【湯船のお汁粉と無意識の煩悩、そして特製スーツの戦闘訓練】
【湯船のお汁粉と無意識の煩悩、そして特製スーツの戦闘訓練】
「……はぁっ……はぁっ……ぜ、全身の、感覚が……」
「……指先が、紫を通り越して……真っ白ですわ……」
十メートルの高さから容赦なく叩きつけられる、初夏の滝の暴力。そして、体温を根こそぎ奪っていく氷のような湧き水の冷気。
数え切れないほどのループを経て、いよいよ設定された時間が終了した時、合気武道部の十人は完全に人間の限界を突破し、生命維持のギリギリのラインを彷徨っていた。
ザバシャッ……バシャッ……。
滝壺から這い上がってきた彼らは、もはや立ち上がる気力すらなく、苔むした岩場の上でピクピクと痙攣する打ち上げられた魚のようになっていた。
白褌一丁の男子陣は、自慢の筋肉が寒さでガタガタと縮み上がり、唇は藤色に染まっている。
襦袢と白衣を纏った女子陣に至っては、完全に水を含んで肌にピッタリと張り付いた透け透けの装束を気にする羞恥心すらとうの昔に凍りつき、ただお互いの身体を寄せ合って小刻みに震えることしかできなかった。
「……あらら。思った以上に消耗しているわね」
岸辺で彼らの様子を観察していた本多鮎が、腕を組みながら目を丸くした。
「マスター。社務所の厨房に、お茶とお菓子の準備ができておりますが……」
使い魔のルージュが、心配そうに倒れ伏す部員たちを見下ろす。
「ダメね。この衰弱しきった状態で、服を着替えて社務所まで歩かせるのは危険だわ。風邪を引くどころか、低体温症で倒れかねない」
鮎は瞬時に的確な判断を下し、パンッと手を叩いた。
「いいこと、みんな! 今すぐ立ち上がりなさい! このまま道場の奥にある『露天風呂』に直行よ! 身体を洗うのは後回しでいいから、とにかくお湯に入って温まりなさい!」
「お……おんせん……!」
「あたたかい……おゆ……ッス……」
『温泉』という圧倒的な救いの言葉に、死に体だった十人の目にわずかな光が宿った。
彼らは最後の力を振り絞り、互いに肩を貸し合いながら、這うような足取りで露天風呂へと向かった。
---
ザバァァァァァッ……!
「「「「「あぁぁぁぁぁぁぁぁっ……!!」」」」」
広大な岩風呂に、男女十人の魂の底からのうめき声が響き渡った。
熱すぎず、ぬるすぎない、完璧な温度に調整された天然の温泉。
滝行で芯まで冷え切った身体に、お湯の熱がジンジンと、いや、ビリビリと痛いほどに染み込んでいく。凍りついていた血流が再開し、凝り固まっていた筋肉がゆっくりとほぐれていく。
地獄から天国への急直下。
全員が肩までお湯に浸かり、岩の縁に頭を乗せて、完全に脱力していた。
「……生きてる……俺、まだ生きてるッス……」
佐藤陽翔が、真っ赤になった顔で天を仰ぐ。
「……極楽ですわ。滝の冷たさを味わった後のお湯が、これほどまでに素晴らしいものだとは……」
高橋玲央も、眼鏡を曇らせながら幸せそうに息を吐いた。
そこへ、カラコロと下駄の音を鳴らして、鮎とルージュが露天風呂へとやってきた。
ルージュの小さな手には、大きなお盆が乗せられており、そこには湯気を立てるお椀と、小皿が十人分並んでいる。
「お風呂でお食事なんて、本当は行儀が悪いのですけれど……今日は特別ですわよ」
ルージュが、お盆を岩風呂の平らな石の上にそっと置いた。
「温かいお汁粉と、塩昆布ですの。お湯で身体を外から温めながら、中からも糖分と塩分を補給しなさいな」
「お、お汁粉ぉぉぉっ!?」
「塩昆布まであるッスか! 神ッス! あんたたち神ッス!!」
佐藤と桐生蓮が、お湯の中で歓喜の声を上げる。
鮎は、服を着たまま岩風呂の縁に腰を下ろし、優しく微笑みながら彼らを見渡した。
「みんな、本当によく頑張ったわね。……初日だから、今日は特別に甘やかします。お汁粉を食べて、温泉に浸かって……今は、とことん私に甘えなさい!」
