【理解不能の敗北と、ドヨーンと沈む夕暮れの反省会】
【理解不能の敗北と、ドヨーンと沈む夕暮れの反省会】
パァァァァァンッ……!!
「がっ……!?」
「ひぃっ……!」
道場に鈍い打撃音が響き渡り、二つの影が同時に床へ転がった。
黒い特製防護スーツの上にジャージを羽織った佐藤陽翔と門蒼真が、なす術もなく畳に沈む。
「――はい、そこまで。全滅ね」
夕暮れの赤い光が差し込む道場の中央。
本多鮎は、大人が両手で抱えるほどの巨大な『特注竹刀』を肩に担ぎ、汗一つかかずにふわりと微笑んでいた。
その足元には、合気武道部の十人が、文字通り『コテンパン』にのされて転がっていた。
「……はぁっ……現れて……」
「……うぅ……っ」
全員の意識はハッキリしている。骨も折れていないし、血も出ていない。
それどころか、竹刀による打撲すらも、背後で控えていたルージュが放つ『光の神術』によって、一瞬にしてかすり傷程度まで治癒されている。
しかし、彼らの心には、肉体のダメージを遥かに凌駕する『絶望』と『モヤモヤ』が重くのしかかっていた。
無理もない。
彼らは、一切の言い訳ができないほどの『完全なる敗北』を喫したのだ。
二年生はS+級の魔力操作を持つ佐藤が指揮を執り、一年生は動体視力に特化した桐生蓮が指揮を執った。二年生は東京ダンジョンで侯爵級悪魔アモンを退けたという自負があり、一年生もまた、夜間の実戦や廃洋館での死闘を経て、確かな実力とチームワークを身につけていたはずだった。
だが、本多鮎は――『極黒の魔力』を一切使わなかった。
ただの巨大な竹刀一本。身体能力のみ。
それだけで、魔法や超能力をフル活用して襲い掛かった十人の高校生を、文字通り赤子の手をひねるように蹂躙したのである。ギリギリ立ち上がれない、けれど大怪我はしていないという、完璧に計算し尽くされた手加減のもとで。
「……こら! あなた達、いつまで寝転がっているんですの!」
ルージュがパチンと扇子を鳴らし、呆れたように声をかけた。
「夕食ができるまで、まだ少し時間がかかります。それまでは自由にしてなさい。外で遊んでも良いし、森の中を散歩してきてもいいわ。とにかく、その暗い顔をどうにかして、少し気分を発散してきなさいな!」
「……お、押忍……」
そして、ルージュは目を細めてピシャリと付け加えた。
「ただし、夕食が入らなくなるから『間食』だけは絶対に禁止ですわよ!」
その言葉を聞いた瞬間、畳の上でうつ伏せになっていた大文字鉄平が、小刻みに震える手で自身のスポーツバッグを探り、こっそりと取り出しかけていた『特大の羊羹』を、音を立てずにゆっくりと、ゆっくりとバッグの奥底へ戻した。
「さ、マスター。私たちは厨房に戻りますわよ」
「ええ。みんな、しっかりお腹空かせておくのよー!」
鮎とルージュが楽しげな足取りで道場から出て行くと、後には夕暮れの静寂と、這いつくばったままの十人の部員だけが残された。
◆◇◆
「……ねぇ。さっきの戦闘について……ちょっと話し合わない?」
重苦しい沈黙を破ったのは、阿部凛花だった。
彼女は濡れた髪をタオルで拭いながら、胡座をかいて深い溜め息をついた。
その言葉に、佐藤がゆっくりと上体を起こし、苦虫を噛み潰したような顔で首を振る。
「……話し合うって言っても……俺、遊撃手として何も有効な指揮を出せなかったッス。指示を出す前に、鮎先輩の動きが予想の斜め上をいきすぎて……何も、言えなかったッス」
「……同感です」
南原紗良が、タブレットを抱きしめるようにして膝を抱えた。
「私の計算や予測アルゴリズムが、全く機能しませんでした。あの方の動きは、物理法則を無視しているとしか思えない部分がありました」
「……ええ。アモンを倒して、少しは強くなったと思っていましたけれど……まだまだ、私たちのレベルが低すぎますわ」
高橋玲央も、悔しそうに唇を噛みしめる。
「……うぅむ」
門蒼真は、自らの分厚い両手を見つめながら、ただ低く唸るしかなかった。彼の怪力も防御も、鮎の巨大竹刀の前には紙くず同然だったのだ。
二年生たちが重い空気を漂わせる中、一年生たちのショックはさらに深刻だった。
「……あり得ません。僕の目でも、鮎先輩の動きが全く捉えられませんでした」
桐生が、自慢の『千里眼』を持つ目を押さえながら、信じられないというように呟く。
「見えないはずがないんです。でも、いざ攻撃が来る瞬間、彼女の姿がフッと視界から消える……。完全に死角を突かれました」
「押忍ゥゥ……自分もであります……」
大文字が、自分の分厚い大胸筋をさすりながら呻く。
「自身の肉体を極限まで硬化させる『剛体』……それを発動させていたにも関わらず、鮎先輩の竹刀は、魔力で強化しきれない関節の隙間や、急所だけを的確に……しかも、竹刀の重さだけで打ち抜いてきました……」
