルの前で鮮やかな手つきで肉を切り分け始めた。
サクッ、スゥゥゥッ……。
ナイフが入るたびに、表面のクリスピーな層の下から、見事なまでに美しいロゼ色(ピンク色)に火が通った断面が顔を覗かせる。
鮎が切り分けた極厚のステーキ肉を、ルージュが次々と部員たちの皿へと運んでいく。
「「「「「いただきますッ!!」」」」」
佐藤が、フォークで刺した分厚い肉を豪快に口に放り込む。
ガブッ。ジュワァァァァァッ……!
「…………っっ!!」
佐藤の動きが、ピタリと止まった。
「陽翔!? どうしたの!?」
阿部が心配そうに覗き込むが、佐藤は天を仰ぎ、両手で顔を覆った。
「う、美味すぎる……ッス……!!」
佐藤の目から、感動の涙が滝のように流れ落ちていた。
「なんだこれ!? 表面のスパイスはガツンとパンチが効いてるのに、中のお肉は歯がいらないくらい柔らかい! 噛めば噛むほど、赤身の旨味と肉汁の甘みが脳天を突き抜けるッス!! 俺、生きててよかったッス!!」
「本当ですわ! スモークの香りがお肉の風味を極限まで引き上げています!」
高橋が、完璧なマナーで肉を切り分けながらも、口元を隠して至福の表情を浮かべる。
「あははっ! 陽翔、口の周りにソースついてるよ!」
阿部が笑いながら佐藤を指差す。
「うるせー凛花! お前だってさっきから肉ばっかり食って、野菜残してんじゃねーッス!」
「野菜は後で食べるの! 今はお肉のターンなの!」
「うんっ! うんっ! 美味しい! 阿部お姉さま、これすっごく美味しいですよ!」
神品蘭が、リスのように頬を膨らませて肉を咀嚼している。
「うぅぅっ……美味しいですぅ……お肉が溶けちゃいますぅ……!」
雨宮が、両手で頬を押さえて涙目で味わっている。
「押忍ゥゥゥッ!!」
ドンッ!! と、大文字鉄平が立ち上がって両腕を天に突き上げた。
「大自然の恵み! そして鮎先輩の愛と情熱が注ぎ込まれた究極のタンパク質! この圧倒的な旨味が、破壊された俺の筋繊維を超回復させていくのが分かりますッ! 押忍! おかわりお願いしますッ!!」
「ふふっ、いくらでもあるから焦らなくていいわよ!」
鮎は嬉しそうに笑いながら、肉を切り分け続ける。
「あ、佐藤くん。飲み物のおかわりはいかがかしら?」
ルージュが、グラスが空になりかけていた佐藤にスッと冷たいジンジャーエールを注ぐ。
「あ、すんませんルージュさん! 自分でやるッスよ!」
「ダメですのよ。今日はあなた達は一切動かないの。わたくし達の気配りに、ただ身を委ねなさいな」
「……神か、あんた達は……!」
佐藤が拝むようにしてグラスを受け取る。
先ほどまで、竹刀一本でコテンパンにのされ、絶望のどん底に突き落とされていた彼ら。
だが、温かい火を囲み、極上のお肉を腹一杯に詰め込み、先輩からの至れり尽くせりのおもてなしを受けるうちに……彼らの顔からは、いつの間にか暗い影が完全に消え去り、高校生らしい弾けるような笑い声が響き渡っていた。
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【「おもてなしの逆」理論】
「……ふぅ。もう限界ッス……お腹はち切れそうッス……」
「お肉のパラダイスでしたわ……完璧なディナーでした……」
一時間後。
用意されていた大量の肉と野菜は、十人のブラックホールのような胃袋に見事におさまり、部員たちはふかふかのチェアに深く背中を預けていた。
ルージュが淹れてくれた温かいハーブティーを飲みながら、焚き火の炎をぼんやりと見つめる。
「どう? みんな、私とルージュの『おもてなし』は」
エプロンを外した鮎が、コーヒーカップを片手に、焚き火の向こう側から優しく問いかけた。
「……最高でした。本当に、至れり尽くせりで」
主将の門蒼真が、深く頭を下げた。
「俺たちは座っているだけで、飲み物が空けばすぐに注がれ、最高のタイミングで極上のお肉がサーブされる……。文句のつけようがない、完璧なおもてなしでしたッス!」
佐藤も、腹をさすりながら全力で褒め称える。
「ええ、本当に。何から何まで先輩方がやってくださって、私たちはただ心地よく楽しむだけでしたわ」
高橋も、うっとりとした表情で同意した。
十人が口々に鮎とルージュのおもてなしを絶賛する。
その言葉を聞いて、鮎は満足そうにニコリと笑った。
「そう。ホストである私たちがすべてを管理して、ゲストであるあなた達には一切の負担をかけさせない。あなた達のペースに合わせて、最高に『心地よい』空間を提供する。……それが、おもてなしの極意よ」
鮎はそこで言葉を区切り、スッと目を細めた。
焚き火の炎に照らされた彼女のピンク色の瞳が、突然、刃のように鋭く光る。