トップモデルであり、恐怖の狂戦士である鮎からの、信じられないほど優しく、母性に満ちた『甘えなさい』宣言。
普段の彼女の理不尽なスパルタぶりを知っている二年生たちは、一瞬「裏があるのでは?」と戸惑いの顔を見合わせた。
しかし。
「押忍ゥゥゥッ!! 先輩の慈悲深きお心遣い、大文字鉄平、全力で甘えさせていただきますッ!!」
極限までカロリーを消費していた大文字鉄平が、誰よりも早くお椀を手に取り、ズズーッ! と熱々のお汁粉を飲み込んだ。
「んんんんんまァァァァッ!! 小豆の優しい甘さが五臓六腑に染み渡り、塩昆布の塩味が筋肉の細胞一つ一つを歓喜させておりますッ!!」
大文字のそのあまりにも幸せそうなリアクションにつられ、戸惑っていた部員たちの決壊も切って落とされた。
「わ、私も甘えますぅっ! いただきますぅっ!」
「俺もッス! 遠慮なく甘えるッス!」
「……ええ。お言葉に甘えさせていただきますわ」
十人が一斉にお汁粉のお椀
に手を伸ばし、夢中で口へ運ぶ。
「あま〜い……美味しい……」
阿部凛花が、とろけるような笑顔で白玉団子を頬張る。
「……疲れた身体に、この糖分は劇薬ですね。塩昆布を挟むことで、無限に食べられそうです」
南原紗良も、極寒のツンデレを完全に忘れ去り、お汁粉の甘さにうっとりと目を細めていた。
そして、誰よりもこの『癒やし』の恩恵を受けていていたのは、一年生の雨宮千歳だった。
「……ほわぁぁぁっ……あま、甘いですぅ……っ」
雨宮は、大きなお椀を両手で包み込むように持ち、一口すすった瞬間、その目からポロポロと大粒の涙をこぼした。
「滝の冷たさで死ぬかと思いましたけど……生きてて、本当によかったですぅ……白玉、もっちもちですぅっ……」
限界まで冷え切っていた身体に、温かさがじんわりと染み渡っていく。極度のビビリであり、先ほどまで「帰りますぅ!」と泣き叫んでいた彼女だったが、今はこの一杯のお汁粉によって、世界で一番幸せな少女の顔になっていた。
「よかったねぇ、千歳ちゃん。ほら、塩昆布も食べなさいな」
阿部が優しく微笑みながら、小皿を差し出す。
「はいっ……! しょっぱくて、あまくて……最高ですぅ」
「ふふっ。良い返事、良い食べっぷりですわ」
後輩たちが美味しそうに食べる姿を見て、鮎は満足げに目を細めた。
「しっかり温まって、身体の疲れを取りなさい。……でも、いつまでもお風呂でダラダラしているわけにはいかないわよ。食べ終わって十分に温まったら、お風呂から上がりなさい。その時――」
鮎は、少しだけイタズラっぽい笑みを浮かべて、男子陣をジロリと見据えた。
「上がる時は、まず男子から先に出て更衣室へ向かいなさい。女子は、男子が完全に見えなくなってから後に出るのよ」
そして、鮎の声がスッと低くなる。
「……男子諸君。上がる際、絶対に女子の方を見ないように。どんな時でも『紳士の振る舞い』を身につけなさい。分かったわね?」
「「「「押忍ッ!!(はいッス!)」」」」
男子四人が、ビシッと姿勢を正して元気よく返事をした。
---
数分後。
「ふぅーっ! 最高に温まったッス! じゃあ、俺たち男子から先に上がるッスね!」
佐藤が号令をかけ、大文字、桐生、門がザバァッとお湯から立ち上がった。
――しかし。
彼らは忘れていた。女子たちが今身に纏っているのが、お湯をたっぷりと吸い込み、肌に完全に張り付いて『透け透け』になった、襦袢と白衣であるという事実を。
「あ、ありがとう、陽翔。先に出ててね」
お湯の縁に寄りかかり、艶やかな笑顔で見送る阿部の圧倒的なモデルプロポーション。そして、胸元を隠す雨宮の暴力的な質量のIカップが、濡れた布地を限界まで押し上げている光景。
サッ……。
佐藤、桐生、大文字の三人の首が、脳の命令を無視して、機械仕掛けのように自動的に女子陣のほうへと『ロックオン』された。
バシャアアアアアアッ!!!