「私のワイヤーもダメでしたぁ……」
男の娘である桃井琉生が、涙目で自分の武器である特殊な魔導ワイヤーを見つめる。
「ワイヤーを面で広げて、退路を塞ぐように攻撃したのに……鮎先輩、あの馬鹿でかい竹刀の先端で、ワイヤーの力をクルリと『いなして』避けたんです。あんな細いワイヤーを巨大な竹刀でいなすなんて……意味がわかりません」
「意味がわからないのは私の方です!」
神品蘭が、床をバンッ! と叩いて声を荒げた。
「私が放った超音速の『レールガン(電磁投射)』を……鮎先輩、竹刀の側面でパァンッ! って……まるでハエでも叩き落とすみたいに弾いたんですよ!? 金属の弾丸を、ただの竹刀で!? 物理的におかしいじゃないですか!」
「わ、わたしなんて……っ」
雨宮千歳が、ブルブルと震えながらポロポロと涙をこぼした。
「念動力をぶつけても、竹刀を振る風圧だけでかき消されて……こ、怖くてテレポートで道場の端まで逃げたのに……転移した瞬間に、もう鮎先輩が先にそこで待ってて……『はい、チェックメイト♡』って竹刀でポンって叩かれて……! もう、全然理解できませんぅっ……!」
それぞれが己の全力を出し切り、そしてそれぞれの得意分野を『魔力抜きの巨大竹刀一本』で理不尽に粉砕された。
十人の才能ある若き能力者たちは、自分たちと、世界の頂点で戦う『トップ層』との間にある果てしない実力差を見せつけられ、完全に自信を喪失していた。
部屋が、暗い。
夕日が沈みかけ、道場の中に影が長く伸びているせいもあるが、それ以上に彼ら十人が放つ『ドヨーン……』という効果音が、本気で目視できるのではないかというレベルで、空間全体がどん底に落ち込んでいた。
「……俺たち、本当に強くなれるんスかね……」
佐藤が、ぽつりとこぼしたその一言が、誰の口からも否定されることなく、ただ虚しく道場の空気に溶けていった。
◆◇◆
「皆様ぁ〜! 夕食の準備ができましたわよ〜!」
道場の入り口の引き戸がカラカラと開き、明るく華やかな声と共に本多鮎が顔を出した。
エプロン姿の彼女の後ろからは、ジューッという肉を焼くような食欲をそそる音と、スパイシーで香ばしい匂いが漂ってくる。
しかし。
「…………」
「…………ッス」
「……はい」
十人の部員たちは、誰も立ち上がろうとせず、膝を抱えたまま、あるいはお通夜のような顔をしたまま、幽鬼のように力なく返事をしただけだった。
「……えっ」
そのあまりにも重苦しい『ドヨーン』とした空気の塊に、さすがの鮎も一瞬言葉を失った。
「ちょっとルージュ! 全然ダメじゃない!」
鮎はパッと振り返り、背後からお盆を運んできた使い魔を小声で責め立てた。
「全然気分が発散できてないわよ! むしろさっきより落ち込んでるじゃないの!」
「……だから言ったではありませんか」
ルージュがジト目で鮎を睨み返す。
「マスターがやりすぎるからですわよ。ただでさえ滝行で限界だった彼らを、あんな理解不能な理不尽暴力でボコボコにしたら、誰だって心が折れますわ。わたくしのフォローの言葉くらいで回復するレベルじゃありませんの」
「うっ……そ、それは……彼らの限界を引き上げるためには必要なステップだったのよ!」
鮎は少しだけバツが悪そうに視線を泳がせたが、すぐにパンッと両手を叩き、強引に明るい笑顔を作って道場の中へと足を踏み入れた。
「ー、もう! みんな、いつまでもそんな暗い顔してちゃダメよ!」
鮎は、うずくまる佐藤や阿部たちの前に立ち、腰に手を当ててビシッと言い放たれた。
「落ち込むのは後! 悩むのも後! まずは、お腹いっぱい美味しい物を食べなさい! 人間、どんなに絶望しても、美味しいご飯を胃袋に詰め込めば、絶対にエネルギーが湧いて元気になるようにできてるんだから!」
鮎の言葉は、理不尽なまでの力強さと、有無を言わさぬトップスターのオーラに満ちていた。
「ほら、立って立って! 今夜は特別メニューなんだから! 全員、外においで!」
「そ、外……?」
佐藤が不思議そうに顔を上げる。
「そうよ! 早く来ないと、最高のお肉が焦げちゃうわよ!」
鮎がウインクをして道場の外を指差すと、そこからさらに強烈な『肉の焼ける匂い』と、楽しげな炭火のパチパチという音が聞こえてきた。
モヤモヤと絶望に支配されていた彼らの胃袋が、その匂いに反応して「グゥゥゥゥッ……!」と情けないほど正直な悲鳴を上げる。
「……っ、行くッス……」
「背に腹は代えられませんわ……」
「押忍ゥ……!」
どんなに落ち込んでいようと、高校生の空腹には抗えない。
彼らはフラフラと立ち上がり、鮎の明るい声と食欲を刺激する匂いに導かれるようにして、夕闇に包まれた道場の外へと足を踏み出していった。