「じゃあ――戦闘においてはどうかしら?」
「えっ……」
その声のトーンの変化に、全員の背筋がピクッと伸びた。
「戦闘においてはね、その『おもてなしの逆』をしなさい」
「おもてなしの……逆……?」
阿部凛花が、不思議そうに首を傾げる。
鮎はゆっくりと立ち上がり、十人を見渡した。
「そうよ。おもてなしが『相手を心地よくさせ、思い通りに楽しませる』ことなら、戦闘はその真逆。相手を『最高に不快な状況』に追い込み、相手の思い通りに『一切させない』ことよ」
「給仕と同じですわ」
ルージュが、扇子をパチンと閉じて言葉を継いだ。
「相手の望むものを決して与えず、相手が最も望まぬものを強引に押し付けるのです。それが戦闘における『おもてなし』ですの」
「……なるほど」
理詰めの頭脳派である南原紗良がハッとして息を呑んだ。
「相手に何もさせないのではなく……相手に『無駄なこと』を強要し、ペースを完全にこちらが握る、ということですか」
「その通りよ、南原さん」
鮎はパチンと指を鳴らす。
「さっきの戦闘訓練……あなた達は、私に『おもてなし』されちゃってたのよ」
「俺たちが……おもてなしされてた?」
佐藤が目を見開く。
「そう。私が極黒の魔力すら使わなかったのに、あなた達は手も足も出なかったでしょう? それは、あなた達が私の用意した『心地よい(思い通りの)空間』で、私の手のひらの上で踊らされていたからよ」
鮎の言葉に、佐藤がゴクリと喉を鳴らす。
「……つまり、極上の嫌がらせってことッスか?」
「ええ、まさにそれ! さすが遊撃手ね」
鮎は嬉しそうに頷いた。
「相手に無駄な力を使わせ、こちらは最小限の力で立ち回る。相手をイライラさせ、焦らせ、ペースを崩す。それが『おもてなしの逆』よ」
「僕の眼で予備動作が読めなかったのも……先輩が僕たちに『読ませないように』、あるいは『間違った情報を読ませるように』コントロールしていたからなんですね……」
桐生蓮が、自分の眼の未熟さを痛感して俯く。
「ええ。視線を誘導するのもホストのテクニックの一つですもの」
ルージュがクスリと笑う。
「実戦において、ただ力が強いだけでは勝てないわ。相手の心を折り、ペースを握り、不快のどん底に突き落とす。……あなた達には、その『駆け引き』と『コントロール』が圧倒的に足りていないの」
鮎の言葉は、夕食前のドヨーンとした絶望とは違う、明確な『課題』として彼らの心に深く突き刺さった。
「……絶望した? もう勝てないって、諦める?」
鮎が、挑発するように笑いかける。
「「「「「――いいえッ!!」」」」」
十人の声が、夜の森に力強く重なった。
「押忍ゥゥゥッ!! 負けっぱなしで終わる大文字鉄平ではありませんッ! 明日の稽古で、必ずや先輩の動きの片鱗でも盗んでみせますッ!」
「……ええ。この完璧な私が、一度の敗北で膝を折るなどあり得ませんわ。明日は私たちが先輩を『不快な状況』に追い込んでみせます」
高橋が眼鏡を光らせる。
「私も……! 念動力、もっとコントロールして、今度は絶対に先輩の思い通りにはさせませんぅっ!」
雨宮も両手をギュッと握りしめて決意を口にした。
「……ふふっ。いい目になったじゃない」
鮎は、後輩たちの闘志に満ちた顔を見て、心から嬉しそうに破顔した。
「手加減して勝てる相手じゃないと分かったなら、次はどうするか……明日から、死ぬ気で考えなさい。私とルージュが、この合宿であなた達の限界を、もう一つ上の次元へ引き上げてあげるから!」
「「「「「はいッ!!!」」」」」
燃え盛る焚き火の前で、十人の若き能力者たちの顔は、希望とやる気に満ち溢れていた。
理解不能な敗北による絶望は、極上のバーベキューという『完璧なおもてなし』によって完全に浄化され、そして明日への明確な指針である『おもてなしの逆』理論へと昇華されたのだ。
「さあ! お腹もいっぱいになったし、今日はもう解散! 各自お風呂に入り直すなり、部屋で休むなり、明日に備えてしっかり睡眠をとりなさい!」
鮎の号令で、部員たちは元気よく立ち上がった。
「「「「「おやすみなさいッ!!」」」」」
彼らが道場へと戻っていく背中を見送りながら、ルージュが横で静かに微笑んだ。
「……やれやれ。落としてから上げる。マスターも、本当に人を惹きつけるのがお上手になりましたわね」
「ふふっ。持子様から学んだことの、ほんの受け売りよ」
鮎は焚き火の火を消しながら、星の瞬く夜空を見上げた。
狂信のOGと吸血鬼による極上のおもてなしの夜。
合気武道部のGW合宿第一日目は、絶望と満腹、そして新たなる闘志と共に、静かに更けていくのだった。