「「「ぎゃぶっ!?」」」
彼らが振り向いた瞬間。三人の顔面に、鮎が放った『極黒の魔力で圧縮されたお湯の塊』が、散弾銃のような勢いで容赦なく直撃した。
「……あら? 男子諸君。絶対に女子の方を見ないように、と言ったはずよ?」
鮎が、腕を組んで冷ややかな視線を送る。一切の容赦のない、一瞬の制裁であった。
「ち、違うッス鮎先輩! これは無意識の悲しき男の本能で……!」
「言い訳は聞かないわよ。さっさと出なさい」
そんな中、ただ一人。
「俺は、何も見ていない……俺は石だ……俺は主将だ……!」
門蒼真だけは、両目をギューッと固く閉じ、岩風呂の壁だけを真っ直ぐに向いて微動だしていなかった。彼なりの強靭な理性が見事に勝利を収めた瞬間である。
「……ふふっ。門くん、素敵ですわ」
高橋が、そんな恋人の誠実な背中を見て、小さく頬を染めて微笑んだ。
「んふふふっ♡ 男子から先に出るってことはぁ……陽翔センパァイの細マッチョな『お尻』、後ろから丸見えってことですよねぇ〜♡」
男の娘である桃井琉生が、お湯から上がった佐藤の背後に忍び寄る。
「ギャアアアッ! 桃井お前も紳士たれ! 俺の尻を凝視すんなッス!」
「わたしの心は乙女ですよぉ?♡」
「乙女は男の尻を凝視しねぇぇッ!」
佐藤の素早いツッコミで、桃井の奇襲はあっさりと処理される。
一方、女子陣のほうでも。
「ああっ……凛花お姉さま……! その濡れた白衣に張り付く、しなやかなお身体……! 私の脳内で完全に補完されて……っ!」
神品蘭が、阿部の隣で鼻息を荒くし、完全にイケない妄想の世界へと突入しかけた、その瞬間。
ガシィッ!!
「はい、神品さん。強制終了ですわ」
「同性とはいえセクハラです。お湯に沈んで頭を冷やしなさい」
高橋と南原が、阿部を守るように両脇から神品を素早く羽交い締めйし、容赦なくお湯の中へと沈めた。
「むぐぐぐっ!?」
カオスに発展しそうだった百合の暴走は、二年生たちの見事な連携によって一瞬で鎮圧された。
「……はぁ。どいつもこいつもうるさいわね。男子、さっさと上がりなさい!」
鮎の呆れたような一喝により、無意識の煩悩にまみれた入浴タイムは、テンポ良く強制終了を迎えた。
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ドタバタと更衣室で着替えを済ませた十人が、道場の広間に再集合した。
彼らが身に纏っているのは、先ほどの白褌や白衣ではなく、裏社会のトップクランであるTIAが開発した『特製防護スーツ』である。
「……はぁ、何度着てもこのスーツは恥ずかしいッスね」
佐藤が、自身の身体を見下ろして引き攣った顔をした。
対刃、対弾、魔力耐性を備えた極薄の最新素材で作られたその黒いスーツは、身体のラインに一切の隙間なく密着し、筋肉の隆起からボディラインまでを完全に浮き彫りにする。まるで全身タイツのような仕様だ。
以前の特訓や実戦ですでに着用経験があるとはいえ、やはりこのピチピチのフィット感には慣れない。
「ええ……本当に、自分の体型が丸わかりで落ち着きませんわ」
高橋が顔を赤らめて腕を組む。
「早く上に何か着ないと、恥ずかしくて立っていられません」
南原もタブレットで胸元を隠し、阿部も「いくらモデルでも、これはちょっとね……」と苦笑いしている。
「安心して。そのまま戦わせるわけじゃないわ」
ルージュが、大量の『指定ジャージ』を抱えて現れた。聖ミカエル学園のロゴが入った、少しオーバーサイズのお洒落なジャージの上着である。
「防護スーツの上から、このジャージを羽織りなさいな。上に着るのは分かっているでしょう?」
言われるがまま、全員がピチピチのスーツの上にジャージを羽織り、フロントのジッパーを開けたままにする。
すると――。
「おおっ!? やっぱりジャージを着ると、一気にスタイリッシュになるッスね!」
佐藤が目を輝かせる。
インナーの黒い防護スーツが身体のラインを引き締め、その上にゆったりとしたジャージを羽織ることで、絶妙な「タクティカル(戦闘用)感」と「抜け感」が生まれ、一気にアニメの特殊部隊のようなカッコいいビジュアルへと変貌したのだ。
「ふふっ、これなら全然アリね!」
阿部がジャージのポケットに手を入れてモデルポーズを取る。
「押忍ッ! 自分、この機能的かつクールな装いに、テンションが爆上がりであります!」
大文字も満足げに拳を打ち付けた。
全員がカッコよく着替えを終え、気合いを入れ直したところで。
パンッ、と鮎が手を叩いて一歩前に出た。時刻はすでに午後四時を回っている。
「さて。お風呂でのバカ騒ぎでかなり時間が押したけれど、初日だから想定内よ。……夕食の準備もあるから、今日の稽古は『あと一時間』で終了とします」
「あと一時間……!」
その言葉に、部員たちの顔にパァッと希望の光が差した。過酷な滝行を終え、あと一時間耐えれば、あの絶品の夕食が待っているのだ。
だが。
鮎の美しい顔に、ゾクリとするような、血の匂いのする冷たい笑みが浮かんだ。
先ほどまでお汁粉を勧めていた優しい母性的な表情は完全に消え失せている。その瞬間、道場の空気が、初夏の温かさから一転して『極寒の死地』へと変貌した。
「最後は、実戦形式の戦闘訓練よ」
鮎はそう言うと、空間から武器を取り出そうとした。
しかし、彼女がいつものように身の丈を超える『デュラハンの大剣』を抜こうとしたところで、ふと動きを止める。
「……いえ、さすがにデュラハンの大剣はマズいわね。手加減しても、万が一当たり所が悪かったらあなたたち本当に『死ぬ』可能性があるもの」
鮎はニコリと笑って、恐ろしいことをサラリと言ってのけた。
代わりに彼女が取り出したのは、大人が両手で抱えるほどの太さと長さを持つ、文字通りの『馬鹿でかい竹刀』だった。明らかに規格外のサイズであり、丸太と見紛うほどの質量を持っている。
「これなら、骨が数本折れるくらいで済むわ。……相手は、この私よ。安心なさい。ちゃんと『手加減』してあげるから」
鮎のピンク色の瞳が、狂戦士のそれに染まる。
圧倒的な極黒の魔力が、彼女の足元からドス黒いオーラとなって渦巻き始めた。
「さあ、可愛い後輩たち。……遠慮なんていらないわ。全力で、私を『殺す気』でかかってきなさい」
「「「「「…………っっ!!」」」」」
十人の高校生たちは、蛇に睨まれた蛙のように硬直し、息を呑むことしかできない。
デュラハンの大剣を回避して安心したのも束の間、「骨が数本折れる」という事実上の死刑宣告を前に、彼らの顔面は完全に蒼白になっていた。
「あ、死にかけても大丈夫よ♡ ルージュがすぐに光の神術で全回復させてあげるから。だから……安心して、何度も死にかけてね♡」
「全く……マスターは本当にドSですわね。皆様、私が後ろで控えておりますから、思い切り砕け散ってきなさいな」
ルージュが優雅にお茶を啜りながら、恐ろしい宣告を追認する。
「さあ……地獄のパーティーの始まりよ!!」
かくして。合気武道部のGW合宿初日の最後を飾る、狂信のOGによる『絶対に死ねない(死にかけ無限ループ)地獄の戦闘訓練』が、絶望の産声とともに幕を開けかけたのであった。




